第二章 文学少女の悩みゴト 6


 ほどなくして本屋さんに辿り着く。この辺りでは一番大きな書店だ。広い店内には本棚が立ち並び、カウンター内では店員さんが忙しそうに作業をしている。本屋さんの匂いが鼻に届いた。

 瀬尾せお先輩は顔を輝かせると、小説のコーナーに歩き出そうとする。


「ちょっと待って未咲みさき先輩。先に目的の雑誌コーナーに行きましょう」


 行動を読んでいたのか、瀬尾先輩の手を掴む灯里あかりちゃん。彼女ははっとすると、「そ、そうでしたね。すみません」とはにかんだ。顔がよく見えるようになったので、そういった表情がとても煌びやかに見える。


 雑誌コーナーは探さずともすぐにわかった。様々な雑誌が並んでいて、何人ものお客さんが立ち読みをしている。混雑していた。まぁ雑誌を選ぶだけなら問題ないだろう。


 ただ、そちらに足を運ぼうとして、瀬尾先輩が固まっていることに気が付く。浮かない表情で雑誌コーナーを見つめていた。


「未咲先輩?」


 灯里ちゃんが彼女の顔を覗き込むと、そこで我に返った。「す、すみません。何でもないです……」とぱたぱた手を振る。しかし、顔色が良くない。さっきまで楽しそうだったのに。


「大丈夫ですか? ちょっと休みます?」


「い、いえ、本当に大丈夫なんです……。ちょっと嫌なことを思い出しただけで……」


 俯いて、ぼそぼそと呟く。嫌なこと。何か連想するものがあったんだろうか。灯里ちゃんと顔を見合わてしまう。


 僕たちが心配しているのが伝わったのか、彼女は慌てて「あ、あ、そんな大層なものじゃないんです」と再び手をぱたぱた振る。


「な、なんというか、ただ、ちょっと、わたしは華やかな人が苦手でして……、怖い、というか、近付くとなると身が竦むというか……」


 華やか。雑誌コーナーに視線を戻すと、瀬尾先輩が言いたいことがわかった。僕たちが見たい、若者向けの雑誌やレジャー雑誌の前に人がいる。何人か立ち読みをしている。女子高生ばかりだ。

 スカートは短く、アクセサリーを身に着け、中には髪を染めている人もいる。当然のように化粧をしていた。華やか、というよりは派手、と称する方が正しい。もしくはギャルっぽい、だろうか。大人しい瀬尾先輩とは真逆だけど、足を止めるほど苦手なんだろうか。


 瀬尾先輩はたどたどしく答えた。


「その……、わたし、中学のとき華やかな方たちに、イジメまではいかないんですけど、ちょっかいを掛けられていた時期がありまして……。わたし、暗くて本ばかり読んでいますから……。『地味子』っていうあだ名をつけられて……、それから、ちょっと苦手意識が……」


「……なにそれ。許せないなぁ」


 灯里ちゃんが静かに怒りを表す。それを聞いて、瀬尾先輩はわずかに表情を緩めた。

 まぁそういった事情なら、彼女が足を止めてしまったのも仕方がない。気持ちもわかる。僕も派手な人はあまり得意ではない。男女問わず、どこか怖いと思ってしまう。


 視線を雑誌コーナーに戻すと、目立つ人が目に入った。

 桃東高校のセーラー服だけど、スカートはかなり短く、際どいラインまで見えている。化粧も施していた。うちは化粧禁止なのでそれほど派手にはしていないが、要所要所にアクセントをつけている。雑誌を読む目は鋭かった。別に雑誌が憎いわけではなく、単に目つきが悪いのだろう。つまらなそうに雑誌をめくるギャルが入った子。あんな感じの子がうちのクラスにもいる。結構怖い。


 ……というより、まさしくそのクラスメイトだった。森園麻里亜まりあさん。彼女はひとりで雑誌を立ち読みしていた。


「あれ。麻里亜じゃない」


 灯里ちゃんも気が付いたらしい。よし、と息を吐くと、彼女は瀬尾先輩に向き直る。


「未咲先輩。じゃあここはわたしが見ておきますんで、先輩は小説でも覗いてきてください」


「え、あ、でも、悪いですし……」


「いいからいいから。きぃくん、未咲先輩を連れて行っちゃって」


 瀬尾先輩の背中をずいずいと押す。瀬尾先輩はなおも戸惑っていたが、大人しく雑誌コーナーから離れた。灯里ちゃんは満足そうに踵を返す。


 僕たちが小説のコーナーに足を向けたとき、「まーりあっ」「ひぃ!」というやり取りと、小気味いいビンタの音がしたが、聞こえないふりをしておく。


 小説コーナーに人の姿はなかった。新刊がたくさん積まれている。瀬尾先輩が早速本のチェックをし始めた。


 瀬尾先輩は真面目な表情で、積まれた新刊を眺めていた。姿勢がすっかり猫背に戻っている。じっくり表紙を眺め、時折手に取って中身を覗く。あっという間に夢中だ。そんな文学少女の姿が愛らしく、横から見ていて楽しめるくらいだった。


 しかし、彼女の動きがぴたりと止まる。「え……」と声を上げた。信じられない、と目を見開く。彼女の目は一冊の本に向かっていた。恐る恐る手に取り、それを穴が開くほどじぃっと見つめている。


「ど、どうしたんですか、瀬尾先輩」


 ただならぬ様子の先輩に声を掛けると、彼女はバッと勢い良くこちらを見た。そして、持っている本を僕にぐっと寄せてくる。近い。これでは本の表紙が見えない。そのうえ、早口で言葉を並べ立てた。


「こ、こここここ、この本! 七森詩音の新作なんです! あ、あの、七森詩音というのはわたしの好きな、大好きな作家さんでしてっ! すごく面白いんです!

 で、でび、でびー、デビュー作から続いている闇医者シリーズは、ほんとに傑作で! 一癖も二癖もある登場人物に素晴らしいストーリーライン、必ず驚かせてくれるギミックにはもう、尊敬の言葉しかありません……!

 あ、そ、それで、この本は闇医者シリーズの新作でして、ずっと楽しみにしていたんです! 読む本ぜんぶを買っていたらお小遣いがなくなっちゃうので、手元に置いておきたい本しか普段は買わないんですけど、これだけは別で! 特別で! 別格で! 七森詩音だけは必ず買うことにしているんです!

 本当に素晴らしい作家なんですよ! そうなんです、今日が発売日だということを完全に失念していました!」


 瀬尾先輩は怒涛の勢いで情報を叩きつけてくる。異様なまでの熱量と早口で畳みかける。子供のように目を輝かせながら、本をぐいぐいと僕に押し付けた。顔も近い。言葉を挟む隙もなく、ただただ話を聞くことしかできなかった。周りに人がいなくて助かった。


 結局のところ、「いつの間にか欲しい本が発売していた」という話だ。喜ぶのはわかるものの、感情のふり幅が半端ではない。七森詩音という作家が本当に好きなんだろう。


 作家への愛を僕に説くことを終えた彼女は、幸せそうに本を胸に抱き、「あぁ、山吹さんが眼鏡を壊してくれてよかった……、青葉あおばくんが本屋に行きたいって言ってくれてよかった……」と呟く。そんなにか。


 愛の深さを感じていると、「あ、いたいた。いい感じの雑誌あったわよ」と灯里ちゃんが近付いてくる。


「ん。なに、どうしちゃったの未咲先輩。ご機嫌だけど」


「あぁ……、好きな作家さんの新作があったんだって。それで……」


 話しながら灯里ちゃんに目を向けて、ぎょっとした。世界一かわいい顔に驚いたのではない。彼女の頬にくっきり手形がついていたのだ。赤くなっている。


 さっきのビンタだな、とすぐに見当がついた。懲りない灯里ちゃんが悪いんだろうけど、森園さんも随分と容赦がない。


「すごいね、ビンタの痕」


「ん? ビンタ? なに、何のことかしら? わたしぜんぜんわからない」


 彼女はぷるぷると首を振って、目を合わせようとしない。いや、無理だろ。ごまかすには証拠残りすぎだろ。


「そ、それよりほら! 雑誌! 未咲先輩にこれでいいか決めてもらわないといけないから!」


 彼女は僕の会話を慌てて打ち切り、雑誌を持ち上げる。目を離した隙にその場で読み始めた未咲先輩に、灯里ちゃんは声を掛けた。そして、すぐに「ど、どうしたんですか、その頬」と驚かれていた。





 本屋のあと、ほかのお店を回ったり遊んでいるうちに、すっかり暗くなっていた。はしゃぎすぎた。電車から見える風景は、すっかり夜のものだ。流れる景色を眺めるうちに、電車が学校の最寄り駅に着く。僕は一足先に降りなくてはいけない。自転車が駅に置きっぱなしだからだ。


 瀬尾先輩は僕らと住んでいる場所も近いらしく、このまま同じ方向に乗っていく。


 ふたりに別れを告げて、僕はひとり電車から降りた。朝は学生がたくさん降りるが、夜の時分では僕だけだった。とぼとぼと改札を抜け、自転車置き場へ。

 自分の自転車の鍵を外し、跨る。鞄をカゴに放り込み、さぁ出発、と足に力を入れたときだった。


 ぐっと自転車が重くなる。普段通りにこげない。まるで、何かが乗っているような……、とそこで僕は振り返った。


 荷台を跨ぎ、前向きに座るセーラー服の女の子がいた。夜だというのに、その輝きは決して鈍ることがない。電車に乗っているはずの灯里ちゃんだ。僕と目が合うと悪戯っぽく、にひ、と笑いかけてくる。


「……どうしたの、灯里ちゃん。なんで降りてきたの?」


「うん。未咲先輩とは存分に二人乗りを楽しんだし、きぃくんも未咲先輩と二人乗りしてたけど。わたしときぃくんはしてないなって。だから、送ってって?」


 人差し指を顎に当て、理屈に合わない話をする灯里ちゃん。送ってって、と微笑む彼女は実に眩しかった。かわいい。世界一かわいい。顔が熱くなる。


 いや、だって。あの灯里ちゃんが僕と二人乗りしたいからって、わざわざ電車から降りてきたのだ。絶対電車で帰る方が楽なのに。その事実が胸の中で膨らんでしまう。そわそわする。ハンドルを握る手にも力が入ってしまうというものだ。


「こ、ここから二人乗りは結構大変なんだけどな」


 ごまかすためにそんなことを言いながら、彼女から鞄を受け取る。それをカゴに詰めていると、「またまたぁ。きぃくんだって嬉しいでしょ? 嫌だったら戻るよ?」と笑いながら腰付近を叩いてくる。


 見抜かれている……。本当に降りられても嫌なので、僕は自転車をこぎ始めた。普段よりペダルは重いけど、女子の体重だ。細い灯里ちゃんが乗っているだけ。大したことはなく、速度が出ればいつも通りだった。


 外は暗いし、人通りも少ないので、二人乗りを見咎められることもないだろう。


 灯里ちゃんは荷台を両手で掴んで、身体を安定させているようだ。瀬尾先輩がやろうとして失敗したやつ。

 言うまでもなく、腰に抱き着いてくれた方が嬉しいけど、さすがにそこまでは望めない。世界一かわいい灯里ちゃんとの二人乗り。これだけで満足すべき幸福だ。


 僕がそれを噛みしめていると、灯里ちゃんが話しかけてくる。


「ねぇきぃくん。未咲先輩の眼鏡を壊しちゃったのはわたしのせいだし、ふざけたのはよくないことだったって反省しているの。だから、これは一度だけしか言わないから、よく聞いてね」


「…………?」


 妙な前置きをする。

 あの一件に思うことがあるのだろうか。彼女の言いたいことがイマイチわからず、だからこそ、次の言葉を全く予想せずに受けてしまった。


 彼女は僕の耳元に口を寄せ、そっとこう言ったのだ。


「未咲先輩のおっぱいね、あれほんとすっごいわよ」


「――――――」


 ハンドルが大きくブレる。ぐらぐらと車体が揺れる。動揺が凄まじい。頭の中で色んなことが思い浮かんで、その分、身体がおかしな動きになる。不安定な運転になっているのに、灯里ちゃんは楽しそうにけらけらと笑っていた。


「き、急に変なこと言うのやめてくれない?」


「いやね、きっときぃくんも知りたいと思ってさー……。しかし、あれね。きぃくんったら、随分と未咲先輩にデレデレしちゃってまぁ」


 ぽんぽんと背中を叩きながら、灯里ちゃんは見過ごせないことを言う。


「いやいや、デレデレしているのは灯里ちゃんの方でしょ……。僕はそんなことないよ」


「そうかしら。そういう割には、未咲先輩にすごくやさしいように見えるけど?」


 灯里ちゃんは僕の背中をすりすりと手で擦りながら、穏やかな口調で言う。そうだろうか。あまり自分では意識してないけど、傍からはそう見えるのか。しかし、それ自体は悪いことではないだろう。やさしいのはいいことだ。


 僕はそれより、さっきから灯里ちゃんがやたらとスキンシップが多いことに意識がいく。少し触れるだけで、人をここまでドキドキさせるっていう自覚はあるんだろうか。


「やっぱあれかね。男の子としては、胸の大きい人は魅力的なのかね」


 今度は指をぐりぐり押し付けながら、灯里ちゃんはぼそりと尋ねる。いやまぁ、魅力的ではあるけれど。


「前も言ったけど、胸の好みは千差万別だから……。それに、好みのサイズだからってそれだけで好きになるわけじゃないし」


「ふうん」


 気のない返事をされてしまう。まぁ好みの話をするなら僕はバランスタイプだから、瀬尾先輩はドンピシャリではあるのだけど。何せ、あの人は背が高い。僕とあまり変わらない。あの背丈で大きなバストっていうのは、バランスとしては非常に綺麗だ。間違いなく魅力的だ。


 もちろん、そんな話をするつもりないけど。


「まったく。世界一かわいいこのわたしが、嫉妬させられちゃうなんてね――」


「…………。そ、それは、どっちに嫉妬しているの?」


「どっちだと思う?」


 ふふ、と彼女はようやく笑った。嬉しそうに足をばたつかせ、「ほら、しゃきしゃき走れーい」と僕の背中を叩く。彼女にはドキドキさせられっぱなしだ。

 もう続きは言ってあげない、と言わんばかりのはしゃぎ方。それは困る。困ってしまう。こんなにももやっとさせられるなら、答えを言って欲しい。僕は意を決して、答えを聞き出そうとした。

 が、そのときである。


「くちゅんっ」


 そんなかわいいくしゃみが聞こえたのは。

「「あ」」


 声が同時に漏れる。くしゃみ。以前、小春こはるが言っていた。灯里ちゃんがくしゃみをしたとき、〝不干渉の呪い〟が目を覚ます。彼女は物に触れられなくなる。干渉できなくなる。僕が慌てて振り返ると、彼女の頬にあのマークが浮かび上がった。ハートマークと手を突き出すようなマーク。


 そして、灯里ちゃんがバランスを崩す。彼女の指が荷台からすり抜け、放り出されそうになる。無我夢中で彼女は手を前に突き出した。僕の肩を掴むと、慌てて身体を引き寄せる。


 まるで、瀬尾先輩との二人乗りの再現だ。灯里ちゃんは勢い余り、僕の背中にべったりと密着する。ぐむ、と声を上げたのは、彼女か僕か。


 灯里ちゃんが背中に張り付くと、身体のやわらかさがダイレクトに伝わる。体温が移る。女の子らしい、華奢な身体つきが背中を覆った。

 そして、しっかりと胸の感触も感じてしまう。心臓がバクバクと鼓動する。頭が上手く回らない。身体だけが正直に反応していて、頭が沸騰しそうだ。この状況でよく運転が続行できたと思う。


「……あー……、えっと……、ごめん、きぃくん……」


 彼女は僕に身体を預けたまま、囁くような声で言った。


「いや、あの……、うん。わかってるから。しっかり掴まってて」


 僕が答えると、灯里ちゃんは僕の腰に腕を回した。彼女は今、物に触れられない。干渉できない。荷台を掴めず、僕で身体を支えるしかない。


 それはわかるのだが、彼女の腕の回し方が、思った以上にしっかりしていた。ぎゅうっと僕の身体を挟み、しがみついている。僕の首元に顔を埋めている。密着だ。ここまで抱きつくようにされてしまうと……。いいんだろうか……。彼女は何も言わない。


「きぃくん」


「な、なに?」


「未咲先輩と比べられても困る」


「比べてないって……」

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