最終試験

 そして最終試験。この一軒家の中にいる刺青男を殺すことさえできれば――リアンは正真正銘、ラ・カンパニアの兵士ソルダードになる。

 最初に試験を受けた少年――これまでの訓練で一番の成績を残していた――はあっけなく死んだ。もし自分がこの試験を通過パスできれば、ウノになれる可能性はぐんと高まる。

 まず家の周囲をぐるりと歩く。一階部分の窓はすべて侵入者防止用の格子が取り付けられており、また磨りガラスとなっているため室内の様子も殆ど探れない。

 侵入口に成りうるのは――正面玄関。裏口。二階のベランダ。二階の窓。

 まず窓という選択肢を消す。侵入口として狭すぎる。不安定な足場を使わなければならず、万が一いきなり刺青男と鉢合わせた場合、満足に身を引くことすらできずに撃ち殺されることになる。

 残りの三つの選択肢を検討にするにあたり、家の中で待ち受ける刺青男が、どうやって自分を殺そうとするかを考える。

 扉を開けて侵入しようする自分は格好の的だ。できればその的を撃ち抜きたいと考える――しかし侵入口は複数あり、一人ではそのすべてをカバーすることはできない。ある扉の前で待ち伏せをしていて、ほかの扉から侵入した相手――自分に背後を取られるリスクは犯したくないはず。

 リアンは窓に自分の影が写らないよう、身を低くしながらそっと裏口の扉に手をかける。

 扉を開けると共に、素早く身を引く。それからゆっくりと角度をつけながら、扇状に視認範囲を広げていく。通路の約半分を視界に収めてから、素早く一瞬だけ首を突き出し、残りの半分を確認する。

 刺青男の姿も、銃撃もなし。扉の先には洗濯機の置いてある洗面所。床には洗剤のプラスチック容器が散らばっている。表面には塵が積もっていて、この家の住人が消えてから相応の時間が経っていることが読み取れる。洗面所の奥には廊下と、風呂場に通じているとおぼしき扉。

 あの刺青男はMS13マラ・サルバトルチャの構成員。顔に「13」の刺青を入れていることから、少なくとも街角の縄張りのリーダー以上の地位を務めていたはず。博打打ちにそういった役目は務まらない。すべての侵入口に気を回さなければならない一階にとどまっている可能性は低い――リアンはそう読んだ。

 僅かに安堵していた。ルシアを救うため――そして自分が生き残るためとはいえ、見知らぬ赤の他人を殺さねばならない。直前まで、そのことに怖気づいていた。しかし、ルシアの父を殺害した一味の構成員となれば――。

 裏口から侵入した時と同じ要領で、廊下に人影がないことを確認する。廊下に沿うようにトイレ、二階へと通じる階段、キッチンが配置されている。キッチンの向かいには正面玄関に繋がっているだろう広い居間。

 風呂場。トイレ。キッチン。居間。ゆっくりと時間をかけながら順番に一階全体を索敵クリアリングしていく。

 少年が試験に挑んだ際に倒れた家具類はグスタボの部下が元の位置へと戻していた。しかし、壊れた小物類はそのまま放置されている。リアンはガラスの砕けた写真立てが床に落ちているのを見つける。写っているのは、この家に住んでいたと思われる家族。彼らが死んでいなければいいと、ついそう願う。

 結局、当初の読み通り一階に刺青男はいない――二階で待ち構えている。だがそれはリアンにとって決して好ましい展開ではない。

 建物の外観と、一階の構造から推察される二階の間取り――中心に南北に沿って真っ直ぐ伸びた廊下。階段のある西側には部屋がふたつ。階段を挟んで北側の狭い部屋は水回りの位置から考えてトイレ。南側の部屋は広さからすると子供部屋か書斎。廊下から東側はベランダに繋がる大きな寝室。

 刺青男がいる場所は十中八九、廊下の北側、二階のトイレの扉の前。そこにいれば、階段と寝室の出入り口の両方を押さえられる。殺すべき相手――つまり自分が、一階と二階どちらから侵入した場合にも対応できる。

 さらに、廊下は狭くて一直線。刺青男は、正面から迫りくる自分を狙い撃てばいい。こちらは身も隠せない。どんな射撃の悪手であろうと、三発もあれば獲物を仕留められる。

 さて、どうする――刺青男はトーチカに籠もる射手となり、自分は遮蔽物のない平地に放り出された兵卒も同然。

 階段から家具を放り投げ、バリケートを作る? 

 刺青男が手にしている拳銃コルタはFN ファイブセブン――防弾チョッキをも無効化するその貫通力から警官殺しメタポリシアの異名を持つ。この家にある家具程度では、その威力はとても殺せない。キッチンにある冷蔵庫と洗面所の洗濯機を重ね合わせれば――あるいは。だが自分の筋力では、そのふたつを階段上まで運ぶことは不可能。

 相手の愚かさに期待し、痺れを切らして動き出すまで待つ?

 期待はできないだろう。それにこの試験には制限時間こそ設けられていないが、不用意に時間をかけ、もし司令官の不興を買うようなことになれば、自分と刺青男、両者ともに処刑される展開もありえる。

 火かガスでも使えれば炙り出せる――しかしキッチンや風呂場、トイレを調べても、アルコールや油などの可燃性の液体や、有毒ガスを発生させられる類の洗剤はない。予め家の中から運び出されている。司令官の意図――新兵たちが自らの肉体を酷使して、殺しを行うことを望んでいる。

 リアンは必死に考える。刺青男の待ち受ける廊下――死線ゾナ・デ・ムエルテと化した廊下を突破する方法を。


 男はただひたすら待っていた。階段か、もしくは寝室の扉、そのどちらかから少女が飛び込んでくるのを。

 家の中を一瞥して、真っ先にここを陣取ると決めた。ここなら、あの少女がどの出入り口から侵入してこようと安全に狙い撃てる。

 自分があんな少女を相手に後れを取るとは考えていなかったが、相手を子供と舐めたばかりに悲惨な死を迎えたチンピラは何人も知っている。しかも相手は、あの人食い鰐が鍛えた子供だ。念には念を入れるに越したことはない。

 射撃の腕にも自信はある。この距離で、この狭さ。三発も必要ない。一発であの少女を仕留めて、残りの弾をあの人食い鰐にブチ込むというのもいい――その場合、もう一発は自分の頭に向けて撃つこととなる。そうすれば無駄な苦痛を受けずに、自分はあの人食い鰐を殺した英雄となれる。

 幾秒かの思案の後、男は夢想を頭から追い払う。まずはあの少女だ。ここが少女の死線ゾナ・デ・ムエルテ。俺はただ待てばいい。自分から動くなんて愚も犯すつもりもない。

 何も起きないまま十数分が経つ。突然、階段から何かが飛び出こんでくる――男は撃たない。おそらく少女はこの廊下が死の漏斗――不用意に飛び込めば死が待つ場所であることを察した。とすれば少女の取れる手段はひとつ。身代わりとなるようなものを投げ込み、こちらの貴重な弾丸を浪費させる。

 飛び込んできたのはカーテンをくくりつけたバケツ。たしかに十二、三歳の子供に一瞬、見間違えそうになる代物――だがそんなものではこの俺は騙されない。

 バケツが壁にぶつかり、床に転がる。中に入っていた水が廊下一面にばら撒かられる。男は動じず、階段に向けて意識を集中し続ける。

 続けて小さなプラスチック容器が放り込まれる。男は撃たない。床に落ちた容器から中身がこぼれ落ち、バケツからぶち撒けられた水と混じり合う。

 途端に、床に広がる水が泡立ち始める。

 ガス――男は遅れて気づく。この廊下がたった今、少女の死線ゾナ・デ・ムエルテから自分の死線ゾナ・デ・ムエルテに変貌したことに。

 拳銃コルタを持っていない方の手で口元を覆い、呼吸を止める。すぐに寝室へ移動しようとするが、思いとどまる。自分が慌てて階段の前へと飛び出すのを、相手が待ち構えているかもしれない。

 だから呼吸が持つ限り、その場で待機する。特定の洗剤を混ぜ合わせることで発生する塩素ガスは空気より重い――覚醒剤メス製造で得た知識だ。階段の空気はすぐにガスに押し出されるだろう。廊下で立っている自分よりも、階段にいる少女の方がガスの影響を強く受けるはず。

 男と少女の根比べ。

 床に広がる液体の泡立ちはいつまでも収まらない。バケツの取っ手に結び付けられたカーテンが、床にこぼれた液体を押し留め、洗剤同士を効率的に混ぜ合わせている――本当の役割。男は手遅れと知りつつ、苛立ち紛れにカーテンを蹴飛ばす。

 脳が酸素を求めだす。男は行動を決意する。廊下の壁に体を押し付け、階段横まで慎重に移動。それから、階段の様子を確認するため、一瞬だけ角から顔を出す。

 目に入ったのは、壁に寄りかかり頭を垂れ下げた少女の姿――予想通り、自らが作り出した塩素ガスに耐えきれなかった。男は改めて半身を突き出し、少女に向けて引き金を引こうとする。だがその時、銃を持つ手に鋭い痛みが走る。

 痛みが腕の筋肉を引きつらせ、銃口があらぬ方向に向く。階段の壁に穴が穿たれる。

 少女が、ガスの影響などなかったかのように、勢いよく自分の胴体を目掛けて飛び込んでくる。口元を抑えることにもう片方の手を使っていたため、男はその突進を受け止められない。

 廊下の壁に激突――二人はそのまま足を滑らせ床に倒れる。少女が銃を持つ腕の手首を掴む。男は少女の頭に銃を押し付け、引き金を引こうとするが、痛みと酸素不足により思うように力が入らず――二発目の銃弾は板張りの床に吸い込まれる。

 残りは一発。激しい揉み合い。銃を持つ手がどんどんと熱くなる。その手を何度も床に叩きつけられ、ついに銃が滑り落ちる――まずい。男は意を決して大きく息を吸い込み、少女の腹を思い切り蹴飛ばして、その小さな躰を引き剥がす。

 脳が求めるままに呼吸をしながら立ち上がる。ガスの影響が心配だったが、今は目の前の、この雌犬を始末する方が先。痛みの正体を確認――手の甲に突き刺さったナイフ。あの一瞬でなんと正確なスローイング。

 廊下の端まで突き飛ばされた少女も躰を起き上がらせる。手から滑り落ちた拳銃コルタは二人のちょうど中間の位置に落ちている。男は手の甲からナイフを抜き、逆手で構える。

 男の決断――銃へと走り出す。ただし、銃は拾うのでなく、蹴飛ばす。そして銃を拾いそこねた少女の背中にこのナイフを突き立てる。

 だが次の瞬間、男の視界――その右側が突然暗闇に包まれる。少女が左手を振り抜いている――何かを投げた。視界から立体感が失われ、銃を狙った蹴りが虚しく空を切る。少女が銃を掴む。素早くナイフを持つ手を振り下ろそうとするが、先に顎に衝撃を感じる。

 男の最後の思考――こいつはこのガスの充満する廊下で何故こんなに俊敏に動き続けられる?


 頭頂から吹き出た刺青男の血と脳漿が、廊下の天井に曼荼羅模様を描き出す。

 リアンは片膝立ちで、頭上にある刺青男の顎に向け銃を構えている。

 ナイフを握った手が力なく垂れ下がり、刺青男の体がそのまま背中から倒れる。その右目にはガラス片が突き刺さっている――壊れた写真立てから拝借したもの。

 緊張の糸がぷつりと切れる。手にした拳銃コルタを床に落とし、その場にへたり込む。それから、大きく深呼吸をする。

 男に投げつけたのは塩素系漂白剤と、酸素系漂白剤を溶かした水。混ぜても発生するのはただの酸素ガス。吸い込んでも害はない。

 ガスの役割はふたつ――有毒な塩素ガスと誤認させることで、男を廊下の奥から炙り出し階段の前まで移動させること。そして男の呼吸を制限することで格闘における体格差のハンデを少しでも減らすこと。

 最初の突進で押し倒したところを、ガラス片でさっさとその首を掻っ切るはずが、あの蹴りを食らってしまったばかりに決闘じみた戦いをするはめに。投げつけたガラス片が刺青男の目に突き刺さったのはほとんど偶然だった。もう一度やれと言われてやれる自信はない。

 初めての人殺し――手が震えている。

 リアンはしばらく休んでから、男の手からナイフを奪い返す。そして司令官コマンダンテに殺されたあの捕虜のことを思い出す。念には念を。今の自分ならできる――刺青男が万が一にも生き返らないよう、死体に適切な処置を施す。

 

 刺青男の生首を脇に抱えて家から出てきたリアンを、兵士や子供たちが感嘆の声で迎える。リアンは一人黙り込んでいる男の足元に向けて、手にしたを放り投げる。首だけになった刺青男が、ころころと転がり、やがて司令官コマンダンテのブーツにぶつかり止まる――虚ろな目が司令官コマンダンテの顔を睨みつける。人食い鰐がその口角を吊り上げる。

「あの太っちょゴルドに伝えておいてやる……お前がウノだとな」

 その後も試験は続く。ほとんどの戦いは泥仕合となる。結局、試験を受けた子供の半分が死ぬ。生き残った捕虜は傷の手当もされないまま、ピックアップトラックの荷台に乗せられ、どこかに連れて行かれる。

 司令官コマンダンテは捕虜たちとの約束を守るのだろうか――リアンの気がかり。ルシアが国境の北エル・ノルテへ行けるかどうかは、この司令官コマンダンテとフェルナンドの公正さにかかっている。

 その晩、試験を生き残った子供たち――今や組織の立派な兵士ソルダードとなった彼らには、司令官コマンダンテの住む母屋でシェフが調理したステーキとワインが振る舞われる。

 翌日は休暇。ワインで悪酔いしたリアンは、兵舎のベッドで一日を過ごす――小さなナイフで刺青男の首を切断した際の感触が何度もぶり返す。

 次の日、フェルナンドが何台ものバンやトラックを引き連れてキャンプにやってくる。キャンプの敷地内に大きな白テントが出来上がる。

 リアンは上機嫌なフェルナンドに手を引かれ、その白テントへと連れて行かれる。ルシアについて尋ねるが、フェルナンドはそれとは別の褒美をやると口にするだけ。

 二人はテントの入り口の垂れ幕をくぐる。薄緑色の手術服を着た医者や看護師の集団が待ち受けている。テントの中は透明なビニールの仕切りで二分割されており、ビニールの向こうには無数の医療用機械に囲まれた手術台が設けられている。

 遅れて司令官コマンダンテがやってくる。手には鉈――焼却場で死体を切り刻むために使われているもの。

 その顔に笑顔が浮かぶ――まるで悪魔エル・ディアブロを思わせる邪悪な笑み。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る