第35話 海が大好きなんだ

 感傷に浸りかけた頃、本部より無線が入る。


ーー 救助要請! 中型漁船が波に煽られ転覆の危険あり。乗務員、乗客合わせて十五名。


「15名だって!? 俺たちにも出動要請がくるぞ。みんな、わかってるな」

「はい!」


 無事に勝利のラスト訓練展示が終わり、航空基地へ戻っている時のことだった。突如、無線から通報が入った。勝利たちとは別に、航空基地には二十四時間、出動に備えるヘリコプターと救難チームがいる。何度も出動し、命を救ってきた若手チームだから問題ないはずだ。しかし、十五名という人数は、ヘリコプター一機に対しては多すぎる。


 コーパイの愛美は、航空基地へのアプローチを急ぐため、管制とコンタクトをとる。要請があればすぐに飛べるよう、燃料補給と救護員の装備を積み込まなければならない。


「出動準備に備えろ!」

「はい!」


 着陸後、勝利たちはブリーフィングルームで情報収集をした。すでに五隻の巡視船が現場に向かったらしい。今日はそんなに荒れた天候だっただろうか。勝利たちは考えた。朝のブリーフィングではそんなふうには聞いていない。


 しばらくして司令から指示が入る。


「シロチドリ1号、出動! 2号は燃料補給完了後に再出動する。1号は待機していたチームでそのまま出す。2号では五十嵐も行ってくれるか。それから飛行時間の関係で、保田は飛べない。パイロット交代だ」


 ヘリコプターのパイロットは、一日の飛行時間が決められている。それを超える可能性がある場合は乗務できない。


「パイロットは斎藤、お前が行け」

「はい!」


 航空基地の司令がパイロットを愛美、隊長に勝利を指名した。迷っている暇はない。全員救助するため、時間は無駄に出来ない。救難ヘリコプターをニ機とも出せ、と要請があったということは、それだけ一刻を争うのだ。


「みんな、気持ちを入れ換えろ。全員救助だ!」

「はい!」


 救助に向かった巡視船からの情報によると、漁船は今にも転覆しそうな勢いで、横付けするのは困難だという。それを聞いて勝利は隊員たちに言う。


「巡視船からの救助が難しいなら、吊り上げするしかない。一人ずつ吊り上げて、近くの巡視船か島に下ろす。それの繰り返しだ。スピードを要する作業になるぞ。現場に合流後、最終判断する」

「了解!」


 勝利たちは再びヘリコプターに乗り込んだ。基地を飛び立ってすぐに、詳細を知らされた。漁船は公募で募った夏休み親子釣りツアーだという。なんと、船の客の半分は子供だったのだ。


「半分は子供か……。パニックにならないよう、注意を払えよ」


 そして、今も波が船体に打ち込んでおり、傾き始めているという。そして、現場からの更なる情報によると、乗船客は全員が救命胴衣を着用しているという。


「よし。それだけでもこっちは助かる」

「隊長! 見えてきました。これ、かなりの角度ですよ!」


 先に到着しているシロチドリ一号はすでに、降下準備に入っていた。船は大きく右舷に傾き、その間も波の攻撃を受けていた。わずかなチャンスを逃さずに、潜水士は降下しなければならない。


「1号機の吊り上げが終わったら、すぐに行きます」

「了解」


 海での吊り上げ救助が基本的に多い、航空基地の機動救難士たちは、みな潜水士の資格を持っている。

 先に降りた潜水士が救助者を誘導し、吊り上げワイヤーを装着する。もう一人の潜水士は救護者を抱えるようにして上がる。ヘリコプターに、十五人全てを乗せることは不可能なので、ニ機体制で行う必要があった。

 

「乗せられるだけ乗せて退避したい。小さな子供もいるようだから、彼らを優先して、できるだけ素早く」

「はい!」


 勝利が見守る中、一号機の隊員たちは七名を収容して一旦離脱。いちばん近い島に降ろして、待機している巡視船が保護する作戦になった。


「よし、行くぞ。愛美、左側につけてくれ。もう少し、いいぞそのままキープだ」


 時間が経てば経つほど、船の傾きが大きくなる。いつの間にか空は灰色に染まっていた。

 勝利は降下位置を確認して、先に降りた。船は上から見ていたよりも、揺れが激しい。不安にかられ泣いている子供もいる。次に降下してくる隊員のために、ワイヤーを真っ直ぐに引っ張った。ここに降りてこいと、合図する。

 

 ここからが勝負だ。


「海上保安庁です! 大丈夫ですからね。すぐにヘリコプターまで上がりましょう」


 子供から先にヘリコプターに上げたいが、年齢が低い子供は怖がって親から離れようとしない。しかし、もたもたしている暇はないのだ。


「いいかい? あそこまであっという間だ。このお兄さんが連れて行ってくれる。おじさんは、君が揺れないように、下からワイヤーを持っている。大丈夫だ。がんばろうな」


 うん! と力強く頷いたのは小学校低学年くらいだろうか。釣りツアーというだけあって、男の子の比率が高いようだ。


「よし、君から行くぞ。杉本、頼んだ」

「了解です」


 勝利は揺れる甲板で、躊躇ためらいの少ない子供から順に上げた。そして、引率の大人や親たちに取り掛かった。


「雨が……」


 あと少しと言うときになって、我慢できなくなった空は雨を落とし始めた。早くしないと、今度は体力が奪われる。


「はい、上がりますよ! 上を見てくださいね! 下は見ない!」


 順調にヘリコプターへ収容していく。あと、二人となった。その時、勝利は気づく。七名が収容人数の限界では無いかと。ヘリコプターはなんとか耐えながらホバリングしている。しかし、海も空も到着時とは違い荒れ始めていた。


(一人、溢れるな……ああ、問題ない。俺が残ればいいだけだ)


 そう思い、残り一組の親子を振り返った。


「さあ、君から先に上がろうか。パパはその後すぐに上がるよ」

「イヤだ!」


 ここに来てまさかの拒否だった。


「急がないと船が沈んでしまう。怖くないさ、これを付けるだけだよ」

「ユウジ、言うことを聞きなさい! みんな上で待っているだろ!」


 父親は語気を強めて息子に言い聞かせる。


「イヤだ! 父ちゃんが先に上がって!」

「ユウジ!」


 抵抗する人間を上げるのは困難だ。安全にヘリコプターまで釣り上げるには、隊員に大人しく身を預けてもらわなければならない。


「隊長、どうしますか」


 一刻を争っているのに、このままでは先に上がった人たちも危険に晒されることになる。しかし、親子のやりとは終わらない。


「ユウジくん? どうしてお父さんが先なんだ? 理由があるのか」


 勝利はユウジという少年に、しびれを切らして問いかけた。少年は意志の強そうな瞳で、しっかりとした口調で理由を告げる。


「父ちゃんは、足が悪い。泳げないから先に上げてください!」

「そう、なのか?」


 少年の話を聞いて、勝利は父親の顔を見た。父親はバツが悪そうに頭を下げた。もう、これ以上は待てない。勝利は判断する。


「分かった。ユウジくんはおじさんと最後に上がろう。それで、いいな!」

「いいです!」

「お父さん。時間がありません。息子さんは私が責任持って守ります。先に上がってください。あなたが残るより、ユウジくんが残った方が、万が一でも対応できます」

「しかし!」

「約束します! 必ず無事にお返しします! 早くしないと先に救助された人たちまで、風に煽られて落ちてしまう!」


 父親は、はっと上を見上げた。ホバリングしているヘリコプターは、もう、風に煽られ始めていた。


「すみません! お願いします!」


 なんとか納得した父親に、安全にフックを装着。勝利は片手でワイヤーを引きながら、少年を腕に抱え込んだ。


ーー 父親、収容完了

ーー 了解。あとは、この少年を頼む。俺は、泳いで巡視船まで行く。

ーー 了解。


 そんなやり取りを無線で交わしたときだった。急に大きな波が襲い始めた。


「くっそ、あと少しじゃないか! 頼む、大人しくなってくれ」


 あまりにも船体が揺れ始めたため、救助する隊員が降りてくることができない。勝利は握っていたワイヤーを離した。腕を回して、ワイヤーを引き上げろと合図をする。このまま下から引っ張っていては、ヘリコプターがバランスを崩してしまう恐れがある。それに、風に煽られて、勝利も少年も吹き飛ばされるかもしれないからだ。


ーー 一旦、乗客を降ろしてこい。ここのまま居たら、墜落だそ。

ーー 分かりました! すぐにも取ります。隊長、耐えてください!


 二次災害を避けるため、救助した人々を安全な場所に降ろす必要があった。迷う時間など、どこにもない。


 船が大きく傾き始めた。勝利はユウジという少年を抱えて、傾きの頂きに移動する。


「おじさんを離すなよ」

「はい!」


 少年は力強く、勝利のベルトを掴んでいる。父親を守ろうと、自分を後回しにした心の強い少年に、勝利は目を細めた。


(こいつも、海の男だな)


「ユウジくんみたいな、強い男が残ってくれて助かったよ。もう少しの我慢だからな、気をしっかりもつんだぞ」

「大丈夫です! ボク、海は怖くないから!」

「そうか、すげえな」


 やはり、大した少年だと勝利は思う。海は怖くない。この状況でそう言えるこの子は、将来どんな大人になるのか。勝利はこれまで、他人の子供に興味を持ったことはなかった。きっとそれは、自分も人の親というものになったからだろう。


「海が好きなのか」

「好き!」

「そうか。おじさんも大好きなんだ」

「知ってる!」

「バレてたか」


 ワハハと、笑いながら二人は救助を待った。

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