8.8 夜闇の獣
リリウムの電池はあまり容量の大きいものではなかった。フル充電でも運動を続ければせいぜい三十分で空になってしまう。途中どこかで補給しなければいけないことはわかっていた。
私は山を下って曲がりくねった細い車道に出た。道に沿って電線が走っていた。周りに人目がないのを確かめて変圧器にブースターケーブルを噛ませた。リリウムの手にはそれができるだけの器用さがあった。電池の残量がゆっくり回復していった。
その間他の人間の気配は感じなかった。聞こえるのは木々の葉のざわめきとフクロウの声だけだった。私は人間の世界から遠く隔絶した場所に立っていた。
フィリスのアジトは街はずれの山中にあった。裏手の塀を飛び越えて敷地に入り、ニュースの情報を頼りにそれらしい部屋の窓にへし折ったカーブミラーを突き立ててこじ開けた。カメラのライトで中を照らして人を探し、人相を確かめた。顔はしっかり覚えていた。
最初に見つけたのは破廉恥な大男だった。彼はベッドの上に起き上がって寝ぼけた顔をこちらに向けた。拷問の時と違ってどでかいTシャツを着ていたので破廉恥感はなかった。
「九木崎の肢機?」彼は呟いた。
「柏木碧、いや、近藤碧波と言った方がわかるかな」
「そうか、この間の」
「私を一番直接的に苦しめたのはおまえだ」
機体の手を差し込んで向かいの壁に彼の体を叩きつける。口からナイアガラの滝のように血が噴き出した。低くて小さな呻き声が漏れていた。手首を捻って擦り付けるとその呻きは大きくなった。
男は壁のシミになって気を失った。
二人目は饒舌な男だった。肢機の手は掌の高さも握りの太さも人間の胴体を掴むのにかなりうってつけのサイズだった。彼は機体の手に掴まれるまで目を覚まさなかったが、まだ握りが緩いうちにするりと抜け出して外を走り出した。それを機体の足で蹴飛ばすと鳩尾のあたりで胴体が切れて上半身だけになってしまった。男はそれでも喚きながら這っていこうとした。私はその手を踏んで動きを止めた。男は腕の痛みで叫んだ。これだけの状態になっても人間はきちんと痛みを感じるのだ。
私は機体の指で男の首を丁寧に押しつぶした。男は始終喚き叫んでいただけだった。その口からは論理も言葉も出てこなかった。
次は二人の女だった。
彼女たちは逃げることもなくあの部屋の隅で小さくなっていた。私は二人を一緒に抓み上げた。
「そうか、君は潜るのが得意な子だったのか」黒服の女が言った。彼女は観念していたが白服の方は怯えていた。
「タイムタイム。私たちは雇われなんだよ。本気で教義を信じてるわけじゃない」
「でも君は私の苦しみを楽しんでた」
「無駄だよ。私たちは数と力であの子を無理やり連れてきた。同じように私たちが力で無理やり何かされたって文句は言えない」黒が諭した。「でもちょっと意外だったな。君はあんまり私たちを恨んでいないみたいに見えたのに」
「抱きしめられて眠ったのは素直に気持ちがよかったよ。気持ちよかった」
だから、筋は通すけど、無残な殺し方はしない。
「でもね、ひとつ憶えておきな。人を殺した人間はね、人間じゃいられないのよ」白が口を挟んだ。
「じゃあ、人を殺した人間を殺すのは、どう?」と私。
私は機体の親指でゆっくりと二人の首を絞めた。二人の体はそれぞれの意識に関係なくもがいていた。そこにあるのはもはや人間の精神ではなく肉体そのものの反応だった。
その間私は二人の手の感触や温かさを思い出していた。
本当に気持ちよかった。
それは嘘じゃない。
なぜ殺さなければならないんだろう、と私はもう一度自分に問いかけた。
なぜなら、必要だから。
殺すべき。
でも、殺すべきでも、殺したくはなかったのかもしれない。
結局、素質という生まれが彼女たちの運命を決めてしまっただけなのだ。
二人は気を失ってぐったりしていた。
私はいつの間にか悲しい気持ちになっていた。割れたガラスを探して二人の心臓のあたりに突き刺した。鮮血が流れ出す。気を失っているだけでまだ生きていた。でもこうすればいずれは出血で死に至るだろう。
私はガラスを捨てた手でコクピットの私自身を抓み出して二人を握る手の下へ持っていった。二人の足から血が滴っていた。私は口を大きく開けてその血を等しく受け止めた。
生きるために殺しをする生き物は相手の死を無駄にしたりはしない。自らの血肉として生かすのだ。私もそうしよう。それがせめてもの手向けだ。
温かくさらさらとした血が喉を滑り落ち、あるいは風に流された幾滴かは頬を赤く濡らした。
コクピットに戻って二人の体をベッドの上に戻した。
それから交渉役の二人は特に印象もなく仕留めた。ボスの男は矛のような長物をリリウムに向けて威嚇していたがあっけなく踏み潰されて破裂して跡形もなく消えてしまった。
もちろんフィリスの人間はその六人だけではない。殺すべき人間はまだいるのかもしれない。私を恨むことになる人間がいるのかもしれない。でもその相手をしている暇はなかった。最低限だ。九木崎の追っ手も来るだろう。警察も動くだろう。止まってはいけなかった。
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