第21話 ソースコードっていうのの扱いは微妙なとこもあるのよ、あるいは、グルジア郷土料理的なうどんと世界一売れてるらしいバーボンのハイボール

「また、やらかしてくれたわねぇ」


 某大手企業のシステムのソースコードを、全公開でネットにアップして、結果的に世界中に公開してしまったという事件が発生したそうだ。公開した動機は、ソースコードを見て年収を出すサービスを利用するためだったとか。


 IT技術者の能力を測るのにソースコードを利用するのは、イラストレーターに描いた絵を求めたりするようなものだから、理に適ってるのよね。


 だからと言って、仕事で作ったものを世界中に公開するのは慎重にしないといけないわ。


 微妙な言い方になっちゃったけど、ここで十把一絡げに「仕事で作ったものを外部公開したらアウト!」ってならないのが、難しいところなのよ。


 ITの世界には『オープンソース』という文化がある。『オープン』という言葉通り、ソースコードを世界中に公開して、世界中の人が開発に参加できる文化、かしらね。でも、オープンだから著作権を放棄しているわけではなくて、オープンソースのソフトウェアにはそれぞれにライセンスが定められて、その範囲での使用を許可している、という形ね。


 その中に、『オープンソースを利用したソフトウェアもオープンソースとしてソースコードを公開しないといけない』ってライセンスもあったりするのよね。だから、オープンソースを利用したケースでは業務で作成したソースコードを公開しても問題にならないどころか、ソースコードの公開を拒否することがライセンス違反になるケースもあったりするのよね。


 極端な例ではあるけど、オープンソースのライブラリを使ってたことでライセンス規定に引っかかって某人気ゲーム会社がゲームのソースコードを公開したことがあったわね。


 ま、これは特殊な例だし、オープンソース使うときはそのライセンスをちゃんと確認していれば公開義務は回避できるものよ。


 原則として仕事で作ったものを公開するのは職業倫理とか社内の守秘義務とかそういったものに抵触するからダメって思ってていいわ。


 だけど、名刺代わりにソースコードを公開する技術者も増えているし、それを見て採用する企業もでてきたりと、「ソースコードを公開する」ってことに対する企業と技術者の意識の変化は時代の流れとして確かに存在するわ。


 ただ、哀しいけど事実としてIT後進国の日本ではむしろ大手企業ほど時代の変化に柔軟に対応できなくて、ソースコードを公開したりそれを評価したりっていうのは馴染まないところはあるでしょうね。


 無断で公開するのはダメだけど、例えば、自社の技術をアピールする目的で会社の許可を得て業務で開発したソースコードを公開する、とかそういう戦略はあると思うんだけどね。


 だから「業務で作成したソースコードを公開するなんて絶対ダメ」とは言えないのが、この問題の面倒臭いところかしらね。


 なんて。


 業界を賑わす事件に触発されてあれこれ考えを巡らせて迎えた休日の朝。特に予定もないから、寝起きの冷えた体をホットなお米のジュースで温めていると。


「 GitHub って何?」


 あらゆることのネタバレを許さない『ググらない女』、こと田島たじま郁乃から、端的な質問メッセージが飛んできた。


 ま、予定もないし、近所だけれど。


「で、報酬は?」


 応じる前に、そう問い返す。友達の頼みに対して報酬を要求するのはいやらしいと思う人もいるかもしれないけど、友達だからこそ、なあなあにはしたくない。これが、あたしのプロのエンジニアとしての矜持よ。


「勿論用意してる。すぐに来て」


 端的な返事。なら、行くことにやぶさかじゃないわね。


 というわけで、流石にお隣といえど寒いので上着を羽織っていくのん宅へ。


「いらっしゃい」


 相変わらず腰までの髪はぼさぼさで、ラフなスウェット姿のいくのんが出迎えてくれる。


 片面が天井まで本棚になった玄関の廊下を抜けて、これまた本だらけのリビングへ。詳細はしらないけど、いくのんはフリーのライターで本や映画やゲーム関係の記事を書いている、ってことで、とにかく本を読みまくってる、そんな女よ。


 暖房が効いてて暑いぐらいなんで、入ってすぐのところに無造作に置いてあるコート掛けに上着を脱いで掛ける。


「サバエちゃん……」


 あたしが上着を脱ぐと、ジト目になって。


「また、そんな体の線が出る格好で。嫌みなんだか、無防備なんだか」


「え? あ、別にいいじゃない。これ、一枚でもあったかくて、部屋着になってるのよねぇ」


「別に部屋着にする分にはいいけど、それ、分類上は『下着』じゃなかったっけ?」


 そういえば、インナーのコーナーに売ってるわね、この熱する技術的な部屋着。


 でも。


「いいじゃない。ここに来るまでは上着着てたんだから」


「……本当、全然懲りてないね」


 溜息混じりにいくのん。


「そう、かな? 上着脱ぐのは部屋に入ってからでいくのんにしか見られないし、そんな気にしなくていいと思うんだけど」


 心配してくれるのは嬉しいけど、過保護は、ね。


「そういうとこ、ズルいよね、サバエちゃん」


 と複雑な表情で言って、いくのんは琥珀色の液体に満ちたグラスを差し出してくる。彼女の手にも同じ液体に満ちたグラスがあった。


 洋画なんかでちょくちょく見かけるのを真似していつの間にか習慣化してる二人の挨拶みたいなものよ。


 だから気兼ねなくグイッといけば。


「あ、今日のは定番の味、ね」


 以前、いくのんパパの会社であったトラブルのお詫びにと、いくのんパパが桁違いにいいお酒を差し入れてくれてるみたいなのよね。お陰で最近はそのご相伴にあずかってばかりだったんだけど、こういうの、ホッとするわね。


「うん。やっぱり、こういうのも、いいよね」


 どうやら、いくのんも同じように感じていたらしい。高級で味も伴ってれば、それは嬉しいけど、安くても美味しいというか飽きがこないというか、そういうお味のお酒は沢山ある。


 このお酒も、そういった系統。


「というわけで、今日の報酬」


 いくのんが出してきたのは、世界でもっとも売れているという触れ込みのバーボン。その、ペットボトルタイプね。


「オッケー、十分よ」


 空になったグラスを、本だらけのリビングの小さな生活空間である17インチのノートPCが据え置きされた折りたたみ机の上に置いて、受け取る。


 さて、専門家の知識への敬意をきちんと示されたので、こちらも気持ちよく講釈ができるわね。


「で、 GitHub だっけ?」


「うん。たまたま見かけた単語だけど、意味が解らなくて……なんとなく IT 用語っぽいんでサバエちゃんに聞いたらいいかなって」


 こういうのって検索すればすぐ解るんだけど、いくのんはそれをしないことを自分に課してるのよね。すぐに解ると面白く無いからと、調べるのはアナログな取材と決めているググらない女である。


「まぁ、 IT 用語だけど……どういう意味だと思ってる?」


 それでも、丸投げはしないのがいくのんである。己の知識が及ぶ限りは考える。そうすると、面白い答えが返るんじゃないかと聞いてみたんだけど。


「直訳したら、バカの拠点?」


 果たして、そんな答えが返ってきた。


 これ、ふざけてるようで、正解なのよね。


 英単語として捉えれば、 git は『バカ、愚か者』って意味だし、 Hub というのは中心地、拠点と言った意味合いがあり、それが転じてターミナル的な意味合いから中継所って意味合いも持つわね。ハブ空港とかもそうだし、ネットワークの中継器をハブっていうしね。


「確かに言葉の意味としては間違ってないけど、 GitHub っていうのはサービスの名前」


「あ、固有名詞なんだ……となると、 Git っていう何かしらがあって、それを集約するところ、みたいな感じかな?」


 とまぁ、物分かりが非常にいいのがいくのんである。基本的に、頭がいい。凄く。だからこそ、調べて解ってしまうのが面白くない、というのは傲慢にもとられたりするけど、「ネタバレ、ダメぜったい」というポリシーにより、どうしてもそこは譲れないらしい。


 天才の苦悩、かもしれないわね。


 ともあれ。


「Git っていうのはソースコード……プログラムを書いたテキストファイルね。そのバージョン管理をするシステムよ。いくのんもライターなら、こういうことはないかしら? 文章書いてて、書き直してから前の文章がよかった、とかあるでしょ? そういうときに、前の文章に戻したりするための履歴を管理するシステム、っていったら解る、かな」


「なるほど……わたしは、前に書いた内容も全部覚えてるから別にシステムに頼らなくても困らないけど、確かに、履歴を管理できるシステムっていうのは、あるとよさそうね」


 サラッと、何でもないことのように言うけど、これがいくのんなのよね。実際、大学時代に卒論の口頭試問に手ぶらで参加して、教授の質疑に対してどこに何が書いたかを完璧に暗唱して答えてたらしいし。


「あ、そっか。履歴管理ってことは、覚えておくだけじゃなくて、うっかり消した場合のバックアップにもなりそうだし、多人数で一つの文章を書いてたら、文章に問題発言が含まれてたときに誰がどこを修正したか解ると責任の所在が明確になったりするし……プログラムのことは解らないけど、ライターの視点だとそういう利点が見えるね」


 その上で、理解力というか想像力というか、そういうのも優れている。


「それでほぼ Git というツールの本質は捉えてるわ」


 あたしが説明するまでもなく、バージョン管理システムの役割に辿り着いてしまった。


「となると、 GitHub は、『バカ』じゃなくて、そのバージョン管理システムという Git の拠点……仕事で使うツールとしては、例えば、インターネット上にバージョン管理の箱を置いて、それを世界中からアクセスできる仕組み……あれ? でも、それだと守秘義務とか、大変ね……」


 勝手にどんどん想像力だけ本質を言い当てていくいくのん。とはいえ、細部はアバウトよね。


「世界中からアクセスできても、ユーザーとパスワードで範囲を絞ったりすれば、企業でも利用はできるわ。そういうサービスは一杯あるわよね。昨今、需要がマシマシのオンライン会議システムとかも、そうよね」


「あ、そうね。流石サバエちゃん」


 素直に賞賛してくれるいくのん。色々複雑なものがあるけど、こういうところがあるから憎めないのよね。


「そっか。銀行とかの大企業の情報漏洩の文脈で GitHub って単語を見かけたんだけど、そういう配慮をせずに仕事で創ったソースコードを GitHub にアップしちゃって騒ぎになったってことかな? 人気作家の作品の新刊の文章を校正の人が勝手にネットにアップして公開したら大問題になるとか、そういう類の話か……うん、大体解った」


 とまぁ、こういう感じで。


 あたしはほとんど話を聞いて合いの手を入れる程度で理解してしまったようね。講釈というほどのこともしてないから、報酬ももらい過ぎな気がするけど。


「ううん。一人で考えててても、こんなにすんなり理解はできないよ。サバエちゃんが理解の端緒を与えてくれるからだよ。サバエちゃんがそばにいてくれるから、わたしの灰色の脳細胞も活性するの」


 そういって、にへらと気の抜けた笑みを浮かべる。ま、腐れ縁の長い付き合いだもんね。あたしも、こうやってこいつといるとリラックスできるのは事実だし、こうやっていくのんの理解を確認しながら知識を整理するのはあたしの仕事にも活きるしね。


「Win-Winの関係ってやつよ。だから、これからもよろしくね」


 そんな風にいくのんが笑顔で口にしたところで、今日の講義はおしまいとなった。


 そうしてあたしは、2.7リットルの琥珀色の液体をちゃぽちゃぽ言わせながら、自宅へと帰る。丁度、昼時だ。


「さて、ご飯にしましょうかね」


 とはいえ、特に何を用意していた訳ではない。


 冷蔵庫を見れば。


「安売りで買ってあった鶏胸肉、買い置きのうどん玉と無調整豆乳があるわね」


 他は、ほとんどアルコール。それが冷蔵庫というものよね。あ、他にはつまみのベビーチーズが幾つかあるわね。


 野菜のストックを見れば。


「玉葱とニンニク、か」


 寒い季節にはネギ科、ということで買ってあった奴だ。


 ニンニクと、鶏と、豆乳……


「あ、最近よく見かけるやつが創れるわね」


 調味料なら色々あるから、それで行こう、うん。


 鶏胸肉は、一枚を観音に開いて、一口大に切っていく。旨味が出るから、皮は取らずに一緒くたにしておくわ。切れたら、しっかり塩を振りかけて馴染ませて、その間に他のものの処理をしちゃいましょう。


 ニンニクは、皮を剥いてマッシャーで潰す。手が凄い匂いになるけど、まぁ、休日だしいいわよね。玉葱は、皮を剥いてくし切りに。


 下ごしらえが終わったところで、フライパンにゴマ油を引いて、熱し、一口大に切った鶏肉を並べて中火で焼く。皮がついたところは、皮を下にしてっと。


 しっかり色づいたぐらいに裏返して、このタイミングで玉葱も入れてしまって一緒に炒めていく。両面焼けてからだと、火が通るの時間かかるからね。


 鶏にしっかり火が通って玉葱も程よく色が変わってきたら、ニンニクをぶち込む。


「うんうん、食欲をそそる匂いねぇ」


 この時点で美味しそうだ。ニンニクと塩と鶏の旨みがじゅわじゅわと混ざり合ってきたところで、豆乳を適量注いで、火を緩める。


 豆乳は、火加減を間違うと湯葉を通り越してもろもろに固まっちゃうから、適度に混ぜつつ火を通す。旨味が染み出た脂が馴染んでいくのを楽しみながら、ゆっくりと。


 いい感じになってきたところに、うどんを入れる。炭水化物、大事よ。


 そうして、うどんが解れたところに、


「これを贅沢に入れちゃいましょう」


 ベビーチーズを入れて、解かしこむ。別にとろけるチーズを銘打ってなくたって、チーズは高温で溶けるものよ。


 ほどよくとろみがついたところで火を止め、丼に入れて彩りに瓶の乾燥パセリを振り掛けてみたりしたら。


「グルジア料理っぽいうどんの完成ね!」


 あり合わせだけど、なんか、それっぽいからいいよね。


 後は、


「これはこれでアメリカの郷土料理と言えなくはないわよね」


 いくのんからもらってきたウィスキーを氷を入れたグラスに注ぎ、炭酸水で割る。比率は乙女の秘密よ。


 こうして、具和米グルジア日本アメリカのコラボレーションなランチの時間。


「いただきます」


 お箸でうどんを啜れば。


「なんだか、素朴だけど、いい味よねぇ」


 基本、鶏の旨味を塩とニンニクで極限まで引き出して豆乳とチーズのクリーミーさで纏めたって感じよね。その素朴で愚直な味わいがいいわ。薬味的に振り掛けたパセリの香りもいいアクセントだし、それが、庶民的なうどんに絡んで満足感を何倍にも引き上げてくれる。


 そこを、ハイボールで追い駆ける。バーボンはその特性上比率の高いコーンの香りに少々癖があるけど、この庶民的なバーボンは親しみやすい甘みもあるのよね。ハイボールにしても味がしっかりしてていいわ。とはいえ、ハイボールとしての呑みやすさという点では万人受けしないかもだけど、この風味、あたしは嫌いじゃない。


 庶民的な味わいのバーボンを嗜みつつ、異国の郷土料理を強制的に和風にするうどんを食す。


 優雅と言えば優雅な休日のお昼ね。


 旨味の爆弾になった鶏肉を囓り、うどんを啜り、チーズでトロトロのスープを呑む。全ての味が口内で混ざり合ったところに、バーボンのハイボールを注いでサッパリする。


 無限に呑んで食べれそうな、幸福な食事ねぇ。


 でもまぁ、『無限』なんてのは不吉なゼロ除算の結果だから遠慮して。


「そろそろ終わりにしますかね」


 最後の一口を口に含み。


 最後の一杯を飲み干して、締める。


 あり合わせともらい物での即興のお昼ご飯だったけど、いい感じね。


 すっかり軽くなったペットボトルをキッチンに戻して、洗い物……の前に。


 食べ終わったんだから。


「ごちそうさまでした」

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サエバサバエのちょっとセキュアなお話、あるいは、呑み女子エンジニアのだらしない食卓 ktr @ktr

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