2-5

「破談したよ」

 俺はにべもなく打ち明けた。

「どうしてですか」とナユタが訊いてきた。

「気にくわない案件だったから」

 ナユタは「はあ」と溜息をついた。期待していたらしく、瞳から色が失われて少し気の毒だった。一方沙雪はばかでかい声で笑っていた。

「なるほど、ツケの取り立てが来るわけだ」

 店長が来た理由はこのときになってようやく教えてもらえた。

 突然絵がほしいなんておかしいと思ったから、すっきりした。とはいえ、心のどこかは気落ちしていた。やはり絵がほしいわけではなかったのだ。

「姉貴こそ、笑っている場合かよ。仕事はどうしているんだ」

「うん。そろそろ戻らなきゃ行けないね」

 沙雪が平然と言う。

「行ってしまわれるんですか」と、ナユタ。随分丁寧だ。

「うん、また来るから、しっかり竜水を守ってね。ナユタちゃん」

「はい」

 ナユタの声に力が籠もっている。ぼうっとしていることの多い子だと思っていただけに、これは意外だった。どこかしら沙雪に惹かれているのかもしれない。

 姉は変わり者だが、実業家としての腕は確かだ。咲良寅彦が亡くなってからも、咲良グループは名ばかりにならずに保たれている。それだけ姉には商売の才能があったのだろう。あるいは人を引っ張っていく才能か。とにかく、社会の辺縁にいたがる俺とは対照的な人間だった。

 俺には姉のような活動は出来ないし、したくもない。できることなら一人で静かに生きていたい。生きるための金さえあればそれでいい。

 と、思ってはいるものの、現状その金は姉が出してくれているものだ。今日支払われたツケも結局は姉が負担するといって聞かない。

 俺はまだ、一人では到底生きていけない。

「食事にしましょう」

 ナユタが突然手を挙げて言い出して、俺はどきりとした。一人一人と頭の中で連呼していたところで、私もいますよと忠告されたような気がした。

「姉貴は帰ろうとしていたんだぞ」

「沙雪さん、ちょっとくらいお腹に入りませんか。おにぎりとか」

 今日のナユタは、妙に力が入っている。諫めようとしたら、姉が「いいよ」と口を挟んできた。

 ナユタは台所に走って行き、すぐにアルミホイルで丸めたおにぎりを持ってきた。炊きたてであったらしい。姉が触ろうとして、「あちっ」と喚いた。

「ナユタちゃん、よく持てるね」

「熱いです。でも、我慢できますので」

「ううん、そういうのは我慢しちゃだめ」

「え、じゃあ、熱いです。痛いです」

 テーブルの上に置いて五分待って、ようやく姉はそれを鞄に詰めた。出張に行きがてらに食べるらしい。

 別れを告げて、玄関を出る間際になって、「そうだ」と姉が振り向いた。

「すっかり忘れていた。竜水、お前に仕事を持ってきたんだった」

 まっすぐ指を俺に向けて、姉貴はにいっと歯を見せて笑った。

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