福沢さん家の秀くん・エピローグ

「もう! 本当に心配したんだからねっ!! 秀くんの意地っぱり!!」

 日曜日の昼下がり。昼食時間の営業が終わり、表に夕方に向けて『準備中』の札を出した福沢食堂の店内にカン高い少年のテレパシーが響く。単眼のまなじりを上げ、ぶんぶんと灰色の触腕を振り回す友人の横で、真っ赤な顔をした弟分が食って掛かる。

「本当だよ! 秀兄! 勉強で悩んでいるんだったら、ファボに素直に相談すれば良かったのにさ!!」

 怒る二人に「悪かったって……」秀は頭を掻きながら謝った。

 風邪の身で家を飛び出してから五日。あの晩、念の為、ファボスが探し当てた夜間診療当番の病院に入院した秀は、翌日には熱が下がり、次の日には退院した。

『実はお前に大事な話があるんだ』

 大事を取って、その次の日も学校を休んだ秀に、昼食の仕込みの合間に作ったネギ粥を出して、誠也と花江は告げた。

『この店をお前に継いで貰おうと思う』

『えっ!? この店は翔子しょうこ姉が継ぐんじゃ……!!』

『翔子はずっと前から、大衆食堂じゃなくて、もっと味にうるさい人達相手に腕を試してみたいって言っていたの』

 翔子、福沢家の長女、福沢翔子は秀が通う料理学校で、伝説として語られる優秀な生徒だ。だからだろう、彼女は自分の腕前が発揮できる店をやりたいと望み、今、誠也の知り合いの紹介で、『オベロン』の高級レストランで修行をしている。

『翔子から二月前に、自分はこの修行が終わった後、レストランで知り合った人と共同で、店を開くという話があった』

 そこで、福沢食堂は自分達の代で閉めようと夫婦で話していたところ、それに茂雄が『だったら、秀に店を継いで貰ってはどうだ?』と待ったを掛けたのだ。

『お前にそれを伝えるのは、お前をこの店の為に引き取ったようで、もっと後にしようと思っていたのだが……』

 自分が『無駄』だ『役立たず』だと『神田』から出ようとした秀を、誠也は真剣な顔で見た。

『大将の言うとおり、今のお前に必要なのは、自分がいて良いと確信出来る『場所』だろう。それにこの店がなれるなら、店も本望だと思う』

『オレがこの店を……』

『ああ、無理ならお前の意志で畳んでしまってくれても良い。ただ、この店と家はお前に残す。だから、ここをお前の『居場所』にしてくれ』

 既に翔子にも奈緒にも了承を取り、秀の友人と弟分の養親である大吾と猪吉にも、この店と秀を見守ってくれと頼んである。

『親父……母さん……』

 この半月の何回もの話し合いは、自分の為だったのだ。

『正式な手続きはこれからやっていく。だから、秀、お前はもうどこにも行かないで、ここに居てくれ』

誠也に真面目な顔で頼まれて、秀はこくこくと何度も頷いた。

『うん。オレ、もうどこにも行かない』

 花江に勧められてネギ粥を食べる。ここに来て、初めて食べた暖かい食べ物。

 この美味しさを暖かさを皆に配りたい。

 だから秀は配達の信条を『うまいものは暖かいうちに届ける』と決めたのだ。

 でも、それだけじゃなくて、この店を継ぐのなら……。

『親父……オレもこんな料理が作れるようになりたい』

『ああ、しっかり教えてやる』

 いつか自分も、父や母のように、この店で美味しい暖かい食事を皆に食べさせられるようになる。

 居間から調理場を眺め、秀は心に誓った。



「で、これを解りやすい言葉に直したり、漢字にふりがなをふれば良いんだね」

「ああ、頼む」

 秀の出した、テキストや問題集がおさまったタブレットの中身を『KOTETU』にコピーしながら、ファボスが確認する。

「なるべく、基礎学力も付けるように勉強するから、それまで頼む」

「OK」

 ファボスは、ようやく単眼の脇の膨らんだ頬を引っ込め、ライトグリーンの瞳を笑ませた。

「今度の検定は無理かもしれないけど、次は絶対に受かってみせるから」

「秀兄、頑張って!」

 英樹の応援に「おう」と秀は大げさに拳を握り、笑ってみせた。

 秀のバリカの着信音が鳴る。テーブルから取り上げ、受信のマークをタップして耳に当てた顔が、ふわりとほころんだ。

「……翔子姉! あ、うん、ごめん。もう治った。うん、心配掛けてごめん」

 五日前のことを、奈緒が翔子に伝えていたらしい。見えない姉にペコペコ頭を下げながら謝った後、秀は言いにくそうに口にした。

「それで……翔子姉……店のことなんだけど……」

 翔子のハキハキとした、父親似のハスキーな声がバリカから漏れ聞こえる。

「うん、うん、本当に良い? えっ!? そんなワザワザ……。うん、ありがとう。親父達にも伝えるよ」

 秀はバリカの通信を切ると、調理場にいる両親に弾んだ声を掛けた。

「親父、母さん、今度の連休に翔子姉が帰って来るって! オレにちゃんと自分の将来のことを説明して、それから奈緒姉と桜も呼んで、晩ご飯を作ってくれるって!」

「翔子さんの料理……」

「良いな~」

 以前、食べたことのある、洒落た美味しい料理を浮かべたのか、羨ましそうな視線をファボスと英樹が送る。

 じっとりとした二人の目に、うっと秀が唸る。

「……翔子姉に、ファボと英樹も一緒にいいか聞いてみる」

 バリカのリダイヤルをタップする。

「……もしもし、翔子姉。ごめん……あのさ……ちょっと頼みがあるんだけど……」

 ぎこちないながらも秀が翔子に、友人達も呼んでも良いか頼んでいる。少し甘えた響きの声に、二人は顔を見合わせると、にっと笑った。

「秀くん、なっちゃんも!!」

「茜も頼むよ!! 秀兄!!」

 ファボスの姉と英樹の妹の名が重なり、調理場とバリカの向こうから、笑い声が漏れた。

「おい!! お前等!! えっ!! 翔子姉、良いって!? どんと任せろって……」

『可愛い弟の友達の頼みじゃ断れないって!!』

 姉御肌の粋な声が返ってくる。

「秀兄、やっと『福沢さん家』の子になれたみたい」

「うん」

「ありがとう。翔子姉」

 照れながら頬を指で掻きつつ返事を返す、秀の声が楽しげに食堂に流れた。


宙の我が家 END

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