第23話:7月18日(last day, last story)

 列車は首都圏近郊を過ぎると、途中から単線になる。だから終着駅にはプラットホームが一つしかない。終電まで残りわずかとなった駅の電光掲示案内を眺めていた相羽瑞希あいば みずきは、ホームの列車待合室入ると、木製のベンチに腰かけた。手持ち花火が入ったビニール袋を自分の脇に置き、ポケットから取り出した携帯端末を眺める。


 駅のホームに列車の到着を告げるアナウンスが流れると、近づいてくる走行音の中で、瑞希は携帯端末をポケットにしまった。減速した列車内から漏れてくる灯りが、薄暗いプラットホームに光の流れを描いていく。そんな光景をしばらく眺めていた彼は、ゆっくり立ち上がると、そのまま待合室を出ていった。停車した列車のドアから、乗客たちが足早に改札へ向かっていく。その流れに抗うかのように進む瑞希の前に、一人の少女が立っていた。


「行こうか」


 そう言った瑞希は、少女に向かって左手を差し出す。足早に駆け寄った糸乃空いとの そらは、その手をしっかりと握った。言葉が少なくても伝わるものが確かにある。人と人との距離を測る道具は決して言葉だけじゃない。大切なのは同じ物語の内にいるかどうか。


 人通りのない駅前を、二人は神社の参道に向けて歩いていく。夏虫の声に包まれる暗い田園風景の向こう側には、静かな星空が広がっていた。それはまるでプラネタリウムのドームスクリーンのように鮮明な光を伴っていて、手をのばせば宇宙に触れることができるような、そんな錯覚を抱いてしまう。


「ここで空を見かけたときは、本当にびっくりしたよ」


 拝殿へと続く苔むした石段を登りながら、瑞希はそう言った。


「私、暗くて足元ばかり見ていて……。で、いきなりキミがいるから、こっちだって驚いたんだよ」


「だって、まさかここにいるなんて思わなかったから」


「それはこっちのセリフ」


 互いに笑いあえる。そんななんでもないことが、物語の内にいるということなのかもしれない。二人は階段を登りきると、そのまま拝殿へと向かった。


 鳥居をくぐり、拝殿の前に立つと、瑞希はズボンのポケットから小銭入れを出し、五円玉を手に取った。


「ご縁がありますように、ってな」


「十分ご縁がありますように……だから十五円?」


「ああ、そうか」


 硬貨が賽銭箱に入る音が、夜の境内に響き渡る。拝殿の前で二礼し、柏手を四回打つと、一礼した後に空は大きな注連縄しめなわを見上げた。境内の大きな木に結びつけられた沢山のおみくじたちが、風に揺られ小さく音を立てている。


「大きいよねぇ」


 瑞希もそう言って上を見上げる。この神社の注連縄は、一般的なそれよりもかなり大きくて太い。神の住まう世界と、人の住まう世界の境界線。注連縄はこちら側と向こう側の世界を分かつために存在する。向こう側の力が大きければ大きいほど、境界線を担う注連縄も大きくなるのかもしれない。この神社に祭られているのは運命を司る神、大国主おおくにぬし。大きな注連縄は、その力の強大さを物語っている。


 神社と隣接する寺院との間に、少し開けた場所がある。かつて寺院が管理していた保育園の園庭があった場所だ。数年前に閉園となったため、園舎は既に取り壊されていたが、園庭は当時のまま残されている。


「ここで、いいかな」


 持ってきたバケツに水を張り、瑞希はビニール袋から花火を取り出した。


「あの時は花火どころじゃなかったからね」


「あんなにすごい雨になるとは思わなかったよ」


 そう言って空は、瑞希の隣にしゃがむ。瑞希は手持ち花火を空に手渡すと、自分も一本手に取り、反対の手に持っていたライターで火をつけた。シュッと音がして青紫色の炎が勢いよく空気を染めると、それを空の持つ花火の先端に近づける。程なくして空の花火からも鮮やかな炎が舞い、辺りを朱に染めていく。


「去年の夏は林大樹はやし だいき、ああ、林って俺の友達だんだけど、そいつと二人でロケット花火の打ち合いをやっていてさ。近所の人に怒られたりしてた」


「ふふ。なんだか相変わらず馬鹿だねぇ」


 一瞬にして燃え尽きていく鮮やかな光と、かすかな残像。光と闇に残る余韻の間を繰り返しながら、二人はしばらく同じ景色を見ていた。


「これで最後の花火だね」


 そう言った空が腕時計を確認する。午前零時まで、あと三分と少しだった。今日という日が過ぎれば、もう二度と互いの時間は重なり合うことはない。瑞希の昨日が、空にとっての今日となり、その時間軸の差はさらに大きくなっていく。


「線香花火……」


「最後は線香花火の光をキミと見ていたい」


 瑞希は線香花火を右手に持ち、左手に握ったライターでそっと火をつけた。暗闇の中に小さな朱色の光が、ゆっくりとはぜていく。その向こう側で、空の体は、景色に少しずつ溶け込んでいった。


「覚えていて、私のこと」


「忘れないよ空。絶対」


 透きとおっていく空の体。それは時間のずれが、存在を非存在に変えていく瞬間。


「ありがとう、瑞希。またいつか」


「願ってくれて、ありがとう。君に出会えてよかった。俺はいつだって空の未来にいるから」


「うん。全てのことにありがとう。本当にありがとうって、心からそう思います」


 秒針が午前零時を越えていく。線香花火の小さな灯りが、パチパチと揺れ、やがてそれも静かに消えていった。暖かな余韻を残して。

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時を追う、君の影 星崎ゆうき @syuichiao

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