『湯沢駅のトイレで皮をチャックに挟みながら考えてみた』


越後湯沢に到着し、新幹線から降りたつと群馬とはまた違う冷気に身体が引き締まる。


いわゆる空っ風と呼ばれ、毎年この季節には赤城山から吹きすさぶ風により群馬は全体的に乾燥しているのだそうだ。


それは凄まじいらしく、土埃が容赦無く顔に降り注ぎ、小石や虫がビシビシとぶつかってくる。


その時にうっかり口を開けてしまうようなら、文字通りに『砂を噛む』ことになるそうだ。


群馬県出身の同僚曰く、この季節は

夏の次くらいに群馬から離れたくなるという。


だがそれとは違い、湯沢の寒さはまさしく雪国の寒さだ。


そして空気中の香りも微妙に違う。


こういうところは旅の醍醐味の一つでもある。


どの都市にもその場所なりの『匂い』というか雰囲気がある。


どういうところが? と言われると上手く言葉にすることが出来ない。


こればかりは直接その場に行き、実際に違いを感じてくださいとしか言えないのが、一応は文字なり言葉なりを駆使して『創作』というものを実践してる者としては『無能』の二文字が頭に浮かんでしまうのを禁じえない。


だが『創作』という物に(自分なりに)真摯に向かいあっている以上はこれだと思えないことをドヤ顔で書くほど不誠実な人間にはなれない。(それ以外に関してはこの限りではないけれども)


そしてもう一つの醍醐味。


(というか新幹線等の電車旅のという枕詞がつくが)『駅弁』である。


私がこの醍醐味に気づくことになったのも定期的に行くこの金沢旅行からであった。


そういう意味でも金沢旅行に行くきっかけをくれた「作品」は間接、直接も含めて私の人生を変えたといっても過言ではないだろう。


何を大袈裟な、もしくはたかがそれくらいでと思われる人もいると思われるだろうが、何も人を変える、あるいは転換させてしまう存在に大も小も低俗も高尚も無いのだ。


芸術が、名作が、偉人が、そして学者だけが人を変えるのではない。

(もちろんそれらが人間に多大な影響を与える可能性が高いことは言うまでもない)


凡人の何気ない一言が人間の心を動かすこともある。


また『好ましくないもの」とて人生をポジティブに見つめ直すきっかけにだってなる。


人間が『会話』や『文字』を使い『思考』する生き物である以上、幅広く受け入れて取捨選択をしていくことを忘れてはいけないのだ。


これ以上は身体の一部がズキズキするのでやめておこう。

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 金沢旅行記 中田祐三 @syousetugaki123456

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