第15話 アドバイスくれた写真家の話 2


 呼び鈴を押して、驚きました。ドアを開けたのはその写真家でなく、見知らぬ美しい男。若い。


 トップガンの時のトム・クルーズのような男です。俺は思わず息を飲みました。


 一瞬、部屋を間違えたか、と思って。濡れた瞳で黒目がちな男の唇は自然に赤く、さすがの俺も、そのきらきらひかる粉末が飛び交って見えるくらい端正な小さな顔に思わず見とれてしまったんですが、絶対に20歳は超えているだろうに、ある意味、少年のような雰囲気が残っています。首にまるで、今から出かけるみたいに、ふわりとしたコットンに近いリネンのスカーフをしていました。まるで、よくできた小さな人形のようで、何か言うのも戸惑って。ドアを開けて、顔を付き合わせる形になり、距離がとても近い。俺はその時、この扉で別世界に踏み込むような気持ちになり。


 そうしたら、中から写真家が、友人と同居してるんだ、と、彼を自分たちに紹介しました。その美しい男は、対等の友人という感じでなく、なんとなくですが、養われているアシスタントのような雰囲気。なぜそう感じたのかはわからないですが、まるで、写真に使われている素材のように気配を消した美しい男は、始終その場にいても、どこか「写真背景」のようでした。


 常に、細々と雑用をしていましたが、彼の文章に、写真家が帯を書いてあげるような関係のような感じの説明を受けて。彼の本は「旅行の紀行文」だと。理由はわかりませんが、自己主張のようなものが全くないその美しい男は、どこか自分と共通すると感じずにはいられませんでした。


 彼の小説を手渡され、共著ではなかった気がするけれど、写真家の名前を見つけました。もちろん、写真家の方が超有名人。俺はちゃんとその本を、後で2冊、本屋で買ってきました。俺はマニアなので、一冊は読む本、一冊は保管用です。安い本なら、もう一冊くらい買って、なくしたり、人に貸したりする予備にします。そんなことをしたら、果てしなく物が増えるので、できるだけそうしないようにはしています。2冊でなく、3冊買ったかもしれない。それくらい薄い本でした。


 俺は、この作家の写真集は白い写真用の手袋をはめないと見ないようにするくらいのマニアです。大きな写真集もたくさん持ってます。絶版になった本もあり、日本だけで発売されたインタビューか何か載っていました。それは人に見せるのもいやかもしれず、密かに日本にあり、そんなものがたくさんあるから、マンションを売るとなると、売りたくないとまで思ってしまう。自分にとって、日本のマンションは倉庫がわりで、普通の倉庫であれば、そういう大事なものを保管するのには向かない、と考えます。どこまで浮世離れしているのか、と言われたら、返す言葉がないです。まるで人形のコレクションをしている人が、倉庫に置くのは忍びないから、マンションを買ってやろう、というような感覚に似ています。俺は別に大金持ちの家に生まれたわけでないし、ごく普通の環境で育ちました。トイレットペーパーをガラガラと無駄遣いしてはいけない、お湯多めのお風呂にざぶんと飛び込んだら、水が溢れてもったいない、と母親に言われるような普通の家庭です。


 俺のような人は、他にもいるとは思います。でも、なかなか出会わない。Bはお前は人間よりも「モノを大事にする」と言いますが、時代を超えて、遺していかないといけないものはたくさんあり、俺は、新しいものが氾濫し、適当になっていく日本を見ていると、ものすごい危機感に襲われます。軽薄に、どんどん生み出される「新しいもの」に埋もれていく日本。新しいものの方が良いという風潮は日本の中の主流であり続けていますが、俺はそのことを虚しく感じて日本を出ているので、ある時からふっつりと、「新しいもの」を知らないです。


 俺は自分が生み出すものには興味がありますが、滅多に他人の世界に興味を持つことがないのです。この写真家のように、特別に俺が「凄い」と感じる世界でない限りは。


 俺はギリギリで存在していられるものしか興味がなくて、一般的な大衆が共有できる「なんとなく万人に受け入れられやすい、平均的な心地いい耳障りの良い言葉や共有感覚で埋められた世界」に興味が持てないのです。


 うっかりしたら、この二人は親子ではないけど、それくらいに年齢の違いがあります。ああ、俺とJさんが一緒でも、こんなふうに見えるのかな。男同士の組み合わせというのは、結構、人目をひくんですが、この二人の関係は一体?と、自然に思わせてしまうようなところがあるのかもしれない。


 まるで来てはいけない場所に踏み込んでしまったような感じは、その写真家の写真世界と同じでした。懐かしい、記憶の中の一場面。どの作品も、しっかりしているのに、なぜかぐらりと足元が揺らぐ気がする。暑い真夏の太陽の下で、何か幻を見てしまったような、そんな錯覚に陥る。いつまでも帰りたくないのに、閉じ込められたら、もう二度と元の世界に戻れない気がして、先を急がないといけなくなる。



 中はとても広いロフトのストゥディオで、真っ白な中に、何か文字の書かれたネオンサインが見えました。ある意味、おとぎの世界のようで、俺は、息を飲みぼんやりしてました。


 感動しているというか、なんというか、感無量だったのは、憧れている写真家のプライベートを覗いているからだと思います。


 雲の上を歩いているような感じは、部屋のせいもあった気がします。


 真っ白の大きな部屋で、屋根が高く、そのまま2階が見える。二階にいても真下のテーブルが直接に良く見えるような構造の部屋です。俺はロフトを見上げながら、あまりに丸見えだから、こんなところに小さな美しい男と住んでいると、別世界になりそうな場所だと実際の感覚がよくわかりませんでした。あまりに生活感がない。この国ではよくあるんですが、モノがほとんどなく、生活の匂いが全くしない部屋。


 こういう場所にいたら、美しい女とよこしまなことだけして、過ごしたくなります。それでも構わない気がする。美意識だけの世界になると、あまりモラルなんていうのは効力を発揮しない。美しさの前では、どんなことも、どうでもいいことになってしまう。深く考えるまでもなく、ただありのままで、時間や関係性というものは、二の次どころか、世界に存在しない。


 美しいものというのは、それだけの圧倒的な力があり、それは、若さのように消費されるものでなく、全てをまるでそれこそ、一瞬に閉じ込め、何物もそこから逃れることはできない。


 そういう絶対的なルールや力強さが前提の世界は、誰も口出しができない。


 こんなところに住んでると、感覚がおかしくなりそうな、そんな感じがしました。世界が完結してしまう感覚。まるで映画のセットの中で寝起きしているような気分になる。


 Bはそこまでイケメンじゃないし、今この目の前にいる男は、イケメンというよりは、美しすぎて、ある意味、人形のようでした。


 背は決して高くなく、さほど男性っぽくもない感じは、ある意味、本当に異世界です。


 もしかして、俺もちょっと、そうかもしれない……だから一瞬でこの写真家に気に入られたのか。俺は、その時、不思議な感覚に陥りました。初めて会ったに近い人なのに、すでに長く一緒に過ごして来たような気がする。類は友を呼ぶというのか。俺はこの男ほどは美しくないから、おこがましいですが。


 

 この不思議な感覚の出所でどころは、俺たちはまるでこの写真家の世界を補完するファクターのようだからです。俺も、このアシスタントのような友人も、写真家の作る世界の中で生きれば、ぴったりするような小道具。生身の人間でなく、俺たちはこのおとぎ話的空間を構成する「単なる要素」に近い。


 

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