サマー・オン・ザ・ロード

武蔵野純平

サマー・オン・ザ・ロード

「一つ聞きたい事があるんだがね。君達、ジャップは! おっと失敬! 失敬したね!」


 オーストラリアは良い所だ。

 田舎にいけば無条件に親切な人がいる。


 道に迷えば、『どうしたんだい?』と声をかけてくれる人がいる。

 バスの中で財布を忘れれば、『オイ! これはオマエのだろう! 大事にしろ! 忘れるなよ!』と外まで追いかけて来てくれた人もいた。


 俺はこの国に来て救われた思いだ。

 東京で仕事にくたびれて、人生に失望して、この国を訪れた。


 なぜ、オーストラリアだったのかって?

 それは良く覚えていないんだ。


 確かコーヒー屋をやっているあつしが、オーストラリアと言ったのだと思う。


「オマエ、海外でも行って来たらどうだ?」


 敦はカウターの中で、白いシャツに黒いズボン、頭をカッチリと整えて、コーヒーカップを並べながら、俺に言った。

 敦の店は俺の好きな店で、フェレンドのインドの花でコーヒーを飲ませて貰うのが、俺のお気に入りだった。


 俺はその時、疲れ切ってドン詰まりで、何も考えられない状態だった。

 だが、敦の言葉に、何か感じる物があって顔を上げた。


「オマエ、英語が多少は出来るだろ? だったら、どっか行って来いよ。半年くらいブラブラして来いよ」


 こいつは、こう言う所が思い切りが良い。

 二十代も後半になったら、思い切った行動は取りずらいもんだ。


 敦としては、俺がグチグチと面倒くさい事を言うから、厄介払いの気持ちもあったのかもしれない。

 それでも俺は敦の言葉を、後押しと好意的に受け止めた。



 それからは早かった。


 最短で取れるチケットを取って、オーストラリア大使館でビザを取った。

 エアチケットの期間は三か月間だが、その間何をするかは何も決めていなかった。


 半分以上逃げだったのだと思うけれど、もう日本で煩わしい事に関わらないで済むと思うと、変に前向きで明るい気持ちになっていた。


 仕事?

 そんな物は辞めたよ。


 黄色い表紙の地球の歩き方と着替えをスーツケースに放り込んで、ありったけの貯金を下ろして空港に向かった。


 東京からシドニーまで。

 俺の人生がすっ飛んで行く様で、爽快な気分だった。



 シドニーは、夏だった。

 カラッとした空気に熱い日差し、空港の職員はサファリハットに短パン姿で、大自然の国に来たのだと実感した。


 これから俺の冒険が始まるのかと思うと、ワクワクした。

 それと同時に、誰も知り合いのいない場所は不安で、一人でホテルも取らずにエアチケット一枚で飛んで来てしまった事に少し後悔した。


 だが、そんな不安や後悔は、数日で消えてなくなった。

 グレイハウンドの周遊パスを買って長距離バスに飛び乗り、バックパッカーやYMCAを泊まり歩く日々が始まった。


 ドイツ人、イタリア人、オーストラリア人、中国人、シンガポール人、韓国人、関西人、イギリス人、カナダ人、色々な国の人と話し、仲良くなり、そして別れた。


「シー! ヤ!」


 どうやら、『また会おうね!』と言う様な意味らしい。


「ノー! ウォーリー!」


 これは、『ドント・ウォーリー』、『心配すんなよ!』と言う意味だ。

 オーストラリアでは、全てが訛っている。


 Aはアイと発音するのだ。

 シドニーの様な都会だと訛らないが、田舎の方に行くとガンガン来る。


 バスの座席番号5Aは『ファイブ・アイ』、灰色のグレイは『グライ』、一週間もいたらすっかり慣れちまって、俺も『ノーウォーリー』になっちまった。


 オーストラリア人は、とにかく大らかで、バックパッカーの相部屋は男女同室がザラだ。

 夜、何か音がして二段ベッドで目覚めると、イギリスから来たジョイが着替えていて、デカイケツが丸見えだった。


 ジョイは、気が良いロンドン子で、ハウスワインを飲んで一緒に大騒ぎをしたよ。

 残念ながらあんまり俺のタイプじゃないから、恋愛には発展しなかったけれどね。


 その時、気に入っていたのは、大阪から来ていた今日子ちゃんで、イタリア人のキックボクサーと取り合いになった。

 殴り合いにならなくて良かったよ、そしたら、俺が間違いなく負けていた。



 そんな感じの楽しい日々を過ごしていたけれど、生まれて初めて差別されたのもオーストラリアだった。


 最初はシドニーで、歩道を歩いていた時だ。

 スキンヘッドの物凄く太った三人組の白人が、車に乗って近くに寄って来た。


「オイ! このクソッタレのアジア野郎! テメーの国に帰れ! バーカ!」


 こんな具合だ。

 最近で言うとネオナチとか、そんな感じの連中だと思う。


 俺は滅茶苦茶びっくりして、なぜ何もしていないのに、そんな事を言われるのか、訳が分からなかった。

 もちろん、大急ぎで宿に帰ったよ。


 その晩は、ドイツから来たクレメンスと飲んだ。

 フランクフルト交響楽団でトランペットを吹いていると言っていたが、俺の英語力じゃ聞き間違いかもしれない。

 とにかくビア樽みたいなクレメンスが、ビールサーバを逆回転するみたいにガンガンビールを飲んで、俺も飲まされて、その日に起こった嫌な事は、ウヤムヤに出来たよ。


 無かった事には出来ないが、ウヤムヤには出来る。

 日本人らしい解決方法なのかもしれない。



 その後も、ちょいちょい差別を受ける様になった。


 いや、正確に言うと、オーストラリア人は親切な人の方が多いんだ。

 だが、どうしても記憶と印象には、悪い事が強く残ってしまう。


 それから、だんだん俺は変わった。

 なめられちゃいけない、戦わないとなめられると。


 女性は良いんだよ。

 どこの国の人もレディーファーストだし、男はみんな女性に親切だ。


 だが、男はそうでもない。

 時には机を叩いて威嚇して抗議の意思を示す事もあった。


 不思議な物で気が張っている時は、差別される事もない。

 俺の眼光が鋭いのかね。


 地元のオーストラリア人に、『バンチョー』って呼ばれたよ。


「それは、ハイスクール・ボスって意味だぞ?」


 って、聞いたら、


「だから、君は『バンチョー』さ!」


 とハードロックバンドのドラマーみたいな、気の良さそうな男に言われたよ。



 だけど、その日は違っていた。

 リラックスしていて『バンチョー』じゃなかったんだな。


 オーストラリアの南部にある都市アデレード、ここはオーストラリア発祥の地でイギリスからの移民が初めて入植した場所だ。

 小さな吉祥寺位の大きさの街で、俺は一目で気に入った。


 キャノンストリートのバックパッカーに個室を取って、この街に一週間滞在する事に決めた。

 この頃は旅にも疲れていて、オーストラリアに来てから一か月半が経っていた。

 もうすぐ、オーストラリアを半周する所まで来た。


 アデレード郊外の海までトラム、チンチン電車が走っている。

 場所の名前は忘れてしまったけれど、トラムの線路の周りには出店が出て、休日の海岸をみんな思い思いに楽しんでいた。


 そこは、オーストラリア人も日本人もなかった。

 あるのは、休日と海と陽射しを楽しむ陽気な空気だけだった。


 どこで知り合ったのかは忘れたけれど、年の近い日本人と俺は一緒に行動していた。

 おとなしめの背の高い男で、日本では結構良い会社に勤めているみたいだった。


 そいつと、トラムの側で、なんやかやと話し込んでいると、白髪のオーストラリア人が近づいて来た。

 もう、見たまんまお茶の水博士って感じで、鷲鼻に特徴的なくせ毛で、頭の真ん中だけ禿げているのだ。

 丸い分厚い眼鏡をかけて、ニコニコ笑った人の良さそうなおじさんだ。


 そのお茶の水博士が俺達に話しかけて来た。


「君達、ちょっと良いかい?」


 俺達は顔を見合わせて、しばらくして俺が返事をした。

 知り合いではないし、旅行者にも見えない。

 なんとなく服装が地元っぽい雰囲気なので、道に迷ったとも思えないから、話しかけられる理由が分からなかった。


 だが、俺達は海と日射しと可愛いトラムにご機嫌で、その男を警戒する事は出来なかった。


「なんでしょう?」


「一つ聞きたい事があるんだがね」


 男はもったい付けて、話し出した。

 俺達は本当に、何を聞かれるか予想出来ずにいた。


「君達、ジャップは! おっと失敬! 失敬したね!」


 男はオーバーなアクションで俺達を『ジャップ』と呼んだ事を詫びた。

 しばらくして、やっと気が付いた。


「なんで、あんな嫌味を言うんだろうね」



 オーストラリアの砂漠は美しい。

 砂漠と言っても、中東の砂漠とは違って砂は無い。

 ゴツゴツとした岩と赤く荒れ果てた大地が延々と続いている。


 西海岸のケアンズを出て、長距離バスで北部のダーウィンへ向かう。

 赤い砂漠を突っ切り、オーストラリア大陸を半分横切る大移動の二泊三日のバスの旅だ。

 日本では想像もつかない距離を、赤い荒れ地の一本道を、ひたすらバスは走る。


 荒れ果てた大地が真っ直ぐに伸びて、雲が所々に浮かぶ青い空と交わる。

 地平線を見ながら、一日中バスに揺られる。


 だが飽きる事は無い。

 これを見に俺はここに来たのだと体が熱くなる。


 ここには、日本のやっかいな事情は無い、面倒なルールや空気や差別すらもない。

 あるのは土くれだけだ。



 東京に帰った俺は、前より少しだけ思い切りが良くなった。

 そして少しだけ前向きに生きられる様になった。


 困ったのは、帰国してしばらくはノンビリとしたオーストラリア人気質が抜けなくて、新宿駅で始発電車を三本も見送った事だ。

 列の先頭に並んでいるのにも関わらず、席に座れないんだ。



 あれから、十五年が過ぎた。



 結局、今日子ちゃんとは、それっきり会っていないし、オーストラリアにも訪れていない。

 俺の髪の毛は随分と白くなって、今は甥っ子がフランスから遊びに来ている。


 遥かに遠くなってしまったオーストラリアを、なぜだか思い出した。


 大学時代の俺の先輩が作った歌、サマー・オン・ザ・ロード。

 卒業してから一度も口ずさむ事はなかった。

 今夜、口ずさんでみよう。


 -完-

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サマー・オン・ザ・ロード 武蔵野純平 @musashino-jyunpei

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