7-3

 真っ暗闇ではありません。

 お月様が目の前を照らしてくれています。

 私にはちゃんと前が見えています。走って、アトリエまで辿り着きました。

 アスファルトに両足を降ろして、改めて眺めてみました。

 鎮守の森に囲まれるようにして、アトリエは佇んでいます。

 ほんの数ヶ月前のことです。私はここで竜水さんと暮していました。料理をつくって、掃除をして、生活のお世話をして、それでも竜水さんのことをなかなかわかってあげられず、結局は仲違いをしてしまいました。

 ほんの数ヶ月前のこと。でも昨日のことのように思い出せます。ずっと、頭の中で考えていたからです。

 私は大きく息を吸い、目を閉じて、ゆっくり吐きました。無意識のうちです。吐息がその場に漂って、気持ちが静かになっていきました。

 窓の奥に人影が見えました。濃いカーテンの向こう側に、微かに。

 竜水さんではありません。竜水さんでは無い人が、今、あの人の家に勝手に入っているのです。

 理由はわかりませんが、家捜ししているみたいでした。きっと家は荒らされているのでしょう。それ以前に、竜水さんが無事でいるかもわかりません。想像を続けていると、鳥肌が立ちます。

 私は竜水さんを救いたいのです。

 息を吐ききった私の胸の奥が疼きました。

 これは怒り、というそうです。

 悪くないな、と思います。今までで一番、自分の奥底の気持ちが出てきている気がします。

 アスファルトを大きく踏んで、カーテンめがけて突っ込み、硝子を割りました。痛くもかゆくもありません。

 黒い人影がようやく見えました。科学者風のローブを着た男もいれば、ガスマスクみたいなものを被った人もいます。一人二人、ではありません。もっとたくさん、うじゃうじゃといます。

「誰だ!」

 誰かが強い声で言いました。

 廊下の向こう側にいた人たちが銃を構えて待機しました。用意周到ですね。

 もちろん、私には効きません。私はどうどうと胸を張って、掌を前に向けました。

 ぽっかりと開いた風穴は、元々武器が入っていたんでしょうね。小型ミサイルとか、自動小銃とか。そういったものは、おそらく生活には必要ないので、もう全部取り払ってあるのです。

 代わりにもっと役立つ物を仕込んであります。腕の機巧が駆動して、ジャコッと音を立てて、それが姿を見せてくれます。

「私は、掃除に来た者です」

 シダの枝が綺麗に伸びた竹の枝、つまりは箒を握りしめて、私はにっこりと笑いました。なんだか無性に笑いたくなったのです。その代わり目はからっからに乾いていたのでちっとも動きませんでした。唇だけが弧を描いて、変な感じでした。

 そこからの私は、まるで私じゃないみたいでした。

 身体が嘘みたいに軽く動きました。腕を撓らせ、箒を振り回すと、侵入者たちは面白いように飛んでいきました。襲ってくる人もいました。拳や棒で殴ってきたり、身体を掴んで押さえ込もうとしてきたり、あの手この手で私の動きを止めようと藻掻いていましたが、私はそれを全て払いのけました。轟音がして壁に罅が入りました。酷いところだと壁を突き抜けて夜の月明かりが差込みました。鎮守の森の傍まで吹き飛ばされた同胞を見て、黒服たちは喚きました。怯えきってますます襲いかかってくる彼らの顔は茹で蛸みたいで、正直なところ、結構面白かったです。

 私は無傷でいられました。人の身体でないことを長いこと苦に思っていましたが、このときばかりはその考えを一変させました。いいこともあるじゃん、って。冷たい身体だからこそ、あの人を助けることができる。なら、いいのです。何事も状況に寄るのです。良いことも、悪いことも、受け止め方次第。だから私は思いっきり箒を振るい、腕に詰めた染抜き溶剤を混ぜ込んでばらまき爆発させました。火がついたアトリエを消火器で沈静化させると、黒服たちはだいぶ大人しくなって逃げ始めました。しかし私は止まりませんでした。私の胸の内は熱かったのです。まるで火がつきっぱなしであるかのように。これが怒りというのなら、とても怖いもので、同時に楽しいものだなと思います。これもまた、受け止め方次第。なんちゃって。

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