3.

 座敷には沈黙が流れていた。

 俺は目の前に座して、目を開いたまま瞑想しているように微動だにしない日下くさか凪沙なぎさに声をかける。


「というのが、今までの話なんだが」

「成る程」


 居住まいを正したまま、凪沙は続ける。


「布施蓉子、でしたか。その情報員と話した内容まで入れることが果たして必要だったのかどうだったのかは疑問というところですが」

「ところがな、今回の場合そこが、そここそが省くことができないところだったんだよ」


 俺はため息混じりに凪沙に応じる。


「そう申されますと」

「実は今回関わっている、神退治の件。内情にその高校の生徒が関わっているらしいんだ」


 この屋敷には俺は現在追っている出来事……、現象の報告であり救援の依頼という形で訪れた。

 つまり全く不甲斐ない話ではあるが一人で動くのは無理だと匙を投げたわけである。

 俺は説明を続ける。


「町外れにある、沼地にある祠にある神。そこに祈ればどんな願いでも叶えてくれるという話が街中、特にその沼地に近しい布施が滞在している高校に流れているらしい」

「はい。……そこまでは調書で目を通しました」

「ああ。ここからが重要なところなんだが。もちろん願いを叶えるということはただ願って終わりではない。そこには常に代償が伴うんだ。ものをなくすぐらいならまだいいが、すでに失踪者も出ていることが今回の調査でわかった」

「はい。それで裏の三家からも……、中でも表の世界に影響力の強い綾瀬からも神退治の助力を要請すると。話をまとめればこういうことになるのでしょうか」


 さすがは話が早い。

 俺は胡座をかいた姿勢のまま頷く。

 話には直接関わりのないことだが、俺の今日の服装は黒の着流し、つまりこのところ普段は着ない和服だ。

 人の世を渡っていくのにつれてスタイルの変化にも気を配っている俺は普段は洋装なのだが、武家屋敷風の由緒正しき(というべきなのか)日本家屋に足を踏み入れるにあたってさすがに場にそぐわないだろうと正装を選んで着たというわけだ。

 まあ和服は和服で動きやすいのだが、表を移動するに当たってじゃっかん都合が悪いというのはある。一挙一動が注目の的になってしまうというか。

 対して目の前に座る綾瀬のお膝元である日下家当主、日下凪沙の格好は奇天烈だった。

 白のTシャツに下はジーンズ、とここで区切れば現在の若者風なのだが上半身にだけ家紋の入った羽織を身にまとって膝元に届きそうな長い髪は侍のように頭で一つに結わえて、後ろに流している。

 こいつにはこいつなりの矜持きょうじがあると思うのだがミスマッチ感が否めない。


「赤江さん」

「ああ」


 真っ直ぐな姿勢を保ったまま、瞳は剣の切っ先のように俺を射抜く。


「この件については了承しました。準備が出来次第、こちらの手の者を現地に派遣させます」


 やけにあっさりした承諾の意思表示に俺は拍子抜けした。


「そいつは有難い。礼を言ったほうがいいか」

「いえ、もともとこちらの管轄かんかつで起こったことですので。今はまだ動くか決めあぐねていたところをご報告いただいたという形になります。注告、痛み入ります」


 お役所仕事というのではないが、このような真面目なやりとりはどうも苦手だ。

 俺は話題を変えてみることにした。


「時に、日下凪沙」

「なんでしょう」

「幸せっていうのはなんだと思う」


 俺が問うと意外であるというように、日下凪沙は眉をひそめた。


「幸せ、ですか」


 この場に持ってくるような質問じゃないだろう。

 だが、このところ何かとその問いを耳にするためか、この泰然自若、謹厳実直を体現しているような娘にも聞いてみたくなった。

 幸福とはなんなのか。


「私にとって幸せとは、懸け替えのないものですね」

「懸け替えの、ないもの」


 俺はその言葉を繰り返す。


「ええ。何かと引き換えに差し出すことなんてできない。苦しくても悲しくても、差し出すというならそれ自体が間違っている」


 日下凪沙は白い細い手に血管が浮き出るほど力を込めて、自分の傍に置いてある刀の鞘を握った。


「俺には他人の幸福を守り通すということに聞こえるんだがな。それで自分はどうなる」

「他者が幸せに思う姿が自分の喜びと考えるべき、いえそう思える瞬間が確かにあると思うのです」


 言葉を飲み込んだが、表情が告げている。

 あなたには、わからないかもしれませんが。

 そう俺には言おうとしただろう。

 その時、不意に頭痛がした。

 鬼である身の俺のことだ。それは肉体的というよりは、精神的。

 頭の中の記憶にノイズが走った瞬間だった。

 花。あたりを埋め尽くすほどの花畑。

 小さな手。走り去る小さな背中。

 桜貝のように小さなその唇が言葉を紡ぐ。

 たどたどしく、だがしっかりと。

 待ってる。

 ずっと、待ってるから。


「どうかしましたか」


 その一瞬の白昼夢のような幻影はその声に遮られる。

 俺が我に帰ると、こちらを真っ直ぐに見続ける自然と目があった。


「いや、なんでもない」

「それならいいですが」


 そう言っている間も俺とあちら、二者間の緊張は絶えない。

 この場所に俺は本来いるべきではないのだ。

 鬼と、陰陽師の末裔まつえい

 戦争でもしたくなければ。


「では最後に聞きましょう。あなたはなぜわざわざこの屋敷に訪れたのですか」

「言っただろう。今回の件は俺一人の手に余るからだ」

「それはもう聞きました」

「ならば、言い返そう。俺の専門は破壊だ。怪異という化け物を依頼を受け木っ端微塵に破壊すること。そこに人を守ることは入っていない」


 俺は真っ直ぐに見つめる瞳に視線を返す。


「高校のガキたちに何か起こってほしくないなら、力を貸しやがれ。そちらが怪異を隠匿し、人の世に立つ身ならば。俺がそちらに言いたいことはそういうことだ」

「あいわかりました。それでは、話はこれで終わりですね」


 そう言って凪沙は傍の刀を腰に差すと、立ち上がる。


「ではご注告をいただいた返しとは言ってはなんですがこちらからもお言葉を」


 そう言って凪沙は声を潜める。


「まず一つ、この屋敷は今、綾瀬と里見さとみの息がかかった従者がたくさんいます。ないとは思いますが、あなたが私に襲いかからないよう一挙一動を伺っていますの努努お忘れなきよう。次に、三家の中でも江崎えざきは、この日の本の平安を守るという大義は同じであるといえども専門が違いますし、あちらは一族以外のものの干渉を基本受け入れません。なので、この件に関する助力を受け付けられる期待はありませんね」

「わかったよ。それで十分だ。ありがとうな」


 そう言って俺も彼岸、火鉈二つの刀を持って立ち上がる。

 この二つの刀が「鳴いて」いないことからみてもここに危険がないとみていいだろう。

 なんだろう。

 会談が終わって気が抜けたのか、眠気がぶり返してきた。

 それを悟られぬよう、さっさと部屋を出ようとした俺の背後に声がかかる。


「ああ、それと」

「なんだ」


 凪沙の声から飛び出したのは俺も予想だにしていなかった意外な言葉だった。


「あなたのことを会談が終わった後、表で待っている者がいるので声をかけるように、と従者が報告していました。なんでも里見家従属の者だと」


 俺は首をひねる。

 自殺願望でもあるならともかく、俺は必要以上にこの怪異退治が専門の集団にわざわざ知り合いを作ってはいない。

 全く心当たりはないがとりあえず、行ってみることにした。


「玄関を表に出ると桜の木がありますので、その下あたりだと」

「わかった。行ってみるよ」


 襖を開いて、部屋を出る。

 廊下に出る前、なんとはなしに掛け軸にかかった言葉が目に入った。

『滅私奉公』

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鬼神伝 錦木 @book2017

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