第四章 心に最後に残るモノ 4


 走った。


 走った。


 走るなと言われているろうはしけ、階段を何段も飛ばし、転がりそうになりながら、ぶつかりそうになりながら、みっともなく走っていく。下校時間を過ぎていてよかった。人には見られたくない、あまりにも格好悪い姿だろうから。


 くつえ、学校のしきないを勢い良くける。外は日が落ちかけていて、すでに夜の色に染まり始めていた。グラウンドにも生徒はいない。ずいぶん話し込んでいたことがわかる。

 突然走り出したせいで早くも足がつりかけていたが、歯をいしばって地面をみしめた。


 校門にかったところで、あかちゃんの後ろ姿が見えた。とぼとぼとひとりで歩いている。長いかみが背中をおおっているが、落としたかたかくせない。

 下校だというのに手にはかばんはなく、そしてそれはぼくも同じだということを思い出した。


やまぶきさんッ!」


 彼女の姿を見つけて、ぼくは名前をさけぶ。思い切りさけぶ。すると、彼女ははっとした様子でかえった。そのしゆんかんである。あかちゃんはすぐさまぼくに背を向けて、全力で走り出したのだ。


「──うそぉッ!」


 まんしんしていた。ぼくは彼女を追いかければ、話を聞いてくれると思っていた。まさか、こうまできよぜつされるとは。フラれた男子でもここまでではあるまい。いつしゆん心が折れかけたけれど、ここであきらめては前と同じだ。


 ぼくは足によりいっそう力を込めて、彼女の背中を追いかけた。


「待って、やまぶきさん! 話を聞いて!」


「聞くような話なんかないわよッ!」


 走る背中に声を張り上げる。制服にローファーだというのに、彼女は全力で走っていく。かえりもせず、彼女もまた声を張り上げながら。始まった夜の中を、あかちゃんはかみとスカートをらしながら、けていく。


 校門をければ、その先は住宅街。坂道になっていて、そこを下ると駅がある。下り坂の力を借りて、彼女はぐんぐん速度を上げていった。転ぶんじゃないか、という心配をねのけるように、見事なフォームで地面をっていく。


「なんでげるのさッ!」


「あなたが追いかけるからでしょう!?」


 もうめちゃくちゃだ。頭に血が上った彼女はぼくの話なんて聞くつもりはなく、このままげて行ってしまうつもりのようだ。


「くっそ、速いッ! やまぶきさん……ッ!」


 男の意地でつかまえたいところだけど、彼女の勢いは留まることを知らない。速すぎる。

 ぼくだって、運動神経は悪い方じゃないというのに、どれだけ必死に走っても追いつける気配がない。


 あぁそういえば、あかちゃんって美容と健康のために毎朝走ってるんだっけ……?


 はなれていくわけじゃないけれど、一定のきよが開いてしまって縮まらない。追いつけない。前までのぼくたちのきよのように、そこにずっと居座っている。それが腹立たしい。追いつかせるつもりなど、毛頭ないようで。


 ぼくはぐっと手に力を込めて、口を開いた。


やまぶきさん……、やまぶ……、あかちゃんッ! ぼくは君に伝えなくちゃいけないことがある!」


 止まってくれないならそれでいい。話を聞くつもりがないならそれでいい。それならぼくは、ただ自分の言の葉を彼女にぶつけるだけだ。


 今まであかちゃんにんだ人たちがそうしてきたように。


「君は世界一かわいくて、みんなにも好かれていて、どこからどう見ても特別な人間だ! でもぼくはそうじゃない、どう見てもへいぼんな人間なんだ!

 だから、君からはなれようとした! 特別な人である君が、ぼくなんかといっしょにいたら、何だか君の価値が下がってしまうような気がして、それがこわかったんだ!

 ぼくが子供のころはなれたのも、それが理由! それ以外に理由はないし、ぼくはいつでも君の力になりたいと思ってる! たとえ君がぼくきよぜつしようとも、だいきらいになったとしても、そこだけは絶対だ! ぼくは君を、絶対に助けるッ!」


 全力しつそうしながらのきようせいつらいものがあったが、それでもぼくは続ける。

 言う言葉を決めていたわけでもないのに、ぼくの口からはどんどん言葉があふれていた。本音というのはこういうものなのだろうか。


 無責任ながらも力強く、ぼくぼく自身の言葉を彼女にぶつけていた。


 しかし、それが届くかはまた別問題だ。彼女は、走りながら、「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい……ッ!」とうめくように言いながらいてもくれない。


あかちゃん……ッ!」


 彼女は構わずはしけていく。

 そして、駅が見えてきたところで彼女は制服から定期を取り出した。あのまま電車に乗るつもりだ。ひどいぐうぜんもあるもので、今まさに電車が駅に向かってきている。


 このまま改札を通れば、彼女はあの電車に乗ってしまうだろう。そうなるとまずい。ぼくは定期もさいも学校のかばんの中で、追いかけようがない。改札をけられたら、追いかけることができない。


 それはダメだ。今、今日という日をのがしたら、もう二度と彼女といっしょにいられなくなってしまう。そう確信めいた思いがあった。それは絶対にいやだ。絶対に、絶対にいやだ!


あかちゃん! ぼくは、君がこの世で一番、一番大切な人なんだ! だれよりも何よりも、どんなものよりも! ぼくは君のことが大切なんだ! だから、話を聞いてくれ──ッ!」


 大声でさけぶ。身をがしそうなほどにずかしい言葉を、ぜんしんぜんれいさけんだ。こんなにも大きな声を出したのは、こんなにもたましいを乗せて声を出したのは、生まれて初めてだった。


「……ッ!」


 あかちゃんは顔をせて、何事かつぶやいていた。速度をゆるめることなく、しばらく目をせていたけれど、「そんなの、信用できるわけがないでしょう……ッ!」とふるえる声で言ったのが聞こえた。


 彼女は定期を持ったまま、改札へ走っていく。あと数秒もすれば駅の構内へ入っていく。未だきよの差は縮まらず、彼女の手をつかむことはできない。

 遠くから手をばしても、むなしく空を切るだけだ。なんてことだろう。どれだけ声を張り上げても、ぼくの声は彼女に届かないのだろうか。


 歯をいしばる。くやしさで頭がおかしくなりそうだ。


 思い切りこぶしにぎりながら、それでも最後まであきらめない。さらに足に力を込める。そこで風を感じた。

 力強い突風が、ぼくたちの間をけていく。そしてそれに乗って、何かが飛んできたのが見えた。


「……! 桜……?」


 桜の花びらが一枚、ぼくの方へんでくる、鼻をかすめたかと思うと、そのまま後方へ飛んでいった。むずがゆさが鼻をおそう。まるでくすぐられたかのようで、もう少しでくしゃみが出そうになった。


 その動きも不思議だったが、ここに桜の花びらがあるのもおかしな話だ。とっくに桜は散っている。ずいぶん前にだ。いまさら、地面に桜の花びらが残っていたとも思えないのだが……。


「はっくちゅ!」


 そのときだった。


 ぼくが花びらに気を取られている間に、前を走っていた彼女の足が止まっている。先ほどのくしゃみが聞こえたのも彼女から。そのくしゃみのすぐあとに、何かが地面に落ちる音がした。


 あかちゃんの通学定期。


 彼女は一度かえり、あたふたとあわてた様子を見せたあと、再びそうとしたけれど、結局その場で足を止めてしまった。ぼくに背中を向けながら、うつむいてしまっている。


 トリガーであるくしゃみをしてしまった。彼女のほおには、あのかんしようのマークがかびがっている。物にれることができないのだ。当然、ひとりで電車に乗ることもできない。


あかちゃん……」


 ぼくは定期を拾い上げて、彼女のそばへ歩み寄っていく。すぐそばで電車の発車ベルがひびき、電車が走っていく姿が視界のはしに映っていた。


「特別って何よ……、へいぼんって何よ……」


 あかちゃんはぼくに背中を向けながら、なみだごえでそうつぶやいている。ぼくが彼女の名を呼ぶと、あかちゃんは両手をぎゅっとにぎりしめて、ぼくの方へかえった。

 

 そのひとみにはなみだかんでいる。くやしそうな表情をかべて、彼女は感情のままに口を開いた。


「わたしの価値が下がるってなに!? あなたといっしょにいたら、それで価値が下がるって!? そんなの、そんなのってないわよッ! わたしは確かに特別だけれど、特別であると思っているけど! わたしの価値はわたしが決めるわよッ! そんなうそみたいな思い込みで、わたしとあなたははなれなきゃいけなかったの……? あなただって……、わたしにとっては、特別なのに……ッ!」


 彼女はくちびるめる。

 ひとみから小さなしずくが落ちていき、かんしようのマークを通ってあごへ伝っていく。

 ぐっと、彼女が声をまらせた。一度だけ息を吸ったかと思うと、いやいやをするようにして自分の両手を胸へ持っていく。


 たんせいな顔立ちがゆがむ。ぽろぽろと両目からはなみだあふしていき、口からは必至で止めようとしているえつれていた。


「わたしは……、わたしは。そんなわけのわからない周りの目なんか気にしないで、きぃくんがそばにいてくれれば……、いっしょにいてくれれば、それでよかったのに……!」


あかちゃん……」


 あかちゃんは声をまらせながら泣いていた。それが昔の彼女の姿に重なる。子供のように泣いている姿を見るのは、身体が大きくなってからは初めてだった。そんなふうにさせているのが自分だということが、情けなくて仕方がなかった。


ぼくが最初から君に伝えればよかったんだ。なのに、あのときはだまってはなれていってしまって。だから、今は言うよ。ちゃんと言うよ。ぼくは、君が許してくれるのなら、いっしょにいたい。そばにいたい、って思うんだ」


 言えた。


 ずっと言えなかったことが、ようやく言えた。子供のころから伝えられず、自分のからに閉じ込めていた想いを、ようやく彼女にぶつけることができた。


 そして、それはあかちゃんの方も同じだろう。同じように、ぼくに本心をぶつけてくれている。


 未だ泣き続けている彼女のかたに、ぼくがそっと手を乗せる。しかし、彼女は首をりながら、ぼくの手をゆっくりとはらった。泣きながら、彼女は顔を上げる。


「きぃくん、ダメだよ……、いっしょにいたいっていうのは、もうダメ。あなたには、大切な人がいるでしょう? わたしのことが一番大事って言ってくれたのは、うそでもうれしかった。でも、それは言っちゃダメな言葉よ……」


 彼女は何かをあきらめたような表情で、ぼくを見上げる。力のない声だった。さとすように、ゆっくりと語りかけてくる。けれど、ぼくはそれに混乱した。うそって。うそってなんでそんな。


「ま、待ってよ、あかちゃん。ぼくは、ぼくは本当に君のことが一番大事だと思っていて……」


「それが本当だとしたら、もっとダメだよ……。そんなのは彼女に失礼だし、可哀かわいそうだわ。いくらなんでも、わたしはその間には入れない……」


 ……出た。彼女だ。ぼくにいるという彼女の存在。だれだそいつ。


 思えば、あかちゃんは朝からずっとぼくに彼女がいる、という発言をかえしていた。彼女がいるのなら、わたしに協力なんかしなくていい、とも。いや、だからだれだそいつ。何でぼくだけその存在を知らないんだ。


「え、えぇと、あかちゃん……。何か、誤解していない? ぼくに彼女なんていないんだけど……」


「いいわよ、別に。気をつかってかくさなくても……。わたし、実際に見たんだから。夜だからってすっごくくっついててさ、アイスも食べさせ合いっこして……、あんなラブラブされたら、声もかけらんないよ……」


「…………」


 いやだからだれだそいつ。


「え、ちょっと待って、あかちゃんそれひとちがいしてるでしょ? ぼくによく似ただれかの話じゃなくて?」


 ぼくまどいながら言うと、彼女はばっと顔を上げてこうの声を上げた。


ちがいなくきぃくんだったわよ! 女の子は顔がよく見えなかったけど……。わたしと遊びに行った日の夜に、ふたりでべったりしていたじゃない。うちの近所の公園の前で」


「遊びに行った日の夜……、公園の前……?」


 あかちゃんに言われて、急いで頭の中で夜のことを思い出す。夜に外出したのはコンビニくらいのものだ。妹にたのまれてついていったやつ。確かに公園の前は通った。たまにカップルがいちゃついているあの公園。でも、そのときに女の人なんていなかったけど……、あえて言うなら。


はるじゃなくて……?」


はるだったら遠くからでも見分けつくわよ……」


 その通りだ。あれだけとくちようてきな見た目の女の子、ちがいようがないだろう。

 でも公園の前を通りかかったときにはるといたから、ちがえるとしたらはると思ったんだけど……。


「あ」


 そこでようやく思い当たる。確かにあのとき、だれかからの視線を感じた。あかちゃんの背中を見た気がした。なぜかあのときはるはひとりでいたけれど、「コンビニへ行くちゆう」とも言っていた。


 やっぱりあかちゃんもいっしょにいたんだ。で、ぼくとその彼女らしき人が歩いているのを見て、あわてて身をかくし、そのあとにげていったのではないだろうか。



 と、いうことは。ぼくの彼女というのは。


「もしかして、のこと……?」


「へえ、あの子、って言うのね。ちょっときぃくんとしてはつらいわね、彼女の名前が、妹と同じ名……前……、なん、て……」


 言いながら、あかちゃんも気が付いたようだ。


 ぼうぜんとしながら、彼女はぼくを見上げる。ぼくはこれ以上ないほどの苦笑いをしていただろう。


 もしかしたら、あきれの色も混じっていたかもしれない。その表情を見ればすべて伝わりそうなものだけど、あかちゃんはおうじようぎわが悪く、声をしぼした。


「……え、うそ、よね……。まさか……」


「……うん。あれね、うちの妹」


「う、うそよ! だ、だって、きぃくんところのちゃんって、こんな! こんなちっちゃいじゃない!」


 そう言いつつ、あかちゃんは自分のこし辺りの位置で手を上下させている。確かにそんな時代もあったけど。


「それって何年前の話さ……、、もう中三だよ? あかちゃんともそんなに背変わらないよ」


「え、え、え、ちょっと待ってよ、なら、それならわたしは、きぃくんの妹を彼女だってかんちがいして、こんなにおおさわぎしちゃったってわけ……?」


 彼女は自分の両手を見つめながら、信じられないようにわなわなとふるえた。そうして、救いを求めるようにぼくを見上げる。しかしだ。彼女の言葉はどうしようもないほどの事実で、ぼくからは何のフォローもできなかった。


「まぁ……、そういうことになるよね」


「~~~~~~~ッ!」


 彼女はこれ以上ないほどに顔を真っ赤にさせると、声にならないさけごえを上げた。

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