『理想の息子』・2

 ぱしゃ、ぱしゃ、雨を含んだ地面を歩く音がする。

 水煙に煙る墓石の向こうから、艶やかな黒髪をツインテールにした、快活そうな明るい顔立ちの少女が現れた。

「ファボ!」

「なっちゃん!」

 ファボスが嬉しそうにライトグリーンの瞳を輝かす。

「迎えに来たよ」

 夏海が持ってきた、大きめの青い傘をファボスは触手を伸ばして受け取る。

「お迎えに来てくれてありがとう」

 ぷへへ……と笑う。手の袋のパンが冷めたのを確認して、その袋もリュックに入れて担ぎ直す。大きく膨らんだリュックに夏海が眉をひそめた。

「また、そんなに買って。お給料無くなっちゃうよ」

「良いの。僕が好きなことに使うんだから」

 ファボスは、ぷうと単眼の左右、人の頬に当たる場所を膨らませた。傘を開く。ぽんと弾けるような音がして、青い花が寺の境内に咲いた。

 それをさして、夏海と一緒に歩き出す。

「大丈夫だよ。僕、ちゃんと僕が好きな人にしか買っていないから」

 ライトグリーンの瞳が力強く煌めいた。



 しんと静まり返った部屋に、ぷっと健二の笑い声が漏れる。

「そう笑うな。本当かもしれんぞ」

 そう言いつつも、こちらもおかしそうに茂雄が笑う。

「そうだとしたら、マミーの目論見は、この三年で見事に潰えたと言えますね」

 健二が楽しげに、部屋を見回した。

 日本建築の部屋のタンスの上には、大小のデジタルフレームが並べられている。地区運動会の優勝写真。町内行事の花見と海水浴の写真。桜の幼稚園のお遊戯会の写真。そのどれもに神林家の人々と秀に囲まれたファボスがいた。

「確かに最初のころは、余りに純粋に育てられた子に戸惑いましたよ。でも、今じゃ『普通』の子です」

「まあ、『普通』の子にしては、年齢の割に幼いし、まだまだ人が良いがな」

「幼いというより、あれは『天然』でしょう。元々の個性ですよ」

 二人の笑い声が弱まり始めた雨音の中に響く。

 始め、神林家に養子に来たファボスは、余りに人慣れしておらず、純粋過ぎて、嘘もつけず、思ったことはすぐ口にし、人に騙されることも多々あった。

『ばーか、なに考えてるんだ。少しは学習しろよ。それじゃあ、生きていけないぜ』

 そんな彼を変えたのが、今の友人の秀だったのだ。



 秀も、福沢家の本当の子供ではない。彼は異星人の父と地球人の母の間に遺伝子工学で産まれた人工ハーフで、ネグレストを受けていた父母から捨てられ『神田』で保護された、スペチル……スペースチルドレンのグループの元リーダーだ。

 スペースチルドレンは、家族から捨てられた、または事情があって身よりの無くなった子供が、宇宙船に密航し、星々を旅している状態、またはその子供達をいう。彼等は一カ所にいると、大人達の良いように、非合法組織に組み込まれたり、売春組織に無理矢理売春させられたりする為、星を短いスパンで転々とする。宇宙時代のストリートチルドレンとして、問題になっていた。

 『神田』でも、年に数人、保護される彼等は大概が、その星や近隣の星の児童福祉施設に入れられるが、中には、保護された町で養子になる子供もいる。秀とファボス、全く正反対の生き方をしてきた二人は、養子になったのが同じ時期、そして親戚同士の家に引き取られたこともあり、互いに一番最初に仲良くなったのだ。

 秀はビシバシと純粋培養させられていたファボスを『訂正』していった。

『バカ、だまされてんだよ。この街にだって悪い奴はいるんだ』

『少し考えてモノ言えよ! そんなんじゃ、いくら優しい神林の人だって、お前のことイヤになるぜ!』

 そして、やっかみ半分の自分の『訂正』を素直に聞き入れ、『秀くん』『秀くん』と慕うファボスのとぼけた優しさに秀もまた救われたのだ。

「『偽りの愛情』とはいえ、マミーがしっかり愛情を注いで育ててくれたおかげだな」

 人格の基礎が出来ていたファボスは、同じ特化デザインチャイルドの中でも、個性がはっきりしており、コミュニケーション能力も備えていた為、施設の人も驚くほどの早さで、神林家になじめた。だからこそ、茂雄は本当の事情を知りながらも、マミーを神林家の墓を通して、ファボスに供養させている。

 庭でしっとりと雨に濡れる梅の木。何度切っても枝を伸ばす、あの木のように、ファボスは神林家と友人達に支えられ、自分の意志で自分の形に枝を広げようとしている。

「……パパ……」

 起きてきた桜を健二が抱き上げる。雨の中、緑を濃くする庭木を茂雄はじっと見つめた。

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