第一章 旅立ち2

 シルフィアは、大きなひと続きの大陸だった。そしてその世界の中心には、神域と呼ばれる地域がある。それは神山――セヴォール山と、その頂にあると言われるセレイアという神の住み家と言われる場所である。そこにはシルフィアの創造主とされる女王が住み、女王が創造した神竜が棲んでいた。

 そして、セレイアからずっと下におりていった下の世界が、人間たちの住む世界なのである。

 シルフィアは女王が創造した世界ではあるが、神域であるところのセレイアやセヴォール山以外の大陸を統治しているのは、聖王と呼ばれる特別な人間たちだった。彼らは大陸を東西南北四つにわけ、それぞれを自分たちの統治する国とした。

 東の国ハザンの聖王シューミラ。

 西の国セイランの聖王ラクシン。

 南の国フェリアの聖王ナムゼ。

 そして、北の国ノーゼスの聖王ゲント。

 彼らは神と人との繋ぎ手であり、女王へ願いを伝える役割を担っていた。それにより、神竜は各地をめぐり、世界に竜の恵みを与えていた。神竜の力なくしては世界は維持できない。人間は生きていくことはできない。それゆえに、聖王の役割は、人間たちにとってもっとも大切なものだった。

 ユヒトの暮らすトト村は、シルフィアにある四つの国のうちの南の国、聖王ナムゼの統治国家に属していた。南の国は、比較的温暖で、作物の実りも豊かな土地だった。トト村も小麦などの栽培や、家畜の放牧などで日々の生計を立ててきた村だった。都会的な豊かさはないものの、そこには確かに実りの喜びが存在していた。

 しかし、風の竜が力を弱め、ついには停止してしまった今、トト村もそんな豊かさからは見放されようとしていた。


 宴もおひらきとなり、明日の旅立ちに備えて、使者や村人たちはそれぞれ自分の家へと帰っていった。ユヒトもまた、自分の家へと足を向けていた。月明かりの草むらの上を、静かに歩いていく。

 とそこに、一人の細身の少女が後ろから近づいてきた。

「ユヒト」

「ラーナ」

 ラーナはユヒトの家の隣に住む、ユヒトと同じ歳の少女だった。幼いころよりともに育ち、いつも遊んできた兄妹のような存在だった。亜麻色の髪の毛と淡い翠色の瞳を持った可愛らしい少女だ。彼女はいつもその髪をおさげに結んで、肩に垂らしていた。

「とうとう明日旅立つんだね」

 そう話すラーナの表情は、月影に隠れ、よく見えなかった。

「このまま風の竜が活動を停止したままなら、世界はいつか崩壊する。僕はそれを止めたい。使者になるのは、僕の意志でもあるんだ」

「でも、セレイアまでの道のりは果てしなく、とても険しいと聞くわ。闇の世界の化け物たちも、各地で増えてきたとあちこちで耳にする。とても笑って送り出す気持ちにはなれないわ」

 ラーナの声には、いつもの明るさが感じられなかった。この夜の暗闇のように、寂しさがこめられていた。

「だけどラーナ。セレイアには誰かが行かなければいけない。そこに向かう使者の数が多ければ多いほど、誰かがたどり着ける確率もぐんとあがる」

「でも、どうしてそれがユヒトなの? どうしてユヒトでなくてはならないの?」

 顔をあげたラーナの目には、涙が光っていた。ユヒトの心はずきりと痛む。しかし、それによってユヒトの決心が変わることはなかった。

「ラーナ。よく聞いて。僕は昔、風の丘で風の竜を見たことがあるって話はしたことがあったよね」

「……うん」

「僕はそのときから、風の竜の加護を受ける存在となった。風の声が聞ける存在となったんだ。それはつまり、風の竜とも対話ができるということだ」

 ユヒトは優しく言い含めるように、語った。

「風の声が聞こえなくなったとき、僕はとても恐ろしかった。それは世界の一部が死んだも同然だったからだ。僕は世界を失いたくない。ラーナと暮らしたこの世界を、もう一度よみがえらせたいんだ。僕は風の竜と対話ができる。僕にならできることが、きっとあると思うんだ。だから、約束して。明日はラーナも笑って僕のことを見送って。僕もきっと無事に帰ってくるって約束するから」

 ラーナはそれを黙って聞いていたが、とうとうお互いの家に帰り着くまで、彼女がうなずくことはなかった。

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