第六話 ストレート・スタンス! しなやかな強さに寄り添われて(後)

 でもやがて、アクアレーナが決意したように言葉を紡ぐ。


「……その御方が、この屋敷を出て行かれる際にこう言ってくれたんです」

 声のトーンは静かでも、アクアレーナは必死の形相で、いじらしかった。


 俺は、自分の中で嫌な予感が走ってるって気付いてた。彼女の、というより――女がする、ここぞの話――それを聞いた所で、俺にとっては何一つ良い事が無いとも、ね。


 けどここで聞かない訳にはいけないって風になってた。俺の心の中で、静かにテンションがおかしかった。

 でも、とことん真っ直ぐに。


 なんでそうなるんだって聞かれたなら、俺は男だからって答えると思う。

 この答えの価値はさ、俺の中だけに在るものなんだ。誰かに無理に分かって貰う必要は無いんだ。


「なんて、言ったの?」


「最後にこの世界に来る十一人目は、きっとこれまでに無い、最高に最強な男に違い無いから! だから最後まで、絶対に希望を捨てないでって!」

 アクアレーナは震える声で、奮える体で、それでも俺の顔をずっと見つめて言った。


 ……絶対に聞いてはいけないタイミングで、絶対に聞いてはいけない事を言われたって分かるよ。


 相手に大事な事を伝えるには、それに適したタイミングっていうものがある。今のは文句無しの最高のタイミングだったとそう思う。


 それは当然俺にとっては最悪のタイミングになる訳で、ここで何も決めずに逃げる事はもう絶対に許されないって空気に今なっている。


「最高に、最強な男……」

 同性愛者の女がそんな風な言い方も出来るのは、きっとその女も自分の価値観の元に生きてたからだろう。他人がどうあれ、それで自分が大事にしているものの芯が揺らぐ筈が無いから、自分との違いも普通に認められるのさ。


「花婿様! 貴方が、貴方がその最後の十一人目なんです!」

 アクアレーナがと抱きついて、俺の胸に顔を埋めてきたからだ。――この最高に良いタイミングで、という訳だ。


 こんな夜の薄暗い中、しかも他に誰も居ない密室で雰囲気ムードは満点。

 洒落になってない。洒落になってない事をこの女はしてきてる。


 俺が最後っていう事については、正直これまでの話の流れから簡単に予想出来たよ。でもそれ以上に今、分かってしまった事が有る。


 今この時、俺は確信したんだ。

 こいつは出来る。物凄く出来る女だって。


 大人の女なら、言動や仕草の何割かは相手の心に訴え掛ける為の演出としてやっているのだという事は俺は知ってる。俺だって大人の男なんだからさ。


 でもそんな女の中でも、このアクアレーナはその演出が上手いんだ。


 通常の女が自分が楽をする為に使う、安易な小芝居なんかとはレベルが根底から違ってる。

 女としてのガチさを、この女は圧倒的にガチなんだと相手の男に思い知らせる為の、ひたすら男の心を掌握して落とす為の、狩人ハンターの技と言っても良い。


 本気で、今この時落としたい男を相手にしてるんだ。親の事だって一つ前の印象深い花婿候補の事だって、なんだってとして利用する。


 俺という男がどうとかじゃない。自分が落とすと決めた男は何がなんでも落とすんだ。

 俺は、そういうスタンスの女の事を認めてる。


 俺はニホンの、女豹の如き女の狩人ハンターのシュウの事を良く知っているから――!


「ああ……」

 何が『ああ』だよ、俺。早く何か言わないとこのまま彼女に押し切られるぞ。


 何処か他人事みたいな感じがしてしまっていた。自分の事なのに自分の事じゃない、みたいなさ。

 でもそれは錯覚で、本当は紛れも無い自分の事なんだって事も分かってる。


「私を捨てないで下さい!」

 いや、捨てるも何も拾った憶えもまだ無いよ。


 多分、二度目だからだ。ニホンでシュウと出逢って付き合って、別れた経験がんだ。

 だから心にまだ余裕なんてものが有る。


 これは、本当の俺の心の強さだって……そう言って良いのかな?


 ――そうさ、このままで良い訳は無い。その場の勢いに押されて、その場の情に流されて、まだはっきりと好きでも無い女を、この先ずっと大事にしていけるっていうのかよ。


 二年前の俺なら、何も分かってなくたって、がむしゃらに彼女と付き合う事は出来たかも知れない。彼女の思いが真剣だからとかって理由だけで本気でそれに応えようとして、彼女を守れる男になろうとかって思ってたかもしれない。


 でも俺は、ニホンで二年間、タイプは違うけどそれでも同じ狩人ハンターの女と共に過ごした。過ごして、俺みたいなテンションだけで突っ走る男は、そのテンションを相手の女だけに向けちゃいけないって学んだ。


 テンションは、情熱だから。情熱を女だけに向けちゃあ、例え大切にしてもいつか燃やし尽くしてしまうから。


 俺は流され易いかもしれないけど、でもただ相手に流されるだけの情けない男なんかじゃあない。もっと大きなもの――世界を見据える位の大きな視点の中に、大事な女を入れる位の男にならなきゃいけないんだ。


「……俺に、考える時間をくれないか」

 言いながら、もう或る程度の覚悟は決めてた。


「……時間、ですか?」

 アクアレーナが顔を埋めたまま問い掛けてきた。


「正直に言って今の俺はキミの事をまだ良く知らないし、好きという訳でも無い。それにキミが生きてきたこの世界の事もまだ全然知らない」

 俺は努めて冷静なトーンでそう話した。それは彼女に交渉を持ち掛けている、という事を分かって貰う為だ。


「はい……」

 アクアレーナが、探り探りの様子ではあったけど返事をしてくれた。


 『正直に言って』と俺は言って、実際その後に言った言葉は正直な俺の気持ちなのだけど、だけど、全部の気持ちを正直に言っている訳じゃあない。

 俺は彼女の事を好きじゃないけど、好きになれそうだとは思ってる。でもここでその事まで言うつもりは無かった。


 嘘を吐かないようにする為に本音を話して、それとは別の本音を隠すって事。


 男女の交渉事で嘘を吐くのは、あまり上手いやり方じゃない。何故かと言えばそりゃあ嘘がバレた時に、相手との関係に遺恨を残す可能性が高いからだ。


 男女の関係で遺恨を残すのが上手くないとされる場合は有る。少なくとも、これから長く向き合っていくかも知れない、そんな期待を持てる相手との関係ならね。


「だから俺に、キミとこの世界の事をいつか決める為に必要となる判断材料と、それをこの世界の中で集める為の時間をくれ。それまで、結婚についての答えは保留にさせて欲しい」

 この交渉は、絶対に弱気じゃ駄目だ。強気で行く。


 異世界ゼルトユニア……要するに、世界丸ごと俺にとってアウェー。

 でも絶対に流されない。それは理不尽だから。


 だから、今は彼女に『好きになれそう』だとは言わない。期待だけを持たせるのは彼女に対して不義理だし、彼女がその言葉を受けて、自分をより良く見せようとする事に固執してしまうかもしれないから。

 俺はアクアレーナには、あくまでこの世界に生きてる一人の女として接して欲しいってそう思うから。


「……格好良い」

 ――――? ……なんか、想像もしてなかった事を言って来られた。


「えっ?」

 思わず出た俺の疑問符にアクアレーナが顔を上げた。なんかめっちゃ惚けたような表情をしてるんだけど……。


「こちらの無理な願いを突っぱねたりせず、フレイラ家のあくまで身勝手に過ぎない話を、私の決して貴方様に誇る事の出来ないエンゲージリンクの話を、それでも最後まで聞いて下さり、かといってただ情に流されるままでも無く、その上でとっても大局を見据えた判断をなされたのだと私、心の底から痛感致しましたわ」

「え、あ、うん……」


 うわ、割と見抜かれてた。大局ってのは大袈裟で、俺はあくまでこの異世界での出来事とも、その中でも彼女との事とも正面から向き合ってみようって思っただけなんだけど、さ。


 あー、えっと……。これってもしかして、さっきまではあくまで親の言い付けでニホン人の俺と結婚しようとしてたっていう状態だったけど、そこからなんか、レベルアップした? 今?


 なんか、さっきまでの心の余裕がまた無くなってきた。でもこれは俺がまだ弱いままだったっていうのとは違う。


 俺の心の強さに触れたアクアレーナの心が、なんか触発されて、俺のとは別のベクトルで強くなったっぽいんだよ!


「分かりました。このアクアレーナ・ユナ・フレイラは、貴方様がご決断なされる時をしっかりとお待ちします」

 わざわざフルネームで意思表示してきたぞ!――まあ、納得はしてくれたみたいでそれは有り難いと思うけどさ……。


「だからそれまでの間は、この屋敷で存分におくつろぎ下さいませ!」

「うんって、ええ!?」

 やばい、これはやばいぞ。早々になんかカウンター技を食らったかもしれない!


「だってこの世界の事をお知りになるのにもきちんとした生活の基盤が有ってこそですし、私の事を知って頂くのも、ここで共に過ごした方がより正確ですものね!」

 アクアレーナは目を爛々らんらんと輝かせてそう告げた。捲し立てられてる感が有って、なんというか必死さが少しも隠せてない。


 この言葉には一切の演出が無い、全部丸ごとガチだ! もしかしてこいつ、俺を同じ屋根の下で暮らさせる事を当たり前みたいに思ってるのか!


 大それてる! 一先ずは俺が花婿様からはランクが下がったのに、体裁としてはただの客人って位にまでなったのに、そういうの抜きにしてもまだ俺を変わらずに信じ切ってるのか!


 えっ、えっ、好きになっちゃったの? 俺を? 俺、まだこの世界にはまだ居るって決めてそれを伝えただけだよ? それまでの会話でもただ普通の事を言ってただけだよ?


 ていうか大体ここまでずっと彼女、俺の腕にしがみ付いたままだからね! 全然距離感を変える気が無いんだっていう事だからね!

 自分の事をより良く見せるっていう考えじゃなく、根っから自分が大事と決めた男に対してはこういう押せ押せな女だったって事なのか!


 …………一途っ!


「あー、そうだ、よね。じゃあ、その、お言葉に甘えさせて貰おうかな、あはは……」

 一応笑顔を作って見せてから、両腕を後ろに引いて彼女の手を退かそうとするけど――。


「遠慮なんてご不用ですよ、レン様!」

 満面の笑みでと引き戻されてしまった。


 変わったのは花婿様って呼び方が、レン様になった位か。


 やれやれ。キミさ、本当に手強いよ。

 アクアレーナのひた向きさに呆れつつ、俺はなんかもう苦笑してしまってた。


 ――第六話 完――

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