第四章 心に最後に残るモノ 3


 教室の中に取り残される。

 さっきまでの熱がうそのように、教室内は静まり返っていた。当たり前だ。ぼくしかいないんだから。


 こうなってくると、さっきまでのやり取りも現実のものか疑わしく思えてくる。

 ……いや、これはただの現実とうか。


 じよじよに太陽がしずんでいき、教室内に入ってくる光も少なくなってきた。夜が近い。そろそろ帰らないと、完全下校時間になってしまう。だというのに、ぼくの足は全く動かなかった。


 ただ、ショックな反面、これでよかったんじゃないかという気持ちがいてくる。ぼくの望んだ通りじゃないか。


 けんわかれのようになってしまったし、彼女もみような誤解はしているけれど、はなれることはできた。これで周りに関係をじやすいされることもないだろう。


 ミッションはぼくがやればいい。結局内容の見当はつかないままだけれど──。


「追いかけないんですか」


 突然聞こえてきた声にびくっとする。はるだ。そういえば、彼女は教室内にいた。気配を感じ取れなかったので、すっかり忘れていた。


 はるぼくのそばに近寄ると、無感情なひとみぼくへ向けていた。

 さっきのやり取りを人に見られていた、というずかしさから、ぼくの返事は自然とぞんざいなものになってしまう。


「追いかけるって、なんでさ」


あかさんは誤解をしています。そしてそれはきっと、いちろうさん。あなたも。それを解かないままでいいんですか」


ぼくも……?」


 あかちゃんが何かを誤解しているのはわかっている。しかし、ぼくも? 本当にそうなら気にはなるけど、どうすればいいというのか。


 ぼくはその言葉には答えずに、うつむき気味にはるたずねる。


はるのろいを受けているのはやまぶきさんだけど、ミッションをこなすのはぼくだって言っていたよね」


「はい」


「じゃあ、ぼくのそばに彼女がいなくても、問題はないわけだ。ぼくひとりでミッションをこなせばいいんだから」


 ぼくが独り言のように言うと、はるは首をかしげた。無表情のまま、感情が乗っていない声で言う。


あかさんにもういいと言われて、あんなケンカをしたのに、あなたはミッションをひとりでもこなすと言うのですか」


「当たり前でしょ。ぼくがやるって決めたんだから」


 何をバカな、という話だ。たとえどんなに彼女にきらわれようと、きよぜつされようと、あかちゃんを助けるためにミッションはこなす。それは絶対だ。投げ出すことはありえない。

 ぼくは彼女を助けると決めているし、約束もしているのだから。


「わかりませんね」


 彼女は短く否定する。


「そこまであかさんのことを想っているのに、なぜあかさんのとなりにいることは否定するんですか。自分から遠ざけるようなことをする理由がわかりません」


「理由ってそれは」


 ぼくこんわくする。はるはずっとこの教室にいたはずだ。ぼくあかちゃんとの会話は彼女にも届いている。ぼくらの話を聞いていれば、その意味はわかるはずなのに。


 突っぱねてもよかったんだろうけど、なぜかぼくはムキになっていた。手に力が入るのを感じながら、ぼくは口を開く。


「聞いていたでしょ。ぼくやまぶきさんといっしょにいたら、周りに誤解される。実際に誤解された。恋人同士なんじゃないか、って。それは彼女に悪いって言ってるの。あれだけ可愛かわいくて、人気のある女の子が、ぼくみたいなつうの高校生と付き合っていると思われるなんてダメなことだし、それならきよを取った方が──」


「そんなものは青春ではない」


 ぴしゃりと話を打ち切られて、ぼくは口をつぐむ。今まで聞いたことがない力強い声だった。ぼくおどろいていると、はるが机に手を置いて、ぼくに顔を近付けてくる。


 銀色のかみと夕焼けの色が混じり合い、視界がげんそうてきに染まる。

 今見ているのも夢なんじゃないだろうか。そんなことを思ってしまうほどだ。



 彼女はぼくの目をまっすぐに見つめながら、問いかけるように言う。


「そうしてくれって、一度でもあかさんは言いましたか。誤解されるのがいやだと彼女が言いましたか。あかさんがそれを望んでいると、本気で思っているんですか?」


「……言っては、ないけど。でも、それは。つうの高校生なら、このせんたくは……」


 らぐ。らぐ。さぶられる。確かにあかちゃんはそんなことを言っていない。ぼくがそう思っているだけだ。


 しかし、これは子供のときと同じせんたくで、実際にこれが正解だったはずだ。あのときも彼女はぼくを必要としていなかったわけで──あぁいや、でもあれは、誤解だったんだっけ……?


 いや待て。先走るな。落ち着いて考えれば、答えは出てくる。確かにぼくあかちゃんから否定されたわけではない。


 かといって、必要とされているわけでもない。


 なら、ぼくがやろうとしていることは別にちがいではないのではないか。彼女が言わないのなら、そういうことなんじゃないだろうか。


「まぁきちんと話さないあかさんもあかさんなんですが。あなたたちは何も言わなすぎるんです」


 まるでぼくが言おうとしていることを先回りしているかのようだった。出鼻をくじかれて言葉にまっていると、はるは話を続けていく。


「自分たちがしんでんしんとでも?


 うぬれないでください。人が考えていることなんてつうはわかりません。何十年った夫婦だろうが、生まれたときからいっしょの親子だろうが、それは同じ。言わなければ伝わりません。言葉にしなければ届きません。


 そうしないでわかった気でいるのは、ただのごうまんです。あなたたちはおたがいをわかった気でいて、そのごうまんの上ではなれようとしているんですよ」


 ……そうなんだろうか。


 確かに、子供のころはそれで失敗している。


 ……そう、失敗なのだ。

 それは先日のデートのときに思い知った。ぼくは「特別じゃない自分が特別なあかちゃんのそばにいるべきではない」と思ってはなれた。あかちゃんは「あおくんをおこらせただろうから、その原因がわかるまではあやまれない」と思って追いかけなかった。


 もしあのときにきちんと自分の心の内を言っていれば、今のようなじようきようにはならなかったのかもしれない。


 ……しかし、今はちょっとじようきようちがう。ぼくは「あかちゃんはぼくの関係が誤解されるのはいやだろう」という思いで彼女からはなれようとしている。そこをくつがえせるほど自分に自信はない。


 「ぼくが彼氏と思われても、あかちゃんは平気だろう」とはとても言えやしない。


 やっぱり無理だ。そう言おうとするが、それより先にはるぼくに指を差して口を開く。


いちろうさん。あなたはまず、あかさんがどう思うかという話より前に、まずは自分がどうしたいかを言うべきなんですよ」


「自分がどうしたいか……?」


あかさんといっしょにいたいか、そうでないか。その気持ちを正直に伝えるだけでいい。その答えを聞いてから、次の行動へ移せばいい。彼女のために試練を受けるとまで言ったあなたです、それくらい簡単でしょう?」


「………………」


 自分がどうしたいか。いっしょにいたいかどうか。そんなの考えるまでもない。


 いっしょにいたいに決まっている。彼女のとなりにいたいに決まっている。


 しかしそれは、あまりに自分本位な欲求だ。自分のことだけしか考えていない、あかちゃんのことを考えていない、ただただ自分の望みを口にしているだけのもの。


 そうやって彼女に自分の欲求をぶつけた人が多かったからこそ、彼女はのろいにまれてしまったのではないか。


「だからこその青春なんですよ」


 はるぼくを見下ろしながら、静かに、だけどはっきりと言う。


いちろうさん。あなたはまだ高校生です。この先、としを重ねていけば、必ず言いたいことも言えなくなるところに行きつくでしょう。感情を出せないこともあるでしょう。


 ねんれい、職業、かんきよう、立場。

 かかえるものが増えれば、それだけ自分の意思はけずられる。好きな人に素直に好きだと言えないときがくるかもしれない。


 今だけ、今だけなんですよ。

 自分の感情をみっともなくさらし、わめきながらはじをかけるのは。

 ずかしいことを平気で言えるのは。

 好きだから好きだと言えるのが。それが──」


 それこそが。


 青春なんですよ。


 彼女は静かにそう言った。


 ガタっとぼくは立ち上がる。自分で意識する前に身体がを引いていた。机に手を突きながら、まばたきをかえす。


 はるの言葉が頭をぐるぐると回り続けて、自分でも何がしたいのかわからないまま立ち上がっていた。


 それと同じように、口から声がちていく。


「自分の伝えたいことを……、自分勝手に……、言っていいのかな……」


「少なくとも、あかさんに告白した人たちはそういう人たちです。そして、彼らの方がよっぽどつうですよ。ならですよ」


「そっか」


 ぼくうなずく。そう言ってもらえてようやく、ぼくはそこから一歩をすことができた。


 ぼくは特別ではない。つうだ。ならば。


「──つうの高校生なら」

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