磯田兄妹


 田野倉が帰ってくるまでの間、鬼頭とたわいもない話をした。

 好きなテレビや本、好きな食べ物なんかの話をしながら、キシキシとゆれる窓やミシミシと音を立てる天井を私は無視する。怖いと思ったら、鬼頭にすがりたくなってしまう。一度すがってしまったら、封じようとしている自分の心が止められなくなるのはわかっている。

 鬼頭は私から離れすぎない程度の距離に座り、にこやかに笑う。優しい目は、しかし、常に何かに気を配っている。

 時折、目を伏せて、小さく呟く――隼人だけでなく、異形のモノが騒いでいると彼は言った。

 私は、そのたびに、彼が仕事だと思い知る。すぐに忘れそうになる私はバカだ。

 田野倉は、数時間して戻ってきた。

「どうだった?」

 鬼頭の言葉に、田野倉は肩をすくめた。

「まいったねー、この辺、コンビニもねえの」

「……買い物じゃないだろ?」

 鬼頭の言葉に、田野倉はニヤッと笑った。

「夜歩くと、それだけで不審者に見える」

 都会のように、夜、外出する『場所』がないため、外を歩く人はほとんどいないらしい。

 もともと過疎の町だから、昼になったら人が増えるというほどのこともないだろうが。

「アヤシイ坊主だから、しかたないだろ」

 もっとも、港の方には釣り人がそれなりにいるらしいし、夜明け前には漁船が出るため、深夜はかえって人の動きはあるようだが、あくまで港周辺だけの話だ。

「神社の力が弱まっているらしくてさ、そこら中に闇の生物が湧きまくって、面倒だった」

「……それは、儀式をしていないからですか?」

 私の問いに、田野倉は頷く。

「あったはずの『力』が急速に衰えると、不安定になる。このまま儀式をせずに『力』が衰えきってしまえば、またそれなりに安定はするけどね」

 中途半端が一番よくない、ということらしい。

 私は、田野倉にお茶を入れ、湯呑を彼の前に置く。胡坐をかいた姿勢がピンとしていて、さすがに坊さんらしいな、と何となく思った。

「こっちの様子は?」

「隼人の力を少し感じたが返す前に逃げられた。あとは異形のモノが多い」

 鬼頭の目が少しだけ悔しそうである。

「ま。優樹菜ちゃんは、妖魔からみれば、ご馳走だからしかたあるまい」

「え?」

 どういう意味だろうか。

「あれ? 言っていなかった? 巫女ってのは、妖魔にとっては、絶好の獲物だよ」

「巫女って、フツーは神に仕えて、退魔術を使うのでは?」

 私は使えないけど。

「天敵が甘美なご馳走って、別に不思議なことじゃない」

 真面目な顔で鬼頭が言う。嬉しくない話だ。

「ひょっとして、私、隼人さん以外にも狙われるということですか?」

「ああ。えっと、もっと言うと……儀式終わると、さらに妖魔に狙われるかもしれない」

 鬼頭が言いにくそうに口を開く。

「君の霊力は、他の力と親和性が高い。他者の力と反応して、霊力が上がる。『神』に触れれば、さらに妖魔にとって魅力的な獲物になるだろう」

「……嬉しくありません」

「だから、最初に言った。自衛してもらわないとダメだって」

 そう言えば、そんなようなことは言われたような気がするけど。

「でも。私、この年までオバケとか無縁なひとだったのですが。十八までオバケを見ないなら、一生見ないって言いますよ?」

「……諦めたほうがいいよ」

 田野倉はそう言って、お茶を飲みほした。

「そもそも潮田の家は、巫女の家柄だからね。ないものが湧いたというより、眠っていたものが目覚めただけだ」

 言いながら、田野倉は立ちあがり、窓のそばに行って暗い外を見る。窓ガラスは相変わらず音をたてていた。

「とりあえず、空と話して、磯田の家の力を借りて儀式をすることに落ち着いた」

「磯田家?」

「いまとなっては、潮田家より社人の磯田家のほうが、潮神社について詳しいみたいだしな」

「しかし、隼人は?」

「隼人は、磯田の本家とつながりは、ほとんどない。それに、磯田の家の力は潮神社に寄るところが多い。今回に限っては、空は信用していい」

 田野倉はそう言って、ちらりと私を見て、それからもう一度、鬼頭に視線を戻し、ニヤリと笑った。

「奴(やっこ)さん、優樹菜ちゃんを気に入っていたみたいだから、そういう視点でも大丈夫だろ」

「しかし――」

「大事なのは、このあたりの霊的な磁場の安定と、優樹菜ちゃんの安全だ。違うか」

「……そうだな」

 鬼頭はやや不満げに頷く。

「あの?」

 話があまり見えなくて、私は口をはさむ。

「ああ、ごめんね。明日、空に手伝ってもらうってことになったって話。優樹菜ちゃんは、今日はもう休んでいいよ」

「お二人は?」

 私は、田野倉と鬼頭を見る。

「ん? おれ、添い寝したほうがいい?」

「……田野倉、ふざけるな」

 鬼頭の声が、ちょっと怖い。完全に冗談だとわかるのに、いちいち真面目だな、と思う。

「俺たちも、交代で休む。宿全体に結界は張ってあるし、隣にいるから、何かあったらすぐ駆けつける」

「はい」

 そもそも扉に鍵もないわけだから、開けるのに苦労は全くしないだろう。

 一人になるのが怖くないわけではないけれど、いっしょにいてもらうと緊張して眠れない気もする。どちらといっしょにいても、男女間の何かがあるとは思わないけど、寝顔とか見られたくない……って、既に手遅れか。

「おやすみなさい」

 二人は立ちあがり、部屋から出て行った。

 私は布団を敷いて、明かりをおとす。

 私は腕のミサンガを反対の手で撫でながら丸くなるように、眠りに落ちた。

 昏い海の波がざわめいている――そんな夢を見た気がした。



 翌朝。朝食を済ませ民宿を出ると、私達は潮神社に向かった。

 潮神社は、港から少し離れた岬の先端にある。そこから先に海を隔てて小さな島がある。島といっても小さなものだ。

 こんもりとした山になっていて、上の方まで、石段が組まれているのが見える。

 人は住んでいないが、時折、釣り客が船で渡るらしい。神域で釣りなんかしていいのかな、と思うが、宮の場所以外は、神域とは別、という考え方なのかもしれない。

 神社で待っていたのは、磯田空と、ほっそりとした美女だった。

 彼女は、空の妹の華(はな)と名乗った。色が白くて、目がすうっと長く、鼻筋も通っている。見た目から言ったら、彼女の方が絶対に、巫女の名に相応しい雰囲気がある。

 二人ともTシャツに短パンというラフな服装だ。

「とりあえず、儀式の説明をしよう」

 空の説明によれば。

 儀式は午後の満潮時から満宮ではじまり、夜の干潮時に干宮、そして、翌日の夜中の満潮時に満宮で終わる。

 満宮のふたつの儀式より、干宮の儀式の時間は潮が引いているタイミングに行われるだけに、時間がタイトになっているそうだ。

 満宮の儀式は、まず満潮時に海水に浸かる渚で祈りをささげ、宮にある井戸の水を張った風呂で身体を清め、井戸の水で炊いたかゆを食する。干潮時間が近づいたら、干宮へ移動し、干宮に祈りをささげたのち、お神酒を飲み、浜を渡り、もう一度、宮に祈りを捧げて終わるという儀式なのだそうだ。

 要するに昼の満潮から深夜の満潮まで。とにかく長い。

 ただ、二百年に一度の儀式というだけあって、前の儀式を覚えている人なんて誰もいない。はっきりしているのは、巫女が、社人とともに、宮を往復するということだけだ。

「本来は、親父も来るべきなんだが、何しろ今、入院中でね」

 なんでも、先月の新月に、魔物と戦って負傷をしたそうだ。

「こいつでは、能力的には不足だが、人手にはなる」

 磯田の血筋は、女性の能力者は少ないそうで、華は珍しく力を持っているものの、仕事にしていけるほどの能力はないらしい。

 普段は、隣りの汐山市のスポーツジムでインストラクターをしているそうだ。どうりで、ほっそりとしているけど、しっかり筋肉のついたしなやかそうな身体なわけだ。

「男衆ばっかりでは、着付けとかお風呂とかの手伝いは無理だから」

 華は、そう言って、微笑む。

「お風呂の手伝い?」

 着付けはともかく、風呂の手伝いって何だろう?

「清めの塩を、身体にすり込むの。兄貴がやったら、セクハラでしょ」

 塩をすりこむって、サウナみたいだ。傷があったら沁みそうだな、と思う。

「ご希望なら、オレは別にやってもかまわんが」

 ニヤッと空は笑う。

「……華さんでお願いいたします」

「気持ちよくしてやるのに」

 ドガッと華さんの肘が空の腹に決まる。見事な動きだ。

「兄貴は、ほかに仕事があるでしょうが。あ、そちらの坊さんたちも兄貴を手伝ってやってくださいよ。それから、巫女の風呂ののぞきは厳禁ですから」

 神社の風呂は、備え付けのものなどなく、境内にドラム缶を持ち込んでそこで入るそうだ。

 周囲は一応天幕を張ってもらうことになっているけれど、露天風呂以上の解放感だろう。

「おれは、坊主だから見られたとしても気にしないでしょ」

「煩悩まみれの生臭坊主がよく言う」

 呆れた顔で鬼頭が呟く。

「おれは正直なの。誰かみたいに、ムッツリ恰好つけてねーだけ」

「へえ。そうなのか。やだねー、気取った優男って」

 田野倉の言葉に乗っかる形で、空が肩をすくめた。

「……仕事だろーが。いい加減にしろ」

 鬼頭の肩が震えている。本当に真面目なのだな、と思う。

「鬼頭さん、そんなに怒らなくても。お二人とも冗談で言っているだけで、本気で私の裸なんか見たいと思っているわけではないですし」

「え?」

 華さんがびっくりした顔で私を見る。

「中島さん、Eカップバストのくせに、そんなに無自覚なのですか?」

 全員の視線が、私の胸元に注がれた。え? ちょっと、すごく恥ずかしい。

「えっと、Eじゃなくって。Dだから」

 慌てて私が訂正する。

「そういえば、Dだった」

 ポツリとした声は、意外と鬼頭の声で。

 そちらに目をやると、真っ赤になった鬼頭が慌ててそっぽを向いた。

「どっちみち、日本女性標準よりデカパイです。そもそも、私から見れば、嫌味ですかって感じです。気をつけないと、本当、襲われますよ」

 華さんはため息をついた。

「とりあえず、覗きは禁止。仕事、始めましょう」

 パンパンと、彼女は手を叩いた。

 渚はまだ遠く、強い夏の日差しが照り付ける。暑い日になりそうだった。





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