ドライブ

 うちの近所のパーキングで待っていたのは、スキンヘッドの坊さんだった。

 年齢は鬼頭と同世代の三十くらい。黒の法衣に袈裟がけで、今の時期、昼間は熱が集まりそうな感じである。

 坊さんにしては、というのもおかしいが、彫りが深めな二枚目だ。

「おっ、これが噂の優樹菜ちゃん」

 にかっと坊さんは笑う。何がどう噂なのか気になるところだ。

「中島さん、このクソ坊主は、田野倉栄治たのくらえいじ。田野倉、中島優樹菜さん」

 鬼頭の口調がぶっきらぼうなのは、かなり親しい証拠なのであろう。ぞんざいな紹介をされた坊さんは、気にした様子もない。

「中島です。よろしくお願いします」

「田野倉だ。よろしく」

 頭を下げた私に、右手を差し出す坊さん。意外とシェークハンド派らしい。

 おずおずと手を差し出すと、がっしり握られた。しかも長い。さすがに意識してしまう。ひょっとして、仏教の宗派によって、こんな作法とか礼法があったのだろうかと、ぐるぐる考える。

「握りすぎだ。エロ坊主」

 鬼頭が私の荷物で田野倉の後頭部を軽くはたいた。

 どうやら、作法ではなかったらしい。

「おい、暴力反対」

 田野倉はそう言って、頭を撫でた。そして、ポケットからキーを取り出し鬼頭に渡す。

 車は、鬼頭が乗っていたものだった。鬼頭はトランクを開き、私の荷物を積みこむ。

「真田課長が、そのまま満浜みちはま町の方へ向かえってさ」

「助っ人を頼んだはずだが」

「ああ。だから、おれが来た」

 鬼頭は不満そうに田野倉を見た。

「……俺は、できれば女性の術者を、と課長に言ったのに」

「しかたないだろう? 人材不足だ。今回で最も適任なのは、新婚旅行で休暇中だし」

「それにしたって……」

「磯田空が敵に回るかもしれんのだ。誰でもいいって訳にはいかん。それに、この事件から降りるとするなら、おれじゃなくて、お前の方だろうが。部署違いだろ」

 田野倉がそういうと、鬼頭は大きくため息をついた。

「あの?」

「えっと。潮神社のある満浜町まで行く。ここから高速で三時間くらいかな」

 鬼頭はそう言って、腕時計に目をやる。

「着くのは、たぶん夜遅くなるな」

「宿は、抑えてある。問題ない」

 田野倉はそう言って、車のドアを私のために開いてくれた。

 袈裟がけの坊さんが紳士って、ちょっと不思議だ。

 行くことは既に決定しているようなので、私は運転席の後ろに座る。

 運転は、鬼頭がするようだった。エンジンをスタートさせ、カーナビの設定をする。

「儀式は大潮の夜にするらしい……明日だな」

 助手席に座り、シートベルトをセットして田野倉はそう言った。

「朔か。いやな感じだ」

 鬼頭が呟く。

「満月まで待つ……のもなんだ。優樹菜ちゃんには負担だろうし」

「どういうことですか?」

「新月というのは、昏い力が力を持ちやすい。わかりやすく言うと、魑魅魍魎が現れやすい日だな。だからできれば、避けたいところなんだ」

 鬼頭が運転をしながらそう言った。

「私の負担って?」

「明日を逃すと、二週間近く儀式が行えない。つまり、儀式は順延だけど、逆に敵さんは君をさらうのに二週間かけられるというわけだ。いつ来るかわからない敵に四六時中備えるのは、ガードするのもされるのも大変だというわけ」

 田野倉が後ろを振り向いてそう言った。

「……なるほど」

 つまり、儀式が終わるまでは、私は自由にはなれないらしい。

 でも――。

 運転席で、顔も見えないけれど。狙われているからこそ、鬼頭といられる。儀式が終わってしまったら、もう、鬼頭のそばにいられないのだ。そう思うと、複雑だ。怖い思いはしたくないけれども、鬼頭のそばにいたいという自分もいる。

「儀式について、何かわかったのか?」

「んー、細かい神事は、今本部で調査中だが、直接、潮田の家のほうをあたるほうが良さそうだ。もっとも、潮田の家は、神社と疎遠になっているから、磯田空の手を借りたほうが早いかもしれん」

「役に立たん、坊主だな」

「坊主に、神事を聞く方が間違っている」

 田野倉の言葉に、私は思わず笑ってしまった。

「ほら、優樹菜ちゃんもそう思うよね」

 嬉しそうに田野倉はうんうんと頷く。

 それにしても、この坊さん、ずいぶんと気安い人である。嫌ではないが、あっという間に名前呼び。しかも二十九の女を「ちゃん」呼ばわり。これで、髪が茶髪だったら、完全に遊び人ふうである。

「えっと。田野倉さんって、お坊さんらしくないのですね」

 ぷっと、鬼頭がふき出したのがわかった。

「え? なんで? 頭も丸めているし、袈裟も着て完璧だけど」

「煩悩だらけだからだろ?」

 鬼頭は、ハンドルを切りながらそう言う。

「おれは退魔専門の坊主なの。悟りとか必要ないから」

「……開き直るな、破戒僧め」

「と、いうわけで、優樹菜ちゃん、おれと付き合わない?」

 突然、ひょいと顔を後ろに向けて、バチンとウインクする。二枚目だけに、ドキリとした。

「……田野倉、勤務中だ」

 低い声で、鬼頭が口を開く。

「おお、こわっ」

 田野倉はそう言って、首をすくめた。

 リップサービス的なことも、勤務中は厳禁なのだろうか。国家公務員というのは堅苦しい職場なのだな、と思う。

 外はすっかり暗くなり、車は渋滞をやっと抜けて、高速に入った。

 目的地である、満浜町は、ほぼ行ったことがない。私の郷里は、満浜よりは都会? な、汐山市しおやましにあり、近いことは近いのだが、あえて『出かける』ほどの用事のない過疎の町だ。海沿いの街で、小さな漁港はあるが、外海に面していて波は荒く、海水浴等にはむいていない。一部の釣り人には人気らしく、小さな民宿などはいくつかあるのではあるが、なにせ交通の便利が悪く、しかも山の多いリアス式のため、平地が狭いから大きな観光施設などはまったくない町である。

「そういえば、大潮の日にしか儀式が出来ないというのはどうしてですか?」

 私はふと疑問に思う。

「ああ、それか」

 田野倉がひょいっと紙をよこした。見てみると、地図だ。

 海岸と、海の中にある小さな島のふたつに点がつけてある。

「潮神社ってのは、ふたつの宮からなる神社で、満宮みつみや干宮ほしみやのふたつがある。干宮は、ようするに、島にあって、大潮のときだけ陸続きになって、歩いて渡れるらしい」

「船で渡ってはだめなのですか?」

「さて、どうだろうか。潮の満ち引き、月の満ち欠けというのは、神の力に及ぼす影響は強い。試してみないとはっきりとは言えないが、たぶん、儀式は『大潮』というのは譲れないはずなのだ」

 田野倉が首をひねる。

「具体的に、どうやったら神の力を手に入れることができるのですか?」

 私におろすというのもよくわからないけど、それをどうやって、自分の力にするのだろう。そもそも、簡単に自分の力におろせるのなら、勝手にそうすればいいのに、と思う。

「それは、磯田空にでも聞いた方が早いのだが」と、田野倉は言い置いて。

「こういうもの定番的には、神卸しをした巫女と交わるか、生き血をすするっていう感じかなあ」

「……全然、嬉しくないです」

 交わるのも絶対に嫌だが、生き血をすすられるような状態って、たぶん、死んじゃうってことじゃないだろうか。

「そんなことはさせないから」

 鬼頭が静かに告げる。大きな声ではなかったけれど、私の胸に響く。

「気合入りまくりだな、鬼頭」

「うるさい、クソ坊主」

 田野倉に対して、鬼頭は随分口が悪い。どことなく『完璧』な王子様の雰囲気が崩れて、ちょっと近く感じる。

 でも、そのぶん、私の『セイ』から遠くなる――不思議だ。

「そろそろ、一度休憩するぞ」

 鬼頭はそう言って、サービスエリアへと車を滑らせる。

 真っ暗な中、こうこうと街灯に照らされた駐車場が見えてきた。



 サービスエリアのフードコートは、人影がまばらだった。

 金曜日で、夕食の時間には遅めの時間ということもあり、客は一人客か、カップルという感じで、男二人、女一人という私達は目立つ。もっとも、一番の原因は、田野倉が法衣を着ているからなのだが。

「田野倉さん、その格好で、カツカレーですか」

 私は思わず二度見してしまう。

「なんか、おかしい?」

「いえ……なんか、法衣が汚れそうで、ひやひやしますし、そもそも精進じゃないのですか?」

 私がそういうと、「汚れたら汚れた時だし、肉好きだし」と、田野倉は、平気な顔で袖を大きくまくり上げ、カレーを食べ始める。いや、そうしないと汚れるのもわかるが、いろいろ大丈夫なのだろうか。

「田野倉の法衣は、コスプレみたいなものだから、洗濯が楽なやつらしい」

 鬼頭はそう言いながら、私の隣で、チャーシューラーメンを食べる。肉がドカンとのっているやつだ。カツといいチャーシューといい、やはり男子という感じだ。

 それにしても、こういったフードコートのテーブルって、狭いと思う。時々、鬼頭の腕が私の腕に触れるので、そのたびに、ひそかにドキッとする。

 ちなみに私は、渋く豚汁定食。女子っぽさは……この際、置いておこう。

「いただきます」

 はしを手にしたとき、背筋がチリチリとした。腕がぞわりとする。

「みつかったな」

 田野倉の目がギラリと光る。

「この感触は、隼人だ」

 鬼頭が答えながら、ラーメンをすする。

 思わずはしをとめた私に、田野倉は食べるように促す。

「ここでは様子見だろう。どのみち、目的地は一緒だから、無理はしないはずだ」

「返すか?」

「やめておこう。むしろ目が届く範囲にいてくれた方がやりやすい」

 ニヤリ、と、田野倉が笑う。

「彼奴も、満浜町までは、動かんよ」

 辺りを見まわしても、磯田隼人の姿は見えなかった。

 明るいフードコートの照明のどこかに、密やかな影の気配だけがあるのを感じながら、私は豚汁を食べ始めた。

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