7-5

「竜水さん」

 そう、口にしてから、私はしばらく固まっていました。

 掃除を粗方済ませて、弾む呼吸を止めもせずに突入したアトリエの中に、竜水さんはいました。

 私の知らない人と一緒でした。

「な……」

 背の高い、それでいて幼い顔立ちをした、綺麗な女の子でした。

 その人と竜水さんとが一緒にいる理由が、すぐには思い浮かばなくて、しばらく考えていてもさっぱり思い浮かばなくて。

「な、な、な……なっ!」

 だんだん早く、大股で竜水さんに近づいていきました、歩くというより、最後の方は駆け込むような形でした。

「な、な、な、な、なにをしているんですかああ!」

 懐に潜り込んで、勢いに任せて、私は竜水さんを投げました。

「ええええええぇぇぇ」

 竜水さんの声は弱々しく遠ざかり、床にぶつかると同時に「げ」と途絶えました。

「な、何をするんだナユ……ぐえ」

「何って、こっちの台詞なんですけど! ここで何をしていたんですか! あんな小さい女の子と二人っきりでいったいなにを!」

「そんな、こと、なにも、俺は」

 胸ぐらを掴んで振り回すと、それに合わせて途切れ途切れに竜水さんの言葉が聞こえました。話しにくそうでしたが、私は彼を揺するのを止められませんでした。

「私が必死でここまで入ってきたというのに、たくさん敵をやっつけてきたのに、こんなところで楽しそうにしているだなんて、私は悲しくて悲しくて……あれ?」

 私はふと気づきました。竜水さんは一向に動きません。立とうともしません。身体を見れば、ロープでぐるぐると縛られていました。

「どうしたんですか、竜水さん。全身にそんなの巻いて」

「つかまって、いるんだよ」

 気息奄々と竜水さんは言葉を零しました。

「いったいなんでそんなことに」

「それは、話すと長いんだけど」

 竜水さんの視線が、さきほどの女の子へと向かいました。

 女の子はキャンバスの前に立っていました。絵筆を持って、パレットも持って、今にも絵を描きそうで、なのに顔は私の方を向いてぼうっと佇んでおりました。

「は、はは」

 女の子は首を若干上げて、笑いました。壊れた機械音声のような声でした。

「ナユタちゃんか、そうかあ、助けに来たんだね。これじゃもう、助からないな、私」

 女の子はパレットと絵筆を床に落としました。力の抜けた指先から離れていったみたいでした。

 一歩ずつ、女の子が後ろに下がっていくのを、私は一歩ずつ追いかけました。

「命令されていただけ、って言っても信じてくれないんだろうね。そうだよね。私が竜水さんを捕まえていたことは事実だもの。怒られるのも当然だよね。でもさ、絵が描きたかったんだよ。どうしても、何かを表現したかったんだよ。それを、さあ、わかって。ああ、もう壁か」

 アトリエの壁に背をぶつけながら、女の子は呆然として、それからまた笑いました。

 口だけが弧を描いて、目元が乾いた笑い方です。

「もういいよ。満足したよ。もう絵は描けない。どうせ戻ったら、お父さんは私を壊す。決まっていることなんだ。だからもう、いいんだ」

 女の子に近づこうとした私の足が、床の絵筆に触れました。拾い上げて、ついでにパレットを持って、横のキャンバスを見ました。

 黒猫の絵。とっても、毛並みが「綺麗」で。思わず口で言ってしまいました。

 状況に似つかわしくないとわかっていながらも、私の胸の内が高鳴りました。

「これ、あなたが描いたのですか?」

 私は女の子に向き直りました。

「いい絵だと思います」

女の子は呆然としていました。さっきまで壁にもたれかかっていたのに、今は少し前のめりです。不可解そうに口を半開きにしていました。

 振り返れば、竜水さんの口もまた半開きでした。どうやら私は相当変なことを言ったみたいです。なかなか普通って難しい。

 でも、思っちゃったのだから仕方ない。言いたいことは言うべきなのです。

「いつか続きを描いてください。楽しみにしていますから」

 遠くからサイレンの音が聞こえてきました。

 菟田野博士の呼んだ警察のものでしょう。

「はは……ははは」

 女の子は、その場で笑いながら膝をついて、座り込みました。

 名前をマイさんと言うそうです。マイ・クロフォード。私がこの世でフェイの次に見たヒューマノイドの女の子です。

 いつかじっくり話してみたいな。そんなことを、不謹慎ながらその場で考えたりもしました。

 サイレンの音は容赦なく近づいてきて、やがてアトリエの前で止まりました。

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