第21話

 一八五七年三月、雨季の大雨のなか、フランソアは馬にまたがって、前線陣地の一つである〈貴婦人〉へ向かっていた。〈貴婦人〉陣地の外から火矢を射ち込み、陣地を焼こうとしたインディオを捕らえたので、公開処刑をしろとの大佐の命令だった。犯人は八人のインディオですでに帰順していたルバ族が四人、不帰順のレダンゴ族が四人。〈貴婦人〉陣地のそばにはルバ族の村があり、今度の一件は彼らルバ族が偽りの恭順をしていたことになるとデ・ノア大佐は言った。

「そういう性根の腐ったクズどもがもう一度、帰順することの意味を問い直せるようにしっかりとした処刑を頼む」

 生温かい雨が椰子の葉にあたり、雨は葉の先へと集められて、小便みたいにちょろちょろと落ちてくる。すれ違うのはマントに包まり空っぽの荷馬車を曳いたインディオや灰色の行縢を穿いた偵察騎兵の分隊くらいのもので、後のものはみな大雨に負けて家のなかで大人しくしているようだった。そうかと思えば、道端の処刑にも出くわした。一人の少尉と十名の兵士に見張られてインディオ三人が自分で掘らされた穴の前に立たされていた。銃殺役の三人はインディオの後ろに立ち、水に濡れないようオイルクロスで撃鉄をぐるぐるまきにしたミニエ銃を取り出してインディオの後頭部に銃口を突きつけた。「国家に対する反逆罪により、ここに銃殺刑に処す!」少尉がそう叫ぶや銃殺隊はインディオの頭を次々に吹っ飛ばした。インディオの死骸はそのまま前に掘られた泥穴のなかに落ち、土が上からかぶせかけられた。彼らがこの世にいた痕跡は割れた頭蓋から飛んでいって木の幹に当たり、ねっとり滑り落ちていく二つかみ分ほどの脳みそだけだった。

 樹冠から落ちてくる小さな滝の向こうに問題の〈貴婦人〉陣地が見えてきた。激しい雨で青くけぶっていて、灯は見えず、大いなる自然の裁量一つで今にも溺れてしまいそうな陣地だった。その隣にはルバ族の村があり、村民は裕福であるらしく、茅葺きの二階建て家屋が見かけられた。きっと晴れていれば軒下には緋色の小鳥が入った鳥籠やトウモロコシがぶら下がっていることだろう。

〈貴婦人〉の門へ近づくと、「誰か!」と大雨に負けない大声で誰何された。特に合言葉を聞いていなかったので、「フランソア・デ・ボア大尉だ!」とやはり大雨に負けない声で返した。しばらく反応が無かったが、また大声で「お待ちしておりました、大尉殿」と言ってきて、門が開いた。ジョアンはフランソアの馬の手綱を引いて、そのまま〈貴婦人〉陣地に入った。急ごしらえの厩舎に馬をあずけて、そのまま茅葺きの中隊指揮所に入った。

「ひどい雨だ。とてもじゃないが、今日は処刑日和とはいえないな」中隊長はやや肥満体の蜥蜴人の大尉でフランソアがやってきたときも従卒が焼いたベーコンを三枚ほど平らげているところだった。「大尉殿には士官用宿舎の一室を使ってもらって、従卒はそのそばの物置で寝てもらおうかな。物置といってもきちんと掃除して物が整理されているし、折りたたみ式寝台の一番いいやつが置いてある。正直、下士官用の部屋よりもずっと清潔でいい部屋だ」

「捕らえたインディオたちは牢屋ですか?」

「そうだ。手足をぐるぐる巻きにしてついでに猿ぐつわもかませた。ルバ族の四人は四人とも女でね。まったく! ルバ族で我々に立ち向かうのは女だけで男どもはただただ旅団長閣下の威光にひれ伏す。まあ、正確にはデ・レオン大尉のナイフときみの翡翠の鎚にひれ伏しているわけだが。とっとと絞首刑にするかと思えば、わざわざきみを派遣してくれるわけだから、旅団長閣下はこの僻地のなかの僻地のこともきちんと気にかけてくれているわけだ。ありがたいね。もし、これからさらに奥へと探索を続けるのなら、ルバ族の服従は絶対条件だ。敵に背後を見せているようなものだからねえ。旅団長閣下はもしルバ族が今度の一件で完全に服従しなかったら全員殺せと言われているんだ。明日の処刑で思い知ってくれればいいけどねえ。実際、どのぐらいの割合だい? その、処刑による畏怖の植え付けは?」

「七割か八割といったところです」

「ルバ族のためにぜひとも今回の事件から有用な教訓を拾うことを願うね。さもなきゃ皆殺しだ」

 中隊長はパイプを吹かした。フランソアとジョアンは肩を並べて、スープ鍋が乗っかってぐつぐついっているストーブのそばにより、体を乾かした。鍋のなかでは黒インゲン豆と豚肉、ニンニクと唐辛子が煮立っていた。中隊長の従卒が鍋を取り除けると、コーヒーポットが置かれた。

「チコリじゃない」蜥蜴人の隊長は言った。「本物のコーヒーだよ」そう言うと、煮込み豆に木でできたさじを突っ込み、がつがつ食べ始めた。「妙な話でね」隊長は食べながら言った。「世界のコーヒーの七割を作っているブラジルがすぐ南にあるのに、我々と来たら、チコリの代用コーヒーばかり飲んでいる。ブラジル人たちがサン・ディエゴでコーヒーを売り始めたという噂を聞いたんだが、本当かね?」

「本当です。ぼくが出発する直前に店が完成しました。サン・ディエゴで食べ物を出す店はみなそこからコーヒー豆を買っています」

「そりゃあいい。いずれは〈貴婦人〉でも毎日本物のコーヒーが飲めるようになるぞ」蜥蜴の隊長は豚肉の脂身をすくい取ると、口に放った。「コーヒーはいい。眠気を飛ばしてくれるし、仕事もはかどる。ところで処刑なんだがね、明日の何時ごろに始めるかね?」

「雨が止み次第始めましょう」

「では、それで」

 翌朝、分厚い雲の割れ目から真珠色の日光が差し込み、水滴一つ一つに太陽の姿を映した。触れ係のインディオが鍋を木のさじで叩きながら、村人を起こしてまわった。ルバ族の村人たちは白い麻の服に白い麻のズボンを履いていて、大きな麦藁帽をかぶっていた。裸足かサンダルの彼らは帰順部族のなかでも〈文明化〉の進んでいるといわれてきた部族だった。

「だから、とても残念だ」蜥蜴の隊長はかぶりをふった。通訳が言葉を訳した。「ルバ族のみなさんは我々の文明化の使命に共感してくれていると思ったのに、こうして反逆者を生み出したんだからな。そこで我々は再度、文明化とは何か、その崇高な道に立ちはだかるものにどんな災厄が待っているかを改めて示さなければいけない。誤解しないでもらいたいが、我々だってこんなことを本当はしたくないのだ。だが、諸君のうちの悪しき分子が我々の使命である文明化をあくまで邪魔し、この地域に住む全インディオが受けるべき幸福を台無しにしようとする以上、我々はやらなければいけない。繰り返し言うが、これは諸君のために行うことなのだ!」

 ルバ族のインディオたちは自分たちが〈文明化〉している証にさかんに拍手をし、首を縦にふった。

「では、大尉殿」蜥蜴の中隊長はフランソアに言った。「あとはよろしく」

 フランソアはまずレダンゴ族の頭を叩き割った。地面に倒れると、その頭へ追撃が加えられた。レダンゴ族は釣り上げられた魚のように激しく痙攣したので、痙攣がもっと小さなものになるまで何度も殴りつけた。残り三人も似たようなものだった。印象にすら残らなかった。

 ルバ族の女たちは舌を噛み切らないよう口にぼろきれを詰め込まれていた。おそらく犯されたのだろう。

 一人目と目が合った。憎悪も哀願もない。からっぽの目がフランソアを見上げた。フランソアは女の後ろに立った。鎚を振り上げると、蜥蜴の中隊長が叫んだ。

「待った!」

「どうかしましたか?」フランソアがたずねた。

「教訓は十分伝わった。四人の女は解放しよう」

 フランソアは怪訝な顔をした。もっとたくさん処刑しようと言われたことは何度もあった。だが、処刑の取り止めは今まで一度もなかった。「でも、デ・ノア大佐の命令は八人の処刑ですが――」

 蜥蜴人の中隊長は片目をつむった。「そのへんはおれが話をつける。きみに迷惑はかけないよ」そして、部下に命じた。「縄を切ってやれ」

 言われたとおり、部下の兵たちは女たちの縄を切った。口からぼろきれを吐き出させると、隊長は通訳を使って、家に帰れ、と命じた。

 女たちは、信じられないといったふうに隊長や兵士たちを見回した。

「行け」隊長がニコニコして言った。「ほら、家に帰れ」

 三人は恐る恐る振り返りながら少しずつ村へとつながる坂道を折り始めた。だが、一人だけは動かず、兵士たちを睨み続けていた。一方坂を降りた三人は、腰丈の雑草が生えていた野原から村道へとつながるところまで辿り着けると、ほっとした笑みすら浮かべ、お互いの笑みを見やることができたくらいだった。村はもうすぐそばだった。

 その様子を見ていた蜥蜴の中隊長は二股に分かれた舌を素早くチロッと出し入れすると、ニコニコした顔を一変させて叫んだ。「脱走だ! 脱走したぞ!」

 兵士たちは坂を下りる女たちを背中から撃った。最初の一斉射撃で女の一人が両手を空に伸ばして、バタリと倒れた。残りの二人はそれぞれ逆方向に走った。左へ逃げた女は背中を撃たれたが、それでも走り続け、民家の一つに辿り着いた。だが、インディオたちは慌てて中に引っ込むと戸を固く閉ざした。女は戸にぶつかり、何度も戸を叩いたが、まもなく二発の弾が頭を吹っ飛ばした。女は自分の脳漿が塗りたくられた戸に爪をつき立てて、ずるずると崩れていった。

 右へ走った女は家族の待つ家へ走っていた。家族は扉を開けたままにして、悲痛な顔をして、はやくはやくとインディオの言葉で叫んでいた。あと数メートルというところで弾が肺を貫き、女は肩から泥の道に派手に倒れた。それでも這って進む女のそばまで、蜥蜴の中隊長は兵士数名を連れて歩いていき、自分の銃で女のこめかみを二発撃った。女の母親らしき老婆が泣きながら娘の死骸にすがりついた。蜥蜴の中隊長はその老婆の頭に銃口を押し当てて引き金を引いた。カチン。弾が切れていた。撃鉄は空っぽの薬室を打っただけだった。

「銃剣で刺しますか?」そばにいたズアーヴ兵がたずねた。

「いや。いい。陣地に戻るぞ」

 そこには最後のルバ族の女が二人の兵士に見張られて立っていた。まるで最初からこうなることを知っていたといわんばかりの顔をしていた。蜥蜴の中隊長はその女のわきを通り過ぎると、フランソアに言った。

「デ・ボア大尉。申し訳ないがリヴォルヴァーを貸してもらえるかな? おれのは弾を切らしちまった」

 フランソアは銃を抜いて、中隊長に渡した。中隊長は肥えた体をのそのそ揺らして、女が立っている場所まで下ると、ろくすっぽ狙いもせずに女の胸を撃った。女が倒れると、またろくすっぽ狙いもせずに顔に二発射ち込んだ。

 中隊長が女を蹴飛ばして死んでいることを確認していると、〈貴婦人〉陣地から伝令が走ってきた。「中隊長殿!」まだ少年のような兵士は顔をほころばせて言った。「コーヒー豆が三袋届きました!」

「そりゃあいい」中隊長は指をパチンと鳴らした。「さっそく飲むとしよう。ああ、デ・ボア大尉。リヴァルヴァーのほうはこちらで弾を込めなおしてお返しするよ。まずはコーヒーだ」

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