四日後 -3-

 少女を“拾った”。降りしきる雨の中、ゴミ屑のように足元でうずくまる少女を、ついに見捨てることができなかった。私にそんな余裕なんてあるわけがないというのに。同棲しているあいつにはどのように説明しようか。あいつは優しくないから、もしかするとこの少女を捨てろというかもしれない。もしくはこの少女を……。


 それはないか。粗暴で乱暴で横柄なヤツだけれど、その実は臆病で小心者なのだから。どうせいつものように、私の言うことを聞いてくれるだろう。もし口げんかになったとしても、あいつに負ける気はしない。


 だから、少女を家に招いた。予想通り、椅子に座って本を読んでいたそいつは、驚いた口調で私に言った。「誰だそいつは」と。だから私は言ってやった。



「拾ったのよ、さっき」



 胸を張る。決して余裕のある生活ではないけれど、だからと言ってこんな身なりの少女を放っておくことはできない。私が許せない。



「さっきって……」



 さすがに困ったような表情を浮かべ、私と手を繋いでいる少女とを互いに見比べる。少女はそんな様子のそいつを見て、そいつを睨みつける私を見て、そして居心地が悪そうにうつむいた。もう少し我慢してね、と少女にささやいた。



「……で、泊めるのか? この家に」



 思った以上に早く折れたな、というのが率直な感想だった。私に口げんかでは勝てないと理解しているからであろうことはわかっている。実際のところ、言い争いに発展することはよくあることだが、その度に私が言い負かしているのだから。さすがに学習したのだろう。



「そのつもりよ。放っておけないでしょう?」



 胸を張る。少女は私を見ていた。その表情は……なんというか、言葉にしがたいほどの虚空だった。拾ったときから、この表情を崩してはいない。だいたいを諦めたような……酷い表情をしていた。


 だから私も拾った。拾って、せめて人らしい表情を取り戻すまでは面倒を見ようと、心に決めた。



「……俺が許すと思うか?」



 思ったとおり、こいつに優しさは存在しない。こんな身なりで、こんなにもかわいそうな表情をした少女を放っておくという気だろうか。


 ……まぁ、面倒を引き受けすぎる私のブレーキ役をすると買って出ているのだから、そうでなくては困るのだが。



「許すまで説得するわよ。今回ばかりは」



 胸を張る。そうするとほうら、いつものようにあいつが折れてくれる。



「今回も、だろう」



 ため息をひとつ吐いて、男が立ち上がる。



「……いつも思うのだが、お前のブレーキ役の意味がないよな」



 いつものように、わずかに頬を緩ませて静かに笑う。私はそいつのその笑い方が好きだし、なにより粗暴さの中に垣間見える優しさを見つけるのが、とても楽しかった。



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「で、名前も思い出せない、と?」


 さすがに少女をそいつの傍に置くわけにはいかず、私の部屋へと連れ帰った。その部屋はそいつが絶対に入ってこないと約束していて、私だけの聖域だった。だから少女を安心してかくまうことができるし、少女もようやく安心したように表情を緩ませた……気がした。



「……ええ」



 力のない声。さて、この少女の過去を聞いて良いものかどうか。少なくとも今はゆっくりと休ませるべきだろう。この子も、きっと疲れているのだから。



「……おねがい、一人にしないで」



 最初はその言葉が理解できず、少しの間をおいてその意図を理解した。難しいことはない。とにかく一人になるのがイヤなのだろう。確かに一人にした方が良いかもしれない、なんて思ったかもしれないが、少女のその言葉によって一人にする選択肢は消え失せた。


 だとすると……今夜はあいつには一人で寂しく寝てもらおうか。また後で文句を言われるかもしれないが、知るものか。少なくとも今は少女が優先だろう。



「ええ、良いわよ」



 頭を撫でようと手を伸ばす。しかし少女は、ほんの僅かだけではあるが、その手を嫌がるそぶりを見せた。やってしまっただろうか。この子がどんな仕打ちを受けたのかは知らないが、もう少し気づいてやるべきだったのだろう。これは悪いことをした。



「ああ、ゴメンなさいね。気が利かなかったわ」



 その言葉を聞いて少女が目を丸くして、私を見る。くすんだ灰色の瞳。薄汚れてはいるが、しかし宝石の如き輝きを浮かべていて、決して美しくはないが奇妙で綺麗な色をしている。唇はかすかな朱色があり、触れるときっと柔らかいだろうと思わせる輝きがある。


 ……さっきまで冷たい雨に濡れていたのに綺麗な朱色をしていることに、その時は不思議と疑問に思わなかった。



「違うんです」



 なにが違うというのだろうか。少し首をかしげ、次の少女の言葉を待つ。私を見て、何度か口を動かし、言おうかどうか迷っている素振りをみてとれた。でも、私からは何も言わない。時間はかかりそうではあるが、待たなければならない。ようやく、この子について何かがわかりそうなのだから。



「……違う、のです」



 その言葉の意味がわからず、お互いの言葉が詰まる。少女はまっすぐ私を見て、しかしそれ以上は何か語るようなことはなかった。

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