第7話 宇宙人へのセクハラ罪
「あえいうえおあお」
「声が小さい! もう一回‼」
「あえいうえおあお!」
放課後、俺とXは二人きりで発声練習をしていた。
「いいか? これをただの発声練習と思うな。滑舌、声の張りだけでなく、表情筋を鍛える訓練だ。顔の筋肉を鍛えれば必然的に表情は豊かになる」
「かけきくけこかこ!」
「人は出会って三秒で相手の印象を決める。つまり決め手になるのは最初の表情、そして第一声だ。元気で活舌の良い声が嫌いな人間はまずいないし、表情豊かに笑顔を見せれば、大抵の人間はその見てくれに騙される。些細な異常行動など全てチャラだ」
「させしすせそさそ!」
「常識なんてものは常識的な人間と一緒に生活していれば自然と身につくものだ。そういう人間がどういう場面でどういう行動をとっているのか。それを常にチェックし、情報としてインプットしておくことが常識的行動につながる。間違っても人と距離を取ろうとするな。そんなことをしているうちは、いつまで経っても常識なんて身につかない。行動あるのみだ!」
「たてちつてとたと!」
Xが発声練習し、その間俺はうんちくをぺらぺらと喋る。
それがこの部活の日課だった。
練習を終え、俺はペットボトルの水を飲んだ。
俺が練習していたわけでもないのに、喉がからからだ。
「しかし、さすがは生徒会長だな。部活の申請がこんなにすぐ通るとは思わなかった」
「オマエが部活をやりたいと言っていることを教師に話したら、すぐに許可された」
自分の学校に不登校生がいるのは、教師陣からすればあまりよろしくないことだ。
そんな人間が学校に来ることに意欲的だというのなら、水を差すような真似はしたくないだろう。
「エリの思いつきも、まんざら馬鹿にならないな」
自由にできる一室を学校に持つというのは、引きこもり体質の俺にとって非常に心地良いものだった。
ふと気づくと、Xがじっと俺を見つめていた。
「ご褒美」
……仕方ないな。
俺は部室の隅に置かれた冷蔵庫まで歩いた。
頑強な鎖に巻きつかれたそれは、見る人が見れば邪悪なオーラを漂わせていることだろう。
錠前を鍵で開け、冷蔵庫の扉を開ける。
アメリカ人でもびっくりするような特大サイズの容器に入ったアイスを取り出し、Xと向かい合う。
Xは無表情のまま、だらだらとよだれを垂らしていた。
犬かお前は。
俺はスプーンをXに手渡した。
「……よし!」
そう言った瞬間、四方から触手が飛んできたかと思うと、俺の手からアイスを奪い、背を向けてがつがつと食べ始めた。
「うまいうまい」
抑揚なくそんなことを言いながら、スプーンを駆使してものすごいスピードでたいらげていく。
中腰で容器に顔を突っ込みながらの食事は、下品極まりない。
しかし言いつけ通りスプーンを使って食べている分、以前よりは文化的な食べ方だ。
Xが食い終わるのを待っていると、ふいにXの背中が目に入った。
いくつもの触手が飛び出た背中。その接合部の中心で、紫色に光る奇妙な球体が見えたのだ。
そういえば、接合部分が本体だとXも言っていたな。
そんなことを思い、俺は無防備にアイスを食べるXの背中に近づき、そっとその球体に触ってみた。
KYYYYYYYYYYYYY
金属をすり合わせたような音が大音量で聞こえ、俺は思わず耳を塞いだ。
かと思いきや、触手が手、足、首、胴体に巻き付き、俺は壁に叩きつけられた。心なしか、いつもより触手が太い気がする。
Xが、今まで見たことのない凄みのある顔で俺を見つめていた。
俺の眉間に、ドリルのような触手がゆっくりと近づいて来る。
「まま、待て待て待て! 悪気はなかったんだ! なんか見えてたから、つい!」
「人間世界にはセクハラという犯罪が存在するのではなかったか?」
セクハラ罪は存在しない、なんてことを声高に唱えれば、俺の眉間には綺麗な穴が空くことだろう。
「そ、その通りだ。全面的に俺が悪かった」
Xはどうしようかと思案しているようだった。
しかし、すぐに触手の力が緩み、俺は解放された。
「次やったら殺す」
そう言って、Xは背を向けた。
こ、こえー……。
何が地雷になるか分からないな。
「まさかあんなところを触られるなんて」
そう言って、ちらとXはこちらを見る。
心なしか、頬が赤く染まっている気がする。
なんなんだ。俺は一体何に触ったんだ!
その時、ガラリとドアが開き、エリが入って来た。
その軽蔑に満ちた目を見て、どうやら盗み聞きされていたことが分かった。
「すごい音が聞こえたからどうしたのかと思って来たんだけど……なにやったの?」
「……別に?」
「ありえない場所を触られた」
どうやらXは、空気を読むということができないらしい。
これからは、重点的にその部分を教え込む必要があるな。
「最低! いっぺん死ね‼」
冷たい何かを顔面に投げつけられ、俺は床に転倒した。
ぴしゃりとドアが閉まる音が聞こえる。
見ると、ひしゃげたジュースの缶が床を転がっていた。
……もしかしたら、差し入れのつもりだったのかもしれない。
「……なぁ」
俺は身体を起こし、ジュースのプルトップを開けた。
「お前のお仲間がいたわけだが、お前はそいつらと仲良くする気はないのか?」
Xからすれば、Yも、まだ見ぬZも、初めて出会った仲間と呼べる存在だ。
人間が人間と群れて暮らすように、宇宙人も宇宙人と群れて暮らしたいとは思わないのだろうか。
「何を考えているかも分からない別の個体だ。ワタシにとっては人間達と変わらない」
そういうものか。
しかしその気持ちは、俺も分からないわけではなかった。
同じ人間でも、俺は他の奴らを同じとは思えない。それくらい自分とは違うと感じていた。Xの言葉で言う、別の個体だ。
「ワタシは」
俺が缶ジュースを胃に流し込んでいると、ふいにXが言った。
「ワタシは、ずっと一人だった。暗くて寒い宇宙で、ずっと一人佇んでいた。今更誰かと仲良くしようとは思わない」
暗くて寒い宇宙。
果てしない広さのその空間に、ただ一人存在する孤独。
他の人間には想像すらできないその気持ちを、俺は少しだけ理解できた。
「……奇遇だな。俺も同じだ。自分と違う誰かに迎合するなんて死んでもごめんだ」
Xは俺を見つめた。
俺はフッと笑い、ゆっくりと立ち上がった。
「何故なら! 俺は俺であって俺以外の何物でもないからだ。他の誰でもない。そして他の誰か以上に価値がある。自分にとって自分が一番価値があるという、そんな当たり前のことすら主張できない世の中に出て行くなんてまっぴらごめんだね」
それを聞き、Xはわずかに、ほんのわずかに、うっすらと微笑んだ。
その初めて見たXの表情に、俺は思わず見惚れてしまった。
しかしすぐに我に返り、首を振る。
何を血迷っているんだ、俺は。コイツの本体はただの触手だぞ⁉ 見てくれに騙されるな!
誤作動した脳に現実を教えるために、俺は必死に心の中で叫び続けた。
◇◇◇
学校が終わり、俺は一人帰宅していた。
Xは生徒会の用事があるとのことで、別行動だ。
宇宙人に襲われるリスクはあるが、人通りの多い場所を歩いていればその心配もないだろう。
正直、このままあの何とも形容し難い家に帰る気は起きない。
いくら安全だからといって、人が住める場所でないところに、人は長居できないのだ。
そんな気分も手伝ってか、気付けば俺は自宅近くにまで来ていた。
穴ぼこだった壁も業者によって塞がれている。
そういえば、あの人には何の説明もしていないなと、今更ながら思った。
実の娘が殺されていて、かわいがっていたのはその娘を殺した宇宙人でした、なんて言えば、普通の人間なら発狂しかねない。……いや。その場合、俺が発狂認定されて精神病院送りが妥当かな。
そんなことを思いながら自宅に背を向ける。
その時、急に茂みから何者かに腕を掴まれた。
しまったと思うも、その何者かを確認し、俺は硬直した。
それはYだった。
汗でぐっしょりと濡れた顔。漏れる吐息。滴る血液。そして、あるはずの場所にない片腕。
「……また、ここに戻って来るとか……アンタ、……馬鹿、でしょ……」
そう言って、Yは俺の方に倒れて来た。
慌ててYを受け止める。
その身体は、驚くくらい冷たかった。
「おい! どうした‼ しっかりしろ、おい‼」
震える口で息を荒くするYは、何度揺すっても返事をしなかった。
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