結婚? 死んだ方がましですわ②

 愛と結婚編、今日で最終回です。


 では討論の続きに行きましょう。2日間に及ぶほど長いので、著者の声を代弁する批判側の言い分を主にご紹介します。


「あらゆる男――父親、兄弟、息子、夫、愛人――が女を苦しめる」と言うのは若妻のコルネリア。


「遺産はすべて息子に託し、娘には他人であるかのように相続権を与えない父親がどれほど多いか。貧しい娘たちは必要に迫られて過ちを犯すんです。兄弟たちも父親と同罪です」


 当時は父親の遺産は息子だけで分配され、女子は配慮がない限り財産をもてませんでした。相続排除されている代わりとして娘に与えられるのが嫁資ですが、それも事実上は嫁ぎ先で夫に使い込まれることは今までに見てきた通りです。


 夫との生活に満足しているエレナは「女が下に置かれていると感じるのは男たちを羨んでいるからではないか?」と指摘します。

 するとレオノーラが「私たちは羨ましいからではなく、道理によって男を批判するのだ」と反論します。


「自分の権利を奪われたら、文句を言ってはいけないの? 女が生まれつき男に劣っていないのに法的に下位にいるなら、それは横暴というものです。この横暴は慣習化して、合法であるかのように思われています。権威を男たちは論理によって獲得したと思いたがっているけど、実際には腕力で得たものなんです」


「男たちがせめて公平に、横柄な態度をとらず、女を自分の意志で行動できない奴隷のように扱わなければ、私たちも喜んで人生の苦難を分かち合うのに。それも些細なことだから黙っていろと言うのでしょうか」


 レオノーラは「剣で戦って男どもを殺しまくる夢を見ましたの」とか「夫を手に入れるより、よく太った豚を買うほうがまし」などと随所で毒舌を放ちますが、ここで彼女が理想としているのは男の上に立つことではなく、男女の調和であることに注目したいです。


「私たちは男なしで生きられないものかしら」

 とコルネリア。

「男に頼らずにビジネスをやって、自活できるよう稼いで。ある朝起きたら、失った名誉と尊厳と自由を取り戻せていればいいのに。今、男たちが女を侮辱するのと同じやり方で私たちが男を侮辱し返すためには、少なくとも同じ土俵に立たないと」


 ここでは伴侶がいる幸せはあえて無視されています。女性は結婚で「財産を奪われ、自分自身も見失い、得るのは苦労をかける子供と妻を支配したがる夫だけ」と言うのは独身のコリンナ。


「男にかしずくくらいなら、私は死を選びます。夫に監視されずに、こうして友達と過ごせる人生が最高だもの」


 彼女は結婚願望がなく、修道女になるつもりもありません。博識でいつもクール、即興で詩も披露できる知的キャラのコリンナは著者の分身です。


 ラストでは擁護側であったはずのヴィルジーニアが独身を貫きたいと言い出し、母親のアドリアーナを慌てさせます。


「この2日間でレオノーラやほかの皆さんのお話を聞いて、どんな男にも支配されたくないと思うようになりました」

 とヴィルジーニア。


「そんなこと言わないで、娘よ」

 とアドリアーナ。

「時期がきたら、ふさわしい夫を見つけてあげるから。金はあるけど自堕落な男性じゃなく、思慮深く徳の高い男性をね」


 そして日暮れの庭園を散歩し、7人はそれぞれの帰途につく。


 ところで、ここまで結婚をディスるからには著者はよっぽど実生活で夫に不満だったのかと思ってしまいますが……


 そうではないらしいです。


 モデラータ・フォンテ自身は27歳で3歳年下の男性と結婚しました。夫フィリッポ・デ・ゾルツィは多忙な弁護士で、家のことは妻に任せきりでしたが、夫婦はお互いを尊重する良きパートナーだったようです。夫が結婚の1年半後に嫁資を返還したので、フォンテは自分の財産を自分で管理するという幸運にあずかりました。


 リアルでは恵まれた結婚生活を送っていたらしい彼女がこの本を書いた目的は、教養ある女性の理想像を提示し、結婚するか、修道女になるか、未婚のまま実家で肩身の狭い思いをするかしかなかった当時の女たちに従来の価値観に縛られない人生を示唆することでした。


 アメリカのボストン・カレッジの歴史学科の教授であるサラ・ロスは著書『The Birth of Feminism: Woman as Intellect in Renaissance Italy and England(フェミニズムの誕生)』で次のように述べています。


「フォンテは男女格差を明らかにし、女性の知的・社会的自己実現の新たな可能性を示唆するために、女性をめぐるこの議論の肯定的な側面を読者に示そうとしたのである。」


 事実、2日目は焦点が古典や芸術、神話、歴史などに移り、男嫌いのレオノーラやコルネリアによって議論が男性憎悪に傾くと、コリンナがそのたびに知的な対話に引き戻そうとするのです。


 結婚否定論を展開したのに、母親が未婚の娘に結婚をすすめるという結末は奇妙です。しかしロス教授はそれも矛盾するものではないと言います。


「フォンテは最終的に女性の自立を放棄したと読むこともできよう。しかし私は、コリンナが体現する独身生活、結婚した幸せな妻や母親、満ち足りた寡婦など、あらゆる選択肢を読者に提示しようとしたという見方を提案したい。」


 1592年、フォンテは出産で命を落とします。それまでに3人生み、4人目でした。享年37歳。義理の叔父ジョヴァンニ・ニコロ・ドリオーニによれば、『女性の価値』の完成は死の前日だったそうです。自身も人文学者であったドリオーニはその死を深く悼み、『女性の価値』の出版に力を注ぎました。


 フォンテは寝る前に空想し、朝起きて書くという執筆スタイルで、書くのが驚異的に速かったとか。

 執筆に時間をかけなかった理由として、ドリオーニは「彼女は女性の務めとして裁縫をせねばならず、この都市には家事をこなすことにしか女性の徳を見出そうとしない風潮があるので、そうした仕事もおろそかにしたくなかったからだ」と述べています。

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枝葉末節にこだわる〈西洋中世の日常生活〉 橋本圭以 @KH_

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