第5話~いちなんさって~

「んもー!タヌキはまどろっこしいのだ!」

「そ、そんな事ないよ……!そうだよね!?フェネックちゃん」

「え?あー……うん、ソウダネー」

「どうして目を逸らすの!?」

 ある晴れた日の昼下がり、タヌキ達はジャパリカフェの一角でお茶を囲んでいた。窓辺に置かれた三つの紅茶が太陽の光を反射しそれぞれの輝きを放っている。

 話題は勿論タヌキと園長の話だ。やれ意気地がないだの、純情過ぎるだのと言い争っては会話に花を咲かせていた。

「何だか楽しそうですね~」

 ふと後ろから声がして振り向くと、シベリアオオヤマネコのベリーが頬をだらしなく垂らして微笑んでいた。かけた眼鏡がずり落ちそうになっていることにも気付かず幸せそうな表情を浮かべている。

「あ、またベリーさんがカフェに入り浸ってるー」

「ジャパリカフェ難民なのだ」

「し、失礼ですね!これはお客さんの会話から情報を収集して日々パークで起きている事件に役立てようという、奉仕活動の一環なんです!」

 それに、と付け加えるようにジャパリカフェは同じネコ科同士の集まりの場にもなっていると言った。

 確かに周りにはネコ科のフレンズも大勢おり、まったりとお茶を飲んだりうたた寝をしたりとそれぞれがそれぞれの時間を楽しんでいるようだった。

「とかなんとか言って、本当は私達みたいにかわいい娘達の会話を聞くのが趣味なだけなんだよねー」

「えへへ、バレちゃいましたか~」

「かわいい……」

 フェネックは自分達をかわいいと評価した。自分もそのかわいいグループの中に入っていることに安堵する。

 個性溢れるフレンズの中でタヌキはとりわけ地味だった。目立った特徴があるわけでもなく、かと言って一芸に秀でているわけでもない。紺色のセーラー服はどこか野暮ったく、まるで田舎から出てきた女子中学生のようだ。

「それで随分と盛り上がってましたけど何のお話をされていたんですか?」

 そう言ってちょうどタヌキの横に空いていた一人分の席にずいと移動すると持ち寄ったコーヒーを一杯口に入れる。その仕草がたまらなく大人びて見えてタヌキは思わず見惚れてしまった。悠然とした佇まいがまさに大型ネコ科らしい。

「いや……その何というか……えと」

「タヌキは園長の事が好きなのだ!」

「きゃーー!!言わないでーーー!!」

「どうしてなのだ!?タヌキはもっと自分の気持ちに素直になるのだ!」

 タヌキは園長のことが好きだ。

 しかしそれを人前で自信を持って言える程大胆で素直な性格は持ち合わせてはいない。

 それを口に出すという行為がなんだかいけないことのような気がしてなるべく隠すようにしてきた。ひっそりと、でも決して蓋はしないように、大事に大事にしまっておいては時折箱の中から覗いてみる。その程度で十分幸せだった。

 正直今は好きという感情を認識するので精一杯なのだ。

 しかしベリーは特に驚いた様子もなく、さもありなんといったように話を続ける。

「なるほど……。確かに園長さん人気ですもんね~。園長さんラブ勢といえばコモドドラゴンのコモモさんを筆頭にライチョウさん、キタキツネさん、それからそれから……」

「コモド……ドラゴン……」

「あっ」

 その名前を聴いた瞬間タヌキの顔から一瞬にして表情が消えた。

 全身の血が氷のように冷たく変化していくのがわかる。持っていたティーカップが小刻みにカタカタと鳴いているのを見て、その場にいた全員がすぐにその異常性に気付いた。

「え?え!?私何かマズいこと言っちゃいましたか!?」

「あー……実はねー……」












「うふふ……。ようやく見つけたわ……この泥棒だぬき!」

「えぇ!?」

「やーん園長さぁん!会いたかったです~!」

「ええぇ!?」

 突然タヌキの前に現れた二人のフレンズ、彼女を泥棒だぬきと罵った方は鬼のような形相でタヌキを睨み、もう一方は園長の姿を見つけるなり急に抱きついてきた。

「待たせたな!なのだ!」

「やー何とか間に合ったみたいだねー」

「アライさんとフェネックちゃん!?この二人は……」

「いやーさっき偶然そこで会ったんだけどねー、二人とも園長を助けに行くって言ったら二つ返事でオッケーしてくれたから連れて来たんだー」

 「そうなんだ……」と答えるタヌキの語気は明らかに弱まっていた。

 彼女はこの二人を知っている。

 名前こそわからないものの、昨日園長からジャパまんを貰っていた二人に違いない。

 妖美で奥ゆかしくもどこか危なげな雰囲気を持つ黒いフレンズと、自分の可愛さを絶対の正義と信じて疑わずそれを自信満々にひけらかす白いフレンズ、何から何まで正反対なそのコントラストがやけに鮮やかで印象に残っていた。

 だからこそこの二人が園長の、タヌキの元へ現れたのはまったくの想定外の出来事だった。

 本能で確信する、この二人は恋敵だと。

 焼けるような煙の臭いが鼻をチリチリと焦がしていく嫌な感じがした。「きゃー!!」という悲鳴が聞こえたのはそのすぐあとだった。

「園長さんどうしたんですかその傷は!?」

 園長に抱きついていたそのフレンズが白い服を真っ赤に染めながら狼狽している。

 あ、と思った。

 理由を説明するより先に全員の視線が一斉にタヌキに集中する。

「まさかあなたが……」

「ち、違うの!わ、私はただ……」

「あぁ……園長さん。何というお姿に……おいたわしや……。で、一体どこのどなたがこんなことをしたのか、し、ら?」

 彼女は怒っていた。

 顔は笑っているのに、そこから一切の喜の感情を感じさせないその形相はまさに般若というに相応しい。

 サファイアブルーの瞳がぎらりとタヌキを睨みつける。その瞬間、全身が一瞬にして石のように硬直するのがわかった。

 毒々しい赤いきのこを口元に当てながら不敵な笑みを浮かべ、フリルのついた大仰なゴシックロリータのスカートをなびかせながらひたひたと近づいてくる。

「ふぇ、フェネックちゃあん……」

「おぉ~面白くなってきたねー」

「フェネックちゃん!?」

「……タヌキよ、よく聞くのだ。フェネックはたまにしか助けてくれないのだ」

「そ、そんなぁ!」

 早く誤解を解かなければ、頭では理解しているのに肝心の言葉が出てこない。鳴り止まない警鐘が思考を邪魔していた。

 しかしそんな孤立無援かつ絶体絶命のピンチを救ったのは意外な人物の意外な一言だった。

「まさかあなたが手当てしてくれたんですか!?」

「……へ?」

「あなたタヌキちゃんですよね。わあ、やっと会えた~!あ、私ライチョウっていいます。園長さんの事、治療してくれて、ここまで守ってくれてありがとうございましたっ!」

 自分をライチョウと名乗った白い方のフレンズは両腕を綺麗に体側に揃え、ぺこり、とお辞儀をした。その仕草がたまらなく鳥らしく微笑ましい気持ちになるのと同時に、ちゃっかり両手だけは90度に折り曲げている辺りその抜け目の無さが伺い知れる。

「ほら!コモモさんもタヌキちゃんにお礼しましょう」

「あら……?私としたことがついあなたがやったものだと勘違いしておりました。ごめんなさい」

 うふふ、と薄ら笑いを浮かべながらコモドドラゴンはあっさりと謝った。先程まで振りまいていた殺気が嘘のように引いており、その恐ろしいまでの変わり身の早さにタヌキはまだ緊張を解けないでいた。

 しかしそんな彼女のことなど気にも止めない様子でコモドドラゴンはライチョウに呼びかける。

「それより早く園長さんを医務室へ運びましょう。ね?ライチョウさん」

「えー?私は抱きかかえるより抱きかかえられる方がいいかなあ、なーんて」

 冗談を言いながらも二人は園長を優しく脇に抱えると、そのままタヌキの横を通り過ぎていく。

 その時ふとコモドドラゴンが思いついたようにタヌキにだけ聞こえるような小声でこう囁いた。

「うふふ……。あなたに一ついいことを教えてあげる。コモドドラゴンは執着心がとても強いの……一度狙った獲物は絶対に逃さない。何日も何日も追い続けて相手が最後の最後まで根を上げるその時をずっと待ってる……。そう、最後の“最期”までね。わかってると思うけど次にあなたがついていながら園長さんにもしものことがあったら……あなた死ぬわよ」

 呆然と立ち尽くすタヌキをよそに園長を連れた二人の影が遠ざかっていく。

「ライチョウさん、ちょっとくっつき過ぎです。もう少し園長さんから離れなさい」

「えー!?離れちゃったら運べないじゃないですかぁ。それに私と園長さんはいつもこれくらいくっついてますよ?ねー園長さん♪」

「……今は一時休戦と言ったはずよ。抜け駆けするつもりかしら」

「やーん園長さんこわいよぉ」

 楽しげに話す彼女たちの会話はもう殆ど耳に入ってこなかった。

 解放された、と思った瞬間全身から力が抜けその場にへたり込んでしまう。それでも脚の震えは治まらず、タヌキはただ黙ってその後ろ姿を目で追うことしかできなかった。












「そんなことが……」

 ベリーがあちゃーと頭を抱えた。そしてすぐに横で震えるタヌキを庇うかのように慰める。背中を擦る手が温かかった。

「でも誤解は解けたんですよね?じゃあ大丈夫ですよ、きっと!」

「そーそー。別に彼女は悪い子じゃないしねー。ただちょ~っとだけ執着心が強いだけで……」

「ひぃっ!!」

 フェネックの言葉を聞いてまたタヌキの背筋がピンと伸びる。


――わかってると思うけど次にあなたがついていながら園長さんにもしものことがあったら……あなた死ぬわよ


 まるでどこかの占い師がその未来を予言するかのように堂々と言い放った彼女の言葉は、今でもタヌキの心に深く突き刺さっている。

 恋とはこういうものだ、愛すべき人がおりその人を守るということはこういうことだ、自分にはその覚悟があるのかと問われているような気がした。

「あ、そう言えばコモモさんからタヌキさん宛に手紙を預かっているんでした!」

「えぇ!?わ、私に!?」

 そう言ってベリーが一枚の紙切れを差し出す。洋風な彼女からは想像も出来ない程簡素で、古風な長方形の手紙。それを恐る恐る開いていく。



親愛なるタヌキ様へ


来る○月×日、ジャパリ体育館裏へひとりで来なさい


園長大好きコモドドラゴン



「こ、これは……」

「どう見ても……」

「果たし状だねー」

「いやああああああぁぁぁぁ!!!!」

 ジャパリカフェ中に響き渡る悲鳴を上げながら、彼女は今度こそ倒れずにはいられなかった。

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