第三話

 退避行動は迅速に行われた。既にみなとみらい駐屯地は南原一佐の指揮の下、完全な戦闘状態にあり、習志野駐屯地に集約された中央即応集団隷下の各部隊がこちらへやってくるのも時間の問題かと思われた。

 普通科、機甲科の部隊が桜木町駅より一キロ東に進んだ位置で戦闘状態にある。遠方より爆発音や発砲音が届くのは、彼らがまだ奮闘している証左だ。基地周辺には渋滞になっている車列と、少しでも遠くへ逃げようとする民間人の群れで溢れかえっていた。空自の攻撃機も続々と集まり始めており、今は何とか戦線を維持できている。

 それでも劣勢は覆しがたく、自衛軍は厳しい戦いを強いられていた。

 訓練生たちは混乱を生ずることなく、傷付いた駐屯地の各所から集められた大小様々な大きさのトラックへと乗り込んでいった。それを教官が操る高機動車や余剰の軽装甲機動車で先導し、列を成して駐屯地を出発していく。その間にも周囲の自衛官たちが反撃の準備を整え、戦車を送りだし、兵士を満載したトラックが勢いよくゲートを潜っていった。道路の中央部は工兵部隊によって道を切り拓かれ、重々しいディーゼルエンジンの爆音を轟かせながら、装甲車輛の群れが敵を討つべく走り去っていく。

「頼んだぞ!」

「税金分の働きはしてくれ!」

 沿道からは批難する市民から、自衛官へ向けて激励の声が飛んでいた。

 日計と鷺澤の班は、他の数班と共に最後まで残ることになった。勿論、鉢塚二等陸曹も共にある。

 彼らは格納庫や武器庫から使える車両を引っ張ってくると、やむなくそれらに分散乗車する事になった。鉢塚二等陸曹は防弾ガラスの割れた高機動車を動かしてやって来て訓練生の一班をなんとか乗せ、他に見つかった四半トラックに残りが乗車した。運転は久世だ。どういう訳かトラックの運転経験があるらしい。そういえば彼の父親は運送業者に勤務していたのだと、日計洋一は今更ながら思い出した。

 座り心地の悪いトラックの向かい合った座席に、疲れた顔が並んでいる。仲間たちは気を利かせてか、女子と男子が対面に座り、最も後部に二人を座らせた。ちょうど向かい合っている形の二人にとっては、ありがたいのだか余計なお世話なのだかわからず、とにかく頷き合うだけで言葉は交わさなかった。生き残れば、いくらでも話すことはできる。

 むしろここで言葉を交わしたら、生きて戻ることはできない気がした。

 戻る? どこに?

 恐らくは、この駐屯地に戻ってはこれまい。

 思い返せば辛いことばかりだった。訓練は容赦なく、同室は気の置けない奴らばかり。

 しかしそれでも、自分はこの場所に置いてきた何かを名残惜しく思うのか。日計洋一は最後尾に座らせてもらえたことを有り難く感じた。ここからなら、自分の過ごした兵舎をよく見ることができる。

「いくぞ、おれを見失うなよ」

 鉢塚二曹の大声に、久世がまた大声で了解の返事を返す。

 トラックが動き出した。駐屯地にヘリ輸送されてきたどこかの野戦特科が砲撃を始め、雷めいた音が四連続で響き渡る。この駐屯地は演習場も兼ねているので、広い。発砲後の陣地転換は楽な部類に入るだろうな、と取り留めも無いことを考えても、頭上を横切っていく攻撃機の編隊に思考を掻き消される。

 これが、戦場なのだ。日計洋一は震えそうになる右腕を左腕で押さえつける。

 いつ、どこから砲弾が飛んできてもおかしくはない。何しろ敵の海上部隊は既に横浜港湾岸まで迫っているだろうから。自衛軍のPGTAS部隊はみなとみらい駐屯地に所属するPG大隊、二個のみだ。他に機甲科の援護があるとはいえかなり厳しい。せめて歩兵師団がいればと、どうしようもない逃避に走りそうになるのを堪えた。

 と、目の前で鷺澤朱里が真っ直ぐにこちらを見つめているのに気が付いた。目が合うと、彼女は微笑む。

 何故、この状況で笑っていられるのか。その疑問はたちどころに解消した。

 そうだ。ここでなら、彼女と共に死ねる。悲嘆することはない。その時を選べないのなら、誰かと共に逝けることを幸運に思うべきなのだ。

 そんなのは、嫌だ。自分の心が反射的に拒否する。驚きつつ、自分の思考を探っていく。それは、つまり、彼女が死ぬのが我慢できないのだろうか。近いが、違う。自分が死にたくないから? それもある。だがどちらもしっくりこない。

 戦いたい。心からそう思っている。だがその動機がわからない。わからない……

 掌に蒼天の操縦桿を握った時の感触が蘇る。薄手のグローブ越しに感じるグリップの滑り止めが利いたゴムバンド。指を差し入れたあの指環の感触。モニターを見ながら感じる、額から流れ落ちる汗。それら全てが懐かしく、もどかしい。何故、自分は今、トラックなんかに乗っている。何故。あの巨人の体内へと戻りたがっている。

 何故か。そう強く心の中で自分に問いかけた時、日計洋一はとてつもないエネルギーを感じた。

 衝撃。体が放り出される。回転する視界を埋めたのは横転するトラックと、悲鳴を上げながら下敷きになる仲間と仲間。彼女の黒髪が視界を掠めた気がしたが、気のせいだろう。

 気付いた時には、頭の中で戦争が起こっているようだった。

「鷺、澤――」

 他人の声みたいだ、と月並みな感想を抱く。こめかみに痛みを感じて手で押さえると、赤いべっとりとしたものに染まっていた。意識するまでもなく、血だとわかる。だが、それ以上の思考が働かない。

 仰向けに寝転がっている体を起こそうとすると、何かが自分の身体にのしかかっていて身動きが取れない事に気が付く。首を持ち上げると、鷺澤朱里の何事かを叫んでいる顔が目に入った。耳がやられてしまったらしい、何も聞こえない。だが落ち着いて聞き取ろうと意識を集中すれば、遠くから近づいてくる彼女の声がどんどん大きくなるのを感じた。

「大丈夫? 返事をして。返事をしてよ、日計くん――!」

「なんだ。鷺澤、軽いんだな。怪我は?」

 恐ろしくとぼけた声色だったと思う。ようやくそれだけ声を絞りだすと、彼女は安堵と嬉しさが、引いていく不安の波と混じり合った複雑な表情を浮かべた。ひきつった泣き声を上げて彼の胸板にしがみつく。

 どうやら大事ないと判断すると、首を回して周囲の状況を確認した。

 四半トラックは横転し、見事に大破していた。周辺には飛び散った血痕と、既に意識の無い仲間たちに声をかけて走り回る久世と藤巻がいる。他にも数人の訓練生が、自分の制服や傍にあった何かを拾って応急処置を施していた。彼ら自身もどこかしらに傷を負っており、辛そうだ。さらに右側を振り返ると、ここは残骸と化した管理棟の入り口付近。まだ走り始めて数分と経っていないこのタイミングで、敵の巡航誘導弾攻撃の第二波がやってきたらしい、と思い当たる。駐屯地のコンクリートとアスファルトで舗装された地面の所々がめくりかえり、無残な姿となった兵舎が視界を埋めた。

 そういえば、駐屯地の防空を任せられていた筈のVADS特有の鋸めいた発砲音は、いつの間にか聞こえなくなっていた。それだけでなく、駐屯地全体が遠い発砲音以外に何も聞こえない。まるで死んでしまったようだ。

 基地が死んだ。その想像に戦慄する。ここが陥落したのなら、他に誰が自分達を助けてくれる?

「日計、無事か」

 藤巻が駆け寄ってくる。鷺澤朱里に肩を貸されて立ち上がったその頭に、どこから持ってきたのか、彼が包帯をぐるぐる巻きにしていく。間に合わせの応急処置が済むと、何とか一人で立ち上がれる程度には回復してきた。

「何とか。状況は?」

「半分ほど、死んだ」その報告は、簡潔であり、戦慄する響きを含んでいた。「他も怪我をしている。動けるのはおれ達だけだ。あいつらには、けが人を運んで退避するよう指示した」

「なんだって。二曹は?」

 久世と藤巻は互いに顔を見合わせ、俯いた。何も言わない彼らに、鷺澤が食って掛かる。

「ちょっと、答えなさいよ。二曹はどこなの」

 不承不承といった体で、久世が背後の、横転したトラックを挟んで反対側を顎で示す。

 そこには、仰向けに投げ出され、右胸に金属片が深々と突き刺さっている戦闘服姿の男がいた。

 一歩を踏み出す。よろよろと歩いて、どうにか彼の傍らまでやって来ると、ずきりと痛む左腕を抑えながら跪く。気が付いたのか、鉢塚はぱちりと目を開いた。自分の胸から生えている物体をまじまじと見つめ、軽い舌打ちを漏らす。

「二曹。鉢塚二曹、聞こえますか」

「日計だな。まったく、なんて面をしてやがる。ここはどうなってるんだ」

 口の端に流れる、血と汗の混じったものを舐めて、日計洋一は背筋を伸ばした。いつでも堂々としていろというのが、彼の教えだった。

「巡航誘導弾の第二波が撃ち込まれたようです。見る限り、駐屯地には他に人はいません。我々のみです。二曹、ご命令を」

「命令だ?」鉢塚は不思議そうに首を傾げ、「おれはもう助からん」

 彼は持ち上げていた首をごとりと落とすと呟いた。軽く咳き込めば、口の端から赤い筋が流れ落ちる。これだけの傷を負っていながら、苦痛の色さえも見せない彼の胆力に驚嘆させられた。

 翻って日計は、この場で唯一の指揮官が失われることに不安を覚える。何より、ようやく理解し始めた誰かが目の前から消えようとしている寂寥感が、暴力的に胸の内を侵食していった。それらは心の外縁部から冷たいナイフとなって入り込み、世界が遠くなる。

「日計、生き残っているのは何人だ。報告しろ」

「はい。自分を含め、久世、藤巻、鷺澤の四名です。他は負傷、もしくは死亡のために、行動不能」

「ならばお前が指揮を執れ、日計」

 その言葉に驚く暇もなく、鉢塚は自嘲気味に血と言葉を吐いた。

「おれはもう無理だ。責任は誰にも渡したことが無いのが密かな自慢だったんだが、お前なら、まあ、いいだろう。伝えるべき言葉は伝えてある。命令だ、日計洋一訓練生。お前を含め、仲間を連れて生還せよ。これは命令である。復唱しろ」

 喉に何か熱いものが詰まる。日計洋一は確かに、一言一句を噛み締めた。

「自分を含め、仲間を連れ、全員で生還します」

「よろしい」

 鉢塚二曹は、どこか清々しささえ感じる表情になると、視力の失われ始めた両眼を空に固定し、何事かを呟いた。

 爆音が響く。戦闘攻撃機の通過によって聴き取れはしなかったが、その唇の動きで、日計は彼が何を伝えようとしたのかを悟った。

 しばしの沈黙の後、立ち上がる。息を吸って、吐く。任務は既に始まった。これは自分達の戦い、自分達の生存闘争。まずは生きていることの確認から、これからどうするべきかの立案まで。

 日計洋一は、横たわる鉢塚二等陸曹の遺体から認識票を回収する。そして信念が宿った瞳を閉じてやった。認識票を左手で握りしめたまま、右手で敬礼。他の三人もそれに倣う。

「格納庫へいこう」

 手を下ろすと、彼は言った。鉢塚が伝えたかった言葉は、今も胸の中にある。

(二曹、ぼくは、生きている限り戦います。戦う限り生きていられるから)

 そのためには、武器がいる。格納庫は巨大で、まるで地獄の入り口に見えなくも無かった。虎穴に入らずんば虎子を得ず。なるほど、ならばこの身で虎をも駆って見せよう。

「奴らを叩き潰す」





「ブレイク、ブレイク」

 PG=21D、蒼天複座型の後部座席で男が叫ぶ。途端に交差点の各所に展開している蒼天たちがビルの影に身を隠し、一瞬後に敵の砲撃がビルの壁面を掠めて通り過ぎていった。

 衝撃波で砕けた窓ガラスがオリーブドラブの装甲板へと降り注ぐが、巨人は気にする素振りも見せずに、負けじと七六ミリ単装速射砲を撃ち返した。

 発砲音がビルの外壁に乱反射し、騒音は複数が重なって奇妙な旋律を奏でる。古代より、銃器が楽器になぞらえられることが多い理由は、この音を聞く誰しもが理解するだろう。

 横浜は背の高い建造物が比較的多い。東京に比べればこぢんまりとした佇まいだが、特に駅周辺は開発が進んでいることもあって、蒼天は頭の先まですっぽりと隠れられる。それを利用して、市街地での近距離戦は比較的有利に進められていた。

 蒼天たちはビルの外壁から、片手で把持する単装速射砲だけを突き出して発砲している。元々は護衛艦に搭載されているスーパーラピッドに由縁を持つ速射砲には固定のガンカメラが搭載されており、そちらの映像を照準として用いているのだ。

 問題は、頭上から降ってくる敵の長距離誘導弾と、浮遊機フロートによる三次元立体機動による爆撃だ。人類側でいう攻撃ヘリコプターの役割を担うこの無人機は、蒼天よりも遥かに高い位置から誘導弾、および無誘導ロケットによる攻撃を仕掛けてくる。正面からの被弾に最適化されている装甲配置が、これでは役に立たない。アクティブ防護システムも搭載されてはいるものの、残弾数にも限りがあった。

 第一師団第五PG大隊を指揮する男はヘッドギアから垂れる汗を舌でなめ、きつくベルトで固定された体を捩る。長くコックピットに座り続けて尻が痛い。少しだけリクライニングした座席を伝ってくる歩行による衝撃は、決して小さく無かった。床ずれ防止用のマットやクッションはあるものの、軍事用品は必要最低限の性能しか付与されないのが常だ。

 文句を言っても始まらない。彼は膝の上から股の間まである大きなMPDに目を落とす。そこには自機を中心に半径一キロの範囲を表示したマップと、青い味方機を示すアイコンが三十二個。敵のPGTASを示す大きな赤いアイコンが布陣する第五PG大隊の前に扇状に居並び、その周囲を小さなアイコン、戦車型や歩兵戦闘車型を示すものが点々と散らばっている。これだけでも脅威だ。何しろ、敵戦車は滑腔砲を備えているから、近距離での戦闘が多い市街地ではその威力が遺憾なく発揮されてしまう。いかな蒼天といえども、複数からの射撃を受ければ無事でいる保証はなかった。

 だが、こちらとて独りで戦っているわけではないし、単独で戦わねばならぬ道理もない。

 MPD脇のパネルをタッチし、近辺で戦闘を継続している各部隊とのネットワーク状態を確認した。各部隊が、劣勢といえども十全に機能しているのが見て取れる。

 戦術データリンクシステムに接続されている、上空の戦闘攻撃機へ目標指示を送る。高空では無人偵察機が地上の様子をモニターしており、そのレーザー誘導システムにダイレクトリンク。適切な敵部隊の位置を三点に絞って攻撃要請を伝えると、即座に任務承諾のホップアップが出た。

 攻撃まであと一分。それまで、戦闘攻撃機の爆撃を支援しなければならない。大隊長は後部座席で戦闘指揮に集中する。

「各機へ。空自へ爆撃要請を出した。あと五十五秒で攻撃開始、それまで攻撃を続けろ」

 了解、という返事と共に、大隊長機もビルの壁から身を乗り出して速射砲を放つ。他の機も後に続き、姿勢変化により背面のウェイトスタビライザーが伸びた。銃を前に出して構えれば、重心は前のめりになる。それを打ち消し、反動を抑制するための措置だ。関節毎に埋め込まれた電動モーターと油圧ポンプが重心移動で抑え切れない発射の反動を吸収し、姿勢を保つ。

 敵は今回の襲撃に量産型PGTASを投入してきた。これは開戦から初めてのことだ。黒い、逆間接型の高機動型。不自然なほど伸びた腕部は鋭い爪が装着され、手の甲より少し上にある部分からは八八ミリ程度の口径と思われる大砲を装備している。さらに、太陽光が切り取られたような漆黒の塗装。

 こいつらは化け物だ、と彼は思う。交差点の先に、ビルを飛び越えて着地した敵機の隙を突いて僚機と共に砲弾を撃ち込む。装填筒付翼安定徹甲弾APFSDSが複数発命中するものの、脱落した左腕を盾にしながら突き進んできた。恐ろしく速い。速射砲では致命傷となり得ないのか。

<メンフィス=2、メンフィス=2!>

 前席に座るドライバーが中距離兵装発砲コールサインを怒鳴る。トリガーは既に引きっぱなし。あまりにも強く引き絞ったので、システムが熱センサーからの警報を無視、加熱した砲身もそのままに射撃を継続する。

 敵は止まらない。人間と違い、恐れを感じない無機質さが、純粋に恐ろしい。恐れを知らぬとは、相手に恐怖を返しているが故か。

 後方で控えていた一四〇ミリ滑腔砲装備の僚機が発砲し、凶悪なフォルムの頭部が爆発、大きく仰け反るも、姿勢を崩しただけで問題なく残った右腕で発砲してくる。最終的に、機甲科の一〇式戦車による連携砲撃でとどめを刺され、敵機は膝をついて沈黙。後に自爆した。

 黒い軍隊の無人兵器は、各所に爆薬が仕掛けられており、被撃破時には自爆処理を行うことで人類に情報を読まれることを防ぐ仕掛けになっている。ある程度のダメージを与えれば独りでに爆発してくれるが、それまで攻撃を続けることが前提だ。敵の耐久力が高いことには変わりない。

 フロートと戦車が機動力を生かして突破をかけてくる。ビルに潜んだ普通科と、路上で陣を敷く機甲科が猛烈な攻撃を加えるが、先ほどと同じく、その動きを緩める程度にしかならない。

 最終的に、PGTAS部隊が支援して何とか全滅させたところに、新手の黒い巨体がふたつ、ビルを飛び越えてやってきた。足下にあったバスや乗用車が粉砕され、土煙がもうもうと立ち込めて視界を悪くする。

 日本の道路交通法などを全て無視した、人を殺すためだけの無人兵器。それを前にして、男は怒りを覚えた。我が国、愛する市民を、何故殺すのか。その問いに奴らは答えない。彼の座席の目前に貼られた、ラミネート加工の施された四角い紙片には、幸せそうに笑う家族が映っていた。

(やらせるものか――!)

 と、空を四つの機影が横ぎった。MPD上では味方機を示すアイコンが瞬く間に現れては消えていく。

 その一秒後、黒いPGTASを含む黒い無人兵器群の周囲に無誘導、誘導を含む爆弾類が炸裂する。直後、炎の中からよろりと歩み出る機体を目視し、その周囲に展開していた四脚型の小型ドローン群が爆散した。

 炎に飲まれた巨人は仰向けに倒れ込み、四散した。炎の中に新たな燃料が加わる。「ざまあみろ!」歓声が通信回線を満たした。

 今が好機だ。

「全機へ。突貫せよ。前線を押し上げ、後方にいる未避難の民間人を守れ」

了解コピー!>

 オリーブドラブの迷彩色に赤い日の丸が肩に穿たれた装甲板が蠢く。

 蒼天の群れが前進を開始する。小隊ごとに統率のとれた動きでビルの影から飛び出し、爆撃を受けて大きな隙を見せている敵軍へと攻撃を開始した。

 いくつもの滑腔砲、速射砲が咆哮を上げる。各部関節、足に装備された巨大なトーションバースプリングの跳ねるような感触を腰に感じながら、上面、前方左右をカバーする大きなディスプレイを流れていくビル壁を見つめる。

 その時、警報音が甲高く鳴り響いた。

「くそったれ」

 前方操縦席のドライバーが悪態をつく。大隊長のヘッドギアにも、各機から送られてくる悪態や悲鳴で、通信回線が悲痛な色を帯びるのが聞き取れていた。

 ビル群の真上に、黒い巨体がいくつも並んでいる。瞬間的に数えた限りでは七機。ビルを挟んで両隣にある街道に向けて立っている個体もいれば、こちらへと両腕を差し向けて狙いを定めている機体もある。

 やられる。そう感じた瞬間、咄嗟に固定されているハンドルを握って衝撃に備えていた。

 コンマ数秒後に砲撃が始まり、彼がMPD上で確認した限りでは、一瞬にして六つの味方アイコンがLOST。自身の乗る複座機も右腕、右足を損傷して、時計回りに回転しながら後方へ吹き飛ばされる。背中からアスファルトを捲り返しながら地面を滑り、停止。

 眩暈のする頭を軽く振りながら、赤い警告表示で満たされたディスプレイと、血で染まった前方操縦席に愕然とした。砲弾の一部が貫通してドライバーを貫いたらしい。座席には人間だったものが、赤黒くこびりついている。

 無意識の内に右手を頭に当て、薄手のグローブが赤黒い何かにべっとりと汚れているのを意識した。彼のものであるかどうかはわからなかった。動きを感じて、コックピットの正面部分、砲弾が飛び込んだと思われる裂け目の向こうへ視線を投げると、赤い夕焼けを背にこちらを見下ろす、禍々しい黒色の巨人の影が在った。

 その細長い頭部に据え付けられた単眼と目が合う。

 奴は笑っただろうか。

 逆間接のサスペンションが軋んだ音を立て、とどめを刺そうと右腕部をこちらに向ける。耳にあてられたヘッドギアのスピーカーからは幾重にも重なった部下の悲鳴。

 おれは何と戦っていたのだろうか、と彼は思う。長い軍歴、大隊長まで上り詰めた実績、築き上げたキャリア。戦意に溢れた部下たち。おれ達なら勝てる、そう言ってこの戦場に立ったのに、今や部下の慟哭を聞きながらなすすべもなく、このコックピットに座っている事しかできない。

 悔しい。唇をかみしめ、せめて最期の瞬間まで瞳は閉じるまいと、亀裂の先に見える黒い悪魔を睨み付ける。撃つなら撃ってみろ。どうした、さあ早く――

 と、その黒い影が、突如として何かに衝突された様に仰け反り、ビルの上に倒れ込む。起き上がろうともがくそれを、遅れてやってきた砲声と共に爆炎が包んだ。

 助かったのか。途絶えた緊張の糸と、遠ざかっていく自分の意識。

 最後に彼が聞いたのは、ポップ・ワンという、敵機の撃破を告げるコールだけだった。





「ポップ・ワン」

 日計洋一は宣言する。

 地面に仰向けのまま倒れ込んだ複座型蒼天を、ビルの上から撃ち下ろそうとしていた敵の量産型PGTASが吹きあげた爆炎の中、生き残った敵機が突っ込んで来た。ここまで、性能の全てを発揮してはいなかったらしい。恐ろしいまでの敏捷性で狭いビルの屋上を的確に踏みしめて接近してくるそれらは、照準が定まると同時に街路へ飛び込んで姿をくらませる。重なりかけたロックオンカーソルがHUD上で宙を舞った。

 ディスプレイから目を離すことなく、開いた通信回線に耳をそばだてた。目は抜け目なく敵の消えた場所を注視している。市街地なため、頭部のPHARは役に立たない。周囲の音声から位置を探ろうにも、反響する発砲音、爆発音でまるで追従できない。

<こちら〇二、命中、一機撃破>

<〇四、外した>

<〇三もだ、すまん>

「構わない。各機、続け。前線を維持する。これ以上後退すれば民間人の避難に支障が出る。何としても阻止しよう。ぼくたちが前衛だ」

 了解、と震える声で三人は返事をする。日計洋一は操縦桿を押し倒し、蒼天を時速三十キロ程度で前進させる。その間に、戦術データリンクから送られてくる情報に目を通した。

 横浜港南側で健在の蒼天は十機。間隔が広いために戦線を維持することは困難だ。多くの個所で、当初の報告よりも多い敵PGTASが猛攻を加えている。先ほどの爆撃により、敵の戦車、四足歩兵戦闘車はほとんどが殲滅できたものの、量産型PGTASは十七の生残。

 横浜港のベイブリッジを渡った川崎方面にも敵は侵攻しているらしく、そちらを含めれば四十機にのぼる敵機を相手にしなければならない。しかも、現状で有効な機動力を持っているのは臨時に編成された訓練生のみの、このベル小隊のみ。訓練用なので、どれもが青と赤いラインの入った派手なカラーリングだが、敵の目を惹きつけられるのなら願ったりだ。無人兵器に自らの存在を刻み付けてやる。

 厳しい状況だ。帰って頭から布団をかぶりたくなるくらい、怖い。

 それでも、戦わなければならない。

 忘れることなかれ。我らは兵士也。

 と、上空を旋回飛行している無人偵察機からの情報提供が途絶える。中枢コンピュータが異常を検知してHUDで知らせるとともに、即座にMPDが無人偵察機からの最新情報と各機の把握している状況を元に戦術図を再編集。先ほどとあまり変わらないものが表示されたが、リアルタイムの更新ではなく少し遅れたものだ。今見ているこの戦術図、敵の位置は、おおよそで二秒のタイムラグがあると考えていい。

 それでじゅうぶんだ。

 MPDから視線を戻したところで、先ほどの一体が目前の交差点から飛び出してくる。同時に、さらに先の交差点の両脇にそびえるビルの屋上、左前方に二機、右前方に三機。

 成程、早い適応だ。新進気鋭の戦力であるこちらをまとめて叩くことにしたらしい。驚くべきはその判断力と、実際に行動して見せる実行力か。人間なら余計な意思疎通も交えるためにこうも迅速には対処できまい。

 右側の三機が吹き飛ぶ。先頭に立つ日計機――コールサイン、〇一を援護するために、三百メートル後方から鷺澤、久世、藤巻が発砲開始。予想が的中したと確認するよりも早く日計洋一は操縦桿を操作してブレーキをかける。

 高速走行中だった蒼天がサスペンションと関節部の衝撃緩和装置が許す限りの加速度で減速する。慣性の法則によって飛び出そうとする体をシートベルトが押さえ、肉にベルトが食い込む。歯を食いしばってこらえながら、予測射撃のためにすぐ前方を横切る砲弾を躱す。

 薙ぐようにして右手に把握させている一四〇ミリ滑腔砲を照準、発砲。近距離からの一撃により敵の一機が吹っ飛ばされ、同時に蒼天の身を交差点の右側に投げた。直後に街道上を猛烈な砲撃が穴を穿つ。正面に飛び出した敵機は街道を走ってこちらへ接近。ビルの上に残っていた一体は街道を飛び越えて追撃の構えを取る。

「撃て、鷺澤」

<ファイヤ、ファイヤ>

 砲弾が飛来する。街道を走って来た一機の右脚部に命中して横転、起き上がろうとした敵機へ向け、久世と藤巻が七六ミリ単装速射砲を発砲。複数の砲弾が身動きの取れない敵機を打ちのめした。体中に被弾して奇妙な舞踊を踊った敵機は機能を停止し、自爆。新たな爆炎が建造物を吹き飛ばす。

 問題はビルの屋上を伝って来たもう一機だった。日計は急回避のために倒れ込んでいる蒼天を必死に起き上らせようとするが、敵の方が早かった。

 屋上を飛び越えて来た彼が着地すると、コックピットの中にも振動が伝わってくる。咄嗟の判断で、背中のスタビライザーを無理矢理、伸長させた。

 巨大な油圧駆動装置が唸りを上げる。中腰の姿勢になると、至近距離で滑腔砲を発砲。同時に敵も撃ち返して来たが、胴体部に直撃弾を放り込まれると同時に、日計機の左肩に被弾、即座に自己診断プログラムが走る。システムは異常なしを報告。異常といえば、無理に機体を持ち上げさせたスタビライザーの制御ユニットが悲鳴を上げていた。こちらはコンディション・イエロー。許容範囲内だ。

 敵機は仰向けに倒れ込み、次いで爆発した。

 無意識の内に、口から悪態が飛び出していく。

<日計くん、大丈夫?>

 追いついてきた三機が、発砲しながら交差点へと侵入する。敵は一時後退し、それに合わせて味方の蒼天が態勢を立て直した。普通科や機甲科、空自の無線までも入り乱れるヘッドギアを擦り、息を止めていたことに気が付く。意識して肺の中を空にし、また吸い込んだ。

「何とか平気だ。そっちは?」

<おれ達も無事だ、日計>と久世。<無茶しやがって。こんだけ撃っても、まだ戦闘は終わらないぜ、ちくしょう>

「わかってるよ。だけど、この交差点は要衝だ。ここを守れば――」

<こちら第五PG大隊所属、向井三等陸佐だ。そこの訓練機、応答しろ。何者だ?>

 突然割り込んで来た荒々しい無線に、日計洋一は機体を立て直しながら答える。

「こちらベル小隊、日計訓練生です」

<やはり訓練生か。ここからでもその派手な塗装が良く見える。何をしている。ここは戦場だ。お前たちがでしゃばっていい場所じゃない。即刻、後方に退避しろ>

「鉢塚二等陸曹より戦うよう命令を受けました」言うと、相手方が息を飲むのが無線越しにもわかった。「自分達も戦います、三佐。数は多い方がいいでしょう」

<それは……>向井は言いよどむ。<わかった。今はとにかく人手が欲しい。それで、鉢塚二曹はどうなされた?>

 一瞬の沈黙の後、日計洋一は答えた。

「戦死なされました」

 おおよその予想はついていたのだろう。大きく息を吸って、吐く音がすると、向井は間髪入れずに言った。彼の毅然とした声には、悲しみなど、毛の先ほども混入してはいない。

<そうか。ならば、尚のこと生き残らねばな。日計訓練生、引き際は心得ているな? この戦況では救援に来る予備兵力などない。恐らくは後方で予防線を敷いているだろう。こちらが撤退を命じたら即座に撤退するんだ。いいな>

「はい、三佐。理解しました」

 つまり。向井三佐がもうだめだと判断したら、味方を犠牲にしてでも生き残れ、ということだ。

<よし。ベル小隊の小隊長は正式にお前にする。鉢塚二曹の教え子だ、信じているぞ>それから無線のチャンネルを変えるかちりという音が響き、<全機、聞け。こちら向井。ベル小隊を中心に弾丸陣形、この意味はわかるな。一分後に前進を開始する。川崎方面は向こうに任せよう。我々は本牧埠頭を奪還する。機甲科、普通科に告ぐ。現状での最高指揮官はわたしだ。機甲科の諸君にはお付き合い願いたい。北から回り込んで敵を攻撃せしめよ。くろがねでも我らの矢は防げないと教えてやれ。PG科は隊形を組み終わり次第攻撃を開始、普通科は防衛線の再構築と、市民の保護だ。いいか、日本の土地で好きにさせるなよ>

 ようやくシステムが半壊したスタビライザーの出力調整を終えて、蒼天はスタンドアロン状態に復帰。滑腔砲の弾倉を交換しながら、日計は言った。

「聞いた通りだ。三佐はぼくたちを守るつもりだろう。陣形の中心にいるぼくらが遅れる訳にはいかない」

<機体は大丈夫?>と鷺澤朱里。MPDには行動開始時刻が百分の一秒単位まで表示されている。四機は交差点の中央からやや逸れて、全周警戒状態でそれぞれの兵装を構えていた。

「背中が黄色いや。だけど心配ない、まだ戦える」

<本牧ふ頭まで、およそ千五百メートルだ>と久世が言い、彼が強調表示したルートが日計機を含む僚機へ転送される。<四機で正面突破を図ることになるだろう。他の部隊はこちらの一時方向、十一時方向へ展開しているから、中央部はおれ達に任されたんだな>

「そうなる」

<腕が鳴るぜ>久世が陽気に言った。

<無し、だ。お前からはなんかないのか、日計>と、藤巻。

 少し迷った末に、日計洋一は言った。ベル小隊の小隊長は彼であるから、実質的に彼が上位だ。実力的にもそうだろう。今、仲間たちは彼を信頼している。生き残るためにはどうすればいい? まず、ここを守るべきだ。戦線が崩壊すれば全員の命が危ない。取るべき行動はひとつ、戦う事だ。

 だが、それにはひとつだけ前提条件が必要だ。それを伝えなければならない。理不尽で、暴力的な命令だ。これを口にするだけでもとてつもない責任が発生する。

 それがどうした。自分を叱咤して、インカムへと話しかける。

「ひとつだけ。必ず生き残ってくれ。これは命令だ」

<馬鹿言わないでよね>

 即座に鷺澤朱里が言う。驚いて彼女の機を見やると、ディスプレイ上に彼女のコックピット内部映像がワイプで表示される。その顔は真剣だ。眼差しは真っ直ぐで、思えば、今日の昼には彼女と歩いた場所はそう遠くない事に気が付く。

<あなたも、生きなきゃ、だめよ>はっきりと、彼女は言う。<約束して、日計くん。絶対に死なないって>

 彼女の言葉で、彼は全てを察した。

 初めて目の前にする戦闘。飛び交う砲弾。一発を外せば死ぬ仲間、はたまた自分か。今の攻撃が上手くいったからといって次の保証はない。

 だけど、鷺澤。そんなものは戦場以外にだってありはしないんだよ、と冷めた心で日計は思う。どんな場所にいたって、世界は本人にはどうしようもないものだ。人間一人の力がどれだけ非力なものなのかを思い知らされ、打ちのめされ、それでもぼくらは生きていかねばならない。戦場は、その脅威が具体的な銃弾として飛んでくるだけなんだ。約束なんて何の意味も持たない。幻想で、詭弁。だからどうしたと、嘲笑を受けて終わり。

「約束する」そんな煩悶を振り切って、日計は断言した。「ぼくは死なない」

 彼女はその言葉に嘘が無いことを確かめたのか、ふと表情を和らげると、接続された通信を解除した。音声のみになった彼女の通信が響く。

<了解。それじゃ、行くとしましょうか>

 MPDを見れば既に行動開始時刻だ。既に前線は動き始めている。

 自分はなぜ彼女にこんな誓いを立てたのか。自問は、しかし即座に氷解する。

 今日の続きをするために。彼女とこれからも過ごすために。単純な事だ、ぼくはぼくの生活を取り戻す。そのためにPGTASに乗るのなら、これ以上に納得できる理由はない。

 操縦桿を押し倒す。蒼天が一歩を踏み出す。大きく、そして逞しい一歩だ。しかし油断はできない。戦場とは理不尽の嵐と覚悟せよ。我が剣は自由のために抜かれり。そして、胸に宿す勇気を忘るること無かれ。

 目前に敵部隊が迫る。

 蒼天が滑腔砲を構えた。



 本牧埠頭まで押し返したみなとみらい駐屯地所属のPGTAS部隊、及び機甲科部隊は、束の間の休憩も取らずに佇立している。死屍累々と黒い兵器の残骸が点在する桜木町駅までの道のりから、さらに次の段階へ進もうとしていた。

 ベル小隊を指揮する日計洋一は、残弾数が底をつきかけているのを確認し、命令を待っていた。結論として、上層部は大黒ふ頭からベイブリッジを経由して川崎方面を侵攻中の敵部隊後背を突く作戦に打って出る。機甲科とPG科が準備を整えて螺旋状に連なる高架を昇り始めた時、新たな命令が飛び込んできた。

<向井よりベル小隊。貴隊は大黒ふ頭高架上層にて、遠距離砲撃により渡湾する味方部隊を支援、及び本牧ふ頭、大黒ふ頭方面における敵部隊の活動を抑止せよ>

「了解しました、三佐」

<頼むぞ。幸運を祈る>

 通信が終わると、日計は命令内容を久世と藤巻、そして鷺澤朱里へ命令内容を伝えた。コックピット内部に携帯されているペットボトルの水を飲んでいた三人は、前線任務がここまでであることを悟った。

 向井三等陸佐は、あとの戦いを正規自衛軍で終わらせるつもりだ。横浜方面の機甲科とPG科部隊は既に統合されており、先の戦闘を経て連携が取れる様になっている。ここで、訓練小隊を前線に配置すればこれ以上の戦術行動はとれなくなるだろう。しかし遊兵を作れる状況でないのも確かで、折よく戦力の不足によって生じる本牧ふ頭という間隙に、四機の蒼天からなるベル小隊を配置した。

 MPDに戦術データリンクから入る各機の情報を呼び出すと、四機の弾薬保持率が表示される。各機、目立った損傷はないが既に搭載弾薬の七十パーセントを使い切っている。危険な数値だ。ここを守り切るにも足りないし、ベイブリッジを横断する味方部隊の支援もするとなれば、これは各々の武装だけでは足りない。

 しばしの黙考の末、通信回線を開く。MPD上で、生き残った陸上自衛軍第一高射群の誘導弾発射のアイコンが光る。敵の航空部隊がやってきたらしい。ここで航空優勢を取られては地上部隊の戦闘続行が困難になる。橋の上を渡るPGTASなど良い的だ。

「ベル小隊へ、こちら日計。久世と藤巻はここに残って、敵の残党や新たな部隊へ対応してくれ。ぼくと鷺澤は、この高架の上から滑腔砲による遠距離砲撃支援を行う」

<こちら久世、了解だが、弾は足りるのか?>

「心配ない。鷺澤とぼくの持っている七六ミリと弾薬を全て渡す。代わりに、滑腔砲弾はこちらへ寄越してくれ。これで、お互いの任務を果たすのに十分な弾薬が得られる筈だ」

<なるほどな。了解した、こっちはおれがポイントマンになる。安心してくれ。敵が来ても、お前らを守るよ>

「ありがとう、藤巻」

 それから、四機の蒼天が互いの弾薬を弾倉ごと交換し合い、保持している武装に比して弾薬補充率が八十パーセントを超えたのを確認してから、蒼天は静かに歩き、高架の前に立った。背中の武装ラックへ一四〇ミリ滑腔砲を格納し、注意深く聳える壁を昇り始める。

 あくまで自動車用に建設された高架は、近年の地震対策によって補強されている。上下に折り重なった屋根のある高架を歩くことは、蒼天の身長からして不可能なので、柱へと両手、両足をかけてのぼっていくしかない。といっても、ほとんど梯子状に道路が折り重なっているため、神経を研ぎ澄ませば何とかやり遂げられそうだ。マニュアル操作の訓練をしていてよかった、と心の底から思い、鉢塚二曹へと感謝の祈りを捧げる。

<すごい景色。こんな風景を見ることになるなんて>

 声が鼓膜を打つ。日計は首を捻って左面ディスプレイに映る横浜港の変わり果てた姿を視界に納めた。

「むかし思えば、とまやの煙。ちらりほらりと立てりしところ」

 横浜市市歌の一説を口ずさむ。発展途中の横浜の街では、古びた建物から生活の煙がちらほらと空へ伸びていく様を歌ったものだ。作詞はあの森鴎外だというから驚いたものである。当時は、粗末な街として知られた横浜の様子と、それから開国を経て発展した一代港湾施設として発展した横浜を対比した歌詞であったが、今はより悲壮感を漂わせる内容として感じられる。

 既に日暮れ、夜の帳が地平線の奥から押し寄せてくる中、黒く、もうもうと吐き出されている煙は、敵、あるいは味方のPGTASのものだ。撃破され、燃料に引火しているそれらの他に、戦闘によって倒壊した家屋やビルが火災を起こし、街は緩やかに、しかし確実に破滅へと近づいている。既に復旧は不可能だろう。まず、あの黒い無人兵器群を何とかしない限りは。

 悲哀に浸っている彼の気も知らず、フフ、と鷺澤は小さく笑う。

「なんだよ。こんな状況で笑ってられるなんて。燃料だって、あと半分なんだぞ」

<気に障ったかしら?>

「別に、そこまででもないけど。なんで笑ったのかは気になる」

<いやね、午前中にデートしておいてよかった、と思って。鉢塚二曹には感謝しなきゃ>

「どうして?」

<あの人が送ってくれなかったら、こんな風に思えるほど楽しかった時間が、短くなっていたかもしれないじゃない。そんなのは、嫌だわ>

 そういえば、今日は彼女とデートをしていたのだったと、今更ながらに思い出す。みなとみらい駐屯地からここまで、絶望的な抵抗を続ける自衛軍へと合流した二人にとっての「今日」とは、甘酸っぱく過ごした逢瀬と硝煙のにおいにむせ返る地獄、どちらであるのだろうか。彼女にとっては前者であり、自分にとってはどうなのだろう、と考える。

 考えてしまう。胸の内にぽっかりと開きつつある穴を吹き通っていく寂寥感に身震いする。もしかして、自分は、後者ではないのか? 今日という一日を思い返す時、自分は戦いの記憶しか思い出さないのではないか?

 それは、きっと、悲しいことだ。ぼくは破綻しているのかもしれない。

 そう考えた時、鷺澤朱里が凛とした声で彼の思索を断ち切った。

<変なことを考えないで、日計くん。わたしは、今日一日をあなたと共にできて、よかった。あなたは、どうなの。わたしと過ごして、どう感じたの?>

 唐突な彼女の問いかけに思考の迷路から我に返り、傾斜したコックピットの中で操縦桿を握りなおす。あと下駄ひとつで最上部だ。蒼天の腕が、ひょいと路面脇に伸びて、しっかりと把握する。その感触が、まるで機体に「しっかりしろ」と言われているようだ。

「ぼくは」確かな実感を込めて、言う。「ぼくは、楽しかったよ、鷺澤。君と共有した時間は、何物にも代えがたい。ずっと続けばよかったのに、と思うよ」

<それみなさい>

 彼女の勝ち誇った声色に、思わず笑みが口元を彩る。それにしても、どうして彼女はぼくの胸中を察せられたのだろう?

 問うてみると、あまりにも単純な答えが返って来た。

<あなたが好きだから。それ以外に必要な理由なんてないわ>

 高架を昇り切った日計機が方向を反転し、鷺澤機に手を貸す。フルパワーで引っ張り、二機の蒼天は無事にアスファルト上に降り立った。自重百トンに及ぶ機体を乗せても、高架はびくともしない。

 横浜はまだ死んではいないのだ。

「本当にそれだけか。恐れ入ったな。ぼくも君は好きだけど、そこまで人を理解できない気がする」

<それは気がするだけよ。もしわたしがわからないのなら、教えてあげる。だから、まずは今を生き延びましょう>

「わかった」そこではじめて、彼女が自分を気遣っていたのだと気が付く。「ありがとう、鷺澤」

 何も言わず、彼女は歩き出す。蒼天が慎重に一歩を踏み出す度に高架が揺れるが、許容範囲内だろう。目立った場所を移動しているにも拘らず、敵は手出ししてこない。MPD上には、やや侵攻速度を遅めている敵部隊のアイコンと、ベイブリッジを渡ろうと集結中の向井三佐の指揮する、第五PG大隊の生き残りが強調表示されている。既に味方部隊の迂回戦術は察知されている。援護を急がなければ、橋を渡る彼らが危ない。

 ようやく、射撃位置につく。二機で五十メートルほどの間隔を取って布陣。前衛に日計機、後衛に鷺澤機だ。標準的な小隊隊形。両機は奇妙に長い左膝をついてAPCSを射撃モードへ。マスターアームはオンのまま、一四〇ミリ滑腔砲を構える。

 今回は演習時と違い、ジャイロスタビライザーによって砲口が精密に三キロほど離れた照準点へと誘導される詳細な外部情報は全て戦術データリンクシステムに接続されている味方の車輛、PGTAS、果ては上空で激烈な空中戦を展開している制空戦闘機まで、ネットワーク内にある兵器の環境センサーが送り込む膨大な情報データベースから最適な砲弾経路を計算する。

 満を持して回線を開く。

「向井三佐、こちらベル小隊。これより射撃支援を実施します」

<許可する。おれ達の背中はお前に預けたぞ>

 返事はトリガーで。人差し指を軽く引くと同時に、鷺澤機からも砲弾が発射される。

「メンフィス=3」

 無感動な宣言が通信回線に響く。

 APFSDS弾は、秒速千二百メートル前後の速度で金属が衝突した場合、極めて高い圧力によって個体が液体として振る舞う物理現象を元に開発された。元々は戦車同士の戦闘での最高威力を誇る砲弾だが、黒い軍隊の送り込む無人兵器群にももれなく有効であるために運用され続けている。

 PGTASの用いる一四〇ミリ口径の砲弾は、西側第三世代主力戦車の一二〇ミリ砲弾よりも遥かに高威力で、砲弾重量も大きいために風に流されにくい特性を持つ。

 だが、第三世代主力戦車の重量では、一四〇ミリ口径の砲の反動を抑えることは不可能とされている。黎明期のPGTAS開発要項には、戦車砲を上回る火力、というものがあった。世界初の実用化PGTASであるPG=11、晴嵐が装備した最初の兵装が、この一四〇ミリ滑腔砲である。巨人を巨人たらしめているのは、この人類最強の矛の所為であろう。

 三キロ先、ビルとビルの隙間で自衛軍と砲撃を交えていた一機のPGTASの左側面、脇腹に命中した。強烈な衝撃と共に装甲を貫通された敵機はそのまま吹き飛び、まだ動いてはいるものの、既に戦闘能力は無い。タフな奴だ、と口の中で呟きながら、鷺澤機がもう一機を撃破したことを確認する。

 川崎方面の戦局は逆転していた。厳密に言えば、ベイブリッジを向井が渡り切る前に、その位置取りだけで彼は敵へ多大な圧力をかけていた。前後の挟撃作戦にはまったと気付いた敵軍は後退するかに見えたが、少しでも隙を見せれば鷺澤、日計機からの砲撃が側面から浴びせられる。こちらへ向けて発砲する機体はおらず、無人兵器らしく自身の有効射程を考慮した結果と思われた。

 敵の数がみるみる内に減少していく。既に上空には敵機の姿はない。航空自衛軍の制空戦闘機が翼を左右に振って勝利を宣言していた。

 航空優勢を勝ち取り、思う存分に威力をふるったのは彼らだ。単発エンジンの支援戦闘機F=2が、大型の空対地誘導弾を腹に抱いて飛来したかと思いきや、リリース。敵PGTASの直上から強烈な攻撃をお見舞いすると、残りの五分で最後の一体が、ただひとつ残った退路である川崎方面北側へふらりと出て来た。

 日計は息を止める。全神経を操縦桿とHUDに。あの時のようにマニュアルで撃つ必要は無い。落ち着いて、カーソルを重ね、引き金を引く。

 射出された砲弾の軌跡までもが見えた。

 超音速の衝撃波をまき散らしながら、矢尻型の金属砲弾が飛んでいき、敵機体の左胸部へ命中。衝撃で左腕までもを吹き飛ばし、彼はそのまま左へ回転しつつ勢いよく地面へ倒れ込む。巻き上げた土煙が納まる時間すら経てずに自爆シークェンス起動、爆散した。

 いかにも機械らしい戦い方だ。だが、人間と違って、劣勢でも諦めないという選択肢を選べない。最後まで勝負はわからないのだ。時の運を計算できない彼らは、案外脆いのかもしれない。

<日計くん、お疲れ様>

 無線越しに鷺澤朱里が言う。

 束の間の静寂が、春先の燕のように横浜港へ戻って来た。



 ベイブリッジの上を、落ち込みかけた夕暮れを背景に蒼天が二機、歩く。ぜひ顔を見たいと申し出た、対岸に渡った向井三佐の元へ歩いているのだ。

 既に消防、警察までもを動員して、黒い軍隊の駆逐された横浜港一帯での負傷者救出が始まっている。避難していた大勢の人々がこの地域へ取って返し、各省庁が指揮する救助活動を手伝っている。そうした、人いきれの戻って来た荒廃した街並みと、開いたコックピットから注がれる海風が心地いい。そして、紫色に染め上げられた幻想的な空を四角いコックピットハッチから見上げる。

 戦闘後の疲労感が押し寄せてきて、思わず眠りそうになるのを堪える。ドライバーである彼の眠気とは正反対に、オートドライバーモードの蒼天はそんなものは感じさせない足取りだ。青と赤のラインを白い塗装の上に映えさせつつ、橋上を勝者らしい堂々たる姿勢で闊歩する。

 隣には鷺澤機。彼女は日計洋一から見て、横浜港の荒れ果てた姿を背景にする形だ。

 なんとなく彼女の様子が気がかりで、無線通信のスイッチを押す。

「鷺澤、調子はどう」

<ぼちぼち>欠伸混じりの返答が返ってくる。<終わったわね。洋上の敵揚陸艦も撤退しつつあるみたいだし、横須賀から浦賀水道へ向けて長距離誘導弾の配置も終わったらしいわ>

「なら安心だな」

 言いつつ、どこか胸の奥に引っかかる魚の骨めいた不安感に、日計は空を見上げる視線を細めた。

 いったい、何が不満だというのだろう。黒い軍隊の侵攻に対して、決定的な勝利を収めることができたのは、恐らく初めてのことだ。この戦いは記録に残るだろうし、日本国をはじめ、国連軍に与える士気も高いに違いない。

 だというのに、心の表面をひっかきながら落ちていく違和感は消えなかった。

 ふと、MPDに目を落とし、キーボードを引き出す。グローブをはめたままの手で表示内容を操作し、コマンドを入力。半径三十キロ以内の戦術図を呼び出して膝の上にあるディスプレイに表示させると、ある事実に気付く。

 敵の強襲揚陸艦とその護衛艦は、海上自衛軍の残存艦艇や航空自衛軍の戦闘攻撃機による誘導弾攻撃に押しまくられ、先ほどの勢いが嘘のように素早く撤退していた。が、その進路に違和感がある。さらには、先ほどの敵の動き。後背を突かれる恐れがあるとしても、あの場で取り乱して戦線崩壊へと招くのは、無人機らしくない。それらが混乱の末に生じた事態であると解釈しても、混乱など起こさないのが無人機の利点であり、黒い軍隊の真の脅威ではなかったか。

 だとすれば、あの混乱も、この状況も、敵の掌の上だと結論付けるのが自然だ。

 そう、自分の不安感はこれが原因だ。そして、それを裏付けるように、漆黒の塗装が施された人型が一機、直上より舞い降りてくるのが、コックピットハッチの四角い空から見えた。

 神経が悲鳴を上げる。これ以上の肉体の行使は危ない、と脳が警告してくる。同時に蒼天の中枢コンピューターが悲鳴めいたアラートを鳴らし、反射的にオートドライバー・スイッチをオフへ、ハッチ開閉ボタンを叩きながら叫ぶ。

「鷺澤――――!」

 横から彼女の蒼天を突き飛ばした。そのまま二機が絡み合ってベイブリッジから落下し、着水した。

 舞い降りた黒い人型は、美しいフォルムをしていた。

 滑らかな輪郭。細い四肢。尖った頭部には単眼が港を睥睨し、腰の支持架に据え付けられた二つの巨大な筒を地面へ向ける。浮遊しているのはいかなる科学か。青白いプラズマの尾が機体各所の推進装置から噴き出ている。さながら、神の巻き起こす怒りの炎のよう。

 高度二千メートル。ほぼ湾内中央部直上で静止したそれの名を、人々はアレースと名付けていた。南極戦争と呼ばれるこの戦いにおいて、最初期から確認されていた五機のPGTAS、その一機。

 この時、高射特科とPGTAS部隊は砲口をそれに向ける間もなく、ただ、射出される深紅の光条が港を薙ぎ払い、着弾点から熱エネルギーが放出されて筆舌に尽くしがたい爆発を起こした。

 黒煙が上がる間もなく、半径二キロに及ぶ円形状に散在していた自衛軍部隊は瞬時に壊滅した。生き残ったのは海上で敵洋上部隊攻撃のために飛行していた航空自衛軍機と海上自衛軍艦艇。みなとみらい駐屯地を中心とする陸上自衛軍の死力を尽くした抵抗は、その勝利の余韻を味わう余暇さえ与えられずに、灰塵の中へと埋もれ去った。

 何も動くものはない。死の静けさが、横浜港を包み込んだ。

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