父の自覚

 数日のんびり過ごし日本に戻ってきた。


 俺と桃恵は市内のマンションを吟味する日々に追われていた。六畳一間の桃恵のアパートで一緒に生活をするのが、正直不便に感じ始めたからだった。


「このマンションひろーい!」

 そこは市内の一等地にあった。交通アクセスもよく、桃恵の大学にも二十分で行ける距離にある。すぐ近くにスーパーもあり、生活する分には、不自由を感じない。


「ここにしよっか」

「わーい。本当?高くないかしら」

「金はいくらでもあるよ。産まれて来る赤ちゃんのためにも広い所がいいだろう。子供も何人出来るか分からないし」


「ここに決めました。カード使えますよね」

「勿論ですよ。ほう、ブラックカードですか、羨ましい」


 不動産屋は車から何やら機材を取り出すとカードを切った。


 登記権利証を手にした俺は、ついにマンションも手に入れた。


 マンションのベランダから眺める景色は素晴らしく、二人とも十分に満足をした。


「いい眺めねー。前のボロアパートとは大違いだわ」

「過去は過去だよ。もうそんなことは忘れてしまいなよ」

「そうね。ここから新生活のスタートだもんね」


 子供ができ、俺も父としての自覚が芽生えつつあった。


 二日後から引っ越しを始めた。まず買ったのは大きめのダブルベッドだった。巨大なクレーン車が来て、窓を外した外側から入れていく。この作業に半日かかった。そして桃恵と家電専門店に行き、大きめの冷蔵庫に乾燥機つきの洗濯機、何インチか分からないほどに大きなテレビにソファーセット、エアコン等々。


 基本的な大物家電は先に全て取り揃え、後から桃恵の小物類を引っ越し業者に頼む。俺が持ってきたのは最低限の着替えが入ったスポーツバッグとスーツ一揃えだけだ。後はおいおい買いそろえて行くことにした。


「子供は何人欲しい?」

「五人は欲しいわね。でもこればっかりは、神様の贈り物だから」

「それじゃあ俺も頑張らなくちゃいけないな」


 俺はある銀行の銀行印と、承諾書を取りだした。


「これはこの銀行の貸し金庫に仕舞ってある金塊を取り出してもいいという承諾書だ。売ると三億円にはなるだろう。俺に万が一の事があれば、これを使い子供を立派に育ててやってくれ」

「そんな悲しい事言わないで」

 桃恵が俺を抱きしめる。花の香りが俺の欲情をかき立てる。


「まだ夜の方は大丈夫なんだろう?」

「ええ、大丈夫よ」

「今日で最後の夜にしよう」


 どでかいベッドで最後の夜を愛しあった。




 久しぶりに未来の俺の所へ見舞いにいった。カリフォルニア土産の菓子を持って。


「マンションを買ったよ」

「そうか、桃恵も喜んでいただろう」

「ああ、前のアパートがあれだったからな。ようやく金持ちと結婚したと実感したんじゃないか。子供の事を思って貸し金庫に預けてある三億の金塊を取り出してもいいという承諾書も渡したよ」

「俺にしては用意周到だな。何かあったのか」

「い、いやなにもない。ただ……」

「ただなんだ」

「ただ、時空警察に捕まった場合は最悪過去へともどされるんだろう?すると桃恵と会えなくなる」

「しかしお前は桃恵と結婚し、俺とは別の人生を歩き始めた。タイムトリップの禁止事項を読んだ事があるか」

「これの事だろう」


 俺はスマホを操作し、未来の世界を曲げると罪になるという一文を見せる。

「そうだ。それのことだ。未来世界において唯一やってはいけない事項だ。懲役の末、過去に強制的に追い返される可能性が高い。そうなると赤ん坊を抱くのは無理ということになる」


 俺は髪の毛をかきむしる。

「どうすればいい?」

「流れに身を任せるしかないようだな」

「このまま捕まれというのか?冗談じゃない!」

「俺の真似をしてみるのはどうだ」

「どういう事だ?」

「過去の世界に戻ったら、小村先生がノーベル賞を受賞をしているだろう。そこで共同研究だと訴えを起こす。やがてM工科大学に客員教授として迎えられ、会社を設立する。お前は億万長者になり、レイヤと結婚し、ジェイとウィリーを子供に持つだろう。ジェイが成人になるのを見届けて離婚をする」

「それから?」

「三十年後、日本にやって来て桃恵と再開し、根気よく説明し、また結婚をする。どうだ?これだと未来を弄くる事にはならない」


 俺は遠い目をする。

「そんな悠長な……第一、三十年後の俺に桃恵がなびくとはとても思えないし、自信もない」

「桃恵は金を見せるとすぐなびく女だった。そこに嫌気がさして別れたんだが」

「桃恵のことをそれ以上悪く言うな!」

「ああ、悪かった。まあ、それも人生の選択肢に入れておくんだな」


 俺は煙草を一服しに外に出た。今では外でも病院の敷地内は全て禁煙だ。いっそ煙草の販売を止めればいいのにと思いながら隠れて吸う。一服すると、大事な用件を思い出した。


「ところで頼み事があるんだが」

「分かってるよ。桃恵の社外取締役の件だろう。それは心配するな。年棒五千万円は無理でも三千万円ならポストを開けてあげられる」

 俺はほっとした。


「しかしおかしな話だな。桃恵の事だよ」

「桃恵がどうしたんだ?」

 未来の俺が口にするかどうかためらっている。

「俺が桃恵と出会ったのは、こういうふうに更に未来の俺を追いかけて来たときだ。そこで出会い、付き合い始めたんだ。遡って考えるにお前から見た未来の桃恵は、今現在もうとうに五十歳を越えてる筈だぞ」

「な、なんだって…」

 俺達は顔を見合わせる。


「決定的なタイムパラドックスじゃないか」


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