第6話~園長大好き~

「やーんもうサイアクー!いきなり降ってくるとかありえなーい!」

 あのPIPライブでの事件から数日後、ライチョウは一人買い物に出掛けた先で運悪く足止めを食らっていた。確か今朝の予報では晴れだったはずだ。急に降り出した雨は一向に止む気配がなく、傘を持たないライチョウはたちまちずぶ濡れになってしまった。すぐ目の前にジャパリカフェがあったのは不幸中の幸いだ。

「はぁ……。私ってやっぱり雨女なのかなぁ」

 水分を含んだ服がずっしりと重い。

 濡れた毛先からは透明な雫がぽたぽたと落ち足元に水溜まりを作っていた。

 ライチョウという名前の由来は雷の鳴るような空模様で活発に活動するからだといつだったか園長から聞いたことがある。だとしたらやはり自分は雨女に違いない、とそのジンクスに辟易してしまう。雨足は強まる一方で遠くの方ではいよいよ雷の音も聞こえてきた。

「でもこれって逆に考えれば雨も滴るいい女ってこと!?やだー!」

「それを言うなら水も滴る、でしょ。どうしたのライチョウ。ずぶ濡れじゃない」

 奥から現れた店長のボブキャットがライチョウの姿を見て驚いた様子で近づいてくる。

「やーんボブキャットさぁん!びしょ濡れになったちゃいました~」

「また雨に降られたのね。はいこれ使って」

 そう言って差し出されたバスタオルを有難く受け取り丁寧に濡れた髪を拭いていく。タオルからはコーヒーの香ばしいいい香りがした。

 周りを見回す。客の姿は殆どなく、いつもならネコ科のフレンズで大賑わいしている店内もただ雨の音だけが静かに響いていた。

「今日はお客さんあんまりいないんですねー」

「ネコは雨の日は眠いのよ。きっと皆この天気を察して今頃はおうちで寝てると思うわ」

 控えめな欠伸をしてすぐに「いけない仕事中だったわね」と自らを嗜めるように言う彼女もまたどことなく怠そうだった。

「まぁこの感じだと通り雨でしょうし止むまでゆっくりしていくといいわ」

「はぁいありがとうございますっ。じゃあコピ・ルアク一つくださいな」

「ふふっ。あなたもベリーも物好きね」

「実はこの前ベリーさんから教えてもらってとっても美味しかったのでまた飲みたいなって……あれ?」

 ふと視界の隅、店の一番奥の角の席に目をやる。そこに一人の見知った顔がいた。

 いつもなら遠くからでもわかる強烈なオーラを潜め、彼女は背中を丸めただ黙々と机の上のノートと睨み合っていた。その姿がまるで座敷わらしか何かのように見えて一瞬ぎょっとしてしまう。

 そこにいたのはコモドドラゴンだった。

「コ・モ・モ、さーん、なに書いてるんですかあ?」

 わざと靴を鳴らして軽やかに近づいてみせるが彼女はやはり気付かない。完全に自分の世界に浸っておりブツブツと独り言を呟いてはノートに物凄い勢いで文字を綴っていた。横に置かれた紅茶はいつ注文したものなのか、既に冷め切ってしまっているようだった。

「私と園長さんはライブに行った先でばったり出会うの。運命的な出会いに戸惑いつつもライブが始まり観客の波が私を襲う……そこで押し潰されそうになる私を庇って園長さんは壁ドンならぬ柵ドン、彼の吐息が私の髪を掠め、そして二人は熱いキスをして……ふふ、ふふふ、ふふふふふっ」

 見るべきではなかったと思った。

B5ノートにびっしりと書かれた彼女の園長に対する愛の言葉の数々を見た瞬間、背中に冷水を流し込まれたかのような衝撃と悪寒が走る。今全身を覆い尽くしている鳥肌はきっと自分が鳥のフレンズでなくともそうなっていただろう。

「わあ……」

「……あら?ライチョウさん、いつからそこにいたの?乙女の恋文を覗き見するなんていけない子ね」

「恋文というより怪文書かも……」

「何か言った?」

「べっつにー」

 いきなり文字の洪水をわっと浴びせられて面食らったのは間違いないが、元々彼女には妄想癖があり人前で暴走することも多々あった。そんな彼女の話を聞くのは大体が隣にいるライチョウで、それを嗜め、時には議論することもまた日常茶飯事だった。やれああでもないこうでもないと言い争うのが楽しく、いつも気が付いたら日が暮れている、そんな結論の出ない議論とも呼べないお喋りが大好きだった。

 しかし改めて文字に起こされると中々にインパクトがある。彼女の中ではここまで精巧にストーリーが作られているのか。

 少々歪で強引なところがある彼女だが意外にも彼女の描く恋は純粋そのものだ。学園モノで生徒になり園長と一緒に登校したり、海岸沿いを笑い合いながら二人で走ったりなど、いかにも恋愛に疎いティーンが考えたような内容は聞いているこちらまで恥ずかしくなってくる。

 だがその純粋さも彼を一途に想っているからこそなのだと思うと途端に愛おしくなってくるから不思議だ。事実ライチョウは彼女のそういうところが好きだったし、自分しか知らないであろう彼女の不器用な部分を知っているということは友人としてもちょっとした誇りだった。

「あぁ……このとまらない愛を、もっと誰かと語りたい……。そうだわ、タヌキさんに掛け合ってみましょう」

「えっ!?」

 思わず耳を疑う。彼女が相手に選んだのはライチョウではなくあろうことかタヌキだった。先日の一件で堂々と宣戦布告をした目下最大のライバルであり、打倒タヌキ同盟のターゲットそのものである。

「で、でもでも、タヌキちゃんは私達の園長さんを狙う不届き者なんじゃ……」

「いいえ。彼女は園長さんを救ってくれた命の恩人です」

「じゃあどうしてあんな怖がらせるようなこと言ったんですか?狙った獲物は逃さないとか次こんなことがあったらとか……」

「?私の獲物は最初から園長さんですよ?」

 彼女の発言を思い出す。


 ――うふふ……。あなたに一ついいことを教えてあげる。コモドドラゴンは執着心がとても強いの……一度狙った獲物は絶対に逃さない。何日も何日も追い続けて相手が最後の最後まで根を上げるその時をずっと待ってる……。そう、最後の“最期”までね。わかってると思うけど次にあなたがついていながら園長さんにもしものことがあったら……あなた死ぬわよ


 ライチョウはてっきりこの獲物というのがタヌキのことだとばかり思っていた。

 でももしこれが最初から彼女を脅す為の発言ではなく彼女を牽制させるためのものだったら?それなら彼女の言っていたことにも合点がいく。

「でもいくら何でも死ぬは言い過ぎですよぉ」

「ふふ……園長さんを愛すならそれ相応の覚悟を持って頂くのは当然です。彼を傷つける者はたとえ誰であろうと許さないんだから……。うふ、ふふふふふ……」

 そう言って冷たい紅茶を顔色一つ変えずに口にする。

「でもタヌキちゃんそんな簡単に会ってくれますかねぇ?多分あの感じだとコモモさんのこと見ただけで逃げちゃいそう……」

「うふふ……。この私が何の計画も無しに行動すると思ってるの?」

 どうやら彼女には策があるらしかった。持っていたノートの空白のページをおもむろに破るとすらすらと何かを書き始める。丁寧に、しかし内容は簡潔にといったように、彼女の頭では既に文章は完成しているようだった。

「はたし、じょう??」

「そう。これをベリーに頼んで彼女に渡してもらうの。我ながら完璧な作戦だわ……ふふ、ふふふふふ……」

 それじゃ、と不敵な笑みを浮かべもう一度くいっと紅茶を飲み干すと彼女は立ち上がった。その凛とした佇まいには既にいつものオーラが戻りつつある。

 窓から漏れたすきま風が二人の間を通り抜けた。その風が季節外れな程冷たく感じ、まだ乾き切っていない服の上をなめるように貫いてゆく。

「……なーんかタヌキちゃんにコモモさんを取られちゃったみたいでつまんなーい」

「うふふ……妬いてるの?」

「違いますよーだっ」

 べーっと舌を出して最大限の否定を見せつける。もっとも彼女には見透かされていたようだが、それでも構わないと思った。気付いて欲しい。我ながら面倒臭い性格だ。

 もっとも彼女の行き過ぎた性格よりはマシなのかもしれないが。彼女からしたら「何事も決してやり過ぎということはありません。むしろやり過ぎと思うくらいでちょうどいいんです」ということらしい。

「心配しなくても私にとっての一番の恋敵ライバルは今までも、そしてこれからもあなた一人だけよ」

「ふーん別にいいですよ~。コモモさんがタヌキちゃんといちゃいちゃしてる間に私は園長さんとキャッキャウフフしちゃうんだからっ」

「うふふ……わかってると思うけど今は“一時”休戦。あまり変なことを言ってると協定違反で襲っちゃうわよ……?うふふ、ふふふふふっ」

 そう言うと今度こそ彼女は去っていった。降りしきる雨などもろともしないように、ずんずんと進んでゆく影を見送る。大仰な黒い蝙蝠傘だけがいつまでも視界でゆらゆらと揺れていた。


「……ってあれ?コモモさん、言ったそばから果たし状忘れてるし……」

 彼女を見送ったあと席に戻るとテーブルの上に先程の手紙が置かれていた。その横にはたった今まで紙上で踊るようにカリカリと音を立てていたペンが無造作に転がっている。

 書かれた文字を指でなぞる。

 ボールペンで書かれたそれはまるで万年筆で書いたかのような高貴さを漂わせており、ノートの切れ端という舞台から不自然な程浮いていた。

 宛名と日時、場所だけを記して千切られたページを見て今時遠足のしおりでもここまでシンプルじゃないだろうと苦笑いしてしまう。

 タヌキは怖がっていた。まるでこの世の終わりでも見たかのように顔を真っ青にして。彼女は果たしてこの手紙を見て本当に応じるだろうか。

 もし応じなかったら?

 コモモは悲しむだろうしタヌキもまた行かなかったことを後悔し、この先も彼女のことを避け続けるだろう。そうなってしまったらもう仲直りする機会は一生訪れないかもしれない。

 そう考えたら自然とペンが走っていた。

 その文章にはおよそ似つかわしくない一言を添えて、彼女の名前の前に彼女の純粋な想いを綴る。角の丸い文字がその時だけは何故か不思議と馴染んで見えた。

 もしバレたら怒られるだろうか。やり過ぎだと言われるだろうか。

 いやそれでいい。

 何事もやり過ぎということはない。むしろやり過ぎと思うくらいでちょうどいい。

「ですよね?コモモさんっ♪」

 雨が、上がった。

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