2-3:そのとき、道は分かれた


「それは何だ」



 王城の最も奥まった場所にある執務室にエゼアルドの怪訝そうな声が響く。



 聖クラトラス騎士団双爪隊そうそうたいの隊長でありながら、今は王の近習きんじゅうとして身辺警護を任されている彼だが、その口調も、室内で茶を注いでいる仕草も、ずいぶんとくだけたものになっている。



 それもこれも、「私と二人だけのときはそうしろ」という主の厳命があるためだ。



 実にくつろいだ様子で椅子に座る主――アクシーノ・リテアの女王リザは一枚の羊皮紙を握ったままじっとそれを見つめていた。



 エゼアルドが茶の準備をしている間、鼻歌を歌いながら待っていた時とは様子が異なっている。



 「リザ」とエゼアルドが呼びかけると、我に返った彼女は目の前の丸机の上に置いていた箱に羊皮紙をしまった。しっかりと鍵をかけ、さらに部屋の奥の保管庫に入れる。



 茶を運びながらその様子を見ていたエゼアルドは、話したくないのならいいか、と思考を切り替えた。丸机の上に茶器を置く。



「あれは私が王になってから手に入れた記録だよ」



 エゼアルドは顔を上げた。



 席に戻ったリザが真剣な表情でこちらを見つめていた。対面に座るよう促され、エゼアルドは無言で席に着く。



「亡くなった私の両親のことが書いてある。この国に、そして晶籍に殺された二人のことが、な」


「国と晶籍に、殺された?」



 リザは頷く。「良い機会だから、お前にだけは話してやろう」と彼女は言った。



「私の父と母は共に完月の生まれ。生殖能力以外は取るに足らない者どもが揃う中で、二人はまさに凡愚ぼんぐと言うに相応しい底辺の人間だったよ」


「リザ。たとえ生まれがどうであろうと、両親のことをざまに言うのは良くない」


「お前らしい物言いだ。まあ聞け、エゼアルド」



 ――リザは語る。



 生まれによって両親に与えられた職は労務提供者――一所ひとところに留まることなく、要望があればどんな場所にも赴き雑用をこなす。



 それ自体は社会から必要とされた仕事であったが、リザの父も母も自らの境遇を常に悲観していた。



 完月生まれなのに子の一人も成せなかったことが大きかったのだろう。生まれによって初めから底辺の生活を強いられ、唯一の長所であるはずの子を成す力にも劣っていると彼らは嘆いていたという。



「常に下を向き、胸を張ることがなければ、周囲の人間の評価は下がる。完月生まれならなおさらだ」



 ついに誰も雇ってくれなくなり、さりとて国に保護を求めようという頭もなかった両親は、晶籍持ちでありながら街を浮浪する人間になった。



 やがてその晶籍も、生まれで定められた職に長く就かなかったせいで黒色化して脆くなり、さらには浮浪者を取り締まる官憲からほうほうていで逃れた際に砕けてしまった。



 晶籍が定める道をたがえれば社会から弾かれるのがアクシーノ・リテアの常であり法。



 しかし彼らの場合、リザの誕生という大きな転機があった。



 完月生まれが、あろうことかこの国の王たる資格を持つ天煌月の子を授かったのだ。



 天煌月生まれの子の父母であれば相応の援助を受けられる――だが、その好機をリザの両親はふいにした。



 出生の事実を届け出ず、三人だけで人里離れた場所に引きこもったのである。



 社会の外れ者である自分たちに天煌月生まれの子がいると知られれば、きっと我が子は国の偉い人に連れて行かれる。ようやく授かった一人娘と離ればなれになりたくない。そう両親は考えたのだ。



「生きるか死ぬか、ぎりぎりの生活だった時期もあったが、まあ、おおむね平穏だったと言っていい。あのときが唯一、そう言える時間だった」



 リザは子供心に思ったらしい。晶籍なんかなくても生きていけると。



 その純粋な想いが大きな転換を迎えたのが、彼女が十歳になったときのことだ。



 普段は耳の晶籍が見えないように隠して買出しに出ていたのだが、その日、巡回中の騎士数人に偶然、見られてしまったのだ。天煌月生まれの証である、美しい角錐かくすい型の晶籍を。



 ――何かに思い至り、エゼアルドは口を挟む。



「まさか、あのときの?」


「そうだ。思い出したか? 見習いとして、騎士である父に同行していたお前に、初めて出逢ったときのことさ」



 ずっと固かったリザの表情が和らぐ。



「お前とお前の父は、私のつたない弁明に耳を傾けてくれた。だが他の連中は違った。私の出生が届け出られていないことに気づくや否や、即座に私を確保し、両親を捕縛した」



 アクシーノ・リテアにおいて出生の届出を怠ることは法違反。



 ましてや国の行く末を左右する天煌月生まれの子を隠していたことは重大な罪となる。



 すでに晶籍を失っている両親に、国は一切の温情を見せることはなかった。



 リザの両親に下された裁決は、死刑――



 エゼアルドは眉根をひそめ、うつむく。彼が何を考えているのか察したらしいリザが、首を横に振る。



「そんな顔をするな。お前が騎士どもに食ってかかる姿、私はちゃんと覚えているよ」



 処刑の前日。リザは獄中の両親と会うことを許された。



 暗い地下室、隅にこけのついた鉄格子、見張りの騎士に連れられた実の娘、そして翌日に迫った不可避の死――それらすべてに両親は怯えていた。



 ただ、正気だけは失っていなかった。



『晶籍さえ、流輪の運命さえなければ、もっとお前と一緒にいられたのになあ』



 鉄格子越しにその台詞を耳にしたとき、リザの心は決まったという。



「愚かだった両親に代わり、私が流輪と晶籍の運命を変える。もう十年以上経つのに、私はあのときの決意をはっきりと思い出せる」



 そして翌日――両親は処刑された。斬首の刑だった。



 その時彼女は自らの希望で処刑の場に立ち会い、大粒の涙を流しながらも最後まで見届けたという。この世から晶籍を根絶し、流輪の運命で動く社会を根本から崩すと心に誓いながら。



 幼かったリザには、それ以上、どうすることもできなかったのだ。



 ここまでを一気に語り終え、リザは息を吐く。



「あの事件から今日まで、私は理想の実現を目指して進んできた。そして気づいたのだ。社会も、運命も、生半な相手ではない。ならば手段を問うな。どんなに犠牲を払おうと構わぬ。壁があれば破壊し、止める手があれば抗わなければならないと……!」



 リザの手の中で茶器が音を立てて砕け、中身が飛び散る。



 わずかに血を流すリザの手を取り、治癒魔法を施しながら、エゼアルドは静かに告げる。



「リザ。それは間違っているよ」


「……ふ。そうか。お前なら、そう言うかもしれんと思っていたが」



 二人が互いに口を閉ざすと、執務室の中は冷たい静寂に満ちた。



 背もたれに体を預け、リザは告げる。



「なら、仕方ないな」






 ――それはリザ・ラファーナ紛争が勃発する、一月ひとつき前の出来事だった。




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