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 絵を好む人といっても、絵の巧拙をわきまえているわけではない。それは人に評価されるような絵を描くようになってからつと感じていたことだった。

 どんなに難しい技術を体得し、キャンバスの中で駆使したとしても、理解できる者にしかその苦労はわからない。絵描きでない人にとってみれば、重要なのは平凡な絵とのわかりやすい差異だ。普通の絵よりも写実的だったり、逆に抽象化が極まっていたり、勢いに飲み込まれて息を呑んだり、テーマに心をえぐられたり、見る人それぞれに特有の反応を示させる絵が目にとまりやすい絵となる。

 カキツバタ・テクノ社が主催するこのパーティ会場に集まっている人々も、大多数が絵描きではない。絵が好きだと言っている人もいれば、さほど興味は無いが手近な場所には飾っておきたいという者もいる。

 パーティ会場であるホテルの大部屋は大勢の来賓で賑わっている。ほとんど全員が代表取締役柿畑燈吾の招待を受けた者だ。上等のスーツを羽織っているし、髪の束止めから指の先まで金色の装飾に輝いている。顔はだいたい笑っていた。悲しげな顔をしている者は一人もいなかった。

 場違いな空気を肌で感じながら、俺は舞台の袖で小さく座っていた。

 本当は会場に来る気も無かった。絵を献上すればいいだけなのだから、画家が出張る必要は無いのだ。それなのに、姉が勝手に出席を確約してしまったから悩ましい。普段の俺の生活にとっては縁の無い人たちに混じって、一人静かにワインを味わっていた。飲み物はただでいくらでも飲むことが出来たが、あまり飲み進める気にもならなかった。

 もしかして俺は緊張しているのだろうか。まさか、そんなことがあるわけない。そう信じ込もうとして、一口ワインを啜った。

「楽しんでおられますかな」

 よこからゆっくり覆い被されるような声がして、振り返ってみれば、白い顎髭を湛えた柔和な顔がすぐそばにあった。俺は驚いて固まった。そこにいたのは、パーティの主催者、柿畑燈吾だった。

「このような場にはあまり来られない方ですかな。失礼ですが、あまりお見かけした覚えがありませんが」

 柿畑の細い小さな目が開いて、つぶらな黒目が俺を上から下へと眺めた。品定めを受けているみたいで嫌だったが、柿畑は何も言わずまた俺の顔を見て柔和に笑った。

「どなた様の、お連れ様ですかな」

「実は、咲良沙雪の親族でして」

 弟であることを打ち明けると、柿畑は大げさに仰け反って「これはこれは」と繰り返し、謝辞を述べた。

「ブロッサム・テクノロジー社との提携は我が社の悲願でした。提携によって、お互いをカバーし合い、お互いに研鑽し、よりよいロボット作りに貢献できる。そんな世の中が来ることを長年夢見てきていたのです」

 業務提携の提案は、寅彦が生きていた時代から行われていたというが、父は決して首を縦に振らなかったという。代表が姉に代わったことで改めて提案を持ち出し、交渉を重ね、この度の発表に至った。

 これらの一連の経緯については、パーティの中で何度も折に触れて説明された。経済情勢にまったく疎い俺でさえもわかるくらいに、丁寧に何度も繰り返されていた。

「この国のロボット技術はますます発達するでしょう」

 柿畑の大きな瞳がきらりと光った。童顔というほどでもないが、どこか少年を思わせる無邪気そうな顔つきだった。

 柿畑は姉を称える言葉を続けざまに口にした。お世辞なのか、本心なのか、瞳が輝きすぎていてはっきりとはわからない。俺とは縁遠い世界での話だということはわかる。姉には姉の世界があるんだ、などと俺がぼんやり考え始めた頃に、柿畑は「それでは、また」と手を振った。俺は若干遅れて会釈した。

 パーティは賑わっていたが、決して乱れはせず、上品な笑い声に会場は包まれていた。見ていると、心が浮ついてくる。身体の中の凝りが少しずつ解れていき、食べ物にも手が伸びた。

 パーティも後半にさしかかったところで、柿畑氏へのプレゼント贈呈の儀が行われた。

 来賓の各社からものが贈られ、柿畑氏が満面の笑みでそれを受け取る。時には受け取れないほど大きなもの、持つのを憚られるほど奇怪なものもあったが、柿畑氏は決して拒否することなく全ての品を受け入れた。

 姉が壇上に立ち、壁にかかっていたカーテンを開いた。すでにセットされていた十数枚のキャンバスが姿を現した。絵は俺のだけではない。姉は俺の他にも画家に声を掛けていた。俺以外のどれもこれも若手聞いている。大多数がエネルギッシュで、珍しいタッチで描かれている。色や筆遣いや、構図、テーマ、どこかが王道から外れていた。

 比べてみると、俺の絵は大人しすぎる。

 ひやりと汗が脇の下を流れた。食事に集中しようかとも思ったが、すでに腹が満たされていてどうしても指が動かなかった。しかたなく椅子に腰掛けてテーブルクロスを睨んでいた。飾られたことを素直に喜びたかったが、口が歪んで、音を出したら変に震えそうだった。

 柿畑燈吾は諸手を挙げて、壇上で姉と手を取り合っている。気に入ってくれたらしい。柿畑氏の笑顔に合わせて、姉も豪放に笑い声を上げていた。

 絵そのものはもう注目されていない。普段ならけしからんと憤るところだが、今の俺は一息ついていた。

 そうとも、この人たちはもともと絵の巧さに興味の無い素人なのだ。

 そんな考えに思考が支配されたのもつかの間だった。柿畑氏が改めて絵を見つめ始めたのだ。

 俺の喉がごくりと鳴った。

 柿畑氏はひとつひとつの絵に顔を近づけていた。近づきすぎて、客席からはその顔はよく見えない。何を知りたがっているのか、会場のみなが気に掛っていた。

 やがて柿畑氏は、一枚の絵の前で立ち止まった。

「これは、特に良いですな」

 会場はにわかに湧いた。

 並べられた絵からとりわけ一つ。期待の高まっているのが手に取るようにわかる。

 柿畑氏が横にずれ、。誰の絵なのか、よく見えるようになる。

 俺は肝をつぶした。

「なんで」

 思わず口からこぼれ落ちる。

 それはまさしく俺が運んできたあの森の絵だった。

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