2-15:嘘だ。信じない。

 眉間に強烈な一撃を受け、マクリエは派手にのけぞる。そのまま後方に倒れ込み、うずくまった。



 何とか意識をつなぎ止めるが、漏れ出た鼻血で呼吸が苦しくなる。



 視界の隅にヴァーテの姿を捉える。彼女はレアッサの横に回り込み、今まさに魔法を放とうとしていた。



 行け、焼き払っちゃえ! ヴァーテ!



 まともに声が出せない状態で、マクリエは拳を握りしめた。しかし。



「――我が敵を焼き撃て――っ!」


「――我が敵を焼き撃て――」



 レアッサはまったく同じ呪文、同じ定型句の魔法で対抗した。先に放たれたヴァーテの火属性魔法を軽々と呑み込み、無数の火飛礫ひつぶてがヴァーテに殺到する。



 しゅうのような音が一斉に響き、唐突に止んだ。



 後には体から微かに黒煙を上げながら倒れ伏すヴァーテの姿が残った。



 握りしめていた拳が緩み、マクリエはだらりと脱力する。



うぞ



 まさか。



 これほどまでに、差があるのか。



 どんな破落戸ごろつきが相手でも負けなかった自分たちと、このいけ好かない女との間に。



 これほどまでの、力の差が。



はんぞぐよ、ごんなの」



 鼻血のせいでまともに発音できない。



 レアッサが近づいてきた。右手には長剣を持っている。燭台の光に照らされた刀身は傷ひとつなく、腹が立つくらい輝いていた。



 無言でマクリエを見下ろしてくる。



 だがその表情からは、百万言を叩き付けてもまだ足りぬと言わんばかりの激情が溢れていた。



 剣先が天井を向く。強く強く柄を握りしめる音がマクリエの耳まで届く。



「貴様らさえ、貴様らさえいなければ、あの人は……ッ!」



 大上段に構え、大きく息を吸う。



 マクリエの思考が止まる。られる――そう思った。



 レアッサが鋭く息を吐き、白刃がきらめく。



 直後、やけに甲高い音が響く。



 ゆっくりと視線を右に向けると、刀身が硬い床を打ち付け、その衝撃で刃が細かく振動していた。



 斬られて、ない?



 どくん、と激しい鼓動。それが自分の心音だと気づき、ひどく驚く。鼓動は鳴り止まず、まるで心臓の位置が頭蓋の中に移動したかのようにやかましい。全身が硬直し、情けないことに瞬きもできずにいた。



「そこまでだ」



 聞き覚えのある声に、マクリエは顔を上げる。戸口に立つ人物を見て、思わず口を開いた。



「エゼ――ううっ」



 鼻血でうまく喋れない。



 こんな姿を晒す恥ずかしさと悔しさがマクリエの体に力を与えていく。それはイシアとヴァーテも同じだったのか、彼女らは痛みを堪えながら上体を起こそうと必死になっていた。



 レアッサが剣を収める。かちん、と金属音が鳴ると同時に室内の殺気が消え、息苦しかった空気が軽くなる。



 レアッサは突然の闖入者ちんにゅうしゃを前にしてうつむいた。



 エゼルは扉に最も近い場所に倒れていたヴァーテに歩み寄り、傷の具合を確かめる。



「大丈夫か?」


「何で、来たの」


「起きたらお前たちがいなかった。無茶をするなと言ったのに」


「下僕のくせに、でしゃばる、な」



 エゼルの手をヴァーテが邪険じゃけんに振り払っていた。



 マクリエには彼女の気持ちがよくわかった。たぶん、自分も同じことを言っただろう。



 レアッサがぽつりとつぶやく。



「さすが、ですね。エゼル様。障壁魔法リェドスト、障音魔法ジンダ、二重に張り巡らせた私の結界をこんなにも容易く破るなんて」



 マクリエを睨みつけた表情とは打って変わって、どことなく寂しそうな顔だった。



 マクリエは食い入るように女騎士を睨み上げるが、すでにレアッサはこちらを見ていない。



 エゼルが振り返る。



「お前も冷静だったよ。私が来たことを悟って、咄嗟とっさに剣の軌道を変えたのだから。……本気で殺そうとしたな? レアッサ」


「……」


「私を含め騎士団の建物に無断で侵入し、正規の騎士を相手に暴行を加えようとしたことは事実。処分は覚悟している。だが、これ以上の過剰な制裁をその娘たちに与えるなら、私は許容できない」


「この者たちは無法者です。どうしようもなく乱暴で、愚かな娘たちです。そのような輩をなぜかばい立てするのですか」


「仲間を助けるのは当然だ。違うか?」



 言葉通り一片の迷いもないエゼルの表情に、レアッサは泣きそうな顔を見せた。



「敢えて言わせて頂きます。この者たちに貴方の仲間たる資格などありません。私はどうしても我慢ならない。貴方にとって害にしかならない者たちと一緒にいるなんて。いえ、それだけじゃなく、彼女たちは」


「レアッサ」



 わずかにエゼルの声に険が混じった。



 レアッサは唇を震わせ、ふいにマクリエを見た。彼女の瞳が雄弁に語っている。『貴様らさえいなければ』と。



 その眼光の鋭さにマクリエは顔を逸らした。



「わかりました。エゼル様」



 レアッサが言う。



「あなたもご理解なさっている通り、この者たちの罪は明白です。そしてその仲間として我が結界を破り乗り込んできたあなたも、同じように罪を問わざるを得ないでしょう」


「ああ。わかっている。抵抗はしないよ」


「ぢょっど、待ぢなざいよっ」



 今もまだ鼻から血が流れ続けるマクリエは、苛々しながら叫んだ。満足に声も出せない状況に、彼女は内心で激しくわめく。



 冗談じゃない。ここまでされたのに大人しく捕まるなんて我慢できるか。



「それではこの者たちを拘束します。エゼル様、あなたは私がお連れを。はなはだ、不本意ではありますが」



 射殺すようなマクリエの視線を受けながら、しかしレアッサは無視を決め込み、素早く詠唱の言葉を口にする。決められた場所に声を届ける魔法だった。応援を呼んだのだろう。



 何もできない自分にマクリエは強く歯ぎしりした。



 彼女の様子に気づいたエゼルが治療のために側に寄ろうとするが、レアッサがやんわりと押し止めた。



「あの者たちのことは私にお任せ下さい。この件は盗みに入った輩を取り押さえたということにしておきます。命までは取りません。怪我の治療とあわせ、毒の治療もさせましょう」


「……確かだろうな?」


「誓って」



 やはり胸に棘が刺さったような顔で頷くレアッサ。エゼルは何か言いたげだったが、結局引き下がった。



 やがて殺到した騎士たちによって、マクリエたちは取り押さえられた。



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