2-4:出逢っていなければ


「エゼル!」



 怒鳴られ、エゼルは我に返った。



 顔を前に向けると、頬を膨らませたマクリエが腰に手を当てて立っていた。



「なにボーッとしてんのよ」


「ああ、すまん。これからどういう風にやりくりしていくか考えていた」


「ふぅーん……あんた、マクを馬鹿にしてるの? してるでしょ? まったく頭来るわね」


「は?」


「あんたが隠し事するときなんてお見通しに決まっているでしょ!」



 マクリエは憤慨した。驚きに目を見開いていたエゼルは、やがて柔らかく微笑んだ。



 リザの後継者を見出すため彼女らに付き従って約一年――少し、長く時間をかけすぎたかも知れないとエゼルは思った。



 この先、リザの後継者を三乙女の中から特定できたならば、エゼルはを打たなければならない。



 それは畢竟ひっきょう、彼女たちとの関係を大きく変えることになるだろう。



 おそらく、悪い意味で。



 三人揃ってはた迷惑で、人の苦労をもろともせず、暴力的で、しかし毎日を生き生きと過ごしている彼女たちとの関係を、単にリザの後継者というだけで断ち切ってしまっていいのだろうか。最近、そんな葛藤をエゼルは抱くようになっていた。



 見てみたいと思うのだ。



 彼女らが自分たちの道を見つけ、それに邁進したならば、一体どこまでたくましくなるのか。どこまで輝く人間になれるのか。



 この目で確かめてみたいのだ。



 いつの間にか、彼はマクリエたちに大きな期待を寄せるようになっていたのである。



「ま、隠し事のひとつやふたつは勘弁してくれ」


「はあ? 何よそれ」


「僕にとっては大事なことだから。お前たちの将来と同じくらいに」



 ――蹴りが飛んできた。顔面に直撃してよろける。



「なかなか効いたぞ」


「うるさい。こっちまで恥ずかしくなったじゃない」



 そっぽを向くマクリエに、エゼルはそれ以上文句を言わなかった。連れだって宿への道を歩き出す。



 と、しばらく歩いたところでマクリエの足が止まった。



「エゼル。あれ」


「ああ」



 うなずく。細く蛇行する路地裏の通路の先に、イシアとヴァーテの姿があった。連れ立っているところを見ると、彼女らも宿へと戻る途中だったのか。



 マクリエが駆け寄って彼女らを呼ぶ。するとイシアが驚いたように振り返り、次の瞬間大きく息を吐いた。



「なんだ、マクリエじゃない」



 あからさまに安堵した彼女の様子にマクリエは首を傾げる。



 遅れて追いついたエゼルはいつもの微笑みを浮かべるイシアを見、路地奥を見据えたまま動かないヴァーテを見、そして周囲の様子を見て口を開く。



「まさか、また騒ぎを起こしたのか」


「因縁をつけてきたのはあっちですよ、ゼルさん」



 すかさずイシアが言った。その手には細い鉄の棒が握られている。護身用にと二人が持っていたものだ。持運びに便利なように二本の短い棒を連結するようにできている。



 その武器の端が、岩でも叩いたかのようにひしゃげていた。



 路地には折れた短剣の欠片と小さな血痕がいくつか散らばっていた。



 周囲に人影はない。



 戦いの痕跡に気づいたマクリエが瞳を輝かせた。



「ね、ね! 相手はどんな奴? 強かった?」


「そうねえ。何か盗みの途中だったみたい。私たちが横槍を入れたものだから、怒っちゃったのよね」



 おっとりとしたイシアの台詞に、ようやくヴァーテが振り返る。彼女は不機嫌そうにつぶやく。



「もう少しで完膚なきまでに叩き潰せた」


「わお、二人ともさすが! じゃあね、じゃあね――」



 マクリエが加わって俄然がぜん盛り上がる三人を尻目に、エゼルは現場を簡単に調べた。



 折れた短剣を拾い上げる。どこにでもある市販の量産品であることはすぐにわかった。



 しかしあいつらが全員の逃走を黙って見過ごすとは珍しい。



 そう思って腰を上げたとき、ふとエゼルは眉をしかめた。



 血とは別に微かに鼻腔びこうをくすぐる匂いを感じたのだ。



 もう一度、周囲を見回す。民家の壁に突き刺さった一本の短剣が目に入った。引き抜き、眉をひそめながら刀身を陽光に照らす。



「こら」



 頭を小突かれた。



「いつまでぼけっとしてんのよ。さっさと宿に戻りましょ。久々に寝台で昼寝するんだから。あ、その前にお腹空いたから何か軽く作ってよ」



 いつものように勝手なことを言うマクリエに生返事を返す。



 しばし迷って、エゼルは回収した短剣を布に包んで道具袋に入れた。







 宿に戻ると、主人が愛想良く迎えてくれた。



「おや、お早いお帰りで」


「ああ。それでまずは――」


「あー疲れた。寝るぞ寝るぞ! マクは寝るぞ!」


「ちゃんと着替えるのよ、マクリエ。皺になっても服の替え、ないんだからね?」


「エゼル、何か作るなら一緒に飲み物も。急いで」



 三乙女がエゼルの背中に声を掛け、連れだって二階へ上がっていく。



 騒がしい連中が去り、エゼルは頭を掻いた。



「で、まずはこれ。宿泊代だ。しばらく滞在させてもらう」


「どうも。おや、これっぽっちかい、お兄さん? 冗談はいけないなあ」


「あんたが取り上げた僕たちの荷物代を差っ引かせてもらったんだ」



 帳場の奥を指差す。そこには物色された背嚢はいのうがかすかにのぞいていた。



「予想より早く帰ってきてしまって、悪かったね」


「はは。まいったねこりゃ。お兄さん、だいぶ旅慣れているようだ」


「あの背嚢の中身ならあんたにあげるよ。後で背嚢だけ返してくれ。他は部屋かい?」


「ああ。何だったらあんたの希望通り二部屋貸そうか? 追加料金はたんまりもらったから、それなりの配慮はさせてもらうよ?」


「とりあえず厨房を貸してくれ。連れの姫たちがうるさいから。それから、これからも最低限の良心は持っていて欲しい。僕から言いたいのはそれだけだよ」


「了解。肝に銘じておく」



 諸手もろてを挙げて『降参』の姿勢を取る主人を横目に、エゼルは一階奥にある小さな厨房へ向かった。



 ――ずいぶんと慣れてきたと自分でも思う。



 えある聖クラトラス騎士団で一隊を率いていたときならば、おそらくあのような窃盗行為を無視するなんて到底無理だっただろう。それだけじゃない。店で交渉することもできなかっただろうし、うるさいたちの食事に神経を使うこともなかったはずだ。



 リザの後継者探しという目的が無ければ、いや、そもそもリザという存在がいなければ、決してマクリエたちと共に旅をすることはなかった。



 心労と負担は倍加して増えたが、彼女らとの旅で遭遇した出来事は、どれもこれも、晶籍の定め通りに生きていれば生涯経験し得なかったことだ。



「因果なものだな」



 と、ひとりごちる。


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