Part 5

 怪事本部より北にある四つの埠頭のうち雅宗がバイクをとめたのは一番北のアイランドシティであった。博多湾の中に埋立てによって作られた人工島で、国際的なコンテナ物流しか扱っていない一番新しい埠頭である。透子をさらったユンはこの埠頭に停泊中の貨物船のどれかに乗り込んで国外逃亡を企てているはずだった。

 バイクを下り、二人は辺りを見回す。

「くそ、結構あるな……どれかわかるか?」

「ああ、あっちだ」

 一番西に停泊している大型貨物船を指した。ちょうど出港するところらしく、静かに動き出したので二人は走る。

 普通の人間の走力ではとても間に合わないし、間に合ったとしても乗り込めるはずがない。しかし二人はともに人間離れした身体能力をもつネイバーなので、船が飛び移れない距離まで離れる前に追いつき、悠々と飛び乗ることができた。艦橋の壁に貼りついて周囲の様子を窺う。

「クレーン付きのばら積み貨物船か……なんの運搬に使っているのか知らんが甲板の積荷はダミーで、下の船倉に人間入りコンテナを積んでいるんだろう」

「あの野郎、昼間会ったときからあの子に目をつけてやがったんだな……どういう基準でさらってるのかは知らねえが、この船にやつがいるのは間違いねえ。ぜってェ見つけてダルマにしてやる」

「気をつけろ。昨日の検挙で予定を狂わされたためユンの他にも手練が乗っているかもしれん」

「構うか、全員ダルマだ。そんで、あの子はどこにいる?」

「下だな。しかしその前に艦橋を押さえるぞ」

「ンな暇あるか、このうえあの子まで殺されてみろ、なんのための警察かわかりゃしねえ!」

「殺される心配はないからいっているんだ。やつらが人身売買組織である以上、さらった人間を殺すことはありえない」

「だとしても救出が先だ、行くぞ!」

「どこから?」

「あン?」

「見たところ、下へ降りるには甲板のハッチを開けるか、艦橋から降りていくしかないようだが?」

「……そういうことは早くいえよ」

「話を最後まで聞かないおまえが悪い」

「チッ……中は何人だと思う?」

「四人。おまえは?」

「同じく。左二人は任せた」

「ああ」

 直後、ふたりは窓を突き破って艦橋内へと飛び込んだ。中にいた四人のネイバーのうち二人を振り返る間も与えず殴り倒し、残り二人を構える余裕も与えず蹴り倒して、機器を見やる。

「さて……おれは船の操作はさっぱりわからねえが、おまえはどうだ?」

「任せろ、機械系は得意だ」

 いって、躊躇いもなくあるボタンを押す。

「ボォ~~~ッ」

 汽笛が鳴った。

「おや、はずれか。これはどうだ?」

 別のボタンを押すと、今度はクレーンに明かりが灯った。

「またはずれたか。意外に複雑だな」

「オイ……なにが得意だって?」

「車の操縦は勘で覚えられたから船もできると思ったのだが」

「車と船を一緒にしてんじゃねえよッ! バカかてめえはッ!」

「仕方ない、どうせ汽笛で気づかれてしまっただろうからおまえに任せる」

「最初からこうしてりゃよかったぜ……」

 機械にはどうやっても抗えない宿命がある。

「せっかくだから思いっきりストレス発散しとくか」

 壊れたらとまるのだ。

「ゥオルァアア――ッ!」

 雅宗の剛腕がレーダーを貫いた。

「オラオラオラァアアアッ!」

 まるで金棒でも振るっているかのごとく豪快に両腕を振り回し、次々と電子機器を破壊していく。椅子を蹴飛ばし、舵を叩き割り、最後に右足で床を踏みつける。

 ズンッ……と鈍い音が響いて、エンジンの音がとまった。直下の機関室まで衝撃が突き抜けたのだ。

「シケンギはみなこれほど荒っぽいのか?」

「おれより荒っぽいのはたくさんいるぜ、鬼の怪事局長とかよォ」

 消えた電灯が再び点いた。非常電源に切り替わったらしい。

「うし、行くか」

 下へと続く階段を下り、機関室を通り抜け、ほの暗い船倉へと駆け込む。そこは意外に広く、おそらくは人間を詰め込んでいるのであろうコンテナが十個ほど並んでいた。

「いたぞ」

 二人の前方二十メートルほどのところに、透子がぽつんと立っていた。

「透子!」

 雅宗は駆け寄る。

「雅宗さん、気をつけてください、あの人がどこかにいます!」

「構うか!」

「構ってよ」

 という声を、雅宗は耳元で聞いた。

 いつの間に、と思うより早く、体の異常に気づく。

「マサムネ!」

 雅宗の胸から腕が生えていた。いや、背中から貫かれたのだ。

 腕が引き抜かれるとバケツをぶちまけたように血が噴き出した。

 透子の悲鳴が響き、レオンハルトの攻撃をかわしてユンはコンテナの上に逃げる。

「驚いたよ、まさかこんなに早く追いつかれるなんて。でもおれのことはなにも知らないんだな」

「ユン・ツァオシンだろう、殺し屋の」

「あれ、知ってたの。知ってて背中をガラ空きにするとは、それでも怪事のデカか?」

「て、てめえ……ダルマにしてやる……ッ!」

「さすがにすごい生命力だな、シケンギってのは。心臓を貫いたのにまだ生きてる。でも確か、心臓をやられると再生力が著しく低下して、喰わないと回復できないんだよな?」

「よく調べてあるな」

「おっと、動くな。あんたについてはまだなにも知らないんでな、用心させてもらう」

「そうか、ならば失敗したな。先に私を狙うべきだった。そうすれば私は死に、マサムネは理性を失い斃しやすかっただろう」

「あんたは……?」

「ヴァンピーアだ」

「へえ……ドイツ人のヴァンパイアか、なるほど。だったら別に失敗じゃないな。あんたは絶対におれを傷つけることはできない」

「なんだと?」

 ユンは例の笑みを浮かべてコンテナを降りる。

 その瞬間、レオンハルトの血液が掌から槍のように突き出された。ユンは両肩を刺され、コンテナに貼りつけられる――はずだった。

「これがおれの体質……どんな刃物もとおさない、柔軟な体だ」

 血の槍は刺さってはいなかった。肩の一点を押し伸ばしただけで、かすり傷さえつけてはいなかったのである。

 そして、蛇のように血の槍に巻きついて走り、レオンハルトを羽交い締めにする。

「なるほど、こうやって留置場内でことに及んだわけか……」

「バッ、バカ野郎ッ、捕まってどうすんだ……ッ!」

 いって、大きく吐血する。

「無理するなよ、胸に風穴開いたんだ。だがおれはあんたにとどめを刺さない。近づいたところを喰われるかもしれないからな。だからこのヴァンパイアもあんたには近づかせない」

 じりじりと後退しながらレオンハルトの両手足をがっちり固める。

「シケンギほどじゃなくても、ヴァンパイアも相当な再生力だからな、腕を自分で切り落として投げ渡すことぐらい相棒ならやるだろ?」

「私に自傷趣味はない」

「確かに、どう見てもSっぽい顔だ」

 透子のところまで下がってきて、ユンはとまった。

「君も死にたくなければ大人しくしていることだ」

 透子にはなにがなんだかわからない様子である。雅宗の状態を心配しているのは確かだが、ネイバーとわかっていても心臓を貫かれて大出血する姿やタコ人間の曲芸を目の前で見せられるとおろおろする以外、普通の人間にできることはない。

「ま、雅宗さんっ……!」

「ヘッ、心配すんな……すぐ、助けてやるからな……」

「まだいうか、警官の鑑だな。反吐が出る」

 初めてユンの顔に真実味のある表情が浮かんだ。

「だいたいおまえたちシケンギが余計なことをしなければ、世界は昔のまま、はっきり光と影に分かれ、影の世界をおれたちが支配できていたんだ。それがなんだ、ハッ、人間との共存? 狂気の沙汰としか思えないな、できるわけがないだろう、おれたちとやつらはこんなにも違うんだから!」

「だからっててめえらを正当化するんじゃねえぞ、クソが……!」

「しないさ、おれたちはずっとおれたちのままだ、なにも変わりはしない。なにも変わらず今までどおり影の世界で好きに生きていくのさ。おまえたちだって本当はそうだろう? だって、シケンギもヴァンパイアも、人間が主食のバケモノじゃないか!」

「くッ……!」

「そんなバケモノがどの面下げて人間と共存しようっていうんだ? 喰うのはよくてもさらうのはだめだなんていうなよ? おれたちだってずっと昔からこういうビジネスはやってきたんだからお互いさまさ」

 雅宗は言い返そうと口を開くが、出てきたのは言葉ではなく自らの血液のみ。それを見て、透子は意を決したようにレオンハルトを見やった。

「あのっ、刑事さんっ」

「刑事ではないが、なんだ?」

「雅宗さんは、人を食べると元気になるんですか?」

「聞いてのとおりだ」

「だったら、私は平気ですっ」

「なにっ?」

 目を丸くしたのは三人ともであった。

「私は平気ですから、腕一本ぐらい雅宗さんにあげますっ!」

 そういって走り出そうとするから、ユンは慌てて左足を巻きつけた。

「いくらなんでもそれはないだろ、仏教に出てくる兎じゃあるまいし!」

「そうか、それが君の体質か」

 納得したのはレオンハルトである。

「なんだって?」

「ずっと気になっていた、なぜおまえが彼女を連れ去ったのかが。おまえもそういうことがわかるタイプなのだな?」

「まさか、おまえにもわかっていたのかッ?」

 やはり、とレオンハルトは呟いた。

「お、おい、どういうこった……?」

「彼女の血を舐めたとき、ただの人間ではないと感じた。気配などではわからないほど遠い先祖にネイバーをもつ、超隔世遺伝のブリードなのだ」

「なにいっ?」

「凄いな、まさかヴァンパイアの舌がそこまで利くとは……」

「私の舌は特別製だ。つまりおまえは暗殺の能力とともにその力を見込まれて組織に入ったのだな」

「そのとおりだ」

「そしてその組織は、彼女のような怪事も陰陽寮も気づいていないブリードを集めることが真の目的……違うか?」

「違わないが、知られた以上なにがなんでもおまえたちは殺す」

「それは無理だ、マサムネがすぐに復活する」

「なにッ?」

「すまない、我慢してくれ」

 レオンハルトの指先から血液が伸び、透子の右腕を切断した。宙に舞ったそれは雅宗の前に落ちる。

「しまったッ!」

「マサムネ、喰えッ!」

「う、嘘だろォ……ッ!」

「いいんです、雅宗さんッ、お昼奢ってもらったお礼ですっ……!」

「させるかあッ!」

 初めて必死の形相を浮かべたユンが迫る。レオンハルトに背を向けることもいとわず、一直線に全速力で。

 雅宗に迷っている暇などなかった。たかがラーメンのお礼で腕一本を投げ打った透子のためにも、丸呑みにする勢いで喰わなければならなかった。

「うおおおおッ!」

 ユンの手刀が降りかかる寸前、雅宗の背中が開いた。

 比喩ではない。本当に文字どおり背中が開いたのだ、内蔵を曝け出して。

 皮膚を突き破った肋骨が、ユンの腕をとめる。

「これはッ……!」

 その間に、雅宗は喰った。小さな手を丸ごと口に含んで、ひと噛みし、飲み込んで、手首を砕き、肘までを三口でかじり取り、無理矢理胃に押し込んだ。

「おまえも特異体質かッ!」

 シケンギは妖術の類を苦手とする代わりに肉体が強靭であることは、ネイバーの間ではよく知られている。そしてもうひとつ。説は様々あるが、長く同族間抗争を続けていたため同族殺しの力として特異な体質や能力をもつ者が生まれるようになったといわれている。

 同族殺しの能力ということは、それがシケンギの肉体的頑強さを上回るほど凶悪なものであることは、いうまでもない。

 雅宗は摂取した栄養素を使って自らの肉体を自由に生成・変形させることのできる体質なのだ。

「やべえ……美味すぎる……ッ!」

「そういうだろうと思っていた。私はおまえの味覚だけは認めているのだ」

「くッ……だがおれの体に傷をつけることなどできないぞ!」

「だったら試してやらあッ!」

 拳を振りかぶって猛然と襲いかかる。

 ユンはよけるどころか、自ら突っ込んでいった。

 拳は顔面に衝突し、にゅるりと滑る。

「このまま首をねじ切ってやるッ!」

「そりゃこっちのセリフだ」

 雅宗は殴りに行ったのではなかった。ユン自ら近づかせるためにわざと隙を見せたのだ。

 今度は胸の肋骨が開いてユンに巻きつく。

「このていどの束縛でおれをとめられると思うのか!」

「もっとキツイのが好きか、そうか。だったらめいっぱい締めつけてやんぜッ!」

 肋骨の脇から別の肋骨が生え、隙間なく縛りつける。

「ふん、このていど……」

 余裕の笑みが、途中で引きつった。

 力がどんどん増していくのだ。

 骨はどんどん増えて硬くなり、全身を覆ってまるで何トンもある巨大な重りに挟み込まれたような圧迫感がユンを襲う。

「こっからが本気だぜ」

 まだまだ圧迫は増す。それもそのはず、雅宗は今まさに、鬼へと変貌したのだ。

 ぶかぶかだった服がぴったりになるほど肉体が膨張し、口には牙、手足には肉食獣のような爪、そして、額に突き出た二本の角。

 これが、シケンギ。日本人より早くこの地に住み着き人喰い鬼と怖れられてきた、日本最古の鬼の姿である。

「うぐッ、ぐッ……あッ……!」

「オラオラ、もっといくぞォ! てめえはダルマじゃ許さねえからなあッ!」

「まっ、待て……!」

「鬼の顔は二度までだっていったよなあァッ!」

 鈍い、粘着質な音が、船倉に響き渡った。

 全身の骨が粉々に砕け、肉という肉、臓器という臓器が限界を超えて握り潰された音。

 解放されたそれは、もはやくたびれた紐のようであった。

「あァー……腹減った……」

 摂取したばかりの栄養を使い果たしてしまい、雅宗はその場にへたり込む。

「あっ、あのっ、よければもう一本くらい……」

 と、透子は健気にも左腕を差し出すが、雅宗は右腕のほうに驚いた。

「もう半分生えてやがるっ……」

「わたし、小さいときからどんな怪我でもすぐに治るんです。両親はお金がかからなくていいって喜んでましたけど、周りからはずっとネイバーだっていじめられてて……でも、案外そういう人っているんですねっ」

「笑いごとじゃあねえと思うけどな……」

 もし透子が兎の献身を受けた仙人と同じ時代にいたら、きっと兎以上の伝説となっていただろうと思って、雅宗はおかしかった。

「これで左遷ぐらいは免れるといいな、マサムネ」

「むしろ帳消しにしてくれたっていいと思うぜ。なにせおれたちが把握してなかったブリードがこの船にゃあ大量にいるんだからよ。将来の人員確保にも繋がるんじゃねえか?」

「かもしれんが、その前にこの組織を摘発せねばならん。これから忙しくなるぞ」

「だな……しかしなんだ、おれたちは港に縁があるなァ。昨日もそうだし、おまえが起こした事件もここだったもんな」

「あれは不可抗力だ」

「え? なんですか、それ?」

「あとで教えてやるよ。とにかく応援を呼ぼうぜ、おれたちだけじゃあ処理できねえ。ついでにバオにも教えてやるか」

 ということで、ひとまずこの事件は落着となった。

 しかし、翌日からの被害者の事情聴取や透子の処遇、始末をつけたとはいえ起こってしまった大不祥事の処理などで怪事の大混乱は続き、結局雅宗は京都から出向いてきた父に顔が変形するまで殴られた挙句、一ヵ月分の給料を丸々召し上げられるのであった。


 なにはともあれ、こうして今日もひとつの犯罪が解決し、これからも人間と怪物のため、怪事は汗水を流し血を撒き散らしながら職務に励むのである――

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ファンタスティック・ジャパン! 景丸義一 @kagemaru_giichi

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