2-19:最強たる所以



 ギアシ・トリアから直線距離にして北北東に二十五里(約百キロメートル)。



 ギアシ所属の聖クラトラス騎士団一隊は、ヴァルズ森林地帯に進駐しんちゅうしていた。



 森林地帯と言っても、ただの森ではない。



 地面は全域に渡り水が張り、沼地と化していて、そこから人の背丈よりもやや高い程度の低木が複雑に絡み合いながら繁茂はんもしている。



 昔、まだ湖だった一帯を干拓地にするため大規模な工事が行われたが、諸々の事情で頓挫とんざし、ろくに干拓も進まずそのまま放置された結果、現在の姿になったという。



 ヴァルズ森林地帯の中心には、その頃に建設された砦が今も残っている。天然の要害と化した地形を頼みに、あの砦は盗賊たちの格好の根城となっていた。



 騎士団の任務はこの砦の攻略と盗賊団の壊滅にある。



「隊長。第二派突撃の準備、完了しました。支隊の作業もおおむね終わっています」



 年若い騎士の報告を受け、隊長の男は厳しい表情のまま頷いた。



 支隊とは、あらかじめヴァルズ森林地帯に張り付かせておいた別働隊のことである。



 砦攻略にあたって最大の課題は足場と視界の悪さ――すなわち突撃路をどのようにして確保するかにあった。



 深いところでは一間(約二メートル)にも達する湿地を馬で進むなど論外であるから、砦までは幾艘もの小舟を渡すことになっている。そのためのきょうとうを支隊に確保させておいたのだ。



 ヴァルズ森林地帯はギアシから伸びる街道にほど近い。砦の攻略はかねてからの懸案事項なのである。



 しかし、盗賊たちの抵抗は頑強だった。



 ヴァルズ森林地帯は彼らにとって庭も同然であるため、地の利を十二分に生かした戦い方をされるとどうしても旗色が悪くなる。その上騎士団側の人員は七十人ばかりと、この難所を攻略するにしては非常に心もとなかった。



 事実、やむを得ず決行した闇夜に紛れての奇襲作戦は盗賊たちに看破かんぱされ、第一陣はほぼ騎士団側の完敗で終わっている。



「本来は様子見の布陣なのだがな。これ以上損害が出ては、砦に辿り着くこともままならない」



 本来は冷静で知られる隊長も、この日ばかりは苛立ちを隠そうとしなかった。



 ギアシ駐屯地司令からの指示は「砦を攻略し、盗賊どもを壊滅せよ」である。彼らを無傷のまま放置し続けるなどあり得ない。



 だがこのような状況だからこそ知恵を絞るのが指揮官の役目である。彼はかねてより副官と練っていた案を側近に明かした。



「ヴァルズを焼く」



 簡潔な指示。だがその困難さはその場にいる全員が共有した。



 湿地に油を浮かべ、火や空属性に高い適性を持つ騎士を総動員し、辺り一帯を火の海に変える。



 それを一昼夜続け、湿地が干上がり敵が砦内で疲弊した頃を見計らい、騎馬にて一気に強攻を仕掛ける。



 まるでおとぎ話に出てくるような壮大な絵だが、実際にやろうとなればまさに命懸けだ。最悪、突撃をしかける前に魔法力が枯渇して再起不能になる可能性もある。



「各自、魔法要員の選定に移れ。半刻後に開始する」






 野営地に張られた天幕のひとつから、砦攻略隊の幹部たちが次々と出てくる。どうやら次の方針が固まったようだ。



 やがてエゼルのもとにも部隊長からの指示が下りてくる。油をく班と魔法を練る班に分かれると聞いて、彼は即座に幹部たちの意図に気づいた。



「おい、罪従者。お前は油を撒く班だ」



 伝令役の騎士の呼びかけに振り返る。荷車で運ばれてきた十数個の土瓶どびんを見て、エゼルは尋ねた。



「この作戦を行うには、油の量が足りないのでは?」



 騎士は眉をしかめる。そんなことは重々承知している、という顔だった。



「無駄口を叩かず速やかに動け。状況は切迫しているんだ。魔法部隊の負担が少しでも減るように、できるだけ広範囲に撒くんだ。機会は一度しかないぞ」



「はい」とエゼルは素直に応える。



「それから作戦開始の前に相手に動かれてはまずい。監視も怠るな」



 了解、と頷いてエゼルは油の入った土瓶を受け取った。



 砦を見遣り、つぶやく。



「敵が攻勢に出ないうちに、


「……? ああ、頼む」



 エゼルの言葉に、伝令に来た騎士はわずかに首を傾げた。






 ――そして半刻後。作戦が開始された。



 小舟に乗った騎士たちが慎重に土瓶を傾け、ヴァルズ森林地帯の外縁を囲むように油を撒く。水面に滴った油は表面に浮いたまま、ゆらゆらと広がっていく。



 周囲につんとした油の臭いが立ちこめた。



 だが、もともとは砦を焼き落とすために用意した油。ヴァルズ森林地帯全域を炎上させて盗賊団を火あぶりにするには圧倒的に油量が足りない。



 それでも指揮官は大声でげきを飛ばした。



「これで終わりにするぞ! 全騎、詠唱始め!」



 魔法適性が高い秩月ちつげつ生まれの騎士ばかり、合わせて二十人が一斉に詠唱を開始する。定型句を繰り返し唱える『連唱れんしょう』という技術を用い、自らが許容できる限界まで威力を引き上げていく。



 騎士たちから溢れ出す魔法の光と熱気で、周囲は陽炎かげろうのように揺らめいた。



「放てぇぇっ!」



 号令一下、極限まで高められた魔法がヴァルズ森林地帯に降り注いだ。火属性魔法、さらに上位の空属性魔法が乱れ飛び、逆巻く炎となって水面を舐める。



 だが次の瞬間、森林全土を甲高い金属音が駆け抜ける。



 次いで虹色の閃光が到るところで弾ける。



「何てことだ」



 副官が呻いた。



「魔法効果の大半が消滅! 敵防御結界が発動した模様!」


「奴らめ。ここまで見越していたか!」



 隊長が歯ぎしりをする。



 その後も物見から次々と報告が入る。その中には、砦に籠もっていた盗賊が動き出したという情報もある。



 敵もまた魔法による抗戦を仕掛けようとしているのだ。



 隊長の決断は早かった。



「全隊に撤退指示を。一度態勢を立て直す」



 頷いた副官からすぐさま指示が出される。



 こうした緊急の伝令に使われるのは魔法ではない。恰幅の良い従者が、仲間に撤退の指示を伝えるため巨大な角笛を手に持った。口に当て、今まさに吹き鳴らそうとしたその時――



 地響きを伴う轟音が戦場に響き渡った。



 隊長は元より、連唱による疲労で膝をついていた騎士たちも一斉に顔を上げる。



 その視線の先で一本の巨大な火柱がうねりを上げて暴れていた。



「敵の魔法か」


「わかりません!」


「確認しろ! すぐにだ!」



 一喝を受け、副長自らが駆け出す。



 隊長の目はその炎に釘付けになっていた。



 螺旋らせんを巻く幾重もの筋が、まるで浅瀬でのたうつ巨大蛇ゴルゲンのように湿地を叩く。



 炎を寄せ付けまいと、盗賊どもが張り巡らせた結界が虹色の光を散らせて抵抗するが、炎はあっさりと結界を食い破り砦の周囲を焼き始める。



「これは。ランヴォフォーネ……?」



 隊長は背後を振り返る。



 渾身こんしんの魔法を放ったばかりの精鋭騎士二十人は、皆一様に放心状態となっている。



 無理もない。今目の前で暴れている魔法は、彼らが全ての技術と魔法力を寄せ集めて作り上げたそれをはるかに凌駕りょうがしている。



 ふいに彼は笑いの衝動に襲われた。



 不利な状況を何とか打開しようと力を結集した騎士団の奮闘、彼らの動きを見越して防御を整えた盗賊団の用意周到さ――それら戦場の駆け引きを、あの炎は一瞬にして『なかったこと』にしてしまった。



 今頃、敵の盗賊どももぽかんとしていることだろう。



 炎が生む熱によって湿地帯が焼かれ、辺りを濃い霧が包み始めた。このままいつまでも呆けているわけにはいかない。



 隊長は剣を抜き放ち、高らかに叫んだ。



「総員、態勢を立て直せ! この霧が晴れると同時に突撃を敢行する! 呆けている奴は置いて行くぞ!」






 突撃のわずか半刻後。



 砦は拍子抜けするほど簡単に陥落かんらくした。



 突入した騎士団を見るなり、盗賊団は半狂乱の状態に陥ったのだ。中には騎士団に手を合わせ、自ら降伏を願い出る輩もいた。



 頭領を始め、ほとんどの盗賊どもをほぼ無傷で捕縛。砦攻略隊にしてみれば会心の成果と言ってよかった。突如として出現したあの巨大魔法が影響したことは確実だった。



 空属性上位殲滅魔法ランヴォフォーネ――戦略級の超上級魔法を何の前触れもなく発動できる者がこの中にいる。



 帰還の途についた一行の話題は、もっぱらその謎の人物が誰なのかに集中した。



「あの」


「ん? どうしたんです?」


「良いのですか? あなたが、その。大魔法の術者だと言わなくて」



 野営地。



 皆から少し離れたところで食事をしていたエゼルの元へ、ひとりの少年がやってきて控えめに尋ねた。エゼルの身の回りの世話をするためについてきた、あの従者の少年である。



 表向きエゼルの監視役である彼は、落ち着きなく周囲を見回していた。



 罪従者という立場を弁えているつもりのエゼルは、あくまで丁寧な口調で少年に応じた。



「スウス殿。そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。もう任務はほぼ終わったのだし、あなただって今回の討伐隊に正式招集された人員の一人なのですから、もっと堂々としていれば良い。今回のことは、良い経験になったと思えばそれで十分でしょう」


「は、はい。ありがとうございます」



 監視する側の人間が恐縮して頭を下げる。



 少年従者スウスは、あの突撃の直前までエゼルと一緒に行動していた。そのときを思い出す度、彼は二の腕に鳥肌が立つことを抑えられない。



 作戦開始後、二人一組で小舟に乗り込んだエゼルとスウスは、油を撒くのもそこそこに砦へと近づいていった。



 夜襲にも気づいた勘のいい相手である。そんなことをしようものならすぐさま発見される恐れがあったが、エゼルの結界魔法によって容易に回避できた。



『この系統の魔法はそう得意ではありません。十分注意して下さい』



 得意ではなくてこの威力ですか――その台詞すら萎縮して言えなかったスウスである。



 直後にエゼルが何気なく詠唱を始め、彼の声に呼応して出現した凄まじい炎嵐えんらん奔流ほんりゅうを目の当たりにしたとき、卒倒そっとうせずに済んだのは今でも不思議であった。



 悲鳴や喚声を呑み込みかき消す大魔法の中心で、エゼルは冷静な表情でつぶやいていた。



『奴らの練度は高いが、どうも中途半端だ。やはり何か裏があるのか。生け捕り……となるともう少し派手に長く暴れさせるべきか』



 見習い従者の服をはためかせ、まるで盤上遊戯ばんじょうゆうぎにでも興ずるような口調で砦の様子をじっと観察するエゼルの姿を、スウスは船底にへばりつくようにして見上げていた。



 それは、圧倒的に気高く美しい光景としてスウスの脳に叩き込まれている。



「エゼル……さん、今度の第一の功は間違いなくあなたにあるのですよ。せめて副長にそのことを進言すれば、いかにあなたが罪従者とは言え無視はできなくなるはず。罪従者の罪も、いくぶんか低減されるのでは」


「うーん」



 と、明らかに乗り気でない生返事が返ってきた。



「罪従者制度はそんなに緩いものではないでしょう。騎士たる者、規則の遵守は基本中の基本ですよ。示しが付かない。それに」


「そ、それに?」


「私は別に功を上げたくてやったわけじゃない。単に早く終わらせて帰りたかった、それだけです」



 へ、と大口を開けて呆けるスウスに、エゼルは初めて顔をしかめた。



「早く帰らないと、あの奔放娘どもが何をしでかすかわかりませんから。今回はもうひとり、すこぶる有能だが融通の利かない子もいますし。ああ、頭が痛い」



 それが敵味方問わず震え上がらせた男の、感想の全てだった。


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