『扉』ヲアケテ

 子供の寝息しか聞こえないファミリー向けアパートの一室に、軽い電子音のメロディーが響く。

 美佳みかがタブレットから顔を上げると、部屋の隅の充電器に乗った蔓植物型子守ロボット、バインの本体の丸いボディの表面に『Installation is completed』の文字が浮かび消えるところだった。

 今度、息子を預ける保育園の子守ロボット対応マニュアルのインストールが終わったらしい。美佳は読んでいた保護者説明会のしおりが入ったタブレットをスリープすると、居間の真ん中に敷いた布団で昼寝しているじゅんに歩み寄り、枕元に座って、そっと額の柔らかな前髪を指で梳いた。

 美佳……瓜生うりゅう美佳と夫、雅彦まさひこの息子、純は先月一歳になったばかり。そして美佳は来月で育休を終え、時短で仕事復帰をする予定だ。

「……大丈夫かな?」

 ぷくぷくしたほっぺを指の甲で撫でて呟く。

 純はかなり育てやすい子供だった。よく寝るし、よく食べる。両方の両親が他星系に住んでいて頼れず、最初の子を自分達だけで育てなければならない娘夫婦を心配して、美佳の両親が贈ってくれた子守ロボットにもよくなついてくれた。始終とは流石にいかないが、ご機嫌なときも多く、周りのお母さんに話をすると十人中十人から「良いわね~」と羨ましがられる子だ。

 ただ……。

「寂しがり屋なのよね」

 寝るときは寝つくまでずっと誰かに触れてないとダメで、一人でご機嫌良く遊んでいても、気付いたときに見える範囲に誰かがいないと、この世の終わりのような大声で泣き出す。その後はかなり長時間ぐずぐずとぐずるので、美佳と雅彦とバインの二人と一体で純の周囲には常に誰かいるようにしていた。

 そのことは既に保育園説明会の後の個別面談で先生方に話してある。

「本当はもう少し……来年の四月まではお家にいる予定だったんだけど……」

 実は美佳の実家、瓜生家には代々霊感持つ者が産まれる。美佳もそうで、純もその霊感を持っているらしかった。

『この子は視え過ぎるね』

 お盆にわざわざ孫を見に来た美佳の父が純を一目見て、困った顔をしていた。

『霊が生きている人間と同じくらいのレベルで視えるんだ。この子はなるべく早いうちに美佳や雅彦くんだけでなく、他の沢山の生きている人の中で育てた方が良い』

 自分より強い霊感を持つ父の忠告に、夫婦二人で相談し、来月、正月明けから保育園に預けることに決めたのだ。

「沢山の生きている人にふれ合わせてあげること……か」

 気持ちよくて、ついほっぺを触り続けていると軽い音楽が流れる。

「あれ? マナーモード忘れてた?」

 美佳の多機能万能カード、バリーカード、略してバリカの着信音だ。純は多少の物音で起きる子ではないが、お昼寝の間は鳴らないように、いつも寝つくと同時にマナーモードに設定しているのだが……。

 立ち上がり、テーブルの上に置いたバリカの画面を覗くと着信画面に変わっている。知らない番号に『拒否』のマークをタップし、カーディガンのポケットに放り込む。

「……ん……」

 小さな声が聞こえた。むにむにと純の口が動く。パチリと大きく目が開いた。

「起きた?」

 顔を覗き込んだ美佳に

「あ~」

 嬉しそうな声が上がる。はい! とばかりに伸ばした両手に美佳は笑って抱き上げた。

「あ……おむつぱんぱんだ」

 抱き上げた途端感じる、ぐにゅっとしたお尻の感触に

「おむつ替えて、お茶飲もうか?」

 抱っこしておむつを取りに行く。純の目覚めをキャッチしたのか、スリープモードから、もぞもぞとボディから蔓を伸ばして、動き始めたバインにお茶の用意を頼むと、おむつ替えセットの入った駕籠を出し、おむつを替え始めた。

 すぐに寝返って、はいはいしたがる純を片手で押さえながらズボンを脱がせる。

 そのとき、まだ軽い音楽がバリカから聞こえた。

「もう! またぁ~」

 同じ番号に今度は着信拒否ボタンをタップして、純に渡す。いつの時代も子供はこういうものが大好きだ。大人しくなった純におむつを着けズボンをはかせる。

 すると、またバリカが鳴り出した。

「あれ? 確かに着拒したはずなのに……。純、ごめん、ちょっとお母さんに返して」

「あ~」

 純がバリカを両手でしっかりと掲げるように持ちながらも、首を横にしてベランダの方を見ている。なんとなく何かを感じて美佳は視線を追った。

「ひっ……!」

 小さな悲鳴が唇から漏れる。

 昼モードの透明な窓には純が眠そうになってから、薄いカーテンをひいてある。その窓の向こうにカーテンの隙間から何かが部屋を覗き込んでいた。

 黒いモヤモヤとした影に、そこだけくっきりと浮かぶ血走った目……。

 慌てて視線を外し、まだ見ている純の目を手で覆う。

「バイン、ベランダの窓のカーテンを外が見えないようにしっかりと閉めて」

「あ、はい」

 バインが葉っぱ型のスピーカーのついた蔓を振る。シャッとカーテンレールの鳴る音がした。

「純、返してね」

 バリカを取り上げ、ベランダを見ないように純を胸に抱え込む。美佳はもう一度しっかりと『着信拒否』のボタンをタップした。

「……ついて来ちゃったんだ……」

 アレは午前中、買い物ついでのお散歩の途中、橋のたもとにいたヤツだ。一目見てタチの悪いヤツと解ったので、道を引き返し、別のルートをバインに検索して貰って帰ったのだが、どうも視えたことを気付かれていたらしい。

「……大丈夫よ、純。今、お父さんに繋ぐから」

 夫、雅彦は元々の明るい性格とオカルト大好き! という陽の気持ちから陰気な霊を弾くという天然祓い師だ。仕事中なので通話は無理だろうが、両方のバリカで登録してあるGPSアプリで互いの位置情報を交換して繋げば、流れ込む彼の陽の気で、とりあえずアレを遠ざけることは出来る。

 アプリを立ち上げようとしたとき、また音楽が鳴って、着信画面に切り替わる。アプリの位置に通話ボタンが浮かび、押しそうになって慌てて指をひく。

 もう一度、着信拒否し、またアプリをタップしようとすると、またまた着信画面に変わった。

 美佳は唇を噛むと、そっとベランダのヤツを伺った。強い陰の気の中にどことなく楽しげな気を感じる。

 ……『扉』を開けさせようとしている……!!

 さっきからの着信はヤツの仕業に違いない。

 季節は冬の十二月。暖房の暖かい空気を逃がさないように、しっかりと閉じられた部屋は、外界から閉ざされた空間だ。そこに入り込む為には、中にいる者に自分から『扉』を開けさせるのが一番良い。

 バリカの着信に、こちらが通話ボタンを押して答える。

 これも『扉』を自分から開けて招き入れる行動と同じなのだ。

 もう、このバリカはヤツに乗っ取られているのかも……。

 鳴り続けるバリカの画面を睨む。

 もしかしたら、雅彦くんに繋ごうとしたら、ヤツに繋がってしまうかも……。

 美佳はバリカの電源ボタンを押した。電源を切り、息を飲んで、様子を見る。

「美佳様~、お茶、どうしますか?」

 のほほんとしたバインの声がキッチンから聞こえる。真っ暗になった画面はそのまま立ち上がる気配はない。

「純にあげるから持ってきて」

 ほっと息をついて、バインからマグマグを受け取り、純にお茶を飲ます。

「これで、後は雅彦くんが帰って来るまでお家に籠もっていれば……」

 幸い買い物も散歩も終わっている。雅彦が帰ってきて、ベランダに霊がいることを知れば、大喜びしてはしゃぎまくるだろう。その自分に向けられる好奇の陽の気にヤツは耐えきれず逃げ出すはずだ。

 それまでは相手にせずに無視していれば良い。

「私も暖かいお茶でも飲もう」

 純をバインに預けて、立ち上がったとき

 ピンポーン!

 玄関のチャイムが鳴った。



 ビクリ! 美佳は思わす立ち止まった。

「どなたですか~」

 純を抱っこして、バインが葉っぱ型集音機のついた蔓を掲げる。

「あっ! バイン、出ちゃダメッ!」

 もしヤツだったら……美佳の悲鳴に似た声に、バインは蔓を壁の小型モニターに向けて振った。

 モニターに玄関のドアの上についた監視カメラの映像を映す。魚眼レンズの丸く歪んだ映像には誰もいない玄関先が映っていた。

「間違いですかね~」

 バインがカメラアイを傾げる。

 ……いや……いる……。

 バインには見えなくても、美佳の目にはドアの前に黒いモヤモヤとした煙の塊のようなモノがいるのが視える。それは美佳が視ていることに気付いたのか、目がぐるりとカメラを向いて、にっと笑った。

「バイン、モニターを切って!」

「あ、はい」

 ピンポ~ン!

 画面がブラックアウトした途端、チャイムが鳴る。

 ピンポ~ン! ピンポ~ン!

 ピンポ~ン! ピンポ~ン!

 バリカが使えなくなったので、今度は玄関のインターフォンを使って『扉』を開けさせようとしているのだろう。

 美佳はタブレットを手にすると

「バイン、ドアを開けないで。インターフォンにも出ちゃダメよ」

 念を押して、アパートの使用説明書を立ち上げた。

 確か、執拗なイタズラやストーカー対策にドアをロックして、インターフォンの機能を停止させる方法があったはず……!

 検索で出てきた目次をタップする。現れた設定方法のページに書かれているとおりにアパートの自室のシステムAIとタブレットをリンクし、画面の案内に従って出てくる項目をタップしていく。最後にこの部屋の契約者の名前、瓜生雅彦とパスワードを入力し『承認』ボタンをタップした。

 途端にしつこく鳴っていたベルが止む。

「……うまくいったぁ~」

 タブレットを胸に抱えて美佳は息をついた。

「……あ、でも雅彦くんはどうしよう……」

 居住人として登録されている雅彦は、玄関のセンサーで生体認証すれば入れると思うが。

「驚かせてしまうだろうなぁ……」

 妻と子がいる部屋のドアがロックされているのだから。とはいえ、バリカはもう立ち上げられない。

「何か連絡取る方法はないかな……」

 そのとき

 ピー、ピー。

 キッチンで調理機の鳴る音がした。



「バイン、何か作った?」

「いいえ、バインは純様のお茶を冷蔵庫から出しただけです」

「う~」

 唸る純を抱えたバインと一緒にキッチンに入る。

 自動調理機の扉のモニターが点灯し、そこに今夜の夕食のメニュー表が映っていた。

「まだ、御夕食の準備には早いのですが……、タイマーの設定を間違えましたかね~」

 バインが調理機に向けて蔓を振ろうとしたとき

「あ~!」

 純が大きくのけぞった。

「おっと、純様、暴れては危ないですよ~」

 おっとっと……と抱き直すバインの蔓を純の小さな手が必死につかもうとしている。

「純、危ないわよ」

 美佳も止めようとして、その必死な様子にふと気付いた。

「バイン、このメニュー表はタップするとネットに繋がるんだよね……」

「はい、レシピが登録されたサイトに繋がりますが?」

 ……するとこれも……?

 バリカ、ドアときて、これもヤツの仕業かもしれない。

 もしかして表示されたリンクをタップして、ネットに繋ぐことが『扉』を開けることになるのかも……。

「美佳様?」

 純に根負けして、スピーカと集音機、二本の蔓を握らせたバインがカメラアイを振る。

 モニターを前に考え込む美佳に横で、突然、冷蔵庫が鳴り出した。

 ピー、ピー。

 冷蔵庫の扉に文字が浮かぶ。

『今夜の夕食に鶏肉が足りません。ネットスーパーで購入しますか?』

 購入ボタンが点滅する。

「えっ?」

「そんなはずはありません。今夜の御夕食の材料は全部揃ってます。お買い物をした物を入れた後、バインがちゃんと中身の更新をしました」

 ピー、ピー。

 今度はその隣のポットが鳴る。

『適温メニューを再設定して下さい。メーカーサイトからお好みのメニューをDLしますか?』

 ピー、ピー。

 時計が鳴る。

『時刻が間違っています。インターネット時刻供給サービスに繋いで正しい時刻を設定して下さい』

 ピー、ピー。

 ピー、ピー。

 ガス警報器や漏電警報器、お風呂にエアコン。

 どれもこれも呼び出し音が鳴り、ネットに繋ぐことを勧める表示が出てくる。

「おかしいですね~。バインは異常を感知してませんが」

 カメラアイをひねりながら、バインが自分の各種センサーを作動させる。

「……ヤツだわ……」

 家電から漂いだした陰の気に美佳は悟った。この気はさっきのベランダで感じたものと同じだ。

 ……解った。何故、ヤツが楽しんでいたか……。

 この宇宙時代、バリカだけでなく、家電や電子機器のほとんどがネットで外界に繋がっている。ヤツからすれば、開けさせる『扉』はいくつでもある。

 ……だから……。

 どの扉なら開けさせることが出来るか、ヤツはそれを楽しんでいるのだ。

「そうだ! オフライン!」

 霊対策ではないが、部屋のシステムAIや家電がネットを通じて外部から何者かに乗っ取られたときの為に、全てをオフラインにすることが出来る方法がさっきのアパートの使用説明書にあったはずだ。

 タブレットを取り上げる。瞬間、画面が変わった。

「アケテ」

 真っ黒の画面に大きく赤い文字が浮かぶ。

「ひっ!!」

 思わず放り投げる、床に落ちて滑り、壁に当たって止まったタブレットから着信音が鳴り出した。

「どうしよう……」

 ピーピー、ピーピー。トゥルルルル……。

 一斉に鳴る家電の音。他の部屋からも音が次々と聞こえだし、広がっていく。テレビ、デジタルフレーム、各種モニター、PC。どれもがネットに繋がっている『扉』だ。

 アケテ、アケテ。

 アケテ、アケテ。

 一つ、また一つと機器が鳴り出す度に、部屋に立ちこめる陰の気が強くなっていく。猫が獲物を弄ぶような楽しげな様子に美佳はぺたんと床に座り込んだ。

「……どうしよう……ねぇ……どうしよう……雅彦くん……」



「あ~」

 ふわり、膝に小さな暖かなものが乗った。

「あ~」

 バインに降ろして貰ったのか、純がはいはいでやってきて美佳の膝をよじよじと登り出す。

「あう~」

 服を握って、つかまり立ちし、美佳の胸に甘えるように顔を押しつける。

「あう~、あ~」

 にこにこと笑いながら、純は美佳に喃語で話しかけてきた。

「あ~」

「……純……、お母さんを元気つけようとしてくれているの……?」

「うあ~」

 純のふくふくのほっぺを撫でる。愛らしい顔立ちは美佳似だと誰もが言うが、茶色の瞳は明るく、好奇心いっぱいで、物怖じしない雅彦にそっくりだ。

 美佳が抱き返すと

「きゃあ~」

 嬉しそうなあどけない声が返った。赤ちゃんの暖かくて柔らかな感触。

「……美佳しっかりしなさい。お母さんでしょ!」

 自分に喝を入れ、美佳は純を抱っこして立ち上がった。

 そうだ、怖がっている場合ではない。とにかく、純を守らないと。

 時計を見上げる。時刻は三時過ぎを指している。

「雅彦くんが帰ってくるまで、なんとか耐えればいいだけなんだから!」

 取り敢えず、台所から一番離れた、奥の寝室に籠もろう。あそこでネットに繋がっているものと言ったら、目覚まし時計くらいしかない。それを部屋の外に出して、純のおむつと着替えと食べ物と飲み物を持ち込んで……。

「バイン、純のおやつを出して……」

 言い掛けて美佳は口をつぐんだ。

 バインは丸いボディから出した蔓を、足代わりのものを除いて、全部床に垂らしている。ただ一本、カメラアイがついた蔓だけを立たせ、じっと動きを止めていた。

「バイン……」

 まさかバインも……?

 バインも勿論、この時代のロボットがそうであるように常にネットに繋がっている。そして、家事機能も持つバインは、この部屋のシステムAIの上位AIとして設定されている。つまり、システムAIを自由に動かすことが出来るのだ。

 そのバインまでヤツの手先になったら……。

 直ぐにでも『扉』を開けてヤツを招き入れてしまうだろう。

「バイン……」

 バインの葉っぱ型スピーカーのついた蔓がゆっくりと上がる。

 ぎゅっと純を抱きしめ、息を飲む。

 びっと蔓が空を切る。

「お黙りなさいっ!!」

 バインの一喝に、鳴り響いていた音が全てピタリと止んだ。



「情けないっ!!」

 ビシッと緑の蔓がキッチンのシステムAIのモニターを指す。

「いくら汎用下位AIとはいえ、外部の攻撃にあっさりと侵入を許したあげく、意のままに操られ、主人である方々に不安を与えるとは、それでも人に仕えるAIですかっ!! 同じAIとして恥かしいっ!!」

「バ……バイン? 」

「美佳様、大丈夫ですか?」

 いつもの、のほほんとした彼とは全く違う様子に驚く美佳に

「今、バインは純様と美佳様を守る為に危険対応モードに移行してます」

 バインはキビキビとした声で説明した。

「同時に多発した異常事態にモードを移行し、原因を探っていたのです。外部からの攻撃と解り、ファイヤーウォールを強化してシステムに修復プログラムを走らせてみたのですが、正常に戻りませんでしたので、最終手段としてオフラインにした後、全てをシャットダウン致しました」

「……はぁ」

「全く、こんなに簡単に侵入を許すとは、このアパートのセキュリティはどうなっているんでしょう! 今、この異常事態の録画映像を添付して、原因究明と対策を求める抗議メールをアパートの管理会社に発送致しました!」

 ……それはアパート管理会社からシステムを委託されているシステム屋さん達が非常に困るだろう……。

 ぶんぶんと蔓を振るバインに思わず心の中でつっこむ。

「これから一つずつスキャンしながらシステムと家電を立ち上げていきます。全部、バインがしますので、美佳様は純様とご一緒にゆっくり、おやつでもなさっていて下さい。それと管理会社から何らかの対策を施したという通知があるまで、バインが接続機器の代わりをしますので、もうバリカやタブレットをお使いになっても大丈夫ですよ」

「あ、ありがとう」

 早速、バリカを取ってきて、GPSアプリを立ち上げ、雅彦のスマホと繋ぐ。漂っていた陰気が陽気に押され、ベランダのヤツがひるんだのが解った。

「後はメッセージを打ち込んで……」

 さっきの出来事を打ち込んでメッセージアプリで送る。これを読めば雅彦の興味が一気にこの部屋に向けられ、ヤツは逃げ出さざるえなくなるだろう。

「純、もう大丈夫だからね」

「あ~」

 純が嬉しそうに美佳の首に手を回す。

「ところでバインは侵入されなかったの?」

「勿論」

 蔓をふりふり振って、システムを起動させながらバインが得意げに答えた。

「侵入したのは感知しましたが、バインは美佳様のご両親が純様の為に作った特別仕様の子守ロボットです。はね返してやりました!」

 むん! と蔓をボディに当て、カメラアイをそらす。胸を張る仕草に思わず美佳が吹き出し、純が小さな手を叩いた。



「で、ヤツは!?」

 カーテンを開け、ベランダを何度も見回す雅彦に

「メッセージが既読になって、しばらくしたらいなくなっちゃった」

 結局、家電の再起動が夕食までには間に合わず、雅彦に帰りに買って来て貰った弁当のパックを並べながら美佳は肩を震わせた。

「雅彦くん、ずっと早く帰りたくてソワソワしていたでしょう?」

 その自分に向けられる気を感じて、これは直接会ってはいけない相手だと退散したらしい。

「またか……」

 がっくりと雅彦がうなだれる。

「ご飯が終わったら、雅彦くんが納得するまで詳しく話してあげるから」

 そうすることで、しっかりとヤツを認識した雅彦の『会いたい!』という大好きオーラにヤツは二度と、この部屋に近づけなくなる。

「あ~、あ~」

「純様~。ダメです~。あんかけハンバーグが大好きなのは解りますが、ちゃんと座って下さい~」

 いつもの、のほほん子守モードに戻ったバインが、テーブルに並べた買い置きの離乳食の中に大好物を見つけ、早く食べさせろと身を乗り出す純を座らせ、お食事用スタイを掛ける。

「お手手を突っ込んではダメですぅ~」

 食欲旺盛な純に苦戦しているバインにスプーンを渡し、純の小さな手にもお気に入りのスプーンを握らせて、美佳はお茶を淹れた。

「……で、本当にバインは大丈夫なのか?」

「うん、お父さんが言っていたとおりだったみたい」

「お義父さんが?」

「ええ」

 お茶を運び、席について弁当のパックを開けると、横でバインが純に、ご飯を食べさせ始める。

『バインには何かが入っているね。悪いヤツではない。多分、純に縁のある、純に憑いてきた何かだ』

「純様~、野菜スティックを二本も、お口につっこんではダメです~。スプーンに噛みつかないで下さい~」

 振り回されつつも、バインが楽しげに食事をさせている。美佳は夫にイタズラっぽい目を向けた。

「バインにはもう先客が憑いていて、入る隙間がなかったみたい」



 一人暮らしの小さな1DK。帰宅後、風呂上がりをの髪を乾かしている女性の部屋のスマートスピーカーの音がプツンと切れた。

「ん? 通信エラー? 接続を設定し直して下さい?」

 接続機器を確認しにいく。スピーカーから小さな声が漏れた。

『ア~ケ~テ~』

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