1章:新任騎士団長

 エルバドル王宮騎士団「六箇条」


 一つ、我が剣は敵を打ち払う為に。

 一つ、我が盾は国と民を守る為に。

 一つ、我が魔道は国の繁栄の為に。

 一つ、偏見を持つ事なかれ。

 一つ、私利私欲の為に力を行使するべからず。

 一つ、国と民の為ならば時として道化となれ。



【1.】

 寒空の下を、1人歩く騎士がいた。

 灰色の雲が陽の光を遮る中を、落ち着いた足取りで向かう先は竜舎。

 竜騎士の乗る騎竜の飼育場所であるこの建物には、数多くの竜が繋がれている。

 騎士は竜舎の入口まで来ると、首に掛けていた小さな革袋から一本の鍵を取り出した。

 竜は馬やグリフォンよりも大きく力も強いため、竜の扱いに未熟な人間が無闇に近付いて怪我をしないよう、鍵が掛けられているからだ。

 重たい鉄扉を引き開けると、中に繋がれた竜たちの息遣いが漏れ出した。

 人の気配に気付いた彼らが騎士の方に意識を向けるが、そこに立っているのがその騎士だと気付くと、皆そわそわし始める。

 その中でも特に、彼に一際甲高い声で鳴くものがいた。

 真っ白な竜だ。羽も首も頭も四肢も、雪のように純白で、エメラルドグリーンの瞳がキラリと輝いている。

 白奧種と呼ばれる、この国では珍しい種の竜だった。

「グレンハウザー、調子が良さそうだな。アイオーン、角を磨いてもらったのか、綺麗だ。シエラ、怪我はもう治ったみたいだな、良かった」

 歩む度に首を伸ばしてくる何頭かの竜に声を掛けながら、けれど迷う事なく騎士が白竜の方へ近付くと、白竜は待ってましたと言わんばかりに甘えた声をあげた。

 長い首が伸びて来て、騎士に鼻先を押し付ける。

「よし、よし。いい子だ、ウォエル」

 騎士は更に近付いてやり、角や額、顎を撫でてやる。ウォエルと呼ばれた竜は気持ち良さそうに喉を鳴らしながらそれに応じていたが、暫くすると、徐に引き下がってすっと騎士を見た。

 緑に輝く瞳が、やや興奮気味に見つめてくる。騎士はそれに対して、彼と己の間にある木製の戸を開けてやる事で応じた。

「今日は式典の予行演習だ。やれるな?」

「クゥ」

「そうか。頼んだぞ」

 騎士が頷くと、ウォエルはもう一度額を擦り付けてから大人しく竜舎から出てくる。そこで手綱を付けると、騎士は美しい白竜を伴って竜舎を出た。

 この騎士こそ、半年とおよそ二月程前にこの国の数多の騎士のトップに就任したばかりの若き新騎士団長、ゼト・イェーレンベルトであった。



「お待たせした」

 ゼトがウォエルを連れて戻った元には、四人の騎士がいた。

 彼らはゼトを視界に映すと、皆穏やかな表情を浮かべて彼を迎え入れる。

 彼らは皆、この国の騎士が所属する各部隊を総括する、栄誉ある第一部隊の隊長たちだ。

「おや、来ましたな」

「まぁ。話には聞いていましたが、近くで拝見すると本当に美しいドラゴンですこと」

 最初に口を開いたのは、体格の良い男と絵に描いたようなスタイルを持つ美女だった。

 男は名をアゼル・クロッカコート。馬を扱う馬疾騎士をまとめる部隊長だ。物怖じせず動じない性格で、落ち着いた物腰から『エルバドルの重鎮』と呼ばれる事もある。彼の側にいる馬もまた、持ち主の性格を移したように風格を持って佇んでいる。

 美女の方はクララ・アスモディア。グリフォンを乗りこなす獣騎士隊の部隊長で、すれ違う人々の目を惹き寄せる美貌と艶のある赤い長髪を持つ一方、柔軟な身体で男相手でも渡り合える強さの持ち主だ。彼女のグリフォンはやや離れたところに蹲り、興味なさそうに前足に頭を載せている。

「ふむ。賢そうな顔をしている。流石アレス殿の愛弟子、よく手懐けられているな」

 次に口を開いたのはきりりと締まった顔をした女だった。細身でしなやかな身体は無駄なく整っており、短く切り揃えられた深いブルーの髪が、その凛々しさを引き立てている。彼女はイザベラ・リリネットと言い、天馬騎士部隊を統率している。彼女の天馬は落ち着いた様子で、けれど堂々たる佇まいでイザベラの隣に控えている。

「アレスはそっち方面はあんま関わってねぇと聞くがな」

 それに対し、気怠げな声が軽く異を唱えた。見れば言葉と同じように気怠げな目をして、首に手を当てる壮年男性がいる。他の三人と異なり、やや厚手の服とフードを目深に被った彼は、リパットゼルシード。弓や投石機、大砲を扱う遠撃騎士隊の部隊長である。

「お褒めに預かり光栄です。ウォエルも鼻が高いでしょう。しかしイザベラ殿、訂正させて頂きますと、『手懐ける』と言う表現は些か正確さに欠けております」

 ゼトは軽く会釈をして敬意と好意を伝えると、ウォエルを一瞥し–––––白竜は大人しく佇んでいた–––––天馬騎士隊の隊長に毅然とした態度ではっきりと言った。

 イザベラはやや驚いたように僅かに眦を開いたが、それはすぐさま興味深そうに細められ、口からは「ほぅ」と呟きが漏れた。

「具体的に聞かせて頂こうか」

「僭越ながら。ウォエルと私は、対等な関係であろうとしております。上下関係ではありません。端的に言うならば、謂わば、彼と私は、友人のようなものです」

「ふむ。だがそれでは些か説得力には欠けるな。犬や猫を飼う者達も似たような事を言うが、彼らの間にあるのは主人と獣と言う関係が大半だ。貴君のそれは、これとは同じではないのか?」

「えぇ。竜は、我々が思う以上に気高く、そして賢い生き物です。今、こうして彼が大人しくしているのも、この場がどういう場なのかを理解しているからに他なりません」

「…………ふふ」

 ゼトがきっぱりと言い切った答えに、イザベラは言葉の意味を探るように暫く黙っていたが、ふとウォエルに視線を向けると、徐に笑みを零す。

「貴君は面白いな。なるほど、確かにそのようだ」

「ご理解頂けたようで恐縮です」

 ゼトがもう一度会釈をすると、イザベラは声を殺して笑う。それに対し、クララのグリフォンがくわぁと欠伸をし、リパットが呆れたような声で言った。

「おーい、んな事より本題に入ろうぜ。集まってんのは、ゼトの竜のお披露目会だからじゃねえだろ?」

「失敬。仰る通り。式典の予行をする為に集まったのだったな。ゼト殿、貴君は『歳渡りの儀』について、どの程度ご存知だ?」

「ある程度は」

 ゼトは短く頷いてから、己が持ち得ている『歳渡りの儀』の知識について説明を始めた。

『歳渡りの儀』は、エルバドル王国において新年を迎え祝うための大切な儀式であり祭典だ。新年を迎える日の昼に大々的な闘技大会を行い、夜が深くなった頃、国王と第一部隊長が王都の大通りを行進する。その後部隊長達は中央広場で歌を捧げ、エルバドルの騎士の信条六箇条を述べた後、魔導騎士隊長の魔法で締めくくる。

 行進、つまりパレードは各部隊長が各部隊長たる姿で参加するため、すなわち馬疾騎士と天馬騎士は騎馬を、獣騎士は騎獣を、竜騎士は騎竜を伴って歩く。

 そのために、今この場に動物と共に戦う騎士は己の相棒を連れてきているのだ。

「うむ。概ねその通りだ」

「アレス殿が勉強熱心だと常々仰っていただけはありますな」

「これから務める立場の役割を予め学んでおくのは、当然のことでしょう。褒められることではありません」

「ふふ。そうね。その通りですわ。ではもう一つ、ご存知なら嬉しい事があるのですけれど、よろしくて?」

「……『誓いの剣』の事でしょうか」

「まぁ、ご存知でしたのね! その通りですわ。あれが無いと、六箇条に正式に意味がこもりませんもの」

 クララが自身の顎の前で手を合わせ弾みがちの声で見つめてくるのを流しながら、ゼトは頭の片隅で「だから魔導騎士隊長だけこの場にいないのかと考えていた。

『誓いの剣』は儀式に使われる六本の銀製の剣の事だ。六箇条を述べる際にこの銀製の剣を掲げる事で、己が混ざり気一つない穢れなき存在であること、国に忍び寄る魔の手を打ち払う守護者であることを自身に誓うと同時に、国民に示す意味を持つ。

 この剣は手入れはされているものの、普段戦いに使われる武器とは異なり脆弱性が目立つため、扱いには慎重さと丁寧さが求められる。そして儀式に使われる大切な道具として長年引き継がれてきたため、管理は非常に厳重に行われている。

 魔導騎士隊長が居ないのは、その管理に携わっているからだ。

 恐らく、盗難防止のための防御魔法の解除の関係でこの場にいないのだろう。

 まだ予行な上に本番までの時間を考えると、やけに早い気もするが。

「おや、そんな事をお話ししていたら、丁度良い所にパーシバル殿が」

 その時、ふとアゼルが皆と異なる方向を見て呟くように言った。残りの全員の視線が彼と同じ方向に向く。

 見ると、確かに城の一角から青年がこちらに歩いてくる。

 長い金髪を揺らしながら歩いてくる青年は、甲冑ではなく裾や袖の長いローブをまとっており、人間と異なり耳が長い。この世で最も稀有な存在の一つ、エルフ族である彼は、先程まで不在であった魔導騎士隊長パーシバル・パトリオットだ。

 彼は後ろに数人を引き連れて、急ぎ足でこちらへ歩いてくる。見れば彼に伴う人物達は彼の副官を含む魔導師数人で––––––恐らく、彼の部隊の中でも信頼篤い者達なのだろう––––––皆手に布で包まれた何かを持っていた。

「あら、本当。封を解いたのね」

「やれやれ、気遣う事が増えちまうなぁ」

「忙しさに殺されて気が疎かになる事を防げるだろう。前向きに考えねばな」

「それ、前向きって言うかよ」

「やぁ、遅れて済まなかったね。封の仕方を少し変えたのを忘れていて手間取ってしまったんだ」

 リパットが肩を竦めるのと殆ど同時に彼らの前に到着したパーシバルは、そう言って苦笑する。

「だけど、ちゃんと全員分の剣を出してきたから、受け取ってくれ」

 パーシバルが指示を出すと、彼の後ろに控えていた魔導師たちが各部隊長の前に畏まって布に包まれたそれを差し出した。彼らは皆手慣れた様子でそれを受け取っていく。

「ゼトくん、君にはこれだよ。受け取って中身を見てくれ」

 パーシバルが促すと、二人残った内の片方が、おずおずとゼトに包みを差し出す。

「…………」

 言われた通りにそれを受け取り、持ち上げて見る。普段使う武器とはまた異なる、ずしりとした重みが手を引っ張った。

 布を剥ぎ取ってみると–––––すぐ様パーシバル配下の魔導師がそれを回収した–––––シンプルながらも重みを感じさせる装飾が施された鞘に収まった、一振りの剣が顔を見せる。

「束の所に初代騎士団長の紋章があるだろう? それが君の剣だよ。『歳渡りの儀』の日まで、大切に保管しておくんだ」

「私が持っておくのか……?」

 言われた通りに束を確認すると、確かに初代騎士団長、エルバート・クロードの紋章が刻まれていた。が、続けてパーシバルが口にした言葉に疑問を抱き、ふと彼の方に視線を戻す。

 剣が本物かどうかの確認だけではないのか。

 するとパーシバルは、あれという顔をしてゼトではなくアゼル達を見た。

「君たち、『誓いの剣』の使い方について、説明してなかったのかい?」

「あー……悪い、忘れてたぜ」

「まぁ! 私とした事が、すっかり忘れてましたわ! 申し訳ありません、パーシバル様……」

「では、今説明致しましょう」

「うむ。今からでも間に合う事だ。構わないだろう?」

「まぁ、うん。差し支えは特にないね。それじゃあアゼル、頼んでいいかな」

「どうぞ。貴殿がそう仰るのであれば。その役目、引き受けましょう」

 顔には出さずに内心困惑するゼトの前で、アゼルが仰々しく礼をする。パーシバルはやや呆れたような顔をしていたが、特に何も言うことなく、自分のことをし始めた。

 仕方がないので、ゼトはアゼルの方に向き直る。

「では、説明しましょう。ゼト殿、この剣はとても大切な物ですが、今のこの状態では、完全に『誓いの剣』とは言えないのです」

「詳しくお願いします」

「えぇ、勿論。良いですか、この『誓いの剣』は、先程ゼト殿が答えたように、我々がこの国を代表する騎士であり、清廉潔白である事を民に示す為に行うものです。ですが、その為に、剣に誓いを行う使用者を認識させなければなりません。そうでなければ、誓いに効力が出ないとされているのです。要するに、儀式的に必要な手順であり、長年の仕来りですな」

「ふむ」

「これから、『時渡りの儀』が行われるまで、この剣を持ち続けて下さい。可能な限り帯剣し、貴殿の剣に誓いを行う者がゼト殿だと認識させるのです」

「……なるほど。承知しました」

 一年近く薄暗い倉庫で誰の手に触れることも無く保管されていたものだから、誰がそれを使うのか、誰が意思を伝えるのかを自身にも道具にも意識させろというらしい。過去の自分が身を置いていた場所でも、似たような風習があった。

 となれば、国に仕える騎士として、先人達同様に従う他にあるまい。

 ゼトは剣を受け取ると、ベルトに結わえつけた。普段帯剣する剣と違う重さが自分の右側にかかる。この感覚は、慣れるのに時間が必要そうだ。

「くれぐれも、紛失したり破損させたりせぬよう、注意を払って下さいますよう。戦闘用の剣ではない故、我々が普段使っているそれよりは、脆いですから」

「しかと記憶しました」

 アゼルの言葉に頷きながら、やはりこれは難儀するなと思う。

 可能な限りという条件からして実践形式の訓練中は控えても良さそうだが、恐らくその他の場面では装着が求められるだろう。外すタイミングや所有を心がける時間について、今夜辺りにでも目安を付ける必要がありそうだ。

「みんな、剣は持ったかい?」

「うむ。パーシバル殿も、大丈夫か?」

「うん。問題無いよ」

「良し。では移動しよう。経路と所要時間の確認だ」

 その場の全員が帯剣した事を見計らったパーシバルの一言に伴って、ゼト達は城下に降りることとなった。

「ウォエル、城下に降りる。街を歩くが、そこでも大人しくできるな?」

「クゥ」

「よし。頼んだぞ」

 得意気に鳴いたウォエルの額を軽く撫でてやり、手綱を引く。白竜は歩調を合わせてゆっくりと付いてくる。普段、城外へ赴く場合には彼に乗って空から移動しているために–––––年に数回の式典でのパレードを考慮しても–––––やはり何やら違和感を感じてしまう。というのも、エルバドル王国には竜騎士や獣騎士など空を戦場とする騎士達が参じた際に即座に目的地に着けるよう、街中に中継地点と呼ばれる着陸可能区域が幾つか設けられているからだ。国民の生活を考慮し、大抵それは広場かそれに準じた広さを持つ空間に配置されているが、一度街の外で降りてから街へ入り直すのと、初めから街の中に降りられるのとでは雲泥の差があるので、ゼトは移動に殆どウォエルを使っていた。加えて、騎士団長としてこのように歩くのは極めて初めてに近い状態である。故に、ウォエルがいるのに徒歩移動というのは、経験上まだまだ不慣れだ。

「まぁ! 部隊長様達だわ!」

「クロッカコート様にリリネット様にアスモディア様にゼルシード様……パトリオット様もいるぞ! 勢揃いだ!」

「なぁ、白い竜を連れているあの方は誰だ?」

「馬鹿! あんた知らないのかい? あの方は騎士団長様だよ。ほら、今年の春に新たに就任したんじゃないか」

「あの方がか! へぇ、まだ若いのに既に風格があるなぁ」

「それにしても、なんて綺麗なドラゴンなのかしら……騎士団長に相応しい美しさだわ」

 街に降りると、あっという間に市民の注目を受けた。若者から老人まで、皆作業の手を止め僅かにでも視線をこちらに向けてくる。

 これは、この国では珍しく無い光景と言えた。エルバドル王宮騎士団では実力主義制を採っている。これは国の中心部にある王都を守護するのは選りすぐりの精鋭達である事を意味し、すなわちそれらの上に立って指揮を執る各部隊長は、それぞれの部隊の中で最も実力の高い者達ということを意味する。事実ここに立つもの達は知力にも武勇にも優れた者たちばかりであり、民たちにとっては強い憧れと国の強さの象徴なのだ。

 その部隊長達が勢揃いし、自身の相棒である騎馬や騎竜を引き連れていることに加え、式典ではなくプライベート扱いであるために近い距離でも許されるという機会は、そうそうあるものではない。

 更に言えば、就任してから殆ど城下に足を運んでいなかっただけに–––––とは言え、この男が騎士団長に就任する以前から義務以外の理由で自意識的にここに赴いた事など数えるほどしかないのだが–––––民たちは、特に、新任騎士団長のゼトに興味津々だった。

「綺麗なお顔をなさってるわ」

「見てあの銀髪……とっても綺麗。まるで透き通ってるみたい」

「そうねぇ。褐色のお肌もそれを引き立てていて……何度見てもお美しいわ」

「それでいてとってもお強いんでしょう? 素敵な殿方よね」

 などと言った会話が、時折耳を掠めていく。己の容姿や印象については従騎士の頃から散々耳にしていたゼトは、これを彼方へと流しつつ、ルートの確認をしながら久し振りに訪れる市井の様子をじっくりと目に焼き付けていた。

 素行に問題がない限り、実力さえあれば騎士団に所属できる上に然るべき地位に登用される国の体制があってか、エルバドル国民達は選民思想を持つ者が極めて少ない。だからエルバドル国民の特徴とされる髪や肌の色とは全く異なる容姿のゼトが騎士団長になっても、普段と特に変わりはない。

「ふふ、人気者ですなぁ、ゼト殿」

「何を仰います。私よりも、貴殿らの方が向けられる情熱も好意も大きいでしょうに。彼らが私へ向ける意識は、興味と好奇心が大半です」

 大通りに満ちる空気が楽しくて仕方がないと言わんばかりの笑顔で声をかけてきたアゼルに、ゼトは静かな声で返した。

 実際、遠目から聞こえる会話の中に名前が含まれているのが大半の己と異なり、アゼルは––––––否、他の隊長達は、例外なくこっちを向いて欲しいとかうちの店をまた利用して欲しいとか、直接的に声をかけられている。

 だがそれを聞いたアゼルはさも愉快そうに笑い声をあげた。

「またまた! ご謙遜なさいますな。聞こえておられるはずですぞ。ほら、耳を傾けてごらんなさい」

「…………」

 言われた通りに、ほんの少しだけ意識を民達の声にも向けてみる。すると確かに、多くの黄色い声に己に向けられたものも含まれていた。

 耳を澄まして声の主を探して視線を向けると、若い女が輝いた目をこちらに向けている。彼女はゼトが自身の方を見た事に気付き、それだけで大層はしゃいでいる様子だったが、少し迷ってから僅かに手を振ってやると、口元に手を当てて感激していた。

「あらあら、若い娘を誑かすのは感心しませんわよ、騎士団長様」

「人聞きの悪い事を言わないで下さい、クララ殿。私は、貴殿らと同じように振舞っているに過ぎません」

 わざとらしくからかってきたクララに、小声で返す。クララはアゼル同様に、さも楽しそうにくすくすと笑う。

 そうして群衆の歓迎を受けながら、一行はパレードのルート確認を行った。

 事は難なく済んだが、不特定多数に同時に愛嬌を振りまく事に不慣れなゼトは、城の敷地内に戻ってくる頃には、はっきりとした疲労を感じていた。

「ルートの確認は以上だ。複雑な道順ではないから、もう頭には入っただろう。当日も同様のルートで回る。無論、当日は正装もするし、先程よりはスムーズにことが運ぶだろうがな」

「今日は民達へのサービスですな。お陰で少々時間が押してしまいましたが、なに、民のためとあらば誰も文句は言いますまい」

「うふふ。楽しかったわ。ねぇ、ゼト殿?」

「……ええ。恥ずかしながら、最近街に行っておりませんでした故、新鮮に感じました」

 クララが投げた言葉に、やや考えてからそう返す。

 第一部隊の隊長に就任した騎士に民の人気が集まることは知っていたが、あれほどまでの歓迎を受けることは予想の外だった。

 幾ら何でも肩書きだけで見過ぎではないかと。

 無論、裏返せばそれだけエルバドルの騎士団は国民からの支持と信頼を獲得しているという事で、それを裏切らないようにと決意できるのだが。

「……では、また後日。定例会でお会いしましょう」

「えぇ」

「分かった」

「んじゃ、解散って事で」

 そんな事をあれこれと考えている内に、この場は解散となった。

 次の予定の内容だけ頭に残し、ゼトは各々の方向へ立ち去って行く後ろ姿を見送りつつ、騎竜を仰ぎ見る。

「……私達も行こうか、ウォエル」

「クゥ」

 騎竜は頷きながらも、しかし首を伸ばしてゼトに額を擦り付けて来た。

 どうも、労って欲しいようだ。

「きちんと言う通りにできたな、よくやった。お前は賢い子だ」

 彼の意図を汲み取ったゼトは、その額や首筋を撫でてやった。甘えたい気持ちを受け入れて貰えた騎竜は心地好さそうに目を細め、数歩近寄って来て腕や背中に首を絡めてくる。

 もっと構って欲しい、もっと主人を独占したいとウォエルがねだる時の仕草だ。

 しかし、今この場ではまずい。

「こら。やめなさい、ウォエル。まだこの後やらなければならないあるだろう」

 何故ならまだ、この後に訓練の指導が残っている。

 後継を育てるため、騎士団内の結束力を高めるため、団員の把握のため、他にも様々な理由と目的のために、訓練の指導は上に立つものとしての大切な義務だ。

 それを放り出して自身の騎竜と戯れるなど、騎士団長の立場である人間が取って良い行動ではない。

 ゼトはウォエルを撫でる手を動かし続けながら、はっきりとした口調で言い聞かせた。それはおおよそ、つい先程まで第一部隊長たちに向けていた語調からは遠く離れた優しさと愛情を滲ませたものであったが、しかし、それでも白竜が引き下がる素振りを見せることはなかった。甘えを多分に含んだ、されど少しばかりの不満を混ぜた声で、主人に絡み付く手を止めようとしない。

「クゥウ」

「分かった、分かった。後で存分に構ってやる」

「クゥウ?」

「約束する。だからほら、放しなさい」

「ギュゥー……」

 嘆息しながらもあやすようにぽんぽんと首筋を叩いて宥めてやると、ようやくウォエルは–––––とは言えもっと構って欲しいのにと言う欲求を隠さず渋々と言った具合にだが–––––首を引っ込めた。

「そんな顔をするな。二人きりの時の方が都合が良いのは、知っているだろう? お前にとっても、私にとっても」

 微苦笑を含んだ声で言えば、それでもまだ文句ありげな声が尾を引く。

 やれやれ、甘えん坊な竜だ。

 不貞腐れて口を尖らせる子供にも似た騎竜の行いに、顔には出さずに再度ため息を吐く。

 この竜は、己と共に生を歩むと決まった日から、時々こうして独占欲にも似た感情を表に出してくる。

 とは言えそれを不快に感じたことなど、微塵もない。まだ胸を張れるほど実力が伴っていなかった時は、そこに甘えてたくさん構ってやったものだ。

「いい子だな、ウォエル。さぁ、行こう」

 それをやや申し訳なく思いつつもう一度褒めてやると、騎竜は今度は大人しく従った。

 ゼトはその背に颯爽と飛び乗ると、手綱を握りながらトンと軽く腹を蹴る。彼が騎竜に対して意思を伝える時の、主な合図の一つだ。

 主人がしっかりと鞍に跨った事をちらりと一瞥した騎竜は、首を起こし、地を踏みしめる四肢にぐっと力を込めた。それから折り畳まれていた翼を広げると、次の瞬間には大きな羽ばたきと共に大地を蹴って飛び上がる。数度の羽ばたきで瞬く間に飛翔した彼らは、宙で一つ円を描いて方角を定めると、その方向へと風を切った。

 眼下に映る景色があっという間に後ろへ後ろへと流れていく。若い竜騎士の背は、あっという間に城から遠ざかっていった。



【2.】

 –––––竜騎士を志す者が特に留意する点として、ブレスの扱いがある。竜は、大半の種がブレスと呼ばれる特殊な攻撃手段を有している。これはある種の魔法攻撃と考えられており(中略)。彼らがブレスを放つ理由には様々あるが、主に、自衛や狩猟の手段の一つとして用いられることが多い。

 竜騎士は騎竜を扱う際、このブレスには細心の注意を払わねばならない。何故ならブレスは竜本体以外の不特定多数を対象とする為、特に混戦時においては、味方を巻き込みやすいからだ。一騎打ちの場であるならばともかく、連携を求められる昨今の戦争においては、見境なしの利用は非常に浅慮であると言えるだろう。(中略)。然るべきタイミングで利用できればこれほど強力なものはないが、竜は元来野生動物であり、人間のように強い理性を以ってして本能を抑え込めるほど高度な生き物ではない。

「……故に、ブレスが吐けぬよう、頭絡の装着の際は口が開かぬよう吻部を固定するのが望ましい。か。……やれやれ」

 その日夕食を終えてから部屋に引き上げたゼトは、それまで読み耽っていた分厚い書物からここでようやく目をあげると、ふぅと短く息を吐いた。昼間と変わらぬ冷静な表情ながら、虚空に溶け消えた吐息の残滓には、僅かながらに苦悩が滲んでいる。

「興味深い内容の多い書物だが、真実を多分に含む反面、偏見も多い。……どうしたものか」

 ぽそりと言葉の端に付け加えられた一言には、悩みすらあった。

 今彼は、とある事で頭を抱えていた。

 それは、竜という生物に対するイメージの緩和についてどうすればよいか、という問題である。

 というのも昼間、ウォエルで訓練場に向かった事を副官に咎められたのだ。

 否、厳密に言えば、「頭絡で口を固定せずにいたこと」に苦言を呈されたのである。

「ゼト団長殿! 竜は何がきっかけでブレスを吐くか分からないのですよ。万が一があったらどうなさるのです。万全を期す為に、頭絡をお付けになってください」

 ゼトが訓練場に当初の予定よりも遅れて到着した事を詫びる暇もなく、どこか慌てたような表情の中に生真面目な色をしっかりと残しつつ、真剣な声で副官はそう言った。

 ゼトはこのままの状態で城下町に降りたが何も問題が無かったことを混じえてウォエルは大丈夫だと説明したが、彼には聞き入れてもらえず一悶着することになった。

「君の気持ちは分かる。だが、ここに至るまで、ウォエルには何もなかった。彼は私の言うことを理解し、大人しくしていたと言うことだ」

「団長殿。それは結果論です。次もそうであるという保証にはなりません。そもそも、条件からして違います。今日は何もなかったかも知れませんが、当日は出店も並ぶのですよ。喧騒も倍になります。そんな中では、貴方の声が届かなくなる可能性だってあるんです。制止の声が届かなくなったら、それこそ止める術がなくなるでしょう」

「竜の聴覚は人の何倍もある。ウォエルならば、私の声を聞き分け、取ることができる」

「では興奮した時には? 同じ事が言えるのですか? そこまで考えておりましたか?」

「ガレット……」

「団長殿」

 何度目かの応酬の後に、ついに副官は––––––ガレットは、ゼトの言葉を遮った。

 彼は、ほんの少し眉間に溝を作って言う。

「この際なので言わせて頂きますが。大丈夫だ。聞き分けがいい。それは貴方の騎竜の話です。皆が真似できる事ではありません。もっと広い視野で物事を見て頂かなければ困ります。下の者は、上の者を見て学ぶのですよ。貴方がアレス殿の部下であった頃は、多少突飛な事をしても皆気を留める必要がありませんでしたが、貴方は今や騎士団長なのです。貴方の一挙手一投足に皆が注目し、影響を受けると言うことをもっとご自覚下さい。特に、貴方の直下にいる竜騎士隊は、貴方の影響を最も強く受けると言っても過言ではありません」

 あまりにも一気に捲したてるものだから、「だから今、竜の扱い方についてやり方を変えようとしている」だとか「自覚しているからこそ自分が率先して行動で示さねばならないと考えている」だとか、「その為に何度も考え直している」だとか、ゼトが思っている事は一切口に出させて貰えなかった。

 何か口を開こうとするたびに、ガレットが遮って矢継ぎ早に言葉を並べ立てるのである。

「お願いですから、頭絡で口を固定して下さい。貴方の竜への接し方は、貴方だけにしかできない、貴方だけが成し得る特別なものなのですよ、団長殿」

 口を挟む暇を与えずに自身の意見を並べ立てたガレットは、一通り喋り終えた後、そう締めた。

 諭すような声音ではあったが、その両目は険しい光に満ちていた。貴方の言い分は聞きません、と言外に強く主張するそれに加えて、他の隊員の怪訝な視線、予定よりも遅くなってしまった時間を考慮したゼトは、仕方なく言葉を諦めた。

 結局その日はウォエルに断った上で頭絡で口が開かぬように固定して訓練指導に臨み、残りの仕事や所用を終えて、今に至る。

「……皆、竜を誤解している」

 世間の多くの人間が竜に対して抱いているイメージは、概ね共通している。

 竜とは、巨体で凶暴、肉食で獰猛、狡猾にして貪欲、機嫌を損ねれば即座に襲い掛かって相手を無惨に殺す生き物。

 概ね、そんな所だろう。

 無論、竜はこの世で他の追随を許さない力を持つ生き物だ。力比べではどんな生き物も敵わないし、種によっては翼を持ち–––––それこそ、ゼトがウォエルを使って訓練場へ向かったように–––––飛行能力を持つ。更に他の生物と大きく異なる点として、ブレスと呼ばれる特殊な魔法攻撃の手段も持っている。魔導士達が度重なる年月の中で研究し作り上げてきた現代の攻撃魔法よりも、遥かに強力で巨大な破壊力を伴うこの攻撃手段は、古来より幾度となく人間を苦しめてきた。

 特に、人がこの世の覇権を勝ち取った【倒竜聖戦】はその最たるもので、この時、精霊の力を引き出す術を人間側が獲得できていなければ、この国も世界もなかったと言われている。

 今でもそうだ。縄張り争いに負けた個体や、巣立って間もない個体などが街の付近に現れて、騎士団へ退治の依頼が来たり、討伐隊が編成される事は少なくない。

 かく言うゼトも、討伐隊に編成されたり、依頼を受けて竜退治に赴いた経験はある。

 巨躯と怪力、魔法攻撃と高い生命力と、まさに完全無欠とも言えるこの生物は、犠牲無くして退ける事は極めて難しい。

 だからこそ、このような生物を使役し戦いの手段としている竜騎士には、竜を御するに相応の高い能力が求められる。

 求められるの、だが。

「何故力で抑えつけようとする……? 馬疾騎士は馬と心を通わせて関係を築くと言うのに、竜騎士は、何故……」

 呟いた矢先に、昼間にガレットに言われた言葉が頭に反響する。

 貴方の理論は貴方にだけ当てはまる、貴方の一挙手一投足に我々は引っ張られる、故にもっと自覚を持って行動するべきだ。

 ガレットの言葉は、決して一方的で抑え付けるようなものではない。排他的なものでもない。むしろ、正しいと言える部分の方が多い。

 何故なら、事実主人にあれ程までにべったりと甘える竜など騎士団の中ではウォエルだけであったし、新たな立場になってから発言力や行動一つが与える影響の強さが何倍にもなったのは、この半年と二ヶ月でたっぷりと実感した。髪型が乱れていることなどどのような場面でも許されないし、後先を考えない言動は様々な相手、タイミングで迷惑をかける。

 だからこそ、ゼトは現状が悔やまれ、かつ気に食わなかった。

 むろん、それは「何故騎士団長である自分の意にそぐわないのか」などと言った、職権を笠に着た考え故ではない。誤った権力の行使が何を招くかは師が事あるごとに説いていたし、これによって市民を苦しめた為に爵位を剥奪された貴族も知っている。

 故にゼトは、慎重に行動してきた。少なくとも、今までの人生の中で、最も神経を使って考えているとは断言できる。

 従来とは真逆とも言える改定への踏み込みだ。逸ってはならない。牛歩で良い。

 そう己に言い聞かせて来たつもりだ。

 それでも。

「……」

 ゼトの口から、長く重たい息が吐き出される。椅子の背もたれにどっしりと預けられた背中と閉じられた瞳から漂う色濃い苦悩の中に、僅かながらに苛立ちが垣間見えた。

 そのまま彼は、同じ空気を醸し出したまま、微動だにしない。そのまま幾ばくかの時が過ぎる。やがて燭台の炎が揺らぎ、ジリジリと音を立てて消えて初めて、若き騎士団長は身動ぎをしたのだった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る