夕飯に、由梨花ちゃんは出てこなかった。

 紗代ちゃんと優子さんと、三人で食卓を囲んだ。

 由梨花ちゃんの体調が、悪い波に入ってから、三人での食事もしばしばある。

 なにかぼんやりと憂いの匂うなか、優子さんが思い出したように言った。

「そういえば紗代、あんた、宿題は終わってんの?」

「うっ」

 紗代ちゃんが、わかりやすく困惑して、飯がのどに詰まったような声をあげる。

 すばやく優子さんが、

「はあ……あんた、毎年毎年やってへんやないの」

「まだやってへんって言うてへんやんか」

「ほんならやったんか?」

「……やってへん、です」

「素直でよろしい。素直なことだけは、よろしい」

 優子さんは、納得するように頷いてから、続けて言う。

「でも、あんた、今年もやらへんかったら、分かってんやろな?」

「わ、分かってへん、です」

「母ちゃんは、不本意ながら鬼になります」

「……鬼になったら、どうなりますか?」

「手のつけようのないぐらい、暴れます」

 紗代ちゃんは、顔を強張らせて、隣の僕に顔を向ける。

「その時は、兄ちゃん、男として戦って、な」

「なに言うてんの」

 優子さんが言う。

「あんさんかて、いつまでもここにおるわけにはいかへん。うちが鬼になる時はもう帰ってはる」

「帰らんとってな」

 紗代ちゃんは、はっきりと言った。

「帰ったら小っちゃい命が二つ消えるんやで」

「二つ?」

 優子さんが怪訝な顔をすると、紗代ちゃんはなにげなく、

「だって、鬼になるんやもん。うちも由梨花も見さかいなく、そのおっきいお腹に逆戻りやもん」

 と、冗談めかした口ぶりで言った。しかし由梨花ちゃんの最期など、今は冗談にもならなかった。

 とはいえ、死が差し迫っているわけでもない。僕は、一瞬強張った優子さんをやわらげようと、努めて笑った。

 優子さんも、僕に応えるように笑う。

「おっきいお腹やて? スリムの聞き間違いやな? せやなかったら、今すぐにでも鬼になるんやけど」

「聞き間違いです。はい」

 紗代ちゃんは真面目な顔で言ってから、ぷっと噴き出して、次第に快活に笑った。

 その笑いが弾ける、ほとんど同じ瞬間に、廊下の奥の部屋から、咳が聞こえた。

 ざらついた、嫌な音だった。

 優子さんは、はっとして、部屋のある方向を振り返った。

「ごめん、ちょっと食べといて」

 そう言い残して、立ち去っていった。


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