麦畑の風・3


 久しぶりの蜜の村は、変わっているところもあれば、変わらないところもある。

 ふと、視線をやった先には、桜の木があったはずだ。

 かつて、いたずらで大人のまねをし、蜂の巣を取ろうとして、逆襲され、その木に上ってやり過ごした。

 だが、もう桜の木の寿命を越える時間が流れている。


「でもね、あなたのご両親は健在よ。あの日とまったく変わらないで、今も蜜の村に住んでいる。早くあなたに会わせてあげたい」


 エリザはうれしそうだった。何かを想像して、口元がほころぶところは、昔と全く変わらない。

 最後に見た看病疲れでやつれてしまった母の寝顔を、そしてあの涙を思い出し、胸が詰まった。

 母が元気で長生きしていることを、私は喜んだ。と同時に、なぜ、これほどまでに長い間、自分が雲隠れしていたのか、両親を悲しませていたのか、不思議に思った。

 いったい、私にはどのような事情があったのだろう? 病気で死んだふりをしてきたのは、どうしてなんだろう?

 平凡な少女だった私には、特別な訳があるようには思えない。私の疑問を察したのか、エリザもあれっきり私の過去を聞いてこない。

 ただ、私がどのような生き方をしたかよりも、私が死ななかったこと、無事に戻ってきたことを素直に喜んでくれる。



 見かけない大きな家の前を通った。

 私が小さな頃にはなかった家で、二階建てが珍しく思った。……ということは、私の失われた過去にも二階建ての家は珍しいのかも? などと思っていた時、その家から出てきた女性がエリザを呼び止めた。


「ああ、エリザ。ちょうどよかった。新しい蜂蜜菓子を試しに作ってみたんだけれど、試食していかない? あなたの意見が聞きたいの」


「ごめんなさい。帰りに寄るわ。今は、一刻も早くテルをご両親に会わせてあげたいの」


 私は、この女性を知らない。女性も私に記憶がないらしく、不思議そうな顔をした。


「テルよ。私の幼なじみの。今は急いでいるの、後で一緒に行くわ。その時にね」


 女性は、目をぱちくりさせながら、それでもこくこくとうなずいた。私は、軽く頭を下げて、足早にエリザの後について行った。


「義理の姉よ。隣村の出身なの」


 それで面識がなかったのだ。ムテは、あまり村を渡り歩かないものだ。


「そう……。エオルも結婚したのね」


 私は、幼いながらに利発なエリザの兄に憧れていた。恋と言えるような代物ではなかったが、それでも少し残念に思った。

 もしかしたら、顔に出たのかも知れない。だから、エオルの妻は何となく怪訝な表情だったのかも知れない。

 後でお邪魔する時に、誤解が解けたらいいのだけど。



 林を越えた先に、ひっそりと建つ古い小さな家。懐かしい我が家だった。

 子供の頃に比べると、小さく感じる。が、あの頃と変わらず、窓辺は季節の花であふれている。両親が元気で手入れを怠らないからだ。

 老いを知らない種族とはいえ、両親はいつ旅立ってもおかしくない年齢のはず。ほっとした。と同時に、どのような顔をして会えばいいのだろうか?


「あまり驚かせてもいけないから、まずは私が話してくる」


 エリザの提案にうなずいた。家が近づくにつれ、緊張が高まり、息も出来ないほどだった。その間に、呼吸を整えようと思った。

 エリザが家の中に消えてから、私は何度も深呼吸した。いつ、エリザが呼びに出てくるか、いや、もしかしたら、母が、父が、飛び出してきて、私をいきなり抱きしめるかも?

 それとも、やはり信じられなくて、疑わしい顔で私を観察するだろうか? 大人になったテルを両親はわからないかも知れない。

 不安と期待が入り交じり、私は家の扉の前をうろうろと歩き出した。しかし、待てど暮らせど、エリザも両親も出てくる気配はなかった。

 いたたまれなくなり、私は植木鉢の上に上がり、窓から家の中を覗いた。居間で、一生懸命話すエリザと、やや困った顔で首を振る母が見えた。

 母は、あの日のままだった。目が少し潤んでいるようで、別れた寝顔を思い出させる。

 ついに私は耐えきれなくなり、家の扉を勢いよく開けた。


「お母さん、私よ!」


 母は、一瞬驚いた顔をして、私のほうを見た。が、次の瞬間、再び目を伏せて首を横に振った。


「エリザ。テルのことを忘れたことはないわ。でも、テルは死んだ。やっとその事実を乗り越えられたの。そして、今はこうして幸せに生きている。それで許してちょうだい」


 私は、冷静を保とうと心がけた。

 当たり前だ。

 はるか昔に死んだ子供が、大人になって帰ってくる。そんな事実をすぐに信じられる親はいない。


「でも、ほら。テルよ! テルは生きていたのよ!」


 エリザが必死に訴えれば訴えるほど、最初は苦笑いだった母の眉間の皺が増えてくる。


「お母さん、私よ。テルよ。私、帰ってきたのよ?」


 私は母にかけより、微笑みかけた。

 でも、母の目には、悲しみと怒りがあった。私を見ようともしない。


「テルが生きているとしたら……いったい今までどこで何をしていたと言うの? 教えてちょうだい! なぜ、今頃になって、そんなことを言って、辛い過去を思い出させるの?」


 そう母にいわれて、私は言葉を失った。


「さあ、言ってちょうだい! テルはどうしていたの? ねえ! どこで何をしていたというのよ!」


 母の目から、ついに涙が落ちた。残念ながら、私もエリザも、その質問に答えられなかった。

 背後で扉の音がした。振り返ると、神妙な顔をした父がいた。


「風で扉が開いたままだった。これじゃあ外に声が筒抜けだ」


「お父さん!」


 私は、にこりともせず、私と目も合わせない父に、母以上の幻滅を感じた。

 案の定、父は泣きじゃくる母の肩を抱き、エリザに懇願した。


「エリザ、悪いが今日は帰ってくれ」

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