第五章 黒い魔導士とトリクシー⑤

 ディエノは本屋敷の自分の部屋からトリクシーたちが馬で出ていくのを見届けた後司祭の部屋へ下りていった。

 荒れた司祭の部屋では、ブランボの弟子が散乱した家具や本の片付けに取りかかっていた。

 ブランボも既に来ていて、ちょうど奥の本棚から分厚い書物を数冊抱えてきたところだった。ブランボは入り口近くの机に本を積むと、椅子を持ってきてそれを読み始めた。そんなブランボにディエノは声をかけた。

「ブランボ様、息子とミリアムたちが魔導士オルトの所へ出発しました。大丈夫でしょうか?」

「なにが心配なんだ?」

 ブランボはページをめくりながら言った。ディエノはブランボの周りをうろうろしながら話しつづけた。

「あの女魔導士は気性が荒くて。おまけに娘を溺愛しているものですから、あの娘の様を見たとたん怒ってこっちに殴り込んでくるんじゃないかと気が気でなくて」

「来たら相手をするまでだ」

 ブランボは書物から目を離さずに答えた。

「私が相手をする。お前たちは何も心配することはない」

「ああ、そうでしたそうでした。今日はブランボ様がいるというのに……。私ときたらいつもあの老婆に怯えているものですから、つい……。

 で、どうでしたか、あの娘は? 呪われ子ですが使い物になりそうですか?」

「そうだな」

 ブランボは顔を上げ、腕を組んだ。

「既に魔物が身のうちにいるゆえ、依代としては使えまいが、術式の触媒や生贄としてはそれがよい効果をもたらすであろう。身のうちの魔物の力をここまで操れるのは予想外だったが。

 問題は使う術式との相性だ。あの娘や魔物の魔力は風の属性を帯びている。お前たちは私にどのような術を行わせたいのか?」

 ディエノは足を止め、ニヤニヤしながらブランボに顔を近づけた。

「それは我が家の秘技。司祭の口伝でしか伝えられてこなかった門外不出の術でございます」

「司祭を継ぐ者は一度途絶えてしまった。その口伝は記録に残っているのか?」

「記録にはないはずです。ですが、口伝を知っている者はおります」

「ほう」

「しかし、この者に会ってしまったら、この口伝を知ってしまったら、ブランボ様とはいえ後戻りはできません。全て成し遂げていただきます。成し遂げた暁には、大いなる富と名声が約束されるでしょう」

「大げさなことだ」

 ブランボは大きな目でディエノを睨んだが、口元には薄笑いが浮かんでいた。

「私が断れば他の者に頼むのであろう。私の口を封じてから」

「そんなめっそうな」

「だが喜べ。魔導士とは飽くなき探求心を持ち合わせている者。それに富と名声が加われば断る理由がない。私もそろそろ独立したいと思っていたところだ。口伝を知る者に会わせてもらおうか」

「さすがブランボ様。お早いご決断で。では準備致します」

 一礼したディエノはすぐに司祭の部屋を出て行った。

 ブランボは書物を読み続けた。

 弟子達は一瞬顔を見合わせたが、すぐに作業に戻った。

 一人の少女の処遇がかけられた話であったが、部屋は何事もなかったかのように平然としていた。



 ミリアムはオルト婆とトリクシーに支えながら懐かしい我が家に帰ってきた。開けた木戸の内側には、オルトがレングに投げつけた雷の跡が刻まれたままで、竈の煙ですすけた部屋の真ん中には、いつもの食事場所兼作業台の木のテーブルがでんと構えていた。

 ミリアムはテーブルの傍らの椅子に座ろうとしたが、オルトは奥の寝室に連れていって、ミリアムの藁のベッドに寝かせた。

「トリクシーにお茶を出してくるから、そこで休んでいなさい」

 そう言い残してオルトは寝室を出た。

 トリクシーは馬の手綱を持ったまま外で待っていたので、オルトは裏のロバの小屋に案内し、そこに馬をつないでもらった。

 それからオルトはトリクシーをテーブルにつかせ、家で一番上等の陶器の茶器でオルト自慢のハーブティーを入れて出した。

「わあ、いい香り。これうちの奥様も大好きなんです」

「私のお茶を気に入ってくれてありがとう。早速だけど、あの子の身の上に起こった出来事を話しておくれ」

 トリクシーは自分たちが連れてきた魔法生物ゴルディロックスとミリアムが戦ったことから伝えた。話を聞くうちに向かいに座ったオルト婆のしみだらけの顔はだんだん青ざめていった。

「私の魔紋が消えるなんて。あの子が元通りの元気な姿になるには時間がかかるかもしれない」

 青白い顔のままオルト婆はつぶやいた。

「おばあさん、私ミリィのそばにいたいのですが」

「治療には何日かかかるよ。お客さんにはあまりかまえない」

「平気です」

「なら好きにおし。今からミリィの体を診てくるから適当に時間をつぶしていなさい。ただ寝室には入らないでおくれ。魔法を使うからね」

 トリクシーは頷いた。オルト婆が寝室に戻るとミリアムは寝ていた。安心した寝顔だった。オルト婆はミリアムを起こさないようにそっと額に手を当てたり、黒い左手を握って体内を探る魔法を唱えたりした。

 ミリアムが目を覚ました時、部屋の中にはカーテンの隙間から赤い夕陽が差し込んでいて、おいしそうな匂いが漂っていた。

 その匂いに誘われるようにベッドを出て寝室の扉を開けると、竈で具だくさんのスープをよそうオルト婆とテーブルにとうもろこしのパンを並べるトリクシーがいた。

「起きたかいねぼすけ。これで目が覚めたとなると腹が減ったんだろうね」

「うん。おばあちゃんのご飯ひさしぶり」

「うちの畑で採れた野菜やハーブをたっぷり煮込んだからね。さあさあトリクシーもたくさんおあがり」

「いただきます」

 トリクシーとミリアムは同時に席について食べ始めた。

 三人が食べ終わり食後のお茶をたしなんでいると、トリクシーは自分の懐から一通の封筒を取り出した。

「私の奥様イセルダ様からの言伝です。ぜひここに書いている薬を調合してほしいとのことです。お礼ははずみます」

「どれどれ」

 オルト婆が封筒から数枚の便せんを出して目を通す。ミリアムが横から覗いてみると、オルト婆や先生から習ったものとは違う見慣れない文字がびっしり書いてあった。

「これは魔導士が使う法陣体という文字だよ。これが薬の名前。文字を見ればどんな成分でできているかが分かる。薬効、作り方……わざわざ丁寧に解説してあるね」

「作れますか?」

「もちろん。材料と時間があればね。ほとんどの材料はあるが、これとこの成分を抽出する道具と材料が足りないね。エルテペで調達するか、ブランボとかいう魔導士が貸してくれるならもっと短い時間で作れるが」

「奥様は急がなくてもいいと言っていましたので、ミリィが治ってからでもブランボに尋ねてみます」

「しばらく治療に集中していいということだね」

 オルト婆は満足げに何度も頷いた。オルト婆もトリクシーのことを気に入ったようだった。

 ミリアムの治療が終わるまで泊まることになったトリクシーは、レングがそうしていたように壁に寄せていた木の長椅子に薄い掛物を何枚か敷いてベッド代わりにすることになった。ミリアムはトリクシーと一緒に寝たがったが「まだお前の体が良くないから」とオルト婆にたしなめられたのだ。




 真夜中の人もロバも馬も寝静まったころ、ミリアムはふと目が覚めた。

 みんなと賑やかに過ごしている時には気にならなかったが、相変わらずククルトは喉を鳴らしたりしっぽを振ったりして何らかの調子をとっている。

 しかし、目が覚めたのはククルトのせいではなかった。横のベッドで寝ていたオルト婆に揺さぶられたのだ。オルト婆はすでにベッドから降りて外套を羽織っていた。

「起きなミリィ」

 オルト婆は小さな声で呼びかけながらもう一度ミリアムを揺り動かした。

「どうしたのおばあちゃん。外に何か用?」

「お前も静かに支度しな。旅に出るんだよ」

「どうして? トリクシーもいるのに? 何があったの?」

「しっ、黙って。トリクシーには内緒でここを出るんだ」

「どうして内緒なの? トリクシーが起きたときびっくりするじゃないの。訳を話して」

 言う通りに動こうとしない娘をオルト婆は睨みつけたが、すぐに肩を落として自分のベッドに座り込んだ。もう言いなりになる小さい子供ではないのだ。親友も近くにいる。

「お前を治せる人を探しにいくんだ」

「先生を探すということ?」

「いや、誰でもいいんだ。誰でも……」

「もうおばあちゃんでは治せないの?」

「私の魔紋とククルトの何かでこれ以上の同化は妨げられているが、ほんの少しのバランスの崩れで同化は一気に進むような状態だ。今まで以上にとても不安定だ。これ以上私の術と知識ではどうしようもない。あいつも今まで努力していた。でもこのざまだ。さっきトリクシーからイセルダ様の事をきいたが、あの薬の注文といい、どうも破壊的な魔法以外はあまり詳しくはないらしい。しかし、世界のどこかに治す方法が、治すことのできる人がいるかもしれない。そんな大大大魔導士を探すんだ。とても寝てなんかいられない」

「でもね、私は養女になったわ」

「あんなものどうだっていいよ」

「でも──」

『先生を助けないと』と言いかけてミリアムは口をつぐんだ。約盟にひっかかりそうだ。

「ここで先生を待つわけにはいかないの?」

「あいつはいつも勝手にひょっこり現れるんだ。こちらから招く手段がない。それに、あれからここには来ないし、これからも来ないかもしれない。私が『二度と来るな』と言ったから」

 オルトはうつむきため息をついた。ミリアムは今だと思った。

「おばあちゃん教えて。先生は何て言ったの?」

 オルト婆はもう一度深く息をついた。そして意を決したように顔を上げてミリアムをしっかり見据えて話し始めた。

「レングは『お前を引き取りたい』と言ったんだ。正確には『ミリィを魔導士にするために俺の所でうんぬんかんぬん……』もう忘れたわい。

 とにかく、お前とククルトを分ける術のためにお前の魔力も上げたいから、そのために魔導士の修行を自分のところでさせたいということを言ったんだ。

 まったく! 勝手に赤ん坊を連れてきて『たいへんな子だ! 手伝え』そして『俺には育てられない。頼む!』って勝手に置いていったくせに今度は『引き取りたい』だと。なんて身勝手な!……とその時は思ったのさ。それでつい雷を投げてしまった。もうお前なしの生活なんて考えられなくなっちまっているのに。けれど、お前とあいつは仲がいいからお前も喜んであいつについていっちまうだろう。こんな婆のことなんて忘れてしまうだろう。でも、こんな役立たずじゃ忘れられて当然だ。

 今は後悔しているよ。こんなことになるなら……雷じゃなくて杖だけ投げておしまいにすればよかった」

 ミリアムは胸のつかえが一つとれた気がした。自分がたまに重荷に感じるほどのオルト婆からの愛情を考えると、オルト婆が先生を追い出してしまったのも無理もない。それにどんなにケンカをしても何日かしたら一度顔を見せにくるのがいつもの調子だった。自分もまさかこのことがこんなに長引くとは思ってなかった。

 なにしろ先生は今、ここに来たくても来れないのだ。あの鳥の女王に捕まっている。でも、それはオルト婆にも言えない約盟だ。それを知っていて助けられるのは自分だけなのだ。

「おばあちゃん。先生の言う通り、私が魔導士になればククルトも私も無事に分かれられるというのなら、私は今司祭になるために魔導士の修行をしているわ。ここで修行しながら先生を待っていたらいいじゃない。もう二度と来ないなんて誰も決めつけられないよ」

「それではお前の体がもたないかもしれない」

「私、そんなに悪いの?」

「朝起きて、見たこともない怪物がここに寝ていても驚かないよ。怪物になっても、私にとってはお前はお前だけど、できるだけお前のままで、ささやかでもいいから人生の幸せをつかんでほしいんだよ」

 オルト婆は杖を支えにして立ち上がった。

「さあ行こう。トリクシーの飲み物に少し薬を混ぜておいたから、ちょっとの物音じゃ起きないはずだ。あの子と別れるのは寂しいだろうが、養女が消えたとなればロスアクアス家から追手がかかるかもしれない」

 オルト婆の言葉が終わらないうちにミリアムは激しくかぶりを振った。

「行かない! たとえおばあちゃんが魔法をかけて私を連れ出しても私は戻るから。おばあちゃん、私を信じて。私はここで魔導士の修行をしながら先生を待つわ。がんばるから。怪物になる前に魔導士になるから。私をここで魔導士にさせて!」

「ここで、魔導士に……」

 オルト婆が胸をおさえた。気分が悪くなったようではない。夢中で言った言葉だったが、オルトに響いたようだ。

「……わかった」

 オルト婆が口元を震わせながら返事をしぼりだした。

「お前が魔導士になるまで、あいつが帰ってくるまで、お前がお前のままでいられるように、私ができる限りのことをしてみよう」




 翌日、日が高く上がってもぐっすり寝ていたトリクシーは、甘くすうっと息が通るような香りと鼻がもげそうなほどの強烈な匂いの混沌で飛び起きた。

 甘い方はほかほかと湯気がたちのぼるミリアムの体からで、さっきまで薬入りの風呂に入っていたらしい。臭い方は竈でオルト婆がかき回してグツグツ煮詰めている小鍋からだ。

「私、あれ飲まなきゃいけないんだって」

 長椅子の端にすわって鼻をつまんでいるミリアムが言った。

 突然、玄関の戸がノックされた。オルト婆がどうぞと応えると、頬のこけた初老の鉱夫が現れた。以前、鉱山で憑き人となったテオだった。

 テオはおどおどと部屋を見回しながら言った。

「薬がなくなったんだ」

「ああ、そうだね。ミリィ、奥の上から二番目の棚の袋に入っている薬を渡しておくれ」

 ミリアムが寝室の棚から紙袋を持ってきてテオに渡した。

 ミリアムの動きをじっと追っていたテオは薬を受けとるとミリアムに尋ねた。

「カウロさんの結婚式を手伝うのかね?」

「ええ、たぶん」

 ミリアムの返事をきくと、テオの体は震えだし、汗も吹き出した。

「早く薬を飲みな」

 オルト婆の声に鉱夫テオははっと気づき、袋を握りしめた。

「そ、そうだ薬だった。それに、何があっても……”山の子ども”が助けてくれる……」

 焦点の合わない目をしてそうつぶやくと、ふらふらときびすをかえし、ばたんと戸を閉め出て行った。

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