18歳以上の男性の服装【挿絵あり】

 16世紀の歴史書に、1530年頃のフィレンツェ人の装いについての記述がある。長いが以下に抜粋してみたい。



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 18歳を過ぎた男性は、夏に外出する時には黒いラシャの長衣を着る。内科医など身分の高い人はそれに絹の裏地をつける。色はほぼ常に黒、前開きで、脇から腕を出す。喉元は金具で留める。内側にも1つか2つホックがあり、飾り紐がついていることもある。優美で着心地の良いこの衣服はluccoルッコと呼ばれる。


 身分の高い人や裕福な人は冬でもluccoルッコを着るが、その場合は寒さを防ぐために皮革やビロード、ダマスク織りの布で裏地をつける。下にはsaioサイオgabbanellaガッバネッラ(いずれも上着の一種)、毛織りの裏地があるゆったりしたガウンなどを着る。


 短い胴着や膝上までの長さの上衣にsaioサイオや絹の服をあわせることもある。頭にはつばのない黒い毛織りの帽子、またはうなじを覆うように後ろを折り返したラシャの帽子をかぶる。


 昔は、男は髪を伸ばして髭を剃り、剃らない人は殺し屋か犯罪者とみなされた。しかし今日では100人中95人が短髪で髭を生やしている。長髪にしている者は時代遅れとみなされ、ボサボサ頭(zazzeroneザッゼローネ)と呼ばれて嘲笑される。


 男性の服装も、女性の服と同様、ここ十数年で非常に洗練されたものになった。昔のように胸当てや大きな袖があって膝まで届くsaioサイオや上に折り返されて今の3倍もある帽子、かかとの高い不格好な靴などは、今日では使われない。


 マントは足首まで届く長さで、色は上層市民が着る場合でも普通は黒だが、内科医のマントは多くの場合、薔薇色や濃い赤紫色である。前開きで、首まわりにひだがあり、金具で留める。冬はビロードや毛織りのsaioサイオの上に着て、寒さを防ぐために毛皮や布の裏地をつける。


 luccoルッコとマントは誰もが着用できる衣服である。議会にはこのどちらかを身につけないと出席できない。


 夜間の外出でよく着用されるのはtoccoトッコ(つばなしの丸い帽子)と、cappaカッパ、つまりスペイン風マントと呼ばれることもあるフードつきの短いマントである。昼もcappaカッパを着用するのは兵士だけであり、そうでない人が昼間から着ているとチンピラとみなされる。


 馬に乗るときは季節に応じて毛織りか絹のcappaカッパ、またはフード付きの外套を着る。


 このように装いが多様なので、出費はかなりの額になる。タイツは膝のところで分かれ、腿にタフタで裏地をつけたり、ビロードの房飾りや裾飾りをつけたりするのでなおさらである。さらに日曜の朝に着るシャツは今の時代、襟と袖口に襞がある。その他の衣服もすべて、手袋からベルト、腰につける鞄に至るまで毎週替えるのである。

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 日曜の朝は教会のミサがあるので、庶民もこの日ばかりは普段よりいい服で出かける。


 ポケットが未発達なのでベルトにつける鞄は必需品だった。手袋もこの頃にひろく流行したお洒落である。しかし誰もが必ず持っていたわけではなく、毎週替えたのは経済的にかなり余裕がある人だけだろう。貧しい人は毎日着るシャツにも事欠いていた。


 短髪と髭が流行し、この時代の男はそれ以前と比べてかなり男性的な見た目だった。年代記作者のルカ・ランドゥッチもヘアスタイルの移り変わりに言及している。


「人々(男性)は髪を短く切るようになった。それまでは誰もが肩まで伸ばし、そうでない人は1人もいなかったのだが。そして髭を生やしはじめた。以前は、髭を生やしている男はフィレンツェには2人しかいなかった」


 16世紀のヨーロッパでは黒が大流行し、特に宮廷を出入りする男性は日常的に黒を着た。


 黒は染色の工程が複雑なので中世では貴重な色だった。喪の色であるだけでなく、優美な色とされたので結婚式など華やかな場にもふさわしい。襟や袖口は白いシャツの襞をはみ出させてアクセントを添える。


 襟は17世紀にかけて巨大化し、エリザベス1世などの肖像画でおなじみの襞襟になる。形が似ているからか、首のまわりを円盤状に取り巻くこの襞襟はレタス(lattuga)と呼ばれた。言い得て妙である。


 

 *



 この時代のお洒落な男性の服には現代人の想像を絶する付属品がついている。ヘンリー8世の肖像画など、注意して見るとたくさんの絵画でお目にかかるのでご存知の人もいるだろう。股間に装着するあれである。名称はブラゲッタ、英語ではコッドピースという。


 ブラゲッタは、もとは片足ずつに分かれたタイツの股の部分を覆う布だった。しかし次第に詰め物をして膨らませるようになり、ついに男性器型の突起物になった。股間を保護するという本来の用途はなくなり、男性性を誇示するためのアクセサリーとして定着していったらしい。


「男らしさ」の象徴であったブラゲッタだが、当時の女性の目にはどのように映ったのだろうか。


 1553年、アスコリ・ピチェーノ市の政府が女性服の裾の長さに関する奢侈禁止令を出した。女性側はこれに、男性こそ装いを改めるべきであるとする抗議声明で対抗した。



「あなたがた男性はいつも極端に短い上着や胴着を着ているので尻が丸見えである。さらに前のほうには硬くて長い、尖った形で上向きのブラゲッタが見える。それこそ改められるべき破廉恥なものであり、本当のことを言うと我々女性には見るに耐えない代物である」



 ブラゲッタは同時代の女性には不評だったらしい。


 しかし「見るに耐えない」とこきおろされても男性には根強い人気で、半ズボン状の下衣が登場して無用の長物になった後も、ブラゲッタはしぶとくズボンの間から先端をのぞかせ続ける。



 *



 ここでルネサンス衣装が登場するイタリア映画のお話。


「ノン・チ・レスタ・ケ・ピアンジェレ(Non ci resta che piangere「もう泣くしかない」の意)」(1984年)、現代人の男2人がある嵐の晩にルネサンス時代に転移してしまい、なんとか現代に戻ろうと奮闘するコメディ映画である。


 乗っていたオープンカーがエンストし、さらに雷雨に見舞われたマリオとサヴェリオ。大木の下で雨宿りしていると向こうに明かりが見えた。近づくとそこには1軒の家。電話を借りたいと頼むが、相手は理解できない様子。それでもなんとか意思疎通して泊めてもらえることになる。


 翌朝、2人は異変に気づく。いきなり槍が飛んでくるし、馬がいるし、なんかみんな中世っぽい衣装。


「なんでそんな変な格好してるの?」

「変な格好なのはあんたらだよ」

「今って何年?」(←お決まりの質問ですね)

「1400年代。ほぼ1500年」


 そう、今は1492年なのでした。


 パニックになる2人。前の晩に雨宿りした場所に戻ると、大木だったはずの木がヒョロヒョロの若木に戻っている。


 現代に戻る方法がわからないまま、2人はとりあえず街に繰り出す。このときの服装がコテコテのルネサンスファッションなのが微笑を誘う。尻丸出しのタイツ姿で股間にはブラゲッタ。


 当時はまだ詰め物をせず、股の部分に小物を入れて便利なポケットとして実用的に使われていた。食事中にそこから食べ物を取り出して食べても無作法ではなかったという。


 しかし現代人にはハードルの高いアイテム。マリオは恥ずかしがって両手で股間を隠し、「バカ、そんなところを押さえて歩くな」とひっぱたかれる。


 さて2人は現代に帰れるのだろうか。


 日本では残念なことに未公開でDVDも発売されていないらしいこの作品、B級感いっぱいなのに評価は高く、主演・監督はロベルト・ベニーニと今は亡きマッシモ・トロイージの名優コンビ。歴史好きだけでなく誰にでもおすすめできる傑作です。



【挿絵】16世紀の男性の服装

https://kakuyomu.jp/users/KH_/news/16816700428618064486

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