2.緋色の研究


 年頃の男子の部屋に入るなど、チサは思ってもみなかった。どんな部屋なのか緊張混じりる想像を巡らせた。


 二階の一角にあるマヤトの部屋に案内されると、呆気なく虚しくなってしまった。マヤトの部屋はいたって普通だった。ベッドに勉強机、壁面の本棚にクローゼットがあるくらいで、散らかっておらず、むしろ、物が少ないくらいだった。


 母親が飲み物やお菓子を部屋に持ってきて、邪魔にならぬようすぐに出て行った。


 すると、廊下が騒がしくなった。


 母親の声と男の声。


 部屋に近づいて来るのを止めているようだったが、ドアが開き、母親を振り切るように男が部屋に入って来た。


「マヤト、学校はどうだった。それより、先日の解析はどうなった? 結果をもらえるか。また新しい解析も頼みたい」


 くたびれたスーツを着た男で、ティーダがもう一人いるのかと思えるほど大きな体格だった。ティーダよりはしっかり筋肉もありそうで、スーツはぱっつぱっつ。


 チサは明らかに無視されていて、男はマヤトに早口で言った。


「来客中なんだけど」


 マヤトはあきれたように答えた。


 私になにか言うのと、さして変わらない返答だなとチサは感じた。


「おぉ、それは良いことだぁ。せっかくなら、見せてやれ。自慢の解析魔法を、な」


「あなた、邪魔しないで」


 母親がマヤトの父親を部屋から引きずり出そうとした。


「俺も見たい。解析してくれるまで、俺は仕事場には戻らん」


 子供が駄々こねるように、部屋の中央に座りこんでしまった。


「あなた」


 ごめんなさいね、と母親に苦笑いを見せられたチサは、同じく苦笑いするしかなかった。


 おいとますべきか、とチサが思った時だった。


「わかりました」


 と、マヤトは言って、チサに小さく首を外に振って見せた。


 マヤトが部屋を出て行くと、父親も笑顔を見せて後をついていった。


 すぐ隣の部屋に入っていった。


「ちょっと待っててね」


 母親は、申し訳なさそうな顔をして部屋をあとにした。


 母親の言葉とは反対に、マヤトには今のうちに出て行けと言われたように思えた。


 チサは大きく息を吐いて、一人残された部屋を見回すが落ち着かない。隣の部屋から二人の話す声が聞こえて来る。


 ――自慢の解析魔法。


 チサの耳に残った父親の声。学校でもメガネを追いかけた時に、解析がどうのとティーダと話していたのを思い出した。


 チサは、そっと廊下に出て、隣の部屋の様子をうかがう。ドアは開いていてこっそり覗いた。


 部屋の中央にある大きなテーブルの上には、化学実験が行われていそうな様々な道具が散乱している。どれも使いかけなのか、赤黒く変色したり、奇抜な色が付着している試験管もあった。


 マヤトは、テーブルに置かれた何かに両手を向けて魔法を発動させていた。それは、バスの中で見た虹色の光。半円球の表面には、幾何学模様が走っている。


 ――あれが、解析魔法?


 魔法系列体型の中に、解析魔法という分類はない。いったい何の解析をする魔法というのか、チサは興味が湧いた。


 すると、発動された魔法とマヤトの顔との間に、やはり虹色の光の輪が出現する。チサのところからは、そこになにが映っているのかまではわからなかった。


「ありえない話ですが、やっぱり見えない。これにはもう少し解析に時間が必要です」


 マヤトが魔法の発動をやめて、ひと息はいた。


「珍しいな、お前の目で見えないなんて。じゃぁ、こっちを頼む」


 父親が四角い石のようなものを手渡した。


 その石の中央には、穴が空いていて貫通している。


「どんな魔法で空けられたのか調べてくれ」


「はい」


 マヤトは、テーブルに置かれたその石に手を向けた。先と同じように光が石を包みこむ。そして、光の輪も出現して、マヤトがじっくりとその中を見つめる。


 ――どんな魔法で空けられたのか。


 チサには、質問の意図がわからなかった。


 魔法は、対象に影響は与えても、魔法が消えてしまえば痕跡は残らない。それが常識だ。


 石に穴を開けた魔法は実際にあったとしても、そこにその魔法の痕跡は残らないはず。


「氷。いや、水を凍らせて作った氷で、それを槍のようにして突き刺して空いた穴」


「それは、確か?」


「はい。穴の近くに水の痕跡が確認できました。氷を直接出現させたわけではなく、水を凍らせた。壁に突き刺した際に、氷がかけて散ったか、氷の槍自体を溶かしたか。そんなところです」


「でかした。これで、一件落着だ。助かったぞ、マヤト」


 父親は、解析された石を持って嬉しそうに部屋を出てきた。チサは、目の前で起きたことと自分の常識がずれ、整合性をとろうと考えていたら隠れるのを忘れていた。


「さすがマヤトだ。お嬢ちゃん、マヤトをよろしく頼むよ!」


 廊下から走り去る父親の歓喜が響き渡る。


 チサは顔を赤くした。


「覗きとは趣味が悪いな。それに、せっかく部屋から出る機会を作ったというのに」


 マヤトは、頭をかきながら言った。


「許してもらわないと」


「君の血をくれたら、許そう」


「え、血? そんなことできるわけないじゃない」


 チサは部屋のガラス張りの棚に目がいった。そこには、試験管やガラス瓶に入れられた赤くキラキラと光る血液が並んでいた。


「な、なにこれ……」


 液体だけじゃなかった。宝石のような赤い結晶も置いてあった。


 ――いったい、この人は。


 マヤトはチサに向かって歩いてくる。


 マヤトと二人っきりになったチサは、恐怖を感じた。近寄ってくるマヤトに合わせて、チサも距離を保とうと、一歩一歩下がっていく。


 しかし、チサは背後の壁に追い詰められ、それ以上逃げれない。


 無論、階下に母親がいる。しかし、おびただしい血が並ぶのを見る限り、強行な行動に出るとも限らない。


 チサは、息を飲みこんだ。


 マヤトの手が眼前に伸びてくる。


 突然押し迫られた恐怖に声が出せず、チサはぐっと目を閉じた。


 すっと、わずかな風の流れを耳元で感じた。


 目を開けると、マヤトが背後にあった本棚の本を手に取っていた。ページをめくりながらテーブルへ戻って行く。


 チサは大きく息を吐いた。


「いったい、この血はどうしたの? 私の血をどうするつもり?」


 その理由を聞いて、到底納得できる返答があるとは思えない。仮に納得しても自分の血をあげるつもりはチサにはなかった。


「研究用」


「け、研究用? 何の研究? 血の?」


 ふっ、とマヤトはチサを小馬鹿にするように笑った。


「血は、なんのためにあるか」


「それは、血は酸素を運んで人体の……」


 そんなことは常識だ。今さら一個人が調べる必要はない。しかし、わざわざ血に限定して研究する理由が一つ思い当たる。


 それは、魔法だ。


 血液、とりわけ赤血球に魔力が宿されている。人は、そこから魔力を引き出して魔法を発動させている。そして、今までの彼の言動と合わせて推測できることは。


「魔法の解析……」


「そういうことだ」


「魔法の痕跡や源が見えると」


「あれこれ知られたくなければ、僕と関わらないことだ。今日あったことは忘れて、帰ってくれ」


 ――彼の目には何が映っているというの。


 チサは、全身に悪寒が走った。初めて、マヤトと目があった時に感じたものと同じように、全身から思考まで隈無く見透かされているようだった。


 ――もし、本当に何もかもが見られてしまうのであれば、私のアレも。


 世界屈指の魔法学校エアリスローザに在籍しているといえど、魔法の解析魔法などという自分の考えている次元とは違いすぎている。チサは、自分が大したことないと思えてしまった。


 チサは、肩を落として部屋を出た。マヤトの部屋から荷物を取り、また部屋の前を通った。まだ、マヤトは本を読んで、難しい顔をしていた。


 テーブルにマヤトが解析していたものが見え、チサは目を大きくした。


 一輪の花が、一定のリズムで花が咲いたり枯れたりを繰り返していた。


「ちょっと、それ、どうなってるの?」


「帰るんじゃなかったのか?」


「帰るけど、それ、どうなってるのか気になって……」


「その、どうなっているのかを今、調べている」


「魔法のなんぞやが見えてるのに、わからないの?」


 チサは、ズカズカと部屋に入り、間近でその花を見つめる。


「その見えるはずのものが、見えなくて困っている」


 聞けば、日本魔法学研究所に届けられた不可解な解析の依頼が回りまわって、マヤトのところにやってきたそうだ。


 日本魔法学研究所の人もレベルの高い人たちばかりだ。その人たちすらお手上げで、魔法が見えるマヤトでさえ、見えないのであればいっそのこと不思議なものにしておけばとチサは思う。


「あっ!」


「何だ?」


「これと似たような現象を本で見たことがあったような」


「それはどんな内容だ。その本はどこにある」


 マヤトが勢いよく聞いてきた。


「えっと……学校の図書室。でも、司書室の中の特別なやつだったかな」


「学校の図書室だな。君は、時に役にたつこともあるんだな」


「時にって、出会ったばかりでしょ。それに、私は二回生クラスA3の白鹿チサ。君じゃない」


「白鹿チサ。覚えておこう」


「あなたは?」


 間が空き、マヤトは首を傾げた。


「名前よ、あなたのな・ま・え」


「あぁ、僕は、加持マヤト。クラスは、一回生S5。あとF5にも所属するように言われている」


「一回生なのにF5!」


 チサは、声を上げた。


 冷静に考えてみれば、解析魔法という得体の知れない魔法を持っているのであれば、一回生だとしても選抜特化のFクラスに所属もするのか、とチサは愕然とした。ましてや、一回生の年下に、と。


「ちなみに、一年遅れて入校しているので、年は一緒なはずですよ。そちらがダブっていなければ」


 チサは、キッと目を吊り上げた。


「ダブってません。同じ一六才よ……」


 それからダブルパンチを食らったようにチサは落胆した。


「その本のタイトルを教えてもらえますか?」


「えっと、何だったかな……。あ、でも司書室は、普通の生徒は入れないよ」


「では、なぜあなたはその本のことを知っているんですか?」


「そこだけ私は、特別だからかな」


「それでは、調べて、僕に教えてください。明日、図書室にうかがいますので」


 本に目を落としながらマヤトは言った。


 それが人にモノを頼む態度か、とチサは心の中で叫んだ。


「私とあなたで見ている世界が違いすぎて、私が到底理解できるとは思わないんだけど」


「勉強してください」


「あー言えば、こうと……。わかったわ、本を読ませてあげる。ただし、条件つき」


「条件?」


「一つ、今日のことを許してくれること」


「一つだけじゃないんですね……。それで、もう一つは」


 マヤトは目を細めた。


「それは、明日、図書室に来てから伝えるわ」


「対等じゃないですね」


「私、特別なんで、それなりに条件つけないと不平等でしょ」


 チサは、とびっきりの笑顔を見せてその場をあとにした。





 翌日の放課後、チサは図書室のドアを開けた。


 本独特の紙、インクの匂いが立ちこめる図書室は、廊下とは違う世界を感じさせる。また、窓がないため、少し陰気な雰囲気も出ている。壁全面を木製の棚が囲い、ずらりと本の背表紙が並んでいる。


 チサは本棚の谷を奥へ進んだ。広々としたスペースに設けられた机には、すでに数人、静寂を壊さぬよう本を読む生徒がいた。しかし、マヤトの姿は見当たらなかった。


 昨日、マヤトに来るよう言ってみたものの、来ないだろうと思っていても、実際にいないと残念な気持ちになった。


 司書室の前で、昨日特別な自分、と言ったことを思い出した。強がりたかった自分が恥ずかしいと思いながら、チサは司書室へのドアに手を当てた。


 チサの手から黄緑色の光が放たれると、ドアにそれが伝い、呼応するように光が一度波打った。そして、司書室のドアは静かに開いた。


 私は、特別なのよ、と我ながら子供だと思いつつ自分にそう言い聞かせながら中に入った。


「いるか」


 チサが、机に荷物を置いた時、背後から声をかけられた。


 振り向くと、開いたドアの境目ギリギリ外側にマヤトが立っていた。物珍しそうに中を見まわしているが、中に入って来る様子はない。


 ――案外、マジメ?


「本当に来たのね」


「来いと言ったのは君だろ?」


「君じゃない、白鹿チサ」


 マヤトは軽く咳払いをして、


「白鹿……君だろ」


「あぁ……」


 言いなおされて一瞬気分良くなった自分が情けない。


「で、もう一つの条件とはなんだ?」


「ちょっと待って」


 チサは、カバンから一枚の紙とペンを取り出し、司書室を出た。近くの机にマヤトを座らせて、紙を目の前に置いた。


「名前、書いて」


 マヤトはその紙を見ている。


 部外者以外が司書室に置いてある特別な本を読む際の規約にサインをするものだった。


 マヤトは、内容を理解したのか、何も言わずに猫をあしらった可愛いペンを躊躇なく手にとって、名前の欄に記入して行く。


 ――よし!


 チサは、心の中で拳を握りしめて喜んだ。


 そして、マヤトが名前を書き終えると、一瞬手が止まり、紙を持ち上げて紙面を凝視する。


 チサは、無理矢理マヤトの手から紙を取りあげた。


「はい、ありがとう。これで例の本を」


 と、チサはさっと踵を返した。


「待て、白鹿」


「な、なに?」


「もう一度、その紙を見せてくれ」


「え、名前書いてくれればいいだけだから、もう別に何も見るところは」


「それ、本当に規約に関する書類なのか?」


「そ、そうだけど」


 チサは、自分の顔が引きつっているのがわかっていた。


 すると、マヤトは片手を見せ、小さな球体の魔法を発動させた。その表面には、幾何学模様が見える。マヤトが使う解析魔法だった。


「だいぶ時間の経つ紙の上に、ついさっきかけられた魔法がその紙から感じられた。文書を一時的に書き換えたように思えるが」


「ず、ずるい。名前書きながら、解析してたの?」


 チサは、本当のことを言い当てられ、声を張りあげてしまった。


 離れたところで本を読んでいた生徒たちから視線を送られたチサ。


 あ、と口を押さえた。


 声をあげてしまったうえに、とっさに魔法をかけていたことを証明するような発言をしてしまったチサは、紙を手渡した。


「確かに、そうだ」


 マヤトは紙に触れると、そう答えた。


「どういうつもりだ」


 静かに言ったマヤトの口調は、昨日チサをあしらう時とさして変わらなかった。チサは、すごい怒っているのかと思ったが、なぜだかそんな印象には感じられなかった。


 昨日、少しの間だけマヤトと一緒にいたことで、彼の性格を垣間見たからだろう。


 チサは、諦めてその紙のタイトル部分に手を当てて、すぐに離した。


「入部届、魔法歴史研究部」


 マヤトは読みあげた。入部届は、もともと印字済みで、魔法歴史研究部の字はチサが記入したものだった。


「で、これはどういうつもりだ?」


「お願い!」


 チサは、小さな声だが力強く、両手を合わせて懇願する。


 マヤトが目を細めたのがわかった。嫌な予感を察知しているのが表情からもわかる。


魔歴研まれきけんに入部してくれない? 部員が足りなくて、このままだと廃部になりそうなの。お願い、名前だけ貸してくれるだけでもいいから」


「特別だったんじゃないのか」


 チサは、そう言われてハッと顔を上げた。


「そう、特別! 加持君も魔歴研に入れば、特別になれるよ」


 マヤトは、うさんくさいと言わんばかりに目を細めている。


「魔歴研なら、司書室に入れる。それに、一般に貸し出されているのは中級書までだけど、司書室にある上級書、特級書も読むことができる。禁書はさすがに無理だけどね」


 チサは、芝居がかったように、特別な権限があるかのようにふるまった。


「要は、その魔歴研というのが特別で、白鹿はただそこに所属していたということだな」


「そ、そうです。私自体に特別なことはありません」


 チサは、反論することも考えた。しかし、少し考えるとどうしても魔法歴史研究部の偉大さを語る言葉ばかりが思い浮かび、自分が特別なことはいっさいなかった。


「ま、私一人でなんとか存続できるように一年持たせようと努力してきたつもりだけど」


「ふーん」


 マヤトは、入部届を見つめながら軽くうなずいている。とはいえ、チサには乾いた反応にしか見えなかった。


「それに、みんな一つ部活には入らなきゃいけないから」


「え、そうなのか? まさか、また」


「なによ、その目。もう偽ってなんかいません。入校当初に説明受けなかったの?」


「色々とあって、聞かされてはいない」


 マヤトは、口を一文字にしてあごに手を当てた。


 ――色々と?


 確かに、とチサは思った。彼の使う魔法といい、父親から頼まれていた仕事もどこか不思議だった。あと、性格的にも色々あるのだろうとチサは想像をめぐらせた。


「いいだろう。魔歴研に入ろう」


 マヤトが言った。


「ホント?」


「白鹿じゃないんだ。偽ったりはしない」


「いちいち根にもつのね。でも、これで希望が見えた」


「希望って」


「部員は、最低三人必要だから、あと一人探さないといけない」


 それを聞いて、マヤトは肩を落とした。





 魔歴研の正式な入部手続きを終えてからでないと司書室には入れないため、チサが本を持ち出してきた。


 それは、上級書に指定された図鑑で分厚く、表紙も重厚な装飾が施され、価値の高さがうかがえる。


「どこだったかな」


 チサはページをめくりつづけている。


「白鹿、君はどうして魔歴研に入ったんだ? いや愚問だったな」


 マヤトが質問してきた。魔法歴史研究部なのだから、魔法世界の歴史を研究する。部の名前こそ活動目的だ。


「んー、私は、歴史の中で生まれた陰謀論を解き明かしたいというのが根底にあるのかも」


「陰謀論?」


「この世に獣は存在しないのに、どうして私の苗字には、鹿がついているのかなって。小さいころから疑問に思っていて」


「幻獣図鑑などに描かれているからだろ」


「実際には、獣自体、幻であって、存在はしていないものだし、どうして名前についているのか不思議で仕方ない」


 マヤトが黙ったので、顔を上げると、珍しいものを見るかのような目でチサは見られていた。


「な、なに?」


「その考えはなかった。なるほど、白鹿…………面白い」


 チサには、なにがどう面白いのかわからなかったが、なんでもわかった風のマヤトに関心してもらえたことに少し嬉しくなった。


「ちなみに、幻獣の中で好きなのが猫。可愛いでしょ」


 チサは、猫のモチーフがあるペンを取って見せた。


「それでか。かなり古いペンだと思った」


「えっ、そんなこともわかるの?」


「特殊な物でなければ。物質として存在していれば、触れただけで魔力やその構成がわかる。魔力が継ぎ足されて、ペンとしての魔法構成が長く維持されていたからな」


「手に取るようにわかるって言葉、そのままね。確かに、小さいころ親にねだって買ってもらったペンだから」


「気持ち悪くないのか?」


 マヤトが問うた。


「なにが?」


 なぜ、そんなことを聞いてくるのか、チサは本当にわからなかった。


「え、あ、いや……」


 マヤトは、一人拍子抜けしてしまったように、椅子の背にもたれかかった。チサは首をかしげて、ページをめくった。


「あった、これ! 七色に変色して枯れて、また花が咲く不思議な花」


 チサは、マヤトに本を差し出した。


 花の色が変わって枯れ、そしてまた咲く図解の部分を指差した。その周囲にはその花に関することが書かれていた。


 マヤトは、そこを読んでからページをめくる。そこにも、図解があったが、チサにはなにを示しているのかさっぱりわからない。


「そんなことができるのか……もし、そうであれば、見えないということになるのか」


 マヤトは、一人図を見ながらうなずいていた。


「どういうこと?」


 チサは、またマヤトに目を細められた。


「きっと、説明しても理解できないって思ってるでしょう」


 チサは言った。


「よく自分のことがわかってるね」


「わかりやすく説明して。昨日のあんな花を見たら気になるでしょ。それに、この本は司書室にあって、私がたまたま見ていた本」


 マヤトは、ひとつ息をはいた。


「あくまで、この本は仮説と書いてあるが、魔法には、魔法核があることはもう世の事実になっていること。それは、知っているな?」


「馬鹿にしないでくれる? ここをどこだと?」


マヤトはうなずいて続けた。


「その魔法核を障壁魔法で囲う」


 チサは、それをイメージするように目を閉じた。もう、半分くらい理解できずにいた。


 障壁魔法は、読んで字のごとく壁のように魔法を遮断できる魔法で、簡単に扱える魔法ではない。しかし、いくつかの魔法を組み合わせて物質として、魔力を制御する際に障壁魔法はよく使われる。専門職や職人レベルでは、必須魔法とされているが、まだチサの回級では勉強の範囲ではなかった。


「さらに、その障壁魔法を裏返すことで、その存在が見えなくなる」


「待って。障壁魔法を裏返すって、どういうこと?」


 仮説だと言われても、突飛すぎて理解できない。


「魔法に裏と表があるのかはよくわからない。ただ、障壁魔法に限っていえばそれができるようだ」


 ここでいくら説明を受けても、チサは理解できるとは思えず、話を先へうながした。


「裏返した障壁魔法を魔法核の周囲で回転させて、魔力の放出を制御している。さらに裏返された障壁魔法は、障壁になる部分とそうでない部分があり、魔力がそこを通り抜けると変質する……」


 マヤトの言葉が止まった。聞いているだけで頭が混乱してしまっていたチサが、マヤトを見ると、マヤトの視線が宙を見つめて、上昇していく。


 チサもマヤトの視線を追うと、チサのペンが宙に昇っていく。


「え、また?」


 チサが手を伸ばそうとした瞬間、上下に細かい光線を放った光の中にペンは消えてしまった。


「今度は、近い」


 マヤトは、後方に椅子を勢いよく押し飛ばして立ちあがると、両手を組んだ。マヤトの足元から風が巻き起こるかのように半円の光がどんどん広がっていく。近くにいたチサもあっという間にその光の中へと入ってしまう。


 光が体を通る際、つま先から頭のてっぺんまで悪寒が通り抜けたようだった。


 あっという間に図書室どころか廊下、上の階へとマヤトが発動させた魔法が広がっていく。


 マヤトの顔がつらそうにゆびみ、額から汗が垂れた。


 発動させた魔法領域が広いためか、維持するのに相当の魔力を使っていることがうかがいしれた。


「いた、屋上だ」


「そこに犯人が?」


「白鹿。浮遊魔法で、自分を入れて何人浮かせられる?」


「え、急になに?」


 チサは、何度もまばたきする。


「自分だけか? 二人は平気か?」


「二人……んー、三人までならなんとか」


「よし」


 突然、マヤトに腕をつかまれると図書室を連れ出された。


「え、ちょっと、加持君。どうしたの?」


 吹き抜けになった上昇路の前に連れて来られた。


「俺を屋上まで連れて行ってくれ」


 マヤトの目を見ると、冗談ではなく至極真っ当であると訴えている。


「浮遊魔法くらい……」


「俺はできないわけじゃない。だが、白鹿、いや一般人、子供と比べても、まったくと言っていいほどその力がない」


 マヤトは口早に言う。


「エアリスローザにいる生徒でそれは……」


「頼む、白鹿。今度こそ、犯人を捕まえたい」


 魔法を解析する魔法という特異な能力をもっていながら、浮遊魔法という基礎魔法の一つが子供以下というマヤトに驚きを隠せない。


 チサは、ここでまた自分が断れば、あれやこれやネチネチとマヤトに言われると思った。だが、答えを出すまでのチサを見つめるマヤトの視線たるや本気だった。


 なぜ、マヤトがそうなのかはわからない。ここで問えば、彼の機嫌をそこね、犯人を捕まえる機会を失いかねない。


「わかったわ。つかまって」


 チサは、上昇路に向き直り、肩を指差した。


「礼は、犯人を捕まえてからだ」


 と言いながら、マヤトの手がチサの肩に乗った。


「行くよ」


 チサはふわっと両手で空気をつかむように弾みをつけた。すると、二人の足元に一枚の光の板が張り、ボードに乗った二人が上昇路を昇って行く。


「白鹿、もっと速く!」


 チサは、マヤトに少し肩を強くつかまれた。


「速度は決められてるから」


「誰もいないからいいだろ。何かあったら、俺が責任をとる」


 マヤトの言う通り、今は規則を守っている場合ではないと思った。図書室より上の多くは特別教室で放課後に使われることもほとんどない。上を向けば、誰いない。


 チサは、魔力を高めて上昇速度を速めた。


「降りて来たか」


 屋上まであと五階ほどというところで、マヤトが言った。そして、廊下へ一人飛び降りてしまった。


「え、ちょっと」


 チサは、そのまま二階上まで上昇してしまった。チサも階下に戻るため、一旦廊下に入り、反対の下降路から降りようとした時だった。


 目の前をすごい勢いで降下していく生徒に横切られた。チサは思わず、背を反らせて身を引いた。


「あ、ぶない。まさか」


 チサは下降路に顔を出し、下を見る。


 マヤトが飛び出して、今さっき通過して行った生徒に飛びついていた。


「か、加持君っ!」


 チサは慌てて下降路に飛び出て、二人を追う。


 しかし、マヤトが飛びついた生徒の速度は、チサのそれよりも速くどんどん離されて行く。


 このまま一番下までその速度で落下すれば、二人ともどうなるかなど想像などしなくてもわかる。


 チサも一気に降下速度を上げた。


 異変に気づいた降下中の生徒たちが悲鳴をあげて、左右によけて行く。


 チサは、二人を視野にとらえた。


 しかし、加持は振り落とされないように必死につかまっている。


 時折、マヤトは壁にぶつけられる。


 こすれた跡がチサの視界を過ぎさる。


 それでもマヤトは、生徒から離れまいとしている。


 壁に書かれた現在の階数が、8、7、6、と減って行く。


「放せ。このままだと、お前ごと衝突するぞ」


「やってみろ」


「どうなってもしらねぇぞ」


 チサは、このまま一緒に追い続けても、二人どころか自分の落下も止めることはできないと、速度をゆるめた。


「加持君!」


 チサの叫び声を消すかのように、下から衝撃音が響き渡った。

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