5話

 まだぶすぶすと壁が煙をあげている。その陰で、プロメはアンクを見つけた。

 不意打ちだった。

 そこは出火元と思われた、屋敷の東棟だった。爆発によって可燃性燃料を撒き散らすタイプの時限爆弾が使われた――とデルタがそう言っていた。

 水をかけるとより燃えるため、専用消火剤の散布が急がれた。しかしこの辺りの消防施設には常備されていなかった。

 そのため、もっとも近い軍の基地から消火剤を満載した無人航空機ドローンが駆けつけることになった。

 デルタが一息に指示を出し、またたく間にそうなった。普段の彼からは考えられない果断さだった。

 そのデルタがプロメに言った。おまえは付近の方々に問題はないと説明してきてくれ、と。

 仰せつかったプロメは走り、一軒一軒を訪ね、説明して回った。事情を説明すると、不安が解消したのかほっとしたような表情を見せる住人もいた。ケンの家はなにか手伝うことはないかと申し出てくれさえした。

 別荘地を一巡りして屋敷に戻ると一時間近くが経っていた。ちょうどその時、消火剤の投下を終えた無人機が飛び去るところだった。火はみるみるうちに収まっていった。

 吹き上がる色違いの煙を背景に、デルタがゆっくりと屋敷の方から歩いてきた。

 ぞっとした。プロメは初めてデルタが軍用サイボーグであることを理解した。

 デルタの姿は燃える屋敷になじみ過ぎていた。

 違和感なくそこにあった。

 非日常にあることが当たり前で、プロメと過ごした日々の方が、デルタには違和感のある世界だったのかもしれない。プロメは初めてそのことに思い至って、動揺した。

 追い打ちをかけるように、プロメは気がついてしまった。

 火が収まった屋敷の壁にアンクを見つけた。

 つや消しの施された軍用ナイフが、アンクを壁に縫いつけていた。

 強い衝撃を感知した躯体が感情抑制サスペンドを作動させる。プロメはマスター権限で無理やり抑え込み、荒れ狂う感情そのままにふらふらとアンクに歩み寄る。

 デルタとすれ違ったことにも気がつかなかった。そっとアンクを壁から腕の中へと移す。アンクは暴れることもメガネに手を伸ばすこともなかった。物としての性質が固着し、プロメの腕の中にあった。

 デルタがいつのまにか背後に立っていた。

「デルタ様……、アンクが、アンクが」

 それ以上、言葉を続けることができなかった。

 ぽたり、ぽたりと雫がアンクに降り注ぎ、雨がふりだしたのかと思ってプロメは空をふり仰いだ。

 火災の名残りの煙がたなびく空には黒い雲が広がり、いまにも雨が降り出しそうだった。でもまだ降ってはいない。持ちこたえていた。

 プロメはそでで涙を拭った。どうにもならなかった。でもしょうがない。かなしいとは、こういうことなのだ。

 デルタ様、感情があることはこんなにも、つらいです――そうプロメはデルタに告げようとした。

 デルタは壁を、アンクが縫いつけられていた壁を凝視していた。


 C→D


 壁には、ナイフでそう傷つけられていた。建材の自動修復が始まっていても、はっきりとわかるよう、深く深く傷つけられているようだった。底冷えする悪意がそこにはあった。

「デルタ様?」

「――どうした、泣いているのか?」

「はい、アンクが」

「そうか、わかった。おれはこれから出かける。留守を頼んだぞ」

「本気ですか?」

「そうだ。にはおまえに頼るしかないのだからな」

「お屋敷が火事になって、アンクがこんなになって、それでも出かけられるのですか?」

 自分でもびっくりするほどきつい言い方になっていた。

 デルタは携帯端末を取り出し、突然に連絡を始める。相手はつかまらなかったようでデルタは携帯端末をしまい、改めてプロメの方を見た。

「このまま放っておくことはできない」

 だからなんだというのだ、いまここで苦しんでいる私を放り出していくのか――プロメは自分の強い感情に背中を押されて、デルタに詰め寄った。

「どうしても出かけられるのですか」

「事態は急を要するのだ」

「そんなことはわかりません!」

「敵性存在がいる。見過ごせば、今度は火事では済まない」

「どうしてデルタ様が! 警察や軍に任せればいいじゃないですか!?」

 デルタはプロメの剣幕に驚いたように押し黙った。

「なにか、ご存知なんですね?」

 一呼吸おいて言った。怒りに任せてとはいえ、これから言うことに抵抗があった。

「でも私には教えては下さらない。なぜなら私がただの家事手伝いのロボットだから」

 最悪だ――自分を卑下することで相手の同情を誘い、情報を引き出そうとする、最低な交渉方法だ。プロメでもそのことを知っている。

 しかし、そうでもしなければデルタはなにも教えてくれないと思ってしまった。いままでの信頼すらも無にするような行為だ。だからこそプロメは決して顔をそらさなかった。最低の方法を使ったのだ。少しでもデルタの変化から情報を読み取ろうとした。

 不意にデルタが吹き出した。

「笑うことがありますか!」

 ああもうほんとうに最悪だ。

「いや、すまない。おまえのことを笑ったわけではないのだ」

「じゃあ、どうして?」

 これでは駄々をこねる子どもと変わらない。アンドロイド失格だ。

「昔、そう昔だ――、妻に同じように怒られたことを思い出した」

 プロメはなにも言えなくなった。

「こんなからだになってもなにも変わっていない、それに気がついて、笑ったのだ」

「ずるいです。そんな風に言われたら、なにも言えません」

「ではこれで、お互い様だ」

 そうしてデルタはプロメの頭をぽんぽんと叩き、また携帯端末でどこかに連絡をしながら、屋敷の奥に消えた。

 ほんとうに行ってしまうのだ。

 プロメはすでに怒りがさみしさに変わっていることに気がついた。自分はデルタが出かけることを認めてしまっている――。

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