Excellent Excel

六畳のえる

Excellent Excel

「おい、スクエア。何だよその白い髪のヤツ、新入りか?」


 スプレッド学園、パソコン研究部の部室。

 敵の緑髪の男子が、小馬鹿にするように僕を見ながら、隣にいるスクエアさんに声をかける。


「1人病欠なのよ。それで、助っ人で来てもらったの」

「ふうん、急に参加したヤツに何か出来るとは思えねえけどな」


 4対4、僕達スプレッド学園VS敵のオーフィス学園。

 全員、動きやすいようにブレザーを脱いだYシャツ姿の2チームが向かい合っている。

 その頭には、イルカの人形。両手には、棒グラフバーチャートのようなバーブレードと、円グラフパイチャートのようなパイフリスビー。


「バリスト、心配しないで良いわ」


 スクエアさんが真っ赤なストレートを揺らす。途端、美人な顔からは想像も出来ない、口元を緩ませながらの睨みを見せ、叫んだ。


「ワークシート!」


 それまで普通に立っていた教室で、自分の濃度が薄まっていくような感覚に目を瞑る。やっぱりこの感覚は慣れなくて苦手だ。


 ドプンと水に潜ったような衝撃の後、目を開けるとそこは、僕の髪と同じ、白一色のセルの世界。



「エクセラー、久々の試合、始めるぞ」

 ふう、こんなことになるとはなあ……。



 話は少し前に遡る。といっても、本当に少し、僅か30分前のこと。




 ***




「何かやるのかな」


 校舎の2階、廊下の窓からグラウンドを見下ろし、思わず呟いた。


 僕、バリストにとって、転校初日のここ、スプレッド学園の景色は全てが新鮮。みんな部活に行ってしまった放課後、1人で散歩しながらあちこち覗いてみる。


 16歳、スプレッドの入学式を半年過ぎた、こんな中途半端な時期に転校してきてしまったせいで、部活見学にも行きづらい。


 グラウンドのアレは何かの部活だろうか? 大規模な合同練習イベントなのか、白いテントが並んでいる。


 白い天幕で、同じ大きさで綺麗に並ぶその姿、上から見るとまるで……



「セルみたいだな」

 と、後ろでガタッと音がした。しまった、聞かれちゃった。恥ずかしい。


「ね、ねえ君……」


 振り向くと、真っ赤なストレートヘアの女子が目を見開いている。


 ブレザーについてる校章の色からすると、18歳かな。随分と端正な顔立ちで、特に目は吸い込まれそうな黒い黒い瞳。前髪につけてある、ルートを模したヘアクリップが可愛い。


「……僕ですか?」

「う、うん。ひょっとして、?」



 その質問に、しばし無言になる。でも、この沈黙のせいで、結局バレてしまっているに違いない。



「ええ、昔少しだけ」

 観念して白状すると、相手は「だと思った」とくすりと笑う。


「セルに例えるなんて、やってる人かなあって」


 そして彼女は急に、僕の手をギュッと取った。


「え、あ、えっ!」

「お願い! 今日1日だけ、私達に力を貸してほしいの!」

「え、いや、いきなりあの……」

「時間がないの、とりあえず一緒に来て!」


 そうして、上級生の美人な先輩、スクエアさんに手を引かれ、校舎の上の階、「パソコン研究部」と書かれた部室に連れていかれた。



「間に合った! エクセラー経験者、連れて来たよ!」


 ドアを勢いよく開ける先輩。部室の中では、グレーの短髪の男子と、金髪ロングパーマの女子が、床に敷いたマットに座り込んでストレッチをしていたのだった。




 ***




「バリスト、本当にありがとね」

「あ、いえいえ。久しぶりなんで、足引っ張ってしまうかもしれませんけど」


 申し訳なさそうに眉を下げる、パソコン研究部部長のスクエアさん。僕は気を遣わせまいと、勢いよく首を振った。



 部室に入ってからは、特に説明の必要がないほどの鮮やかな流れ。


 もう1人の部員が急な体調不良で入院 → オーフィス学園と戦うけどメンバーが足りない → 今日だけ代わりに入って戦ってくれないか → 今日だけなら……と了承



 ということで、僕は1日だけパソ研に体験入部することになった。




「どのくらいやってないの? エクセラー」

 真っ白な世界を見渡しながら、彼女が僕を見た。


「14歳のときに辞めたので、1年半ぶり……くらいですかね」

 パソ研とは名ばかりで、実際はこのバトル専用の部活ってことか。

 それにしても、この空間も久しぶりだな。



 エクセラー。遥か昔から世界を席巻する表計算ソフト「Excel」。それを開発者の趣味でバトルに移行したのが、この競技だ。色んなタイプのバトルがあるけど、今回僕らがやるのは、一番オーソドックスな、「相手を全員倒した方が勝ち」という殲滅戦。


 ワークシートと呼ばれるこの空間は、競技参加者なら誰もが会得している。世界のどこにもなくて、別次元のどこかにあるこの場所で、僕達は戦いを繰り広げることになる。



「今回は初級の20×20よ。それでもブランクがあると少し広いかな?」

「……かもしれませんね。てへへ、期待しないでください」

 苦笑いしながら、額を掻いた。



 セルのような、20×20、計400の四畳半の真っ白な床の部屋。縦横50メートルのバトルフィールドは、ガラス張りになった壁からうっすらと果てが見える。


 部屋と部屋の間はガラスの扉で繋がっているが、基本的にドアは空いてるので行き来は容易。ただ、ところどころに「罫線けいせん」と呼ばれる仕切りがあって、視界を邪魔するだけでなく、その方向への移動ができなくなっている。



「おい、バリスト。負けそうになったらインカムで連絡しろよ。近くにいれば、俺が助けてやるからな」

「ありがとうございます、マッチさん」

 グレーの短い髪を、おでこからグッと両手で上に持ち上げるマッチさん。



 180近い高身長で、突進してきたら僕なんか軽く吹っ飛ばされそうながっしりした体付き。そして、そのガタイと若干アンマッチな、右目の片眼鏡モノクル。僕より1つ上の17歳らしいけど、頼れる兄貴感が満載だ。



「よし、じゃあインカムの前に人形もう一度つけ直すぞ」

 マッチさんが自分の頭上を指したのを見て、思わず目を細める。


「……これも相変わらずなんですね」

 頭と耳をしっかりホールドできる透明なカチューシャ、そのてっぺんには、空気で膨らませた



 なんでも、昔はこのイルカのアイコンに、操作の説明を打鍵して聞いたらしい。自動翻訳機付の音声チャットでヘルプデスクに直接問い合わせられる今とは雲泥の差だ。



「だははっ、結構似合うな、バリスト」


 カチューシャを直し、更に耳にインカムをつけ、頭部の準備は完了。インカムのテストをしてるスクエアさんの「あ、あ」という可愛い声が、右耳に流れ込む。


「なあ、イフエラ?」

 マッチさんからバトンを受け取った金髪の女性が、両手を合わせてほんわかと微笑む。


「うんうん、似合ってるよお、ふふっ」

「ど、どうも……」

 そんなに褒められても照れるというものだ。



 パーマが綺麗にウェーブした金髪のロングが綺麗な、イフエラさん。マッチさんと同じ17歳だけど、身長が目測150ちょっとくらいなので、彼と並ぶと凸凹が目立つ。首から下げた金のネックレスのヘッドには、女神らしき顔が彫られていた。


 性格はおっとりぽんやりで、こんな戦いが向くのかというくらいマイペースな印象。気になることも多いけど、その笑顔を見ると全部「ま、何でもいいよね」と受け入れられる、そんな不思議な空気を纏った可愛らしい人。



「バリスト、バーブレードとパイチャート、壊れたりしてないかなあ?」

「あ、はい、さっき確認しましたけど、大丈夫です」

 イフエラさんに、棒グラフバーチャートの棒のような剣「バーブレード」と、円グラフパイチャートのような円盤「パイフリスビー」を見せる。相手を怪我させることのない柔らかい手触りは、随分懐かしい感触だった。



」という至極単純なルールの中で、4人の戦略と連携が問われる、このエクセラー。A1からT20までナンバリングされた部屋番号で、自分や敵の位置をインカムで伝えながら、埋伏と索敵を繰り返す。



「じゃあスクエア、5分後に試合開始ということでいいな」


 全員が集まっている「始まりの部屋」A1。敵、オーフィス学園のリーダーであるイフさんが僕達4人の前に来て、バーブレードを構えてみせる。


 白色の僕と対照的な黒い髪に、マッチさんより高い、確実に180は超える身長。不遜には見えないけど気合に満ちた表情は、リーダー然としている。

 Yシャツの胸元に”Almighty万能”と綴られたピンバッチをつけていて、彼の自信をよく表していた。



「いいわ、それで。私達の方はスクエア、マッチ、イフエラ、バリストよ」

「俺達の方は、イフ、トランス、カウンタ、サムだ」


 後ろの3人を指差しながら紹介するイフさん。男子2人、女子1人、みんな強そうに見える。


「1人正規メンバーでないとはいえ、手加減はしないぞ」

「ええ、こっちも全力でいくわ」


 リーダー同士、固い握手。敵はすぐに「散るぞ」と号令がかかり、A1の部屋から出ていった。


「よし、私達も移動しましょう。あ、ところでバリスト」

 スクエアさんが、インカムをセットし直しながら僕に視線を向ける。


「あなたの関数ファンクションって何?」

「えっ……ええと、その、えへへ……」

 遂にその質問が来てしまったか……。



 関数ファンクション。この異次元空間「ワークシート」の中でのみ使用できる、特殊な魔法。このエクセラーに初めて参加するとき、生体認証のタイミングで1人に1つ、ランダムで付与される。だけど……。



「そうだぞ、バリスト。俺達のも教えるからよ」

「あ、はい……」

 まあ昔結構戦ったから大体の関数ファンクションは知ってるんだけど。



「お互い分かってた方が戦略練るのに役に立つでしょ?」

「そ、そうですね、へへ……」


 仕方ない、黙ってるわけにもいかないか。



「実はその……僕、なぜか関数ファンクションがつかなくて……」

「……えええーっ!」

 3人が息ピッタリに叫ぶ。


「珍しいこともあるんだなあ。関数ファンクションがつかないなんてねえ」

「感心してんな、イフエラ! おい、本当か? 何の関数ファンクションもないのか?」

「はい……すみません……」

 俺の答えに、顔を歪めて片眼鏡モノクルのついた右目を覆うマッチさん。


「参ったぜ……そんなヤツがいるなんてな……そりゃ辞めるよなあ」

「そうか……ごめんね、バリスト。能力が無いなんて思わなくて……」

 申し訳なさそうに手刀を落とすスクエアさんに、俺は頬を掻いた。


「ああ、いえ、スクエアさん。その、完全に無能力ってわけではないんですけど」

「え、バリスト、何か別の力があるのお?」

「はい、その――」


 言いかけたところで、マッチさんの大声がそれを打ち消す。


「マズい、そろそろ時間だ! 散るぞ!」

「あ、ホントね。じゃあみんな、バラバラに散るわよ! 後はインカムで!」


 こうして、他の人の関数ファンクションも僕の能力も話す前に、試合の準備をすることになった。





「うわっ、久しぶりだと慣れないなあ」


 一辺が50メートルとはいえ、競技中にフィールドをあちこち移動するのは肉体的に骨が折れる。そのため、ワークシート全体に移動魔法がかけられていた。


 体重を前にかけて足をうまく動かすと、スケートのようにガラス床を滑ることが出来るので、通常はこうして移動する。


 とはいえ、やはりブランクがあると思うようには滑れず、時折腕をバタバタさせながら滑った。



「こちらバリスト、C18に着きました。ここで待ちます」

「こちらスクエア、了解。私はさっきより少し移動してH10、比較的真ん中に来たわ」


 インカムで3人全員に報告すると同時に、試合開始のベルがシート内に響き渡った。


「動くか、待つか……」


 4方向のドアに気を配りながら、誰もいない部屋の中で呟く。この部屋はどこも罫線で区切られていないので、ガラス張りの壁とドアから辺りの様子を伺い知ることが出来た。


「こちら、マッチ。B列からD列あたりをウロウロしてる。西側の敵は任せておけ」

「はい、こちら、イフエラだよお。17行目前後を走ってるから、マッチと会うかもねえ」


 インカムには、絶えずメンバーの現在地報告があがってくる。本物のExcelのように列や行で説明するのが、懐かしい感覚。


「少し動くかな」


 敵が来るまで待っていてもいいが、それでは相手の数は減らない。どこに向かっているか迷わないよう、部屋番号を見ながら東に向かっていく。


「こちらバリスト。今J12に――」

「よう」


 僕の報告を遮る、敵の入室。サムさん、だったっけ。緑色の髪の毛に黒いサングラス、片手をポケットに入れて、不敵に笑う。

 部屋の中央まで来て止まると、プラスのマークのピアスがぶんと揺れた。



「飛び入り参加のヤツか。オレが関数ファンクション使うまでもなさそうだ、なっ!」

 構えた棒グラフバーチャートのバーブレードを構えて、一気に加速して滑走する。


「せえいっ!」

「わわっ!」


 壁ごと打つような勢いで振り下してきたバーを、すんでのところで避ける。頭上のイルカの人形が、助けを求めるようにフワフワと揺れた。


「へへっ、逃げるだけじゃどうにもなんねえぞっ!」


 追撃されそうになるのを、こっちも滑走して距離を取る。


 クッ、どうするかな。このまま逃げても、僕もスピードじゃ追いつかれる。円グラフパイチャートのパイフリスビーで遠隔からイルカを狙う? いや、僕にそんな腕前はないな……。



 と、サムさんがこちらに睨みをきかせつつ、ちらと横を向く。


「悪いな、いつでも倒せそうなお前には構ってられないんだ。もっと良いヤツを見つけた」

 そう言って、急に横のドアから飛び出した。


 その行く先、2つ先の部屋をガラス越しに見て、彼のターゲットが分かった。赤い髪を揺らして、バーブレードを構える、スクエアさん。



「ヒャッハー! この勢いのまま行くぜえ!」

 滑走の勢いを殺さず部屋に入り、パイフリスビーを投げる。高速で飛んでいくその円盤を、彼女は首を軽く捻ってかわした。


「すごい……」

 動体視力と反射神経に感服しながら、戦いを近くで見ようと隣の部屋まで移動する。急襲してもいいけど、ヘタなことをしてスクエアさんの攻撃を邪魔してしまうかと思うと、手は動かなかった。



「速いわね、あなた。さすがオーフィス、強豪校だけあるわ」

「そっちも伊達に大将張ってないね……じゃあ本領発揮といこうかな!」


 サングラスを少し下にずらして彼女を見ていた敵が、インカムに叫んだ。


「カウンタ、トランス! 今の部屋を教えてくれ!」


 すぐに返事がもらえたのか、サムさんは右手でバーブレードを構えて相手を制しながら、「いくぞ」と左手を前に翳した。



関数ファンクション SUMサム!」

 そのまま呪文の詠唱に入る。彼の体を、関数ファンクション特有の緑色の光が包み込んだ。



 指定したセルの和を示す、SUM関数。それと同様に、指定した部屋にいる人宿。今回で言えば、単純に倍の力になったということ。


 もちろん3人分の部屋を指定することも出来るけど、その分呪文の詠唱が長くなるので戦闘中の隙が多くなる。



「クックック、力も速さも、これで2人分だぜ。スクエア、アンタにかわせるかい?」

 バーブレードを持って、ぴょんぴょんと跳ねると、プラスの形のピアスが揺れた。そのジャンプ力は、間違いなく生身の人間には不可能な動き。


「……さすがに2人分ってのは辛いわね」

「だろうなあ!」

 右足で蹴りだし、とんでもない勢いで彼女に迫る。


「スクエアさん!」

 俺の叫びに応えるように、彼女はにやりと笑った。


「でも、


 突撃をギリギリで避けたスクエアさんが、敵の腕に触れ、低い声で呪文を唱える。


関数ファンクション SQRTスクエアルート

「なっ……!」

 緑色の光が、彼女が触った部分からサムさんの体全体に広がっていく。


 なるほど、これが彼女の切り札か。



 ExcelでのSQRTスクエアルート関数は、指定したセルの平方根を返す。ここでの魔法も、ほぼ同じ。触った相手の運動能力――筋力や走力――を

 背筋力が2人分で200kgあったって、これにかかれば14kg。弱体化の魔法は、決まると恐ろしい。



「うぐ……くそっ…………」

「体重支えるのも大変でしょ? あまり自分の力を過信しない方がいいわ」

 ゆっくりとバーブレードを引き抜き、イルカをパシャンと割る。


「へへっ……次は負けねえからな」

 サムさんの体がゆっくりと薄れていき、程なくして消える。

 異次元のワークシートから締め出され、パソ研の部室に戻ったのだろう。



「スクエアさん、すごいですね!」

 隣の部屋から彼女のいる部屋に移ると、ルートのヘアクリップを揺らして微笑んだ。


「たまたまよ。うまくタッチ出来たから。私の能力知ってたら、迂闊に近づいてこないしね」

「へえ、やるわね、スクエア」


 インカムに突如入ってくる、マッチさんでもイフエラさんでもない声。

 僕達にちょっかいを出すために、わざわざインカムの無線チャンネルをスプレッド学園のものに合わせてきたらしい。


「私は2年生のカウンタ、よろしくね」

 カウンタさん、4人の中で紅一点の人か。青い髪に、数字の書かれた毒々しい色のマニキュアがイヤに目立っていた。



「というわけで、早速アナタ達のこと、探させてもらいます」

 続いてインカム越しに聞こえる、呪文。


関数ファンクション COUNTAカウンタ

 その単語を聞いたスクエアさんが、チッと軽く舌打ちした。


「参ったわね、探索系か」

「……ですね」



 指定した範囲のセルの中に、データが幾つあるかを数えるCOUNTA関数。魔法も同様、指定する部屋の範囲の中に敵味方合わせて何人いるかを炙り出す。

 チームメンバーの場所さえ把握しておけば、敵の居場所を掴む格好の材料。



「ふうん、G11からL20までの間に3人か、結構見つけちゃったわね。じゃ、チャンネル戻して報告しておくわ。みんな、無事に逃げられるといいけど」

 そう言ってブツッと通信が切れた。


「ある程度絞られちゃったわね」

「僕達もバラバラになった方が良さそうです」

「そうね、反対に逃げましょう」

 そうして僕は、西側に移動することになった。




***




 誰にも見つかることなく滑走していると、突然目の前に大きな塊が現れた。

「うわっ、ととと!」

「おわっ! なんだ、バリストか」

「あ、マッチさん……」

 ふう、びっくりした。敵かと思ったよ。


「スクエアさんと一緒にしてカウンタで絞られたんで、こっちに逃げてきたんです」

 なるほどな、とマッチさんが片眼鏡モノクルをくいっと上げる。


「まあ、探索系ならこっちもそれなりに得意だけどな」

 両腕にグッと力を入れて、床に手を当てる。


関数ファンクション MATCHマッチ。S列でカウンタを探索するぜ」

 続くマッチさんの呪文に合わせて、緑色の光が水をこぼしたかのように地面をと這い出した。



 ある範囲の中で、指定した値が上から(あるいは左から)何番目にあるかを検索するMATCH関数。


 エクセラーの世界でも全く同じ。指定した人間が、上から(あるいは左から)幾つめの部屋にいるかを探索する。



「おうっ! つうっ!」

 突然顔を歪めるマッチさん。ただ、この展開は僕も、あるいはマッチさんも予想が出来ていたこと。



 Excelの作業中、計算結果がおかしかったり、参照した値が見つからないと、#VALUE!や#N/Aなどのエラーが表示される。


 この競技、エクセラーでは、のだ。怪我はしない程度だが、動きを止めるには十分なペナルティ。


 関数ファンクション MATCHマッチは諸刃の剣。

 ここでヒットすれば「カウンタはS18の部屋にいる」などとピンポイントで当てることができるが、縦1列または横1行しか指定できないので、確率は20分の1、外れる方が普通だ。



「じゃあ僕、向こうに離れます」

「ああ、カウンタの場所特定できたら、追い込み頼むぞ」


 別れを告げて、北の方へ向かう。インカムからは、さっきまで肉声を聞いていたマッチさんの声が聞こえてきた。


「イフエラ、防御頼む。C5だ」

「はいよお、任せておいて」

 柔和なイフエラさんの声が流れ、続いて詠唱が始まる。


関数ファンクション IFERRORイフエラー

 へえ、防御系か。マッチさんとの相性はバツグンだな。



 IFERROR関数。Excelの世界では、エラーになった場合の値を指定できる。即ち、「エラーなら0って表示して」といった形でエラー表示を回避できる。

 この競技でも、エラーが起こったときに電流が流れずに済む、というわけ。



「はい、マッチ、出来たよお」

「おう、助かるぜ」

 礼を言ってから、関数ファンクションを連発するマッチさん。


 イフエラさんのネックレスが頭に浮かんだ。彫られていたのは、女神。「私がいるからエラーしてもいいんだよ」と全ての過ちを許してくれるような、そんな温かみと度量の広さを感じる。



関数ファンクション MATCHマッチ…………おう、ついに来たぜ! カウンタの居場所はP16だ」

「こちらスクエア。マッチ、よくやったわね」

「ああ、何とか――」

 そこで、マッチさんの声色が変わる。



「ちいっ、しまった! イフが来――」



「おい、マッチ! マッチ!」

「マッチさん!」


 そのまま、返事は返ってこない。多分敵将のイフさんにやられてしまったんだろう。



「さて諸君、カウンタの探索はまだまだ続くよ」


 入れ替わりで耳に飛び込んできたのは、敵のカウンタさんの声。

 また無線のチャンネルをいじって、乱入してきたらしい。



「マッチには居場所を見破られたようだから、少し動いたよ。ところで……ほほう、C1からF10の間に1人いるねえ。イフエラかな? じゃあトランスに掃除を頼むとするわ」


 宣戦布告だけして、すぐにインカムを切る。こんなにうまい挑発、敵とはいえ天晴れだ。


「こちら、イフエラ。D8にいるんだあ。参ったなあ、見つかっちゃうよお」

「スクエアだ。私は遠い。バリスト、行けるか?」

「はい、E17なんで比較的近いです、向かいます」

 クソッ、間に合ってくれ……2対1なら有利に戦局を進められるはずだ。



「待っててください、イフエラさん!」

「バリスト、ありがとお」

 しかし。


「こちらバリスト、今D8まで来ました。イフエラさん、どこですか! イフエラさん」

 いるはずの彼女がいない。インカムへの反応もない。


「間に合わなかったか……」

 悔しそうなスクエアさんの声。これでこっちは2人アウトだ。



「こちらバリスト。スクエアさん。僕、カウンタさん探しますよ」

「ええ、私は敵将のイフを追うわ」


 インカムに、静かに闘志を燃やす声が響く。勝つことを微塵も諦めていない声に、勇気づけられる。


「じゃあ、また報告します」


 また滑り出し、縦横無尽にセルを駆け回る。時折壁を覆っている仕切り、「罫線」に身を隠し、厄介な探索屋、カウンタさんが近づくのを待った。





 5分ほど経っただろうか。目標とは違う敵が、目の前を滑っていく。

 シャツの下に、向き合った矢印の描かれたTシャツを着ている、トランスさん。


「見つけた!」


 滑走を再開し、自重を乗せて加速する。ようやくこの移動にも慣れてきた。

 敵が後ろの僕に気付き、茶髪を風に揺らしながらニイッと笑う。


「俺を捕まえるのはまだ早いぜ、1年生」

 向こうも跳ぶように走り、一気に差が広がる。


 追いつこうとするうちに敵に曲がられ、罫線の仕切りで一瞬、場所を見失った。


 そしてその一瞬は、敵にとっては十分なチャンスだったらしい。



「行こうか。関数ファンクション TRANSPOSEトランスポーズ

「しまった!」


 呪文詠唱を聞いたときには、もう遅い。ワークシートの空間全体が緑色の濃霧に包まれ、何も見えなくなる。


 やがて霧が晴れると、敵の居場所は掴めなくなっていた。もとより、僕のいる部屋も、変わっていた。



 表の行と列を入れ替える、TRANSPOSE関数。エクセラーで使われると、A2だった部屋がB1になるなど、完全に部屋が入れ替わってしまう。探索型の関数ファンクションに対抗できる、攪乱型。



 だけど。


「入れ替わる法則だけちゃんと覚えておけば、追走は難しくないんですよ」

「なんだと!」


 トランスさんがいた可能性のあるエリア。そこが入れ替わった先を計算して追っていけば、自ずと敵は見つかる。


「パニックにならずに冷静に対処すれば、意外と大丈夫です」

「ふうん、経験者なんだな、お前」

 パイフリスビーを持ち、右手を床に近づける。


「でも知ってるか? TRANSPOSEトランスポーズは単に部屋を入れ替えるだけじゃねえんだ。相手から視界を奪う煙幕としても機能するのよ」

「ええ、知ってます」


 敵が床に手を触れ、呪文を唱えようとしたとき。


 僕は、を発動した。



「なっ……! お前、お前、何を……っ!」

 あり得ないものを見たように目を丸くするトランスさんのイルカを、バーブレードで叩き割る。


 うっすらと消えていくトランスさんに、頭を掻きながら言葉を投げる。


「さっき言ったじゃないですか。パニックにならずに冷静に対処すれば、意外と大丈夫なんですけどね」


 彼が完全に元の世界に戻ったタイミングで、インカムからスクエアさんの声が響いた。


「こちらスクエア。カウンタを倒したわ。イフを探してる途中で見つけたの」

「こちらバリスト。僕もトランスさんを倒しました」


 あとは、イフさんだけ。


「彼の居場所は分かってるの。A1の方に向かっていったわ」

「じゃあ、2人で向かいましょうか。1人ずつだと、どこかに潜まれて狙い撃ちされる可能性もありますし」

 こうして、彼女のいた部屋、K10に向かい、一緒に彼を討ちに滑り出した。




***




「まさか1対2になるとは。やるねえ」


 始まりの場所、A1にイフさんは立っていた。180は超えているであろう威圧感のある身長で、逃げも隠れもせずにパイフリスビーを構えている姿は、強大な自信の表れでもある。


「1対1じゃ、アナタに勝つのは難しいからね」

 冗談っぽく言うスクエアさんの頬を、汗が伝う。


「まあ、まずは俺の力を見るがいいさ」

 右手を床に翳す。


関数ファンクション IFイフ

 やっぱりな。一番手強い能力者だ。


「霧に包まれてもらおうか!」


 呪文を詠唱した途端、緑色の濃霧が部屋に充満した。

 それは正に、TRANSPOSEトランスポーズ関数ファンクションと一緒。



 IF関数。「5以上だったら”Yes”、未満だったら”No”と表示」というように、条件を入れて、満たす場合と満たさない場合のアクションを指定できる。


 厄介なのは、アクションに他の関数ファンクションを使えるところ。即ち、関数ファンクション使、エクセラー最強の能力者。



「クッ、見えないわね……バリスト、近くにいる?」

「ええ、ここにいます」

「どこから狙ってくるか分からな――があっ!」


 突然聞こえた悲鳴に、思わず「スクエアさん!」と叫ぶ。

 霧が無くなり横を見ると、彼女はフラフラと覚束ない足取りで立っていた。


「やってくれたわね、イフ……私の真似なんかして……」

 前髪のルートのヘアクリップが、動きに合わせてゆらゆらと踊る。

 対するイフさんは"Almighty万能"と書かれたピンパッチをカチンと指で弾いた。


関数ファンクション SQRTスクエアルート。面白い能力だったからやらせてもらったよ」


 なるほど、IFでSQRTスクエアルートを使って、スクエアさんに触ったのか。

 これで運動能力は、もともとの平方根まで落ちた。もう動くのも辛いはずだ。



「この能力さえあれば何でもできる。自分の力を上げることも、敵のを落とすことも、探索や攪乱さえも可能だ。さて、バリストだったかな」


 僕を見て、不敵な笑みを浮かべる。およそ、負ける要素を見出していない表情。


「君もSQRTスクエアルートで動けなくしてあげよう。その後ゆっくりイルカを割ることにしようか」

「バリスト、逃げて!」


 右手を僕に向け、呪文を唱え始める。


 そしてそれこそが、僕の好機でもあった。



 緑色の光を帯びる敵の右手に触り、呪文を唱える。関数ファンクションとは少し違う、特殊な呪文。


VALUEバリュー PASTEペースト


 光が、消えた。



「何だと……っ!」

 驚くように自分の手を見るイフさん。スクエアさんも、目を見開いている。


「お前、何を……何をした!」

「僕の能力です。関数ファンクション

「値に変えるだと……」

「そんな能力が……」



 Excel上、関数は全て数式になっている。その式の結果を全て、ただの文字列にして貼り付けてしまう。即ち、計算結果のVALUE(値)でPASTE(貼り付け)してしまうことができる。


 エクセラーでも同様。関数ファンクション。それが、関数ファンクションを持たない、僕の能力。



「バカな! IFが無効になるだと! あり得ない! お前は、お前は一体何なんだ!」

 激しく動揺している相手に、バーブレードを振りかぶりながら、僕は名乗る。


「スプレッド学園、1年、バリストです」

 イルカがパシャンと割れる音が、A1の部屋に響いた。




***




「どうしても入らないのお?」

 戦いが終わり、オーフィス学園が帰った後。パソ研の部室で、イフエラさんが残念そうに眉を曲げる。


「そうだぞバリスト。お前が入れば、強豪への勝利も夢じゃない」

「ありがとうございます、マッチさん」


 正式入部を頼まれるのは悪い気はしない。でも。


「でもちょっと、1回制覇したので、他のことやってみようかなあって」

 その言葉に、スクエアさんが大笑いした。


「ふふっ、そっかそっか。ジュニアトーナメントでとんでもない能力者が現れて優勝したって話聞いたことあったけど、君だったんだ」

「ええ、まあ」


 照れを隠すために、頬を掻く。輝かしくて懐かしい思い出。


「でも、私は諦めないから。マスタートーナメントは君みたいな特殊能力使いもいっぱいいるの。罫線を書き換えたり、バーブレードを増やしたり。だからいつか、また君を勧誘するわ」

 そうやって真正面から言われると、「分かりました」と笑うしかないや。



「バリスト、今日はありがとう」

「ありがとねえ」

「またやろうな!」

「ええ、またいつか」

 全員と握手して、シューズロッカーに向かった。





「そういえば明日は情報の授業か……やべ、Excelの宿題あったな」


 帰り道、久しぶりの高揚感を噛み締めた後に、ふと思い出す。



「急いで帰ってやるかな。あーあ、よく分かんないだよなあ、関数とか」



 夕日も沈み、グレーアウトしたような空の下を、滑るように走りだした。

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