今一度のチャンス・2

 夜十一時半。静まり返った工業地区の外れに、自動扉が開く音と共に

「では、今夜はこれで」

「はい。またお願いします」

「こちらこそ」

「気を付けてお帰り下さい」

 大人達の声が重なる。神林大吾と『神田』の総大将とも呼ばれる、父の茂雄。そして、秀の仲間だったヒデキとアカネ兄妹の養父、田中猪吉たなかいのきちの声が遠くなっていく。

 それを二階の自分の部屋で、学校の宿題と二週間後に行われる検定の勉強をしながら秀は聞いていた。

「大将や猪さん達、うちの親父や母さんと何を話しているんだろう?」

 ノート用のタブレットからペンを離す。

 ここ半月の間、五人の大人が集まっての話し合いが週に一度の割合で、営業が終わった後の福沢食堂で行われている。首を捻る秀の耳に、トントンと階段を上がる足音が聞こえてきた。

「秀、ご苦労様」

 ノックの後、ドアが開く。盆に大きめのマグカップを乗せた花江が、配達と夕食を終えてから、ずっと勉強をしている息子に笑みを向ける。

 夜が更け、梅雨の寒さが足下に漂い出した部屋の机の上に

「はい」

 白い湯気の立つカフェオレを置く。秀の好きな牛乳が多め、砂糖無しのカフェオレだ。

「ありがとう。母さん」

 秀はカップを持つと薄茶色の液面を吹いて一口、口に含んだ。まろやかな暖かさが口内に広がる。

「あったかい……」

 思わず笑みがこぼれる。ここ福沢家に来てからは、いつも暖かいものは暖かいままで食べられる。花江も父、誠也せいやも彼がそれを喜ぶことを知っているので、冷めてもちゃんと暖めて出してくれるのだ。

 嬉しそうにカフェオレを啜る秀を、花江はにこにこと人の良い笑顔で眺めた後、ちょっと眉をひそめた。

「最近、すごく根を詰めて勉強しているけど、無理はしないでね」

「うん。でも、今度学校で初めて受ける検定があるから……」

 秀はカップを置いてペンを取った。

「絶対受かりたいんだ」

『ビジネス系の簡単な検定だ。大体皆一発で受かる』

 担当の教師は検定について説明していた。しかし……。

「そう……、でもあまり遅くまで起きていてはダメよ」

「はいはい」

 にっと笑顔を作って秀が答えると、花江は彼の背を軽く一撫でして、部屋を出ていく。

 ドアが閉まる。足音が降りていくのを確認して、秀はタブレットのHOMEボタンを押し、この前受けた模擬検定のテスト用紙を出した。

「…………」

 合格どころか、合格ラインの半分にも達してない点数。秀は顔をしかめ、重い溜息をつくと画面をノートに戻した。



『何だ、これ?』

 目の前に出されたのは、柔らかな湯気の上がる器。中には白い粒のようなものが、少しほぐれた状態でトロリとした汁と共に入っている。その上には緑がかった白の何かの野菜の輪切りがパラパラと掛けられていた。器を横から見、また中を覗き込む。ふわりと鼻に掛かる旨そうな匂いとツンとする野菜の香り。添えられた白いスプーンでかき混ぜると更に湯気がたった。

『ネギ粥だよ』

 密航した旅客船から引き渡された、宇宙駅『神田』の児童福祉施設。その面会室に一人呼び出されたシュウに、この器を渡した、はす向かいに座った老人が目尻に皺を寄せて笑う。

『船長から、保護された君達は朝と晩に固形の宇宙食しか貰ってなかったと聞いてね。それを誠也さんに話したら、とりあえず胃に優しい粥が良いだろうと作って配達してくれたんだよ』

 保護されたと言う言葉に、シュウはむっと顔をしかめた。シュウ達、スペチルグループは、ここ『神田』と第一コロニー『オベロン』に向かう旅客船に入り込んだところを、三日目の晩、倉庫に荷物を取りに来た船員に見つかって捕まったのだ。幸い、選んだ旅客船には、仕事を引退した、所謂シルバー世代の裕福な老人の客が多かった為、客の目を気にする船員達に、彼等はそれほど非道い目には合わされずにすんだ。一番年下の五歳のアカネを除いて、皆、船の下働きをさせられたが、朝晩は食事が出たし、客からも可哀想に、と食べ物を貰うことが出来たのだ。

 顔をしかめたまま、スプーンで器の中身をかき混ぜているシュウに

『大丈夫だよ』

 老人が胸のポケットからバリカを出す。それを皺の寄った指で弾いて、小さなホログラムスクリーンを呼び出すと画面を向けた。

 『Live』と隅に浮かぶスクリーンには、施設の食堂が映っている。皆、テーブルについて、人の良さそうな丸顔のおばさんの給仕を受けながら、シュウの目の前にあるものと同じものを夢中で食べていた。

『実は君にちょっと話があるんだ』

 老人はそう言った後、またにこりと笑った。

『でも、その前に、とにかくそれを暖かいうちにお食べ』



 一匙、口に入れると、もう後は止まらなかった。薄く塩味の付けられた汁は、出汁の旨味がたっぷりで、白い粥は口に入れると舌の上でほろりとほどけ、米の甘味が広がる。それに噛む度にアクセントとなるシャキシャキのネギの味が重なり、シュウは夢中で貪った。

 第一、暖かい。母といたときは勿論、スペチル時代も、食べ物と言えば、盗んだ固形やチューブ、パックの宇宙食ばかりで、それに湯を入れて戻して、なんてことも出来ずに、ただ、そのまま食べていた。

 そんなシュウにとって、これはもう忘れていたといっても過言ではない、暖かなご飯だったのだ。

 老人はシュウが無我夢中で食べ終わるまで、時々目を細めながら、黙って彼を見ていた。そして彼が名残おしそうに何度も器の底の汁をスプーンですくっているのを見て、これも暖かいお茶を淹れてくれた。

 ようやくシュウが器とスプーンを離すと、彼は膝を進めて言った。

『船長から、君達の詳しい話を聞いた。私はまだ君達はやり直せると思う。だから、頼む。今一度、私達、大人にチャンスをくれないか?』

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