1〈ウノ〉
それは、廃村の中にある一軒家で行われていた。
二階建て。日干し煉瓦でできた壁。傾斜のない瓦屋根。四、五人の家族が住むにはちょうどよさそうな大きさ。地中海建築様式のミニサイズ版。
その家を取り囲むようにして、十人ほどの大人の兵士と、二十人の子供がいる――全員が家を注視している。
家の中から銃声が響く。一発、二発、三発――その鈍い音は、三発で打ち止めになる。
唸り声。続いて家具がひっくり返り、ガラスが砕け散る音。
そして静寂。
数分後、
後ろ手を拘束された男は
次の瞬間、
次の瞬間、少年が息を吹き返す。
その覚醒は五秒程度しか続かない。力ないもがきが空を切り、少年はすぐに死者の国へと押し戻される。
「――おい」
「死んでなかったぞ」
死体を指差しながらそう言うと、腰のホルスターから
「死ぬってのはこういう状態を指すんだ。わかったか?」
死体は応えない。
「次だ」
煙と一緒に吐き出された命令に従い、兵士たちが素早く動く。
死体が片付けられ、家の脇にある納屋から新たな捕虜――顔に大きく「13」と刺青を彫り込んだ男が連れてこられる。
兵士が刺青男にルールを伝える。
今から三発の弾丸を渡す。お前はあの家の中で待機していろ。すぐに
別の兵士がリアンに小さなナイフを手渡す。刃渡りは人差し指の長さと同じ程。あの刺青男と戦うための武器としては、あまりに心許ない。
刺青男がこちらを見る――自分が戦うべき相手の姿を確認している。それが年端も行かない少女であることに一瞬驚き、それから満足そうな笑みを浮かべて家の中へと消える。
リアンはナイフの柄を強く握る。
組織の
その男は誰からも嫌悪されていた。男が入念に検分している少女たちからは言うに及ばず、背後に従えている護衛たちからも、およそ敬意と呼べるような感情は向けられていない。
男はそのことを自覚しているし、それでいてあえて露悪な振る舞いをできるだけの肝もあった。それがますます周囲の人間の神経を逆撫でするが、誰も本人に文句は言わない――言えない。
男の名はフェルナンド。ラ・カンパニアの創設者の甥だった。
突き出た腹を揺らしながら、集められた少女一人ひとりを見つめ、触り、嗅ぎ、時には舐め――丹念に検査を続ける。
リアンたちが乗った列車は、レイノサへは辿り着かない。
途中、炎上した車両が線路上に放置されていたために、列車は緊急停止――すぐさまラ・カンパニアの兵士たちが四方から現れ、列車を取り囲み、搭乗していた移民たちを強制的に降車させる。
この密入国ツアーを手配していたブローカーは、ラ・カンパニアに通行料を払っていなかった――ツアーの参加者もまた、その場で代金を払えるだけの金を持ち合わせていなかった。
列車に乗っていた一行は
乗客たちは男と女、大人と子供というように仕分けられ、行き先の異なるバスの車内へと押し込まれる。あちこちから引き離される家族の悲鳴が響く。
リアンとルシアは、少女だけが集められたバスに乗せられる。そのバスが行き着いた先が、この廃倉庫――フェルナンドの審査場だった。倉庫の駐車場には、自分たちを運んできたバス以外にも、何台もの車両が停まっている。
そこかしこから集められたと思われる少女たちと一緒に、金網で仕切られた一角に閉じ込められる。金網の外では裸の女たちが、ビニール袋の中に粗雑に押し込まれたドル札を黙々と仕分けている。
ルシアはずっとリアンの手を強く握っている。リアンもその手を強く握り返す。
フェルナンドによる審査を受けた少女はピックアップトラックに乗せられ、再び別の場所に運ばれる。男が何を検分しているのか、皆目見当がつかない。
そしていよいよ、リアンたちの目の前にフェルナンドがやってくる。サイズの合っていないポロシャツが肌に食い込み、汗で濡れた脇からは異臭が漂っている。
隣にいるルシアが縮こまる。
フェルナンドがかがみ込み、その太い指でリアンの頬を掴む。右へ左へリアンの顔を動かし、目を細める。手汗にまみれた指の感触がとてつもなく不快さを催させる――必死に堪える。
突然、耳たぶにぬるく滑った感触が広がる。フェルナンドがリアンの耳に吸い付いていた。舌がナメクジのように耳の穴の中を這い回る。
リアンは堪らず男の胸を殴りつけ、巨体から身を離す。
背後の護衛が手にした
「馬鹿、俺が突然吸い付いたらおめぇでも同じことをするだろ」
「……肌の色は違うが、顔つきはよく似ている。今のパンチも良かった……うん、こいつだな」
フェルナンドがニタニタと笑いながらリアンに向き直る。
「お前は選ばれた。今からお前の命は俺の――ラ・カンパニアのものだ」
どうやら、自分はこの男の眼鏡に適ったらしいことをリアンは理解する。だがそれが果たして喜ぶべきことなのか――わからない。
怪訝な表情のまま、服の袖で耳を拭っているリアンに、フェルナンドは飴玉を差し出すような口ぶりで言葉を続ける。
「その代わりと言っちゃ何だが、ひとつだけお前の望みを叶えてやる」
男は目ざとい。ルシアの腕を握るリアンの手をちゃんと見ている。そしてわざとらしく視線を周囲の金を数える女たちに向けてみせる。
痣だらけのその痩せた体。窪んだ頬。怯えた目つき。
カルテルに捕まった移民の末路については、これまでの道中で嫌になるくらい耳にしてきた――彼女たちはまさしくそれ。
目の前のの男は無言でリアンに問いかけている。隣りにいる少女をそうした末路から救えるのはお前だけだ、と。さて、どうする?
不安そうに自分を見上げているルシアを見やる。自分がマットレスから無理矢理引き剥がして連れ回した――にも関わらず自分の背を健気に追いかけてくれた。
彼女を無事に
リアンはフェルナンドの期待に応える。ルシアを指差して、彼女をニュージャージーまで連れて行ってくれ、と申し出る。
フェルナンドが満足そうに頷く。
リアンはその日のうちにラ・カンパニアの新兵訓練キャンプへ連れて行かれる。離れようとしないルシアの小さな肩に手をかけ、言う。
「お前は北に行け」
ルシアは涙ながらに頷く。そしてフェルナンドが手配したサバーバンの後部座席に乗せられる。去りゆく車の背を黙って見つめているリアンにフェルナンドが声をかける。
「お前は
実際のところ、フェルナンドが約束を守るかどうか、リアンに確信はない。この男は自分からその要求をわざわざ引き出した。
だが一二歳の少女には、差し出された飴玉を、飴玉と信じて口に入れることしかできない。
そのキャンプは元々牧場だった。かつては牛や馬がはむ牧草が生い茂っていたその敷地――今は、障害物トラック、射撃場、サッカー場などへと改修されている。運動場の脇には兵舎と思われる平屋がいくつか並んでいる。キャンプ全体を見渡せるなだらかな丘の上に、かつて牧場主が住んでいたであろう二階建ての母屋がある。
リアンとフェルナンドは母屋の応接間へと通される。
キャンプの主である
「こいつを
フェルナンドが
「……
昔、
「問題が?」
「いや。ただ
「こいつは俺の所有物だ。もし勝手に食いやがったら、俺がお前を食ってやる」
「落ち着け。冗談だ。この娘を俺のキャンプで預かるのは問題ない。だが
「勝手に食わなきゃそれでいい」
交渉はすぐにまとまる。フェルナンドがリアンに改めて言う。
「さっきの、あのルシアって娘を北に連れて行くという話だが――それは少しだけお預けだ。お前が
問いかけるような口ぶりだが、実際には選択肢などないことは理解している。
だからリアンは黙って学ぶ。
ギャング流ではない、軍隊仕込みの射撃術。組み付いてきた相手の体勢を崩し、即座に急所を撃ち抜く
戦闘に関する技術だけでなく、
教官を務めるのはイスラエル人やコロンビア人の傭兵。
キャンプでは自分のほかにも三〇人ほどの子供たちが、同じように兵士となるための訓練を受けさせられている。
誰もその意味を理解しない。だが疑問は口にしない。口にしたものはロープで吊り上げられ、背骨と骨盤が歪むまで
過酷な訓練によって、時には――そう表現するには、あまりに頻繁に死者が出る。
脱落者の死体はキャンプに併設された焼却場へと運ばれる。そこでは、底をくり抜いたドラム缶が何本も地面に突き立てられている。運ばれてきた死体は鉈で切り刻まれ、その中に放り込まれる。
ドラム缶の中にはガソリンや灯油が絶え間なく流し込まれ続け、高熱の炎が死体の肉を液化させ、骨を炭にするまで燃やし尽くす。
リアンは
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