6月16日(昼)一日中雨

 意識を取り戻したあとのオレの仕事は、城の使用人というよりも、セリナ姫の小間使いだった。

 どうも服従の首輪は、犬笛のように飼い主が呼んでいることを、ペットに知らせることもできるようだ。

 それをいいことに、やれ喉が渇いたの、甘いものが食べたいだのと、大したこともない要件でオレを呼びつける。


「マーゴットなんて、私が何か飲みたいなーって思った時には、もう目の前にお茶の準備ができているわ。ポチ、貴方もそのくらい気を配ってくれないと」

「気楽に言ってくれるなぁ……」


 今までお茶なんて自分で入れたことない上に、オレは他のメイドのように魔法で火をおこしたり、瞬時にお湯を沸かしたりなんてできないんだから。


 慣れない手つきでカップに紅茶を注ぎ、ご希望通りに角砂糖二つと少しのミルクを加えて、姫の前に出す。


「どうぞ」

「ありがとう。…………ぬっる、しかもっす」

「文句あるなら最初から他の人に頼めよ!」


 ふてくされながら、紅茶に添えた茶菓子のクッキーを取り上げる。


「あ、ちょっと!何するのよ!」

「オレの入れた紅茶がお気に召さないなら、これもお口に合わないんじゃないかと思いましたのでね」


「え……そのクッキー、もしかして貴方が焼いたの?」

「殆どコックにおまかせで、オレはちょっと手伝っただけだけどな」


 所々形が不格好なものや、少しこげたものがあるのはそのせいだ。

 流石にこんなもの姫に出すと、怒られるんじゃと思ったのだが、調理場のみんながやけに笑顔で平気平気と言うので、結局そのまま全部持ってきた。


「別に食べられないほど酷い出来でもないんでしょう?」

「そりゃあまあ、味見はしてるし」


 そこまでの品なら、それこそ最初から持ってなどこない。


「だったらよこしなさいよ!」

「うわっ!待て馬鹿、こぼれるだろ!」


 飛びかかるようにして、クッキーの載った皿を奪おうとする姫を押しとどめる。どっちが猛獣なんだか、まったく。

 ぷりぷりしながら席に戻り、改めて出されたクッキーを一つ手に取って、彼女はそれを小さな口元に運んだ。

 さくり。いい音を立てて、クッキーが咀嚼されていく。


「うん、見た目はちょっと下手っぴだけど、悪くないじゃない。勿体ぶらずに出しなさいよ、最初から」

「ほんっと調子いいなぁ……」


 喜怒哀楽がめまぐるしく変わる。この数日だけで、オレはそんな気まぐれなお姫様に振り回されっぱなしだ。


「ポチ、紅茶おかわり!」

「はいはい」


 差し出されたカップに紅茶を注ぐ。角砂糖は二つ。ミルクは少し。


「……っぶ。今度は濃すぎぃ。もうちょっとミルク足して」

「いちいち腹立つなぁ、本当に」


― ― ― ― ― ―


「意外と大人しいのね」


 もたくさとお茶の片付けをするオレの背に、姫が話しかける。


「ん?」

「ここで使用人扱いされること、もっと嫌がると思ってたのに」


 振り返ると行儀悪くテーブルに頬杖をついて、最後のクッキーをさくさくかじりながら、姫が不思議そうにこちらを見上げていた。


「お前がペットとか言うから、もっと酷い飼われ方するかと思ってたけど、それより随分マシだったしな」

「それでも、もっと暴れたり逃げ出すんじゃって、警戒してたんだけどな、私」


 すっかり空になった皿を、彼女の前から取り下げる。


「この首輪がある限り、どこへ逃げたって、またお前は追いかけてくるんだろ?」


 首にぐるりとまとわりつく、忌々しい輪を指さす。ちょっと指をかけて引っ張るくらいでは、この首輪はびくともしない。


「……それに、諦めることには慣れている」

「……ふぅん」


 どこか面白くなさそうな姫に再び背を向け、ワゴンに皿を置く。そうして部屋を去ろうとした時。


「ところでポチ、貴方結構髪が長いのね?」

「そりゃあ、伸ばしてるからな」


 ニーザンヴァルトでは、髪には魔力が宿ると言われている。

 だから迷信深い一部の年寄りなどは、後ろ髪を少し結わえてお護りにする、古い風習を今でも行っていたりする。

 オレのこの一房伸ばして束ねた後ろ髪も、そういった『まもがみ』だ。


「……って、何する気だおい!?」


 背後で立ち上がる気配がし、もう一度振り返ってぎょっとする。

 右手にハサミを持って、セリナ姫が立っていた。サディスティックな笑みを浮かべて。


「トリミングしてあげるわ。夏も近いもの、その髪じゃ鬱陶しいでしょ?」

「け、結構だ!」


 冗談じゃない、『護り髪』を切られてたまるものか。


「アカシャーンにとってはね、髪は魔法の源なのよ」

「……それがどうした」


 姫が一歩踏み出す。


「だからね。ポチの髪にも魔法が宿られては困るの。魔法が使えるようになったら、貴方、首輪があっても逃げようとするかもしれないでしょ?」

「オレはロクタームだ。お前たちみたいな不思議な力は、オレにはないぞ」


 オレが一歩後ずさる。


「女神様は気まぐれなの。貴方を気に入ってしまったら、ベガンダの民として、貴方にも力を授ける可能性がないとは言えないのよ」


 誰がベガンダの民だ!第一、お前の方がよっぽど気まぐれだろうが!


 更に姫が前へ出ようとした所で、オレは一目散に扉めがけて走り出した。


「もう、こういう時ばっかり聞き分けないんだからぁ」


 姫がその白く細い指で、すっと扉を指差し、一言呟く。


「『閉ざせ』」


 扉からカチャリと軽い音がした。ノブをガチャガチャと回せども、全く開く気配がない。


「あっ、こいつ!魔法で鍵かけたな!くそ、この!」


 扉に無駄な抵抗を続けるうちに、背後からシャキシャキとハサミの音が迫ってくる。


 他に脱出する方法は……この部屋は二階だから、窓から飛び降りるのはちょっと危険すぎる。

 続き部屋になっている左の寝室からは、廊下に出る扉はなかったように思う。

 反対側のもう一つの部屋は、まだ入ったことがないからどうなっているのかわからない。


 一か八か。姫の脇をすり抜け、右の部屋を目指して駆け出そうとする。


「ちょっとぉ、諦め慣れてるんじゃなかったの?」


 姿勢を低くして、横を駆け抜けようとしたオレの『護り髪』を、姫は無慈悲にむんずとつかんだ。


「い、痛たたたた!」


 当然髪が引っ張られて、オレはそのままつんのめり、ふかふかのカーペットに倒れ込んだ。


「ふっふーん、捕まえた♪」

「こ、このやろう……」


 顔を上げて、桃色のミニスカートの裏地と、姫君のすらりとした白い足、その付け根を被う小さな水色の布きれが目に入り、慌てて顔を戻す。

 女慣れしてないオレが言うのもなんだけど、この子寝姿もそうだったが、それこそ男が城に少ないせいか、無防備すぎて心臓に悪い。


 そこでふと、ある考えに至る。


「あのさ、姫。まさかとは思うけど……これ、朝オレに裸見られた腹いせじゃないよな?」


「……………………」


 図星かよ。


「お前本気でふっざけるなよ!あんなのどう考えても事故じゃないか!」

「う、うるさいわね!ポチが女の子の寝室に入ってくるのが悪いんでしょ!?」

「オレが勝手に入ったわけじゃないし!マーゴットさんが起こしてこいってぐえっ!」


 思いっきり背中を踏んづけられて、変な悲鳴が出た。


「ええい、もう、ごちゃごちゃうるさーい!大人しく観念しなさーい!」


「馬鹿、やめろ、嫌だ、離せ、嫌だ嫌だ嫌だーーーーーっ!!!」


 抵抗むなしく、じゃきりと軽快にハサミが音を立てた。

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