ニコチアナのせい


 ~ 七月十九日(木) 父ちゃんと母ちゃんと俺 ~


   ニコチアナの花言葉 私は孤独が好き

 


「ママに任せておくの」


 白とピンク、美しいお花を頭に揺らす、藍川あいかわ穂咲ほさきがそう言います。


 君ね。

 誰にも指摘されなかったから良かったようなものの。

 交番の前、行きも帰りも難なく通り抜けましたけど。



 それ、タバコの花ですよね?



 君の頭にニコチアナと思しき花を活けるおばさん。

 何度叱っても、娘の髪で自分の中のウィットを表現したがるおばさん。


 ママに任せておくのと君はいいますが。

 平成最後を飾る大イタズラっ子に、何を任せろというのでしょうか。


 内容を聞いても教えてくれなかったせいで。

 不安を抱えながら一日を過ごしていたのですが。

 家に帰り着くなり。



「道久。……こっちに来なさい」



 こんな時刻に聞こえるはずの無い父ちゃんの声に。

 一瞬でおばさんのことなど頭から吹き飛びました。


 何か「大変なこと」でも起きない限り、父ちゃんが会社から早く帰ってくるはずはありません。

 そして「大変なこと」が、明るい話題でないことも明白です。


 病気、事故、事件。

 頭に浮かぶのは、どれも不穏なものばかり。


 いつもより薄暗く感じる廊下が。

 俺の重たい足取りに。

 やけに大きな軋みを鳴らします。


 ――玉暖簾の向こう側。

 夕焼け空を背にした二人が、ダイニングテーブルに腰かけて。


 いつもの席に父ちゃんがいて。

 その隣には、見たこともないほど首を垂れる母ちゃんが座っていて。

 肩をすぼめて、泣いているようにも見えるのです。


「どうしたのさ。何かあった?」


 不穏な空気が、汗に濡れた俺の首筋へ指をかけて。

 そのままぎゅっと力を込めて、呼吸を苦しくさせる中。


「何かあった? ではない! お前、これはどういう事だ!」


 父ちゃんがテーブルをダンと叩くと。

 驚いた母ちゃんが、涙目でその手にすがって首を横に振るのです。


 ……雰囲気が雰囲気です。

 何があっても、俺は殊勝な態度をとるつもりでいたのですが。


 でもね。

 これはどういう事だと問われましても。


 ……『これ』って、どれ?


 いつもぐちゃぐちゃなテーブルの上には。

 小さなガラスのお皿が一つ乗っかっているだけですが。


「…………ええと、なにを怒っているのです?」

「きさま……っ! タバコを吸っておいて! とぼけるとはどういう了見だ!」

「タバ……? えええっ!?」

「あんた、穂咲ちゃんの部屋で隠れて吸うなんて真似しなさんな!」

「えええええええええええ!?」


 ちょっと! どういうこと???

 全く身に覚えが無いんですけど!!!


 呆然自失。

 開いた口も塞がらぬ俺に、父ちゃんがこめかみに血管を浮かせながら声を張り続けます。


「非常識にもほどがある! 穂咲ちゃんが何も言わないからバレないとでも思っていたのか!」

「ほんとさね! 穂咲ちゃんのママに聞くまで知らなかったなんて、情けないやら申し訳ないやら……」

「ま、待ってください! 俺では無いのです!」


 タバコって、一体どういう事!?

 おばさんに聞くまで知らなかったって…………ん?


「いや、ほんと待て。穂咲のとこのおばさんが持ってきたの?」


 穂咲がひた隠しにしていた。

 何かを『任せておけ』と宣言したおばさんが?

 ……怪しすぎるだろ。


「そうさね!」

「それがどうしたというんだ道久!」

「ちょっと失礼」


 いまだに怒号と涙声が交錯するテーブルの上。

 俺は証拠品をじっと見つめると。


「…………吸い殻に、口紅が付いているんですが」

「貴様は言うにことかいて! 穂咲ちゃんのせいにする気か!」

「何だってそんなこと言う子になっちまったんだい!」

「違いますって。俺ではないですし、穂咲でもありません。…………これは、どういうつもりか知りませんが、おばさんによる犯行です」


 俺の推理に目を見開く二人ですが。

 吸い殻の縁の口紅に気付かないなんて。

 よっぽど動転していたのでしょう。



 ……そうか。

 動転していたのか。



 そんなにも、俺の事を心配してくれたんですね。



 俺が間違ったことをしたと知って。

 きっと真っ青になった母ちゃんが連絡して。


 いつも忙しそうにしている父ちゃんが。

 どれだけの無理をしてくれたのか、会社から帰ってきて。


「いやあ。愛されているなあ、俺」


 改めてそう思うのです。


「愛されてる? 何の話さね?」

「それより、これは本当にお前じゃないんだな!」

「違いますって。興味が無いと言ったらうそになりますけど、でも、踏み出す勇気がない程度には小心者ですし」

「まあ…………、そうね。小者だし」

「うむ、確かに。小者だからな」

「おい」


 やれやれ、人騒がせな。

 そしておばさんの作戦、分かった気がします。


「……疑ったりして悪かったな、道久。しかし、いくらなんでも冗談が過ぎる。道久の為に、俺がガツンと言ってきてやる」

「そうさね、あたしも文句を言ってやらないと。驚かせて悪かったね、道久」

「ええと…………。お二人とも気づいていないのでしょうか?」


 きょとんとしながら俺を見るお二人さん。

 ……なるほど。

 当事者というものは、本当に周りに目がいかなくなるのですね。


 とは言え俺だって。

 生徒会長さんと出会わなければ。

 気付かなかったと思うのですけど。


「おばさんは、悪者になってくれたのです」

「悪者に? ……どういうことだ」

「父ちゃんと母ちゃんがケンカしているのを仲裁するためです」


 本日、何度目になるのでしょう。

 これ以上なく目を見開いた父ちゃんと母ちゃんは。

 お互いを見やり。

 そして再び、揃って俺を凝視します。


 ……現に。

 おばさんという敵が現れたせいで、ケンカも収まりましたし。

 無駄に俺を責めるといういつもの図式が、今日は『悪かった』との言葉に取って代わりましたし。


 悪の効用。

 さすがはおばさん、良く分かっていらっしゃる。


「……いまいち分からんが、お前、そんなことをお隣りに話したのか?」

「あたしが言うわけないじゃないのさ!」

「お前以外に誰がいるんだ! 道久に、こんな辛い思いをさせおって!」

「あんたがそんな大声をあげるから筒抜けなんじゃないさね! 道久に嫌な思いをさせてどういうつもりさね!」

「ストップストップ! 見覚えあり過ぎなのです!」


 なんなの?

 宇佐美さんと日向さんと。

 四人で打ち合わせでもした?


 俺はため息と共に。

 おばさんの想いを。

 いえ、俺の想いを伝えます。


「タバコの件でも、勉強の件でも、真剣に俺の事を心配してくれて本当に感謝なのです。もちろんタバコなんか吸わないですし、勉強も頑張ろうと思うのです」


 俺が姿勢を正して頭を下げると。

 二人も椅子に座り直して真剣な表情を浮かべます。


「……でも、俺のためにと言って父ちゃんと母ちゃんがケンカするとですね、この家から俺の居場所が無くなってしまうのです。おばさんが共通の敵になった時には二人とも俺の気持ちを汲んでくれたのに、二人でケンカし始めると、途端に俺がいやな気持ちになっているのが見えなくなってしまうのです」


 父ちゃんは、俺の言葉に何か言いかけようとした口をそのまま引き結び。

 母ちゃんと顔を見合わせます。


 さて、どうでしょう。

 俺とおばさん、あと、穂咲の想いは届きましたでしょうか。


「…………道久。お前は何を言っているんだ?」

「え?」

「そうさね。別にケンカなんかしてないさね」

「おいおい、何を言い出しました?」

「いつもの事じゃないか」

「そうさね。いつもこんな感じじゃないのさ」


 そう言いながら。

 父ちゃんと母ちゃんは、苦笑いしながら顔を見合わせていますけど。


 ……なんだよ。

 やっぱりケンカしてたんじゃない。


 でも、それを言うのも無粋なのです。


「……俺ばっかり気をもんで。バカみたいなのです」


 照れ隠しと照れ隠し。

 家族なんて、面と向かって正直に言えなくて。


 でも、おばさんがくれたきっかけが。

 少しだけ、俺たちに素直な気持ちを届けてくれました。


 俺は久しぶりに、清々しい気分で。

 ダイニングで過ごそうと決めて麦茶を淹れて、芳醇な香りを楽しみながらテーブルへ戻ると。


「こんないつものことに気をもんでいたのか。ほんとにバカだなお前は」

「ほんとにバカさね。……十二点だし」

「恥ずかしいやつだ。十二点だし」

「ほんとに。誰に似たのやら」


 …………照れ隠しのはけ口が。

 俺に集中砲火とか。



 だから俺は今まで通り。

 飯の時以外は、部屋から出ないことに決めました。



 ……もう数日の間だけ、ですけどね。


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