8.

「遅かったな。死んだかと思ったが」


 俺が先ほどの場所に戻っていくと地獄の主は拍子抜けするほど簡単に見つかった。

 というか先ほどの場所から動いてなかった。まるで俺が戻ってくると予想していたように。


「元の世界に戻る手がかりは今のところお前しかないからな。きっちり吐かしてやる」 


 傲岸に俺はそう言う。


「それほど元の世界に未練があったか」

「あちらには知り合いもいることだしな。それにこんな荒野じゃ刀の稽古も出来やしない」


 俺がそう言うと主は沈黙した。


「返して貰うぜ。彼岸と火鉈を」

「お前にその資格があれば返還しよう」


 主は意味深にそう言った。


「時に、お前は地獄がどんな場所だと考える」


 また禅問答か。


「ここが地獄じゃないのか」

「それ一つの答えやもしれん。だが、的を射てはいない」


 見よ、と主が指差す。

 その先には真っ赤な水たまりがあった。

 俺は妙な仕掛けがないか警戒しながらも中を覗き込んでみる。

 中を目にして、驚いた。

 そこにはあらゆる時間の俺が無声映画のフィルムを出鱈目でたらめに再生したように次々に映し出されては消えていった。

 正直酔いそうだが俺は目を逸らさない。逸らせない。

 見たことがある陰陽師との決闘や怪異との戦闘の場面もあれば、見たことがないものもある。それはおそらく未来だろう。


「過去も未来も現在もなく」


 不意に主の声が辺りに木霊した。


「混じり合い浸食し合って永遠に続いていく場所」


一瞬の沈黙。


「それが、地獄」


  その言葉と同時にニュッと毛だらけの赤い腕が水たまりから出てきて俺を引き連りこもうとした。

 しかし、回復済みの俺は逆にそれを掴んで引き上げると水たまりの外に放り投げる。

 鈴なりになって何匹も釣り上がったそれはちょうどお伽噺の絵本で出てくるような赤鬼だった。

 牙を剥き出しにしてこちらを威嚇しながら唸っている。そして一気に距離を詰めたかと思うと俺に噛みついてきた。

  首、腕、足。あらゆる所から噴水のように鮮血が吹き出す。

 痛みがないと言えば嘘になるが俺の心は凪いでいる。一匹一匹引っぺがしながら俺は独りごちた。


「下らんな」


 本当に、下らない。こんなもので俺をやった気でいるならそれは大いなる間違いというものだ。


「彼岸!火鉈!」


 俺は叫ぶ。


「どこにいるかは知らんがそこらへんで見ているんだろう。今までのことは俺が悪かった!謝ろう!」


 見えない二人に向かって鬼たちを振り払いながら頭を下げる。


「俺も不死身とはいえ、不滅ではない。いつ滅ぶかも分からん身だ。このところは平和すぎてそれを忘れ、無為に時間を過ごしてきた。……お前たちを気遣い、使ってやる機会も作らなかった。だが、頼りない主とは二度と言わせん。俺の元に戻れ、彼岸に火鉈。また俺に力を貸してくれ!俺に付き従え!」


 次の瞬間俺の手には二振りの刀があった。

 彼岸に火鉈。

 身体を移動する反動を使い鬼を両断すると、予想通りそれらは大気に霧散していく。俺の手足には傷一つ付いていない。


「お前は幻だ」


 刀を払って血振りする。

 結局地獄というのは自分の中にしか存在していないのかもしれない。

『過去』も『未来』も実体はない。俺の中にある幻でしかないのだ。

 今ここにあるのはまさに『現在いま』しかない。

 俺はそれを知っているし、誰も彼もそれには気付いているのだ。ただそれに支配されるか否かで。

 俺は二本を鞘に戻した。


「目的も果たしたし俺は帰るよ。戻してくれるんだろ?」


 絡繰からくりの分かった仕掛けは終いだ。

 主は俺の言葉に鷹揚に頷いた(気配で分かるだけだが)。


努々ゆめゆめ自分が手にしているものを忘れるな。ここが出口だ。通るといい」


 霧から腕だけが覗いて地を撫でる仕草をすると水たまりの水が蒸発し、下に穴があるのが分かった。

 そんなところに出口があったのか。まさに何でもありだな。


「じゃあな」


 俺がその穴に飛び込もうとすると含み笑いのような声で主が言った。


「最後に一つ」


 何だよまだ何かあんのか。


「お前の生きている日々はそれなりに充実しているだろうが、私の生きている日々はより楽しいよ」


 今度は俺がポカンとする番だったがその意を得て頷いた。

 なるほどな。

 こいつもユーモアが分かる奴だったって事だ。


「邪魔したな。また会おう」


 俺はそれだけ言うと穴に飛び込んだ。

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