ルリタマアザミのせい


 ~ 七月十一日(水) 二人の逃避行・後編 ~


   ルリタマアザミの花言葉 独り立ち



 築、二か月。

 いまだに独特の木の香りが漂う新築の一軒家は、二階分吹き抜けになったリビングがとっても気持ちよくて。


 木目を基調に取りそろえた家具の温かさも。

 オレンジの照明で、より一層ぽかぽか具合を増しているよう。


 タオルケットを敷いたふかふかのソファーに潜って。

 ゆったりとした環境音楽を楽しんでいると。

 ついうたた寝してしまいそうに…………は、なれません。


「穂咲~?」

「なんなの?」

「ああ、やっぱり台所にいたのか」

「紅茶? コーヒー?」

「いや、そうじゃなくて」

「じゃあ、コーティーにするから待ってるの」

「そんな物騒な物でもなくて」

「もう、なんなの?」

「…………なんできみまでここにいるの?」


 きょとんと首を傾げられても。

 こんな夜遅くに二人でいたら。

 わかるでしょ?


「……玉露ヒーを淹れるため?」

「ハズレです。俺の精神衛生を保つために、とっととお家へ帰りなさいよ」

「なんであたしがいると精神衛生が保てないの?」

「………………なぜでしょうね」

「変な道久君なの」


 いえいえ。

 変なのは君なのですが。


 でも、鼻歌と共に楽しそうに揺れる君は。

 事の重大性をご理解していらっしゃらないのですね。


 俺はため息をつきながらも。

 さっきから鳴りやまない胸の鼓動に。

 めまいすら覚え始めました。



 ――穂咲が俺を家から連れ出した先は。

 先日お邪魔したモデルハウスでして。


 逃避先としては随分ご近所。

 ワンコ・バーガーのすぐ向かいだったりするのです。


「……それにしてもここ、まーくんが建てたのなら先に言って欲しいのです」

「ううん? 建てたのは大工さん」

「大阪城建てた人クイズじゃないんだから」

「お金を出したのはおじいちゃんの会社なの」

「え? どういうこと?」


 ……穂咲のとこのおじさんには、まーくんという弟さんがおりまして。

 小さい頃に何度か会っているはずなのですが。

 おじさん同様、ガタイの大きな人といった特徴くらいしか覚えてません。


 去年行った海の別荘もまーくんのものですし。

 やたらとお金持ちなのは、おじいちゃんのあとを継いだおかげなのでしょう。


 穂咲がお茶を淹れながら話すには。

 あの破天荒なおじいちゃんが、穂咲に悪い虫がつかないようにと。

 たまにここへ来て穂咲の様子を監視するようにとまーくんに命じたらしく。

 自分が経営する企業の建築部門に、モデルハウス扱いで建てさせちゃったらしいのですが。




 まさか最初の宿泊者が、その虫になるとは思いもしなかったでしょうね。




 ……ちがった。


 俺は別に、こいつの事なんか好きでも嫌いでもないわけで。

 虫でもなんでもありません。

 だからいつも通り緊張もしてませんし。

 普通に会話もできるのです。


「はい、お茶なの」

「どぁあっ!? お、お茶なのですね嬉しいな!」

「……やっぱり、今日は変な道久君なの」


 だって。

 緊張するなと言われましてもね?


 てっきりご飯を作ったら帰るもんだと思っていたのに。

 寝室と、そのお隣の客間、二つのベッドにシーツを敷き始めて。

 頭の上に咲いていたルリタマアザミを外して花瓶に移して。


 そのうえで、どうして君は平気な顔して俺の隣に腰かけることができるのさ。


 あと、どうして君はその鍋つかみがお気に入りなのさ。


「……これ? 気になるの?」

「いえぜんぜん」

「この鍋つかみね、パパがあたしに買ってくれたやつなの」

「え? その割には新しくない?」

「そうじゃなくて、作ってる会社が同じなの。手を入れると、なんだか懐かしい気持ちになるの」


 無表情なのに。

 とっても幸せそうに語る穂咲が。


 鍋つかみのまま器用に両手でティーカップを持って。

 一口すすると、満足そうにぺろりと口の周りを舐めるのです。


 ドキドキと優しい気持ちのちょうど半分半分。

 そんな心境を誤魔化すために。

 俺もティーカップへ口をつけて。


 ……そして、得体の知れない液体を無理やり飲み下しました。


「うえええ! これ、何?」

「紅露茶」

「しまった、そのパターンだけ封じていなかったのです」


 まさかのこちらも半分半分。

 とは言え正体さえ知れば、飲めない程のものではないので。

 俺は不自然に濁った色のお茶へちびちびと口をつけます。


 すると穂咲はくすくすと笑って。

 あんまり美味しくないねと。

 うええと舌を出したりするのです。



 …………困りました。



 ええ、こんなの困るのです。



 さっきから、早鐘のように打つ鼓動がばれないか、そればかりが心配で。

 穂咲の顔も、まともに見ることが出来なくて。


「よいしょ。初めての深夜ドラマの前に、お風呂入ってきちゃうの」

「ちょちょちょっ!? ちょっと待て! 歩いてすぐなんだから、お前は自分の家に帰りなさいな!」

「いやなの。だってママが、深夜ドラマを見ると怒るの」

「え? ……ってことは、俺の家のケンカをダシに使いましたね?」

「だって、一人じゃ叱られるの。道久君と一緒ならここに泊まっていいって」


 ああ、なるほど。

 こいつは最初から、ここに泊まりたかっただけなのですね。


 ほっとしてがっかり。

 ドキドキしてバカみたいなのです。


 そんな俺の気も知らず。

 穂咲は嬉々として旅行鞄をあさって風呂場へ走ると。


 ……どこかで聞いたことのあるセリフと共に引き返してきました。


「バスの操縦方法が分からないの」

「こないだ説明したばっかりでしょうに。もう忘れるとかどうなっうおおおおい! バスタオル巻いて出て来るな!」


 そんなかっこをしておいて。

 本気の困り顔とか。

 ああもう、分かりましたよ。


 ドキドキと呆れのちょうど半分半分。

 複雑な気持ちで緊張しながら穂咲の前を横切って風呂場へ入ると。


「あれ? お風呂、変わってる」


 あの後、改装したのでしょうか。

 シャワーヘッドがどこにも無いし。

 壁に操作パネルがあるだけ。


 意味も分からないまま、シャワーのマークが書かれたボタンを押すと。


 ……頭上からお湯が噴き出してきました。


「あつー! めちゃめちゃあつい!」


 慌てて逃げ出して、よく見てみれば。

 天井に穴が開いていて、そこから直接お湯が出る仕組みになっている模様。

 こんなの初めて見ました。


 ……それはさておき。


「びっしょり」

「……乾燥機は無いの」

「はい」

「着替えは?」

「この寝間着だけです」


 ムッとしないでくださいよ。

 不可抗力でしょうに。


 ……こうして逃避行は終了し。

 ぐちぐちと穂咲に文句を言われながら。

 家に帰らざるを得なくなりました。



 そして、家についてみれば。

 男らしくないだのなんだのと。

 母ちゃんの小言をぐちぐちと聞かされることになりました。




 ……分かりましたから。

 せめて着替えさせてください。



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